よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2017年10月オールジャパンカップ達成。





今宿田んぼアートフェスタ2013(福岡市西区)

2013-09-25 21:14:15 | 自然観察
「今宿田んぼアートフェスタ2013」は、9/21に行われましたが、私は義父の法要のため参加できず
前日の20日に行ってきました。


案山子もお迎えてくれます。
  

彼岸花も満開です。
  

さて、今年のアートは何かな?

ちょっと遠くてわかりませんが、当日は観覧用の足場がかけられるそうです。

アートは分解写真にしました。




めし丸(君) 今でしょう(宿)  ご飯を食べている女の子


めし丸(君)は、福岡県産のお米のブランドです。



今年のアートはとても手の込んだ作品でした。
コメント (12)
この記事をはてなブックマークに追加

山陽道(西国街道)を歩く(三原~尾道)

2013-09-24 20:14:11 | 山陽道(西国街道)を歩く
9/16昨日の雨は上がり気持ち良い快晴の天気です。
JR西条発7:40岡山行で前日ゴールの三原駅へ 三原着8:18。



三原駅を降りると構内に「三原城天守跡」の看板があり順路にしたがって歩いていきます。

三原城は瀬戸内海の水軍を掌握していた毛利輝元の三男の小早川隆景が永禄10年(1567)沼田川河口の三原湾に浮かぶ大島、小島とつないで
天正10年(1582)前後と慶長元年(1596)の頃偉容を整えたといわれる。
城は海に向かって舟入を開き城郭兼軍港としての機能を備えた多城で満潮時にはあたかも海に浮かんだように見えることから浮城とも呼ばれた。
小早川氏のあと福島氏、浅野氏の支城となり、明治維新後、一時海軍鎮守府用地となったが沼田川の堆積作用などを理由に変更され建物、樹木などが競売に付された。
その後鉄道が本丸を貫き明治27年(1894)には三原駅が開業した。
今では市街化が進み天守台とそれを巡る濠、船入跡、輸入櫓跡及び本丸中門跡を残すのみである。(案内板より)

昨日は雨のため廻れなかったので「三原八幡宮」まで戻り街道歩き再開です。
三原八幡宮は、永正7年(1510年)に比大神・応神天皇・神功皇后をまつり、西町・西野村一帯の総氏神として建てられたと伝えられておりますが、
天正3年(1575年)小早川隆景によってこの地に移され、浅野時代、この南側に広がっている宮沖新開築造の際に新田が寄進されています。
  
近くには「西之宮一里塚」や「西惣門跡」があります。

順勝寺山門
 
三原城内にあった御作事奉行所門を明治10年(1877)順勝寺に移したもの。
築城当時の建築物が当時の状況を保存して現存するものは非常に少なく貴重な遺構で永禄から天正年間(1558~72)の作と推定される。

宗光寺山門 宗光寺塔婆
 
宗光寺山門は、小早川隆景が新高山城から移築したとされるが規模、細部意匠などから福島氏が現在地に新築した可能性が高い。
宗光寺塔婆は高さ250,3cm 花崗岩製
相輪を欠失しているほかは各部を完備しているが背面が火に罹ったため基礎や塔身の剥離がひどく相輪がそろっていれば総高300cmの十尺塔であろう。
年代は鎌倉後期の永仁(1293~99)ごろで大工心阿の作。 (以上案内板より)

三原の街道を歩くと昔ながらの家が立ち並んでいる。現役のお医者さんの家だったり、もう営業されていないかもしれないが乳母車屋さんなどがあります。
 


開明橋跡、東大手門跡を通り再び三原城跡へ。
 

和久原川の差し掛かると橋の手前に「和久原川水刎(みずばね)」という案内板が・・・・・
水刎(みずばね)という言葉は聞いたことがなかったので覗いてみると
 
川岸から川中に向けて三角形に石垣を築き出して川の流れを弱める役と流れの方向を変えて三原城の東築出の用地を確保するために造られた石垣と考えられています。

橋を渡って右側に「三原宿本陣跡」(山科屋)があります。そのすぐ近くには日本画の巨匠、横山大観が愛飲したお酒「酔心 山根本店」です。
 

更に先に進むと左側に三重塔が建っています。「松寿寺」です。松寿寺は「三原に寺は数々あれど古きが一の松寿寺」と童歌に歌われた通り三原城築城以前の
貞治元年(1365)に創立された。寺の中に入ってみますが三重塔には行けずやむなく引き返しました。
童歌の通りこの辺りも専福寺、観音寺、極楽寺、浄楽寺と三原はお寺の数が多い町です。
 

