よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2017年10月オールジャパンカップ達成。





初めての北海道「定山渓温泉編」(札幌市)

2015-06-30 05:54:02 | 旅行

札幌ツーデーウオークのあと、レンタカーで定山渓温泉に向かいました。

中島公園から定山渓温泉までは、車で約45分ぐらいです。

宿にチェックインし、早速温泉に行きました。2日間で60km歩きましたので持病の右ひざが痛く、歩くのも困難でしたが、温泉に入ると痛みも和らぎます。温泉の力ってすごいですね。

  

  

この旅館は、各所に「相田みつを」の詩があります。普段何気なく思ったことをこうやって詩でみると「なるほど」と思います。

温泉旅館の楽しみは、温泉と食事ですね。今日は、お昼はおにぎり1個でしたのでお腹ペコでした。

この旅館では、料理を持ってこられる時に料理の説明を詳しくされていました。

 

「八角」は、初めて食べる魚です。別名「トクビレ」。体の断面が八角形をしているからこの名がついたそうです。

北海道の一部しか獲れない魚で漁獲量も少ないそうです。これを田楽焼きにしていただきました。

 

メインは、タコのしゃぶしゃぶ。あまりにも美味しかったので写真を撮るのを忘れました。(笑)

ご飯は、北海道産「ななつぼし」の枝豆御飯です。

 

【定山渓温泉】

翌日朝4時頃起きて付近を散策しました。

安政5年(1858)1月、松浦武四郎が幕府の命により、道路適地調査の為、アイヌを道案内として虻田より中山峠を越えてこの地に到着。

岩間に浴槽を掘り、旅の疲れを癒し一泊しました。これが温泉の始まりです。
その後、1866年に美泉定山という僧ががアイヌ人から話を聞いて、ここを訪れて、温泉の存在を確認しています。そして、札幌から温泉への道路と休泊所を作るなど、定山渓温泉の開発に力を注ぎました。

1871年にはそれが認められ、当時の判官岩村通俊から湯守に任命されています。また、同じ年、札幌からここを通って有珠に達する本願寺道路が完成し、その検分に判官とともに訪れた東久世長官が、

定山の業績を高く評価して、「定山渓温泉」と命名しました。
1874年に開拓使が湯守を廃止したあとも、定山は温泉施設を与えられて、窮乏しつつもその経営に取り組みましたが、1877年に逡巡先の小樽で亡くなったということです。

   

源泉は、月見橋一帯です。川からは、湯気が立ち込めています。この月見橋には、河童のオブジェがあります。

定山渓温泉には、「カッパ伝説」があります。

その昔、一人の青年が魚釣りをしていたところ、何かに引き込まれるように川底へ消えてしまいました。1年後のある夜、父の夢枕に「かっぱの妻と子供と幸せに暮らしている」と告げる青年が。

以来、この地で溺れる者がいなくなったという伝説が「かっぱ淵」にあります。河童は、定山渓では、森と水の守り神として親しまれ、「かっぱ大王」をはじめ、定山渓温泉から小金湯温泉にかけて、

市民のアイデアから生まれたカッパ像が22体も点在しています。(観光パンフより)

  

    

 

二見公園の方へやってきました。

この川は、昨日、一昨日と歩いた豊平川の上流になります。川の水が綺麗です。また、モミジがたくさんありますので秋には、紅葉もきれいでしょうね。

  

  

  

このあと、朝食を済ませ、次の目的地「旭岳温泉」に向かいました。   (つづく)

   

 

 

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第19回北の都札幌ツーデーウオーク 2日目30km(札幌市)

2015-06-28 20:20:28 | オールジャパンウオーキングカップ

6月21日(日)北の都札幌ツーデーウオーク最終日。荷物が多いためホテルからタクシーで会場へ。

会場には、はなまりんさんが激励に来ていただきました。

スタートすると、keikoさんが・・・・・・・keikoさんは、今日5kmに参加されるそうです。

今日は、屯田防風林コース30kmを歩きます。

  

コースは、中島公園の前の道を円山の方向に歩きます。

西友の所から右折、しばらく歩き、リベラル教会から左折します。ここから円山を目指します。

  

  

円山原始林

  

途中、私たちの前をリスが横切り、私たちの挨拶に来たようです。

円山動物園に来ました。この動物園の名物は、ホッキョクグマの赤ちゃん、10時から一般公開だそうです。

   

10:00大倉山ジャンプ場到着。

大倉山ジャンプ場は、1972年(昭和47年)札幌冬季オリンピック90mジャンプの会場になった所です。(この時は、日本選手笠谷選手の7位が最高でした)

  

折角ですので、リフトに乗り、展望台まで行ってみました。ここからは、札幌市内が一望できます。

  

  

  

大倉山クリスタルハウスは、1階がお土産コーナー、2階がレストランになっています。お茶でも飲みたいのですが、時間がありませんので先へ急ぎます。

下までは、エスカレーターを利用します。このエスカレーター円形になっています。

  

下りてしばらく歩くと、「宮の森」に入ります。このあたり、立派な住宅が立ち並び、高級車も駐車場に止まっています。ここが、札幌の高級住宅地でしょうか?