新幹線のガードの手前に小さな祠があります。覗いてみますと「大神宮」と書いてあります。
この神社、伊勢神宮を祀っています。小早川家は伊勢神宮を信仰した家で伊勢から村上太夫という御師が来ていました。
毎年2月中旬に行われる「神明祭」は日本一のダルマが奉納されます。(ダルマの写真は三原市観光協会HPより)
 

新幹線のガードを潜りしばらく歩くと「糸崎」の町に出ました。
私事ではありますがこの街道歩き初めのころは博多から電車で山口に来ていました。その時乗った電車が「糸崎行」でした。
糸崎駅は明治25年(1892)山陽鉄道延伸に伴い「三原駅」として開業。その後広島まで伸び、三原市街地に「三原駅」が開業されたため、糸崎駅に変更された。

糸崎駅の付近を歩くとやたら「お地蔵様」が多い。
 

糸碕(いとざき)神社」に着きました。この神社の「さき」は石偏のさき(碕)」です。
糸碕神社は、天正元年(729)神功皇后が西行のみぎり船をこの地に寄せられたとき水を献じたという事によってこの水を「御調井(みつぎい)」といい
のちに長井浦、または井戸崎(糸崎)というようになったという。
 

糸碕神社の神門は三原城内にあった侍屋敷門の一つで明治8年に旧浅野家奉行 生駒氏より寄進されたものです。
 

御調井
 

糸碕神社のクスノキ
NHK街道てくてく旅でシンクロの原田早穂さんも立ち寄られた場所です。
幹回り約13m、高さ20mの大きな楠です。三原市の天然記念物に指定されています。
 


糸碕神社を出て2号線と合流する所に「六本松 一里塚」が建っています。


ここからしばらくは2号線沿いを歩きます。左側には山陽本線そして右側には瀬戸内海です。
今回の街道歩きは険しい峠が多かったので海を見ると気持ちが和んできます。



街道は木原の町に入ってきました。
  
「鉢ヶ峯 虚空蔵」


更に進むと大人峠に入ります。
面白いことに右側は尾道市福地、左側が三原市木原でこの道路が市の境界となっています。
  
大人峠の先の橋梁を右折すると尾道市吉和の町に入ってきます。
 

古い家などを見ているととても落ち着いた街並みです。

街道は日比崎小学校のグラウンド横を通ります。前方を見ると山の上にお城が・・・・・
 
市内には戦国期の城跡はあるが、隣りの福山市の福山城天守(戦災で焼失、昭和41年復元)の影響を受け、昭和39年(1964年)に尾道商工会が観光事業の一環として外観の一部を弘前城天守に模した施設「全国城の博物館尾道城」を建設した。建築は鉄筋コンクリートの三層三階、望楼型の体裁を取っている。尾道駅の北側の丘陵上に立地し、目立つこともあり尾道市のシンボル的な存在ともなったが、歴史的な背景が全くないためにむしろ景観を汚すものであるという意見もあり、建築当初から厳しい論争にさらされた。現在は廃城になっている。(Wikipediaより)

日比崎小学校の坂を超えると大型カメラ屋、ショッピングセンターがあり、その先を右折すると尾道の酒「寿齢」の吉源酒蔵所があります。
安政元年(1854)の創業です。
 
吉源酒造所の先を左折すると尾道駅北口です。

その先の踏切を渡ると「林芙美子像」が建っています。

「海が見える 海が見えた 五年ぶりに見る尾道の海は懐かしい。」彼女のベストセラー「放浪記」の一説です。
彼女は幼年期時代この尾道で過ごしました。
商店街の一角には「芙美子記念館」もあります。
 

奉行所跡
 

尾道は寺の町です。ここから千光寺に行けますが、千光寺に行くにはあの急な坂を上っていかなくてはいけません。
今日はもうスタミナ切れで次回登ることにします。
 

本陣跡


一応ここで今回の街道歩きを終了します。次回はここから始めることにします。

広島駅では台風の影響で新幹線が大幅に遅れていました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私事ではありますが、尾道に行くとどうしても行きたい所があります。
何年か前初めて尾道を訪れたときある方に紹介していただいた「尾道焼」。
この商店街の終点の所にその店があります。
店に入りますと相変わらずの行列。だいたい一時間待ちかな?現在時計は2時を指しています。
予想通り約1時間待って私たちの番になりました。


4回目の来店ですが、いつ食べてもおいしいです。

今日のGPS



9/14~9/16まで3日間のGPS


















コメント (10)
この記事をはてなブックマークに追加

山陽道(西国街道)を歩く「竹原・横大道~三原」

2013-09-21 19:17:05 | 山陽道(西国街道)を歩く
 9/15台風の接近で今にも雨が降りそうな天気です。今日は先日買ったゴアテックのレインコート持参のウオーキングです。
JR西条駅発7:40で三原駅へ。三原から呉線に乗り換え竹原駅へ。竹原駅から広島行芸備バス「かぐやひめ号」で昨日ゴール地の横大道へ。横大道着9:35。
昨日はホテルに戻り早めにベッドにつきましたので体調も絶好調です。竹原は昔塩田で栄えた町です。


横大道からなだらかな坂を上っていくと
河原坂峠」に差し掛かりました。
  
石畳の道もありますが、草が1.5mぐらいの高さまであり歩くのが非常に困難です。まるで道なき道を歩いているようです。
ここは急坂のため雨が降ったら峠道が河原のようになるということからその名がついたそうです。
時にはポールで草をかき分けたり走って駆け抜けたりしました。
 
30分ぐらいかけ峠を下りてきました。

県道49号線に出てそれを歩きますと国道2号線サテライト山陽の「日名内」交差点に合流します。
旧街道はこのサテライト山陽に向かって「やねこい山道」に行きますが、資料を調べていますと私有地の上、倒木や多量のごみがあり通行が困難と書いてあります。
また、見る所もないのでそのまま2号線を歩きます。
  
街道は本郷町南方に入ってきます。本郷町の観光案内版を見てみると1400年前の古墳などがあるみたいです。


本郷町は平成17年久井町、大和町と一緒に三原市に合併しました。
三原市には御年代古墳(本郷町)をはじめとして縄文・弥生・古墳時代の遺跡が残されており、古くから人びとの生活が営まれていたことがうかがえます。
平安時代には、楽音寺(本郷町)や昭和30年代まで続いた杭(久井町)の牛市など今に残る歴史資源が創設されたほか、
沼田庄や杭の庄等の荘園が経営され穀倉地としての役割を果たしてきました。(三原市HPより)

2号線追分から進みニホンケミカルの所から左折すると「南方神社(宗長神社)」があります。
ここには二本松古墳の石棺が残っています。

更に進むと「貞丸古墳」の大きな看板があります。
 



御年代古墳」(みとしろ)
 
 
明治28年(1895)国道改修工事により発見された。石棺は屋根型で非常に優美に削られている。6~8世紀の間にわが国で流行したもので7世紀中ごろの築造と考えられる。(案内板より)
またここから発見された須恵器は東京博物館に展示されている。
この付近には他にも大きな古墳があり沼田川沿いに豪族がいたのであろうか?