通りには、札幌彫刻美術館もあります。

 

フランセス教会を過ぎ、JR琴似駅近くに来ました。このあたりには、高層マンションが立ち並んでいます。

  

マップを見ると「農試公園」がチェックポイントみたいです。今、時間は、11:30に迫ろうとしています。

制限時間を見ると、30kは、10:50~11:30。 20kは、11:00~12:10と書いてあります。急がなきゃ・・・・・・

あれっ、20kも30kもほとんど同時にスタートし、コースもここまでは、まったく一緒。どうしてこんなに制限時間の差があるのでしょうか?

農試公園には、5分遅れの11:35に到着。ですが、ここは、20kコースのチェックポイントで、30kは、これから約7km先だそうです。

  

約7km先の30kの制限時間は、13:25。とにかく急ぎます。

然し、ここで間違いをしてしまいました。30kは、ツルハの交差点から左折しなくてはいけないのですが、右折(20kコース)してしまいました。

約1kぐらいしてどうもおかしいと再びマップを見るとコースを間違っていました。分岐点の案内標識はなかったのでは?あるいは、私たちが5分遅れで到着したのでその案内板をもう撤去されたのかな?

今、歩いてきた道を引き返します。新川を渡り、安春川に入ります。

  

説明文を見ると、

安春川は、1887年(明治20年)開拓と防備を兼ねた屯田兵が新琴似地区に入植しましたが、当時この一帯は、低湿地で開墾は困難を極めました。そこで1890年(明治23年)屯田兵中隊長安東大尉のもとで

水害防止と湿地帯の農地化を目指して、現在の新琴似4条2丁目から発寒川に至る大排水路が開削されたのです。これが現在の安春川で新琴似開拓の礎となってきた川です。

  

安春川を過ぎると前方に森が見えてきます。これが「屯田防風林」です。

開拓にあたる屯田兵が農作物を強風から守るため「コ」の字形に残した自然林の一辺が元になっており、新琴似屯田兵村と篠路屯田兵村の境界となっていました。

  

20,7km地点「JR新琴似駅」が30kコースのチェックポイント。13:15何とか制限時間内に通過しました。

  

麻生(あざぶ)交差点を過ぎ、北海道大学を目指します。

  

北海道大学構内は、緑がいっぱいあり、歩きやすいですね。

北海道大学と言えば、「クラーク博士」ですね。

1876年(明治9年)北海道開拓の人材を育成するため札幌農学校が開設され、教頭としてアメリカからマサチューセッツ農科大学学長W・S・クラークが着任しました。

彼は、わずか9カ月の滞在中に精力的に農学校の基礎づくりにはげみ、キリスト教に基づいた教育は学生達に大きな影響を与えました。

帰国に際し残した“Boys be ambitious” の言葉は、今なお深い感銘を与えています。

初代クラーク像は、1926年(大正15年)に建立されましたが、1943年(昭和18年)の金属回収令により献納。現在のクラーク像は、2代目で1948年(昭和23年)に復元されました。(案内文より)

   

  

北大正門を抜けると札幌駅です。この一帯から札幌市の中心部になります。

  

  

中心部を歩いていると「デモ」に遭遇しました。デモ隊の人、皆さんヘルメットをしています。僕らが学生の頃は、70年安保で学生運動が盛んでした。

それ以来でしょうか、ヘルメット姿のデモ隊を見たのは。

  

15:15 ゴールの中島公園に到着。スタッフの皆さんの暖かい拍手に迎えられ、疲れも吹き飛びました。

初めて、札幌の地を歩きましたが、北海道の大自然の元、気持ちよく歩けました。スタッフの皆様有難うございます。九州からで遠いですが、機会があればまた参加したいです。

2日間総参加者は、2649人だそうです。

  

今日(6/21)のGPS

 

ゴールの後、レンタカーを借り、今夜の宿舎「定山渓温泉」に向かいました。   (続く)

  

 

 

 

 

 

 

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第19回北の都札幌ツーデーウオーク 1日目30km(札幌市)

2015-06-26 22:47:10 | オールジャパンウオーキングカップ

札幌1日目は、すすきののホテルに泊まりました。

朝、ホテルの窓から外を見るともう明るくなっています。もう5時かな?と時計を見ると、まだ3時です。

札幌は、朝が明けるのが早いのですね。福岡は、5時ぐらいにならないと明るくなりません。となると、札幌と福岡では、時差2時間かな?

折角早起きしたのだから、4時ごろからホテルの廻りを散策してみました。

カラオケや飲み会の帰りの方かな?歩く姿が千鳥足です。また、カラスがたくさん朝のすすきのを飛び回っています。ゴミ袋を狙っているのでしょうか。

  

  

【北の都札幌ツーデーウオーク1日目】

今日(20日)は、第19回北の都札幌ツーデーウオーク1日目。会場は、中島公園。すすきのから地下鉄で1駅です。

コースは、「30k・・・・・西岡公園コース」、「20k・・・・・・札幌ドームコース」、「10k・・・・・精進河畔公園コース」、「5k・・・・・・豊中公園コース」の4つです。

私達が参加したのは、30kmコース。札幌歩こう会の「酒井さん」が受付。2年ほど前に京都でお会いし、それから福島、小林・・・・・・・もう何回もあっています。

酒井さんは、すでにオールジャパンを制覇され、ウオーカーの大先輩です。

隣のコーナーでは、旧SNSの「のりちゃん」がいます。のりちゃんは、忙しそうでしたので挨拶だけをしました。今晩のオフ会で会うことになっています。

それから埼玉のkiyoさんご夫妻、三重・津のともりんさん・・・・・いろんな方とお会いできました。

会場中央の看板「イランカラプテ」とは、アイヌ語の挨拶「こんにちは」を北海道のおもてなしのキーワードとして普及させるものです。

女子大生の「激」でスタート。

   

   

  

スタート直後、水が配られました。コースは、中島公園を出て、豊平川に向かいます。

  

幌平橋を渡ります。渡ると豊平川の河川敷です。広い広い遊歩道の中を歩きます。幌平橋というと、スズさんの家の近くかな?と思いながら歩いていると、横から私の名を呼ぶ声が・・・・・・・

何と「スズさん(スズランさん)」でした。スズさんは、私の街道歩きの師匠、大阪の「ランドセルさん」が東海道踏破された時にサポートされた方です。いうならば、私とスズさんは、兄妹弟子かな?(笑)

初めてお会いしましたが、心優しい感じのする方でした。来年〇〇になられるそうですが、まだまだお若く見えます。

ミュンヘン橋の手前が20k、30kの分岐点。スズさんともここでお別れ。彼女も今晩のオフ会に参加されることになっています。

  

ミュンヘン大橋は、札幌市とミュンヘン市の姉妹都市提携15周年の年となる1987年(昭和62年)に事業着手したこと、橋の構造が戦後ドイツを中心に発展した橋梁形式(斜張橋)であることから、橋の名前につけられたそうです。

  

河川敷には、「赤詰め草」が咲いています。この花、九州ではあまり見かけません。(九州は、白詰め草)

  

真駒内川を過ぎると保安林に入ってきます。今日の札幌の気温は、21度ぐらい。湿気が少なく、とても気持ちのいいウオーキングです。

ですが、保安林に入っていくと少しひんやりしてきます。

  

11:28チェックポイントの西岡公園に来ました。コースマップを確認するとこのチェックポイントは、11:30までとなっています。

ゆっくり歩いていたため、ヒヤッとしました。

  

これから住宅街を歩きます。札幌の市民の方は、花を愛でられています。庭先には、芍薬、ユリナス、マーガレット、ナニワバラ(ヤマトバラ)でしょうか、白い綺麗な花も咲いています。

歩いていて、こんなきれいな花を見ると、和みますね。

  

  

黄色の消火栓は、九州にはありませんね。また、お家の2階部分には、梯子がつけてますが、これは、雪下ろしの為でしょうか?

   

  

  

これは、なんという花でしょうか?見たことがありませんでした。

  

札幌ドームの所に来ました。今日、北海道日本ハムファイターズは、福岡ヤフオクドームで我がソフトバンクホークスと試合中です。

札幌の日本ハムファンの方も熱狂的でしょうか?

セイコーマートの所から左折し、「じんぎすかんクラブ」の方に入ります。

  

  

じんぎすかんクラブを過ぎると、広大な敷地が広がってきます。パノラマで撮ってみました。

ポプラ並木を通り、八紘学園へ。北海道のイメージそのものです。

  

八紘学園農場が給水所。ここに13:05までに入らなくてはいけませんでしたが、現在12:55何とかクリアしました。

ここでは、バナナが振る舞われました。しかも1人1パックとは、太っ腹。それにしても北海道でバナナとは・・・・・・・・(笑)

  

  

残り3kmを切りました。豊平の所に「きたえ~る」というのがあります。HPによりますと、

「森と一体となった周辺環境に優しいスポーツの殿堂」をコンセプ卜に、北海道のスポーツ・文化の拠点として設置されたスポーツ施設。「きたえ~る」の「きた」は北海道を、「え~る」は声援を送る意昧をもつと共に、

「きたえ~る」は心身を鍛えることも表している。室内競技の他にもコンサートなどのイベントでも使用されており、国内の有名アーティストが中心となってライブを開催している。

  

北海学園を通り、豊平川南大橋へ。もうゴールまであとわずかです。

  

  

  

14:15無事ゴールしました。ゴールでは、スタッフさんの暖かい拍手に感動しました。

今日(20日)のGPSです。

 

夕方5:30より、旧SNS北海道メンバーとオフ会を行いました。

参加者は、はなまりんさんご夫妻、のりちゃんさん、なきうさこさん、スズさんそして私達夫婦の7名。

昔話に大いに盛り上がりました。誰かクシャミされた方がいらっしゃるのでは?(笑)

  

  

オフ会のあと、札幌駅近くでスイーツ中心の2次会を行いました。

 

 

 

 

 

 

 

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初めての北海道「小樽編」

2015-06-25 18:53:53 | 旅行

6月19日(金)、6月20~21日行われる「第19回北の都札幌ツーデーウオーク」参加の為、福岡より空路で札幌に行きました。

私にとって初めての北海道です。今回下関のはなまりんさんご夫妻とご同行させていただきました。

出発前の福岡は、小雨が降っていましたが、北の都に近づくにつれ、晴れ間が出てきました。一緒に旅する「はなまりんさん」、私たちの仲間では、「晴れ女神様」です。

彼女と行くと、必ずといっていいほど、雨が降りません。2年前、会津・磐梯山行ったとき、今にも降りそうな天気でしたが、それがだんだんと雲がとれ、磐梯山が顔を出してきました。

13:55定刻より5分前に新千歳空港に到着。(福岡から2時間15分でした)

  

はなまりんさんご夫妻の旅行プランは、レンタカー付きで私達も便乗させていただきました。これから一緒に「小樽」に行きます。

新千歳空港のレンタカーブースは、空港内にあり、そこで受付をしてバスでモータープールに移動し、そこから出発します。

  