南方村役場跡
明治22年豊田郡南方村が発足し昭和29年に本郷町に合併されるまでここが町の中心だった。この役場の北側に茶屋があったという。
   
街道を歩くと大きな家が目につく。
 

右側に大きな石碑が建っている。
よく見ると書が内閣総理大臣 池田勇人となっている。そういえば池田元総理は竹原市の出身だ。昭和35年の建立。


横見廃寺跡

ここが芸備地区の仏教文化の発祥の地。寺域は東西100m、南北80mもあり白鳳時代(7世紀後半)の寺院跡。

本郷中学校の横の道を行くと「梅木平古墳」(ばいきひら)があります。
  

広島県最大の横穴式石室(全長13.25m ・幅3.1m ・高さ4.2m)7世紀初め頃の古墳で、山腹を切り開いて巨石を積み重ねてあり、古代豪族の勢力の大きさを示している。
6世紀後半から7世紀始めの築造。沼田川を治めた豪族の墳墓と言われている。
石室の入り口には音声ガイドがありスイッチを押すと説明が流れます。

甑天満宮
 
 
住民の方のお話を聞けばこの辺り昔は海だったそうです。今でも掘ってみると貝殻などが出てくるそうです。道真公は船で立ち寄られたのでしょうか?

甑天満宮を進むと国道2号線に合流します。
沼田川(ぬたがわ)の甑橋を渡り、左に行ってすぐ右折しなくてはいけない所まっすぐ行ってしまいました。
地図を見ると先の方で街道に合流するのでそのまま歩きます。

山陽道は標識が少なく時々迷うときがあります。
みると左手に大きな建物が・・・・・・

これは本郷生涯学習センター、図書館です。

懸念されていた雨が降り始めました。まだ雨具をつけるまでにはいきませんが今日は三原までの行程ちょっと急がねば・・・・・

本郷宿の本陣は、本郷駅の北側の住宅地の一角にありました。
横がお医者さんで現在誰も住んでいないそうです。
 
本郷駅の近くには酒造屋、醤油屋さんなどがあったそうですが、何も残っていませんでした。

円光寺
本郷で一番大きなお寺です。

仏通寺」道標

応永4年(1397年)小早川春平が唐(中国)にわたって修行した名僧愚中周及禅師を迎えて建てた寺。日本屈指の禅道場として知られ、企業や学校等の研修の場として多くの人が訪れる。
堂塔伽藍が古い杉木立に囲まれて立ち並び、夏の新緑、秋の紅葉時は、大変素晴らしく、多くの観光客で賑わう。(広島観光ナビより)
先を急ぎましたのでパスしました。

時間も2時近くなってきました。雨は止むどころか本降りになってきました。
お腹も減ってきたしどこか食堂はないかなと探すと街道沿いに小さなお好み焼き屋さんが・・・・・
そういえば昨日はお昼を食べていないので終盤バテたのではないでしょうか?食堂はおろかコンビニもありませんでしたから・・・・・・
 
食堂のおばちゃんは宮崎西都のご出身だそうです。先日も法要で九州を廻ってきたそうです。テレビでは広島VS巨人の試合が放送されており広島が先制すると喜んでおられました。

お腹もいっぱいになり、ここでゴアテックのレインコート、防水の帽子をかぶって再び出発します。
本郷で一番大きい寺「西念寺」を抜け「吉国神社」を通り納所橋の手前で2号線に合流。
 

再び「本市橋」から山陽線の踏切を越え旧街道を歩きます。それから沼田防災センターの看板から三原バイパスの橋梁の下を通り沼田川沿いに歩きます。
 


「定屋大橋」の信号を左折すると広島大学の付近に「道標」が建っています。是従東 備後国、是従西 安芸国」と記されています。

このまままっすぐ歩いていくと新幹線の高架が見えてきました。
このガードを潜ると三原城内に入るのですが、今日はもう時間も遅くそのままJR三原駅に直行しました。三原駅到着17:08.


今日のGPSです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三原駅発17:25で宿泊地西条駅へ
西条では昨日散策したときに食べたいなと思った「美酒鍋」。本当は昨日行く予定でしたが私の体調不良で行けませんでした。
今日こそはと思いお店に入りましたが満席でした。然し10分ほど待たされようやく席に着きました。
これが「美酒鍋」です。


もちろんお酒は「賀茂鶴」です。

しっかり体力も付き明日の最終日に備えました。









コメント (8)
この記事をはてなブックマークに追加

山陽道(西国街道)を歩く(西条から竹原・横大道)