16時ごろ小樽に着きました。車を小樽駅に置き、街中を散策します。

   

街路樹は、山法師?の花が咲いています。

小樽は、北前船と共に栄えた町です。北前船(弁財船)は、春に大阪を出帆し瀬戸内海、山陰地方、そして日本海の各寄港地を経て北海道に至り、秋には大阪に帰港する年一航海の買積船です。

買積船とは、各寄港地で物品の仕入れと販売を行う船です。そうした北前船は、本州と北海道を結ぶ物資流通の大動脈を担っていましたので利潤も膨大なものでした。

小樽では、昆布や蚕の肥料としてニシンが出荷され、コメなどの食料品が入ってきました。

北前船は、年に一度しか来港しないため、小樽には大きな倉庫が造られました。また、倉庫近くには、銀行が君臨し、小樽は、北海道一の賑わいをみせていました。

今でも当時を思い出させるような古い建物、倉庫などがあります。

 

   

  

旧手宮線

旧手宮線は、北海道最初の鉄道です。明治政府は、日本の近代化を図るため、石炭など北海道の地下資源に注目し、その開発と輸送を目的に鉄道建設に着手しました。

そして1880年(明治13年)、北海道最初、日本で3番目の手宮線(手宮~札幌間、のちに三笠まで延長)が開通しました。1985年(昭和60年)廃止されました。

鉄道跡地は、そのままになっており、小樽市のイベントで使われているそうです。

 

   

小樽運河

 小樽港は北海道開拓の玄関口として発展してきました。当時は、大きな船を沖に泊め、はしけ(台船)を使って荷揚げしていましたが、取り扱う荷量が多くなり、はしけが直接倉庫の近くまで入って行ける水路を作りました。

これが「小樽運河」です。小樽運河は、大正12年に完成し、 内陸を掘り込んだ運河ではなく、海岸の沖合いを埋立てて造られたため、直線ではなく緩やかに湾曲しているのが特徴となっています。

  

  

運河の傍の所には、小樽を歌った歌碑があります。「小樽のひとよ」なんて懐かしいですね。  あいたい気持ちがままならぬ・・・・・・・  昭和42年の歌だそうです。

   

小樽運河で観光ボランティアの方から、「祝津展望台」がビュースポットと教えてもらい行くことにしました。

祝津パノラマ展望台は、

ニセコ積丹小樽海岸国定公園」に位置する展望台(標高70.9m)です。
目の前には一面に日本海が広がり、赤岩方面の勇壮な海岸線や高島岬の日和山灯台、小樽市鰊御殿などを見渡すことができるほか、 朝日・夕日の名所としても知られており、

時間によっては漁船やフェリーも目にすることができます。また、祝津がかつて鰊(にしん)の千石場所として栄えたことから、「江差追分節名歌碑」と「北海浜節民謡碑」も建てられています。

  

夕陽には、時間が少し早すぎました。

    

祝津展望台でタクシーの運転手さんから、北運河の方もいいよと教えられ、そちらの方に行ってみました。

  

  

運河公園を歩いていると「赤い靴親子の像」がありました。女の子の靴も「赤く」塗られています。

赤い靴というと、横浜から異人さんの所にいったのでは?・・・・・・・・

説明文を見ると、この歌のモデルとなった「きみ」ちゃんは、2歳の時に母「かよ」と共に静岡から函館に渡った。そこで母は鈴木志郎と出会い結婚するが、留寿都村へ入植の際、きみを外国人宣教師夫妻に預けた。

その後きみは宣教師夫妻の帰国時に重い結核のため横浜から船で米国に渡れず、東京の孤児院に託され、わずか9歳でこの世を去った。

 1907年に志郎は札幌の「北鳴新報」に就職し、そこで野口雨情と出会い家族ぐるみの交流を深める。母は娘きみの話を打ち明け、それが雨情の詩となり本居長世が曲を付けて1922年童謡「紅い靴」が生まれた。

 札幌の後、志郎・雨情は「小樽日報社」で石川啄木と机を並べて親交をもつ。

 鈴木夫妻は各地を転職した後、1940年小樽のカトリック富岡教会の門前に居を構え、きみの死を知らずその幸せを信じ、熱心なキリスト信者として暮らし、今は中央墓地で眠っている。

 私達は、世界中の苦しみを抱えた家族の幸せを願い、小樽市民をはじめ全国からの温かい募金によって、ゆかりのある小樽の地に「赤い靴・親子の像」を建てた。

 天国できみちゃんが幸せに暮らす姿を夢に描いて…                      2007年11月23日 「赤い靴・親子の像」建設委員会

 

公園内を歩いていると、歩道のインターロッキングにガラスが埋め込まれています。小樽は、ガラス工房のお店もたくさんありました。

昔、漁船の浮に「ガラス玉」が使われていました。そのガラス玉を小樽で作っていたそうです。

   

さあ、お腹も減ってきましたので食事をしようと思います。小樽といえば、・・・・・・やはり「御寿司」」ですね。

小樽の町には、「寿司横丁」なるものもあります。

福岡のお寿司は、鯖、アジなどの青物が入ってますが、小樽は、鮭、ボタンエビ、ウニ、いくら、貝柱、イカ・・・・・・です。

ニシンの刺身も食べてみました。ホント美味しかった・・・・・・ビールは、サッポロビール北海道限定のクラッシックです。

  

  

食べ終わった後、ガス灯が灯った運河を見に行きました。

  

今日は、夜、はなまりんさんたちとブログ友達「keikoさん」と会う予定になっています。小樽から高速に乗り札幌に向かいます。

某ホテルのラウンジで「keikoさん」とお会いしました。

keikoさんは、背が高く、着物姿が似合いそうなウオーカーです。keikoさんからは、花束をいただき、旅先で心が和みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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飛騨白川郷へ。「岐阜県大野郡」

2015-06-19 05:14:31 | 旅行
6/9 長良川ツーデーウオークのあと、折角ですのでレンタカーを借り、飛騨白川郷に行きました。
東海北陸自動車道を通り、約2時間で白川郷に到着。

山の方を見ると、白山?かなと思いましたら「三方崩山」だそうです。2059m。



ネーミングが面白いので調べてみますと、
三方崩山(さんぽうくずれやま)は、岐阜県大野郡白川村の両白山地の東部に位置する標高2,059 mの山である。白山国立公園内にあり。
山頂部から北東・南東・南西の三方向に赤茶けた大きな崩落地があることが、山名の由来である。1585年(天正13年)の白山大地震の際に、山頂部が大崩壊したものと考えられている。
昔白山に住んでいた天狗の爪跡によるものであるという伝説もある。麓付近の斜面は針葉樹の植林地となっているが、その上部はウラジロナナカマド、ダケカンバ、ブナ、ミズナラなどの広葉樹林帯となっている。
世界遺産の白川郷からは、南南西にその山容を望むことができる。東側の麓には白川郷平瀬温泉がある。ぎふ百山のひとつに選定されている。

車を駐車場に置き、白川郷の探索です。

 

白川郷合掌造り集落は、1995年に世界遺産に登録されました。古より受け継がれてきた独自の建築様式とともに日本の原風景が今なお残されています。



  

  


やはり世界遺産だからでしょうか、平日なのに観光客の方が多く来られています。
所々には、外国の方が・・・・・・・











もう少し、ゆっくり廻ってみたかったのですが、今日博多まで帰らなくてはいけませんので、車に戻りました。

途中、道の駅「飛騨白川」に立ち寄りました。この道の駅には、大白川温泉「しらみずの湯」があります。
このしらみずの湯は、「子宝の湯」として親しまれており、美肌効果も期待できそうです。

  

「荘川」という所にやってきました。ここには、「荘川桜」といって県指定天然記念物の桜があります。
御母衣(みぼろ)ダム建設の際に湖底に沈む桜を移植した物語のある桜です。
ドライブイン「御母衣」では、荘川桜の写真が展示されていました。

  

荘川インターの所には、道の駅「荘川」がありました。ワサビコロッケというのがありましたので食べてみると、ワサビの香りがし、少し鼻にきます。
この道の駅の横にも「桜香の湯」があります。時間がなかったのでスルー。

  




岐阜駅には、14:30に着きました。名古屋から「ひかり」で新大阪へ。新大阪から「さくら」で博多へ。博多には、20:00着。
慌ただしい一日でした。
写真は、新大阪駅で見た「ドクターイエロー」。初めて見ました。

  









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見返りの滝のアジサイ2015(佐賀県唐津市相知町)

2015-06-16 12:21:17 | JR九州ウオーキング

今年もJR九州ウオーキングで「見返りの滝」に行ってきました。

これで4年連続の参加です。

8:20JR相知駅をスタート。

 

途中で佐賀ミカンジュースをいただきました。

  

  

美化協力金200円を払い、滝へ向かいます。途中、川辺にもたくさんのアジサイが咲いています。

 坂道を登り、あじさい橋に着きました。ここからの滝とアジサイが撮影ポイントです。

  

  

     

見返りの滝は、日本の滝百選に選ばれています。前日の雨で水量も増し、滝つぼでマイナスイオンをたっぷり浴びました。

10:35ゴールのJR相知駅に到着。今日のウオーキングの距離は、10kmでした。

 

 

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第14回長良川ツーデーウオーク2日目30km「金華山と中山道コース」(岐阜市)

2015-06-12 12:51:52 | オールジャパンウオーキングカップ

6/7 少し曇っていますが、予報では、雨は降らないみたいです。

昨日と同じバスで会場の岐阜公園へ。昨日は、「ミナモ君」が出発式に駆けつけてくれましたが、今日は休みの様です。

今日のコースは、30k、20k、13kが金華山登山(329m)です。登り下りで約4km。かなり険しいコースです。

金華山は、この山に自生する「ツブラジイ」の花が黄金色に輝いているようにみえたことからこの名がついたと言われています。

8:30岐阜副市長の合図でスタート。スタート直後から「七曲り登山道」という険しい山道です。今日も敦賀の車さんご夫妻と一緒に歩きました。

  

  

登り始めて5分も経たずに息が上がってきました。昨日の酒が残っていたのか、もう汗びっしょりです。階段が高くできるだけ階段を避けて登ります。

35分かけてロープウェイの所まできました。ロープウェイの所には、「リス村」がありますが、9:30開園ですので、リスには会うことができませんでした。

  

永禄10年(1567年)9月、稲葉山城を攻め落とした織田信長は、直ちに尾張国から美濃国に本拠を移しました。稲葉山城の城郭を再建するとともに城下町の「井ノ口」を「岐阜」と改名し、楽市楽座の継続を認めるなど