2013-09-19 17:37:18 | 山陽道(西国街道)を歩く
9月14日からの三連休を利用し山陽道歩きに行ってきました。
今回もJR西日本の「広島とくとく切符」を利用しました。
この券は新幹線往復自由席、広島管内フリー区間がありかなりお得です。

6時5分博多駅発の新幹線で広島へ。広島から山陽本線上りの電車で西条へ。
西条には8:00ごろ到着。
   
西条は、1650年ごろから酒造りが始まり、現在駅前には8つの蔵元が集まっており、今では灘、伏見と並ぶ日本三大銘譲地となっています。
 
 

白牡丹の冥加の水
 

西条四日市宿は広島県10宿のうちで一番大きな宿場で本陣にあたるお茶屋は藩が管理していました。
お茶屋(本陣)跡は、賀茂鶴の中にあります。
 
案内板によると

江戸時代 ここ西条は「西条四日市」と称し 旧山陽道最大の宿場町として栄え 有名でありました
全国の宿場には 大名のとまる宿がその土地の名家でいとなまれ「本陣」と称せられていましたが 西条四日市宿場だけは重要な大宿駅でありましたので 藩(淺野藩)が直営で 
これをつくられ「御茶屋」と称せられていました
この場所は その「御茶屋」のあった所であります
「御茶屋」の規模は 古文書によれば
一、土地の広さ 一、四八八坪(約四、九一〇平方米)
二、部屋数 二十九
三、畳の数 二百十四畳半 でございます
建物は 明治維新後に取りこわされましたが 御門と 称せられていた正門は 賀茂鶴の当主の木村和平翁が 土地とともに払い下げを受けたので 今日まで保存してきましたが 貴重な文化財でありますので
 此のたび 建築学の大家であらせられる 広島大学名誉教授の佐藤重夫先生の 考証と御指導を仰いで 復元したのであります
なお 此の地は 安芸國分寺(ここより東北約五00米に現存)が建てられた頃(西暦七四一年)安芸の國の政治の中心「國府」があったと 伝えられています


酒蔵通りを抜け山陽線ガードを潜ると「安芸国分寺」があります。
 
 

国分寺を後に再び街道に戻ります。
西条には、民家に独特の赤瓦があります。
その誕生の背景には、この地方が冬は積雪に見舞われる一方、夏は強烈な陽射しが照り付けるという気象条件。過酷な環境に耐えうる瓦として使用されたのが赤瓦です。
材料は東広島で産出される良質の粘土。黒瓦と異なり釉薬として来待石を使用していたことからこの赤瓦が生まれました。高温で焼成した赤瓦は瓦全体をガラスで
包んだような光沢があります。
 
 

街道は市街地を抜け山間部に入ります。
川沿いの道を歩いていると「旧山陽道歌謡坂一里塚跡」(うたうたいざか)があります。
牛満長者の田植えがここから田植え歌を歌いながら始められたので歌謡坂と名付けられたそうです。
※昔、焙烙(ほうろく)(※素焼きのお鍋)を商う男が今宮神社を通るとき、そこにいた弱った牛に自分の弁当を食わしたが、結局牛は死んでしまった。
哀れに思って体をさすると大判小判に変わり、男は牛満長者と呼ばれるようになった。

今宮神社(牛宮神社)」
前述の弱った牛が亡くなった所にお宮が建っていました。

かご松の碑
街道松がありここで殿様も駕籠を止められ休まれたそうです。


更に先に進むと左側に山道があります。ここが松子山峠の入口でしょうか?標識はないかな?と探しますがありません。地図ではここを入るようになっていますが、
とりあえず恐る恐る入っていきます。

入るとすぐ泥濘(ぬかるみ)があります。今回シューズは雨に強い「ゴアテック」を履いています。

右側に池がある所に来ると道が二手に分かれています。地図を見てもわかりませんので携帯のGPSを使いますがここでは圏外の表示。

随分考えた挙句、左側の道にはビニール紐がつけられています。多分こちらだろうと思い左側の道を選びました。

峠の頂上には「松子山峠」の標識が建っていました。間違っていませんでした。

先へ進むと何というか、道がなくなっています
持ってきたタブレットで先輩たちが歩かれたブログを開くとここを下りていくとなっています。
高さ50cmぐらいの段を下り、あとから来た家内の手を引いてあげます。
 