美濃国の繁栄を図りました。また、信長は、「天下布武」の朱印を用い、岐阜城が天下統一へ踏み出す城となりました。

  

岐阜城へ行く途中に「千成瓢箪発祥の地」があります。永禄10年(1567)8月14日、木下藤吉郎(のちに羽柴秀吉、豊臣秀吉と改称)は蜂須賀小六や山麓の猟師堀尾茂助など僅か7名を従えて、

岩戸口から稲葉山城のここまで潜入し、薪小屋に火を放って手柄をたてたと伝えられている。この時、藤吉郎は城兵を倒した鎗先に腰から下げていた瓢箪を結び付け、鎗を振り回しながら大音声で勝鬨をあげたという。

以来、千成瓢箪発祥の地とされている。以後戦で勝つたびに瓢箪を増やしていったといわれています。

 

 

 

岐阜城が1回目のチェックポイント。

このコース、登り下りは、ロープウェイの使用も認められていますが、折角ですので歩いて下りました。

下りは、「瞑想の小径」と名づけられています。急勾配の岩場の道をポールを使い、ゆっくりゆっくり下りて行きます。 

雨が降ってなくてよかったですが、雨が降ると滑りやすくなるでしょうね。

   

途中、ビューポイントの所がありました。向こう側には、昨日登った「百々ヶ峰」が見えます。

下りていると、後ろから走って下りる方がいらっしゃいました。早く歩きたい気持ちは、わかりますが、狭い岩場の道です。もし、転んだりすると周りの人に迷惑をかけます。

もう少し、常識をもって歩かれたらいいのですが・・・・・・・

  

約50分ぐらいかかって下りてきました。まだ岐阜公園の中です。

下った所に「御手洗池」がありました。かつて岐阜城が陥落した折に、城の奥女中たちがこの池に身を投げて自ら命を絶ったという悲しい伝説があります。

  

長良橋を渡ると、「鵜飼乗り場」があります。

長良川の鵜飼いは、鵜飼は鵜匠が鵜をあやつり魚を捕える漁法で、およそ1300年の歴史があり、時の権力者たちに保護されてきました。織田信長は「鵜匠」という地位を与え鵜飼を保護したと言われており、

徳川家康はたびたび岐阜を訪れ鵜飼を見物、保護し、岐阜でつくらせた鮎鮨を江戸まで運ばせました。(御鮨街道)

例年、5/11~10/15の中秋の名月と増水時を除く、毎夜行われます。

 

長良橋を渡り、河川敷沿いを歩きます。この河川敷は、2000年、シドニー五輪女子マラソンで金メダルを獲得した「高橋尚子」さんが、県岐阜商業高校時代にトレーニングしたコースを

岐阜市が整備し、「高橋尚子ロード」と命名しました。長良川公園を起点とする長良橋から忠節橋までの河川敷往復5kmのコースです。

この日も市民ランナーの方がトレーニングをされていました。

  

高橋尚子ロードを歩いていると、街路樹に実がついている木がありました。「くるみ」です。

この木に鳩が止まったら、「小鳩くるみ」だ!なんておやじギャグで笑わせます。小鳩くるみさんってご存知の方は、私達と同じ世代かな?小鳩くるみさんは、岐阜市の隣町、愛知県一宮のご出身だそうです。

忠節橋が13k、8kの分岐点。30k、20kは、まだまっすぐ歩きます。この道、長良川の側道を歩いていますが、どこも同じ景色で何か退屈です。

  

  

昨年までは、20kコースは、「小紅の渡し」を船で渡りましたが、今年は、船の修理、点検で「鏡島大橋」を渡るそうです。

小紅の渡し」は、元禄元年(1692)に初めて史実に登場しました。以後、長良川川下にあった河渡の渡しが中山道の表街道として、小紅の渡しが裏街道として栄えました。

また、加納藩の支領北方、文殊旗本領への主要道であり、鏡島弘法への近道としても大変賑わっていました。小紅という名前は、いろいろ説があるそうですが、お紅という女船頭がいたからだそうです。

  

河渡橋(こうどばし)の所が、チェックポイントです。朝の金華山登山が応えたのか、疲れがピークに達しています。ここでしばし休憩します。

河渡橋は、昔は「河渡の渡し」がありましたが、明治14年(1881)橋が架けられ渡しは姿を消しました。

  

橋を渡ると「鏡島湊(かがみしまみなと)」の案内看板があります。

鏡島湊は長良川を利用した舟の運送うの湊として、豊臣秀吉の政権以前から栄えていました。

位置は岐阜町近くで分流した長良川が再び合流するすぐ川下にありました。
1592年、岐阜城主 織田秀信は鏡島の馬渕与左衛門に、新町を造る事を命じ、ここ以外での船荷の陸揚げを禁じました。

分流し水量が少なく川瀬お関係で荷を積んだ舟がそこ以上さかのぼるのがむずかしく、長良川と伊勢湾を結ぶ商品流通の重要な要となっていたことから、岐阜城下町の外港として整備し、自らの支配下にしようとしたのです。

鏡島湊の権益は、関ヶ原の合戦後、加納藩が成立してからも認められました。
鏡島を通る東西の街道が中仙道として公道化すると交通量が大幅に増し、渡船の利用者も増加、街並みは長く伸び発展しました。

しかし加納藩にとっては、鏡島湊経由の輸送はかえって不便で、城主や家臣用の薪炭などが川下の長良川から荒田川に入って城下町近くで荷揚げされるようになりましたが、

鏡島湊の特権は、完全に崩されることはなく江戸時代を通じ守られました。

湊は明治維新後も継続されていましたが、東海道線の開通や道路整備などで陸上交通が発達し、明治時代の後半になるとその役割終えました。

このように長く当地方発展を支えた湊として先人を讃え後世に伝承するために、ここの湊の案内板を建設しました。(案内板より)

コースは、「中山道」に入ってきました。このあたりは、「河渡宿」に入りますが、河渡宿の中心部は、河渡橋の手前になります。

  

鏡島弘法が3回目のチェックポイント。鏡島弘法は、弘法大師が、地面に挿した散杖(杖状の仏具)から、梅の枝葉が出たことで、別名「梅寺」と呼ばれています。

空襲による焼失を免れた重要文化財、十一面千手観音像が現在も残っています。

ここでは、御朱印をいただきました。

  

このあたりから、中山道「加納宿」に入ります。道路の集水桝にも「中山道」の刻印が付けられています。

  

先に進みますと「脇本陣跡」の石碑が建っています。

  

更に先に行くと、加納宿本陣跡の碑があります。横には、皇女和宮御仮泊所となっています。

和宮は、将軍家茂との結婚の為江戸に向かう途中、ここでご宿泊されたそうです。その時の心情を語った歌の碑も経っています。(直筆だそうです)

  

元来、街道歩きが好きな私は、この宿場の「遺跡」を探しに夢中になっています。然し、今日は、ウオーキング大会、ゴールの時間も決まっていますので「そこそこ」にしないとゴールに間に合いません。

「加納宿当分本陣跡」という碑が建っています。あれっ、さっきの「和宮仮泊所」が、本陣では???

調べてみますと、当分の間本陣として定めらていた臨時の本陣だったらしい。江戸時代末期に参勤交代制が崩壊し、江戸から帰還する大名家の妻子が頻繁に往来するようになると、本陣だけでは対応することができず、

有力者の家を一時的に本陣としたそうです。

  

先へ行くと、古い建物が目に入ってきます。これは、「旧加納町役場跡」で、大正15年、R造2F建てで造られました。戦時中壁を黒く塗ったためこのような廃墟みたいになったそうです。

現在は、耐震上の問題で中に入ることは、できませんが、国の登録有形文化財に指定されています。

加納城址」は、慶長六年(1601)、関ヶ原合戦の翌年、天下分け目の戦いに勝利した徳川家康は戦国の世の象徴的存在となっていた岐阜城を廃し、斎藤氏時代のこの城跡に新たな城を築きました。

これが近世加納城と呼ばれるものです。

 

  

  

「茶所(ちゃしょ)」が4回目のチェックポイントです。ここでは、「御団子」の接待がありました。

  

加納宿は、町の中にも古い建物が残っています。これは、お醤油屋さんでしょうか、玄関に大きな「樽」がありました。

柳ケ瀬が5回目のチェックポイントです。

   

柳ヶ瀬は、岐阜市の歓楽街です。近くには、デパートの岐阜高島屋もあります。

日曜日ですが、人の通りが少なく、やはり夜に賑わうのでしょうか?

商店街の中ほどに、美川憲一さんが歌った「柳ケ瀬ブルース」の歌碑があります。

  雨の降る夜は 心も濡れる まして 一人じゃ なお淋し 憎い仕打ちと うらんでみても 戻っちゃこない あの人は あ~柳ケ瀬の 夜に泣いている   

美川さんの芸名は、岐阜県を流れる、木曽川、揖斐川、長良川の美しい3つの川から命名されたそうです。

昭和41年(1966年)の曲ですから、もう約50年経つのですね。このころの美川さんは、スーツ姿で歌っていたように記憶しています。今とは、ちょっと違いますね。

  

柳ケ瀬をあとに、粕森神社に来ました。この神社の前には、大きな榎があります。

  

御鮨(おすし)街道」に入ってきました。御鮨街道とは、長良川の鵜飼いで獲れた鮎を飯とともに発酵させた鮎鮨を江戸の将軍家へ献上するために搬送した街道です。

鮎鮨は、岐阜町が幕府領の時代から江戸に運ばれるようになり、元和5年(1619年)に、岐阜町が尾張藩領になると、尾張藩から幕府への献上品となりました。(案内板より)

  

この街道には、仏壇店など昔の名残を残した旧家が建ち並んでいます。「岐阜鋳物」も伝統産業でしょうか?

    

岐阜城が見えてきました。ゴールまであと少しです。

岐阜大仏」が、あります。日本三大仏の一つに数えられるこの大仏は乾漆仏としては日本一の大きさを誇ります。
天保3年4月(1832年)に、実に38年の歳月を費やして完成しました。
堂の高さ25.15m、廻り19.39m、仏像は坐像で、高さ13.7m、耳の長さ2.1m、鼻の高さ0.4m。大イチョウを直柱として、骨格は木材で組み外部は良質の竹材と粘土で造られ、

その上を一切経で糊張りし漆を塗り金箔を置いたものです。胎内には薬師如来がまつられています。

中に入ろうかなと思いましたが、ちょうどその時団体客がバスから降りてきて、皆さん入口に並ばれました。

もう、今日は、疲れてとても並ぶ気になりません。スルーしました。

15:15  スタッフさんの暖かい拍手でゴール! 昨日と約1時間遅いゴールです。ゴールでは、味噌おでんの接待がありました。

    