この峠は、泥濘が長く続きますがそれより倒木があちらこちらで見られます。

1時間ちょっとでやっと峠を越えました。

然しこの峠、この山陽道の中でも1,2位を争う厳しい峠です。

前方には東広島呉自動車道が走っています。街道はこのガードを潜っていきますが、どうも私の両足に豆ができたみたいです。
ガードの手前に空き地がありましたので靴を脱ぎ救急絆創膏で手当てします。ゴアテックがいいと思い新しいシューズにしたのがいけなかったのかな・・・・

石立大明神の近くに「日向一里塚」があるということでしたが、見つけられませんでした。


三永(みなが)の石門
 国道2号線によってそれまでの農業用水路が分断されるため明治15年(1882)に設けられた石造のアーチ式水路橋です。国の登録有形文化財に登録。
こうした水路橋は中国地方でも数少なく橋の下を当時の国道が通っていた。昭和53年(1978)国道の拡幅工事に伴ってここに移築された。  (東広島市HPより)

今日は天気も良く暑くて飲料水をよく飲んだ。そのため飲料水の在庫も乏しくなりコンビニや自販機を探すがどこにも見つからない・・・・・・
2号線を渡る陸橋から舗装会社のプラント工場が見える。あそこだったらあるかもしれないと工場内に入ってみるとありました。
ここで飲料水を補給して再びスタートします。
街道の側には、彼岸花も咲いています。


茗荷清水
街道脇に右側に茗荷清水と水がわき出ている所があります。昔の旅人はここで喉を潤したのでしょう。
何年か前の写真には小屋があったがいまはありません。
 

田万里」へ
ここから竹原市田万里に入ります。
田んぼには稲の天日干しが行われており秋の香りを漂わせています。

 

石立神社
東広島市三永の所にも同じような神社がありましたが、同じ系列でしょうか?


先の方を見ると御夫婦のウオーカーさんが・・・・・
すれ違った時にお話をすると大阪から来られた方で山陽道を西へ向かわれているそうです。
もう東海道、中仙道を歩かれ街道歩きの大先輩でした。
今日は本郷から西条まで歩かれるそうです。最終目標は来年末の長崎だそうです。
私達も来年末には京都・東寺にゴールしたいなぁ。


  

田万里宿」に入ってきました。
田万里宿は、西条と本郷の間が6里(約24k)もあり間宿として発展しました。
本陣、問屋、旅籠、茶店が軒を連ね戸数35余りの集落でした。
 
 

「茗荷の清水」
東広島上三永の方にも同じような清水がありました。
昔は名水だったのでしょうが、今ではカエルがいたりして飲み水としてはちょっといただけません。


のどかな道を歩き街道は「大橋」の所で左折します。
先ほど舗装会社の工場で飲料水を仕入れたのですがもう無くなりかけています。
近くの人にコンビニの場所を聞くとここから1km離れた所にあるそうです。
 



2号線新庄の車屋さんの所にそのコンビニはありました。
そこで水分を補給しついでにアイスクリームもいただきました。
再びスタートしますが、どうも私の体が言うことを聞いてくれません。
上り坂に差し掛かると息切れして思うように歩けません。これからまた峠にさしかかるのに・・・・・
 
それでも「横大道」まで来ました。時間は3時を少し過ぎたころです。
しばらく休憩しますがそれでもよくなりません。軽い熱中症みたいです。


この道標は、東「大阪」、西「広島」と書いてあります。この道標を見ると歩き出したくなりますがすぐ息切れしてしまいます。
仕方がないので今日はここで終了することにします。

帰りはタクシーでJR山陽線入野駅へ行きそれからJR西条駅に戻りました。

今日のGPSです。











 












コメント (12)
この記事をはてなブックマークに追加

2013年 田んぼアート「二丈町の赤米田」(福岡県糸島市)

2013-09-18 14:05:03 | 日記
今年も二丈町の赤米田に行ってきました。
赤米の穂が夕陽に映る姿が綺麗ということで夕方の5時頃現地到着。
しかしここは西側に山があり行った時には太陽が山に落ちていく寸前でした。