6/07 30kmのGPSです。

                 

 2日間とも厳しいコースでしたが、スタッフさんの暖かいおもてなしに感動しました。有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第14回長良川ツーデーウオーク1日目30km「長良川展望コース」(岐阜市)

2015-06-10 16:30:11 | オールジャパンウオーキングカップ

6月6日岐阜市で行われた「第14回長良川ツーデーウオーク」に参加しました。この大会のキャッチコピーは、「美濃(岐阜)を制する者は天下を制す!」「美濃を歩かずしてウオークを語るなかれ」

会場は、岐阜公園噴水女神像前。受付をし出発式を待ちます。岐阜のゆるキャラ「ミナモ君」にカメラを向けるとポーズをとってくれました。

   

受付では、ミウラ折りコースマップをいただきました。このマップ、普通は小さく折りたたんでいますが、開くと地図が出てきます。また、チェックポイント押欄は、地図に押すようになっています。

これだったらポケットにも入りますし、いいアイデアですね。

   

出発式では、「ミナモ体操」で体をほぐし、8:25スタート。

私たちがエントリーしたのは、百々ヶ峰(とどがみね)(418m)長良川コース30km。今月から、私のDバックの後ろは、「風車」です。

  

  

今日は、天気も良く気持ちのいいウオーキング日和です。岐阜公園を出ると長良川沿いに歩きます。

 水にきらめく かがり火は 誰に想いを燃やすやら あなたあなたやさしい旅の人 お逢たひと夜の情けを乗せて こころまかせの鵜飼船・・・・・

歩いていると自然とこの「長良川艶歌」の歌詞が浮かんできます。

長良川は、岐阜県郡上市の大日ヶ岳を発し、三重県を経て揖斐川と合流し伊勢湾に注いでいます。柿田川、四万十川とともに日本三大清流の一つです。

 

長良川は、岐阜市のシンボル。マンホール、フェンスには、鵜飼がデザインされています。岐阜市のマーク「井」は、岐阜の古い名称「井ノ口」の「井」をデザイン化しています。

織田信長は、美濃国を攻略した際、稲葉城下の「井ノ口」を「岐阜」と改めました。電子辞書で調べてみると、「岐」は、枝状に分かれた道、「阜」は、丘、丘陵を意味します。

 

千鳥橋付近が20k、30kの分岐点。30kは、トンネルを通り、藍川橋に向かいます。

  

歩いていると「八幡神社」があります。ふと見ると「銀幣社」となっています。銀幣社とは、あまり聞いたことがなく、調べてみますと、これは、国社、県社、郷社、村社が、岐阜県では

「金幣社」「銀幣社」「白幣社」と呼ばれているそうです。

  

岩井山東院に着きました。ここには、「小野小町ゆかりの水」がありました。

小野小町は、天然痘を患い、ここの水で天然痘を治したそうです。小町は、お礼として霊水に延算寺の薬師如来像を模した石仏を祀りました。別名「かさ神薬師」です。

私も小野小町みたいに「美肌」になりたく、この水を一気飲みしました。果たして効果は・・・・・・・????

  

岐阜八景の一つ「岩井山」に入りました。岩井山の「延算寺」が1回目のチェックポイントです。

  

寺伝によれば、弘仁6年(815年)弘法大師が美濃巡教のとき、この地に立ち寄り薬師如来を拝し、霊水の霊験によって衆生の病苦を救いたいと祈願して、一寺を建立して延算寺と名付けました。

当時は粗末な草葺きの建物で尊像を祀るところもなく、新しいたらいに安置したというので、別名、盥(たらい)薬師ともいわれています。
本尊の薬師如来は、延暦24年(805年)伝教大師が因幡国岩井郡岩井において、楠の木を持って三体の薬師如来を彫刻したうちの一体で、比叡山根本中堂、揖斐郡横蔵寺の像と同じ木であると伝えられています。

  

百々ヶ峰(とどがみね)に入りました。百々ヶ峰は、標高418mで岐阜市内で一番高い山です。

  

息を切らしながら登りますが、急こう配の山で、途中何回も休憩します。地元のウオーカーさんから頂上のビューポイントの写真をみせてもらい、それを励みに登ります。

やっとのことで「白山展望」に着きました。ここでは、麦茶と鮎菓子が振る舞われました。

ここが、15k、20k、30kの合流地点です。(15kmは、この後、松尾池の方に降りて行きます)20k、30kは、これから同じコースになります。

  

白山展望では、御嶽山、乗鞍岳などが眺望できます。

ここで呼吸を整え、再び坂道に向かいます。

百々ヶ峰展望台が、2回目のチェックポイント。チェックを受け、展望台へ。

ホント、ビューポイントです。実にいい眺めです。遠くには、名古屋の市街地も見えます。向こう側には、明日登る「金華山」が見えます。

 

しばし、休憩し、百々ヶ峰を下りて行きます。ここからは、敦賀の「車さんご夫妻」とご一緒させていただきました。車さんには、先月の若狭・三方五湖で大変お世話になりました。

  

3回目のチェックポイントが「三田洞弘法」(みたほらこうぼう)です。

宗派は高野山真言宗で正式名称は霊鷺山法華寺。弘仁7年(816年)に弘法大師が創建。2つの頭と8本の腕を持つ珍しい両頭愛染明王坐像を所蔵しています