 
またこの田は、赤米を使った田んぼアートがあります。
昨年は「糸島から元気を!」でしたが今年は・・・・・

やっぱぁ糸島やね!」です。
糸島産のブランドは今や福岡だけでなく日本中に人気が高まっています。

ただ今年は赤米の穂が猛暑のせいでしょうかそれほど赤くないように見られます。
私の気のせいでしょうかね。

田んぼにはもう彼岸花も咲だしました。
 

やはり田んぼには彼岸花がよく似合いますね。萩の花も咲きだしました。


だんだん日も暮れてきましたので帰途につきましたが、夕陽があまりにも綺麗でしたので思わずパチリ。(唐津の方に沈んでいきました)

コメント (16)
この記事をはてなブックマークに追加

近所のイタメシ屋さん

2013-09-13 18:29:58 | 食いしん坊
近くに住む実姉が夕ご飯一緒に食べようということで
近所の「イタメシ屋」さんに行ってきました。ここは人気のあるイタメシ屋さんで土日はお客さんが多く予約しないと入れません。
 
時間が遅かったのでパスタコースしかできないということでパスタコースを注文。
パスタはこの中から選ぶことができます。
 
頼んだのは、「渡り蟹のトマトクリーム」、「ぷりぷり海老と糸島産長ネギ海老クリーム」、「小エビとたっぷりキノコのスパゲティ」。

先ず出てきたのが前菜とサラダ
 
そしてメインのパスタ
  

デザートも種類の違うものにしました。
 



やはり人気のあるお店おいしかったです。値段は3人で6000円弱でした。


コメント (10)
この記事をはてなブックマークに追加

ソフトバンクVS楽天20回戦を観戦

2013-09-01 22:42:40 | 日記
8月のお盆の間に施設に入っていた義父が急に92亡くなり、それからお通夜、お葬式を行い、それが終わると
義父が入っていた施設の部屋の後片付けとあわただしい8月でした。
忙しさにこのブログもしばらく更新していませんでした。
義父は15日の夕方施設で倒れすぐ救急車で運ばれましたが翌日昼帰らぬ人となりました。
92歳でした。

暦も9月になりましたのでまたブログの方も再開したいと思います。
さて、今日1日はヤフオクドームヘプロ野球ソフトバンクVS楽天の試合を見に行きました。
昔はよく野球観戦に行っていましたが最近はあまり行ってなく今日が約1年半ぶりの観戦となりました。



楽天は今パリーグの首位を独走。3位のソフトバンクは楽天とのゲーム差7.5。今日は何としても勝って優勝戦線にとどまりたい一戦です。
今日の先発は7月末に入ってきたオセゲラ。打たせてとるピッチングで1回を簡単に3人で終了する。


一方のホークスは中村の先制本塁打で先制。
3回には内川、柳田、長谷川の3連打で3点を追加。

オセゲラは、4回までは投球数も少なく簡単に打たせていたが5回に疲れが出たのかランナーをためはじめた。
それでも何とか5回まで無失点。6回からは他の投手に交代かな?と思ったがベンチは続投。
ランナーを2に出した所で千賀に交代。千賀がピリッとせずすぐ四球で満塁のピンチ。続くバッターは三振にとったがここで森福に交代。
森福は次打者2人を連続三振にとりピンチを脱する。
 
 
7回も楽天は満塁のチャンスを迎えるがソフトバンクの投手が何とか踏みとどまり、そのあと小刻みな投手リレーで
4-0で打ち勝ちました。
 
これで楽天との差は6.5ゲーム。もう奇跡を願う他ありませんが、首の皮一枚残っているみたいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話は変わりますが、今年JWA(日本ウオーキング協会)の大会には、10月「富士川口湖」11月「仙台」を予定しています。
どちらも初めて歩くところです。
特に仙台は楽しみです。
そのために楽天のタオルマフラーを買いました。仙台にはこのタオルをつけて歩こうと思っています。
コメント (14)
この記事をはてなブックマークに追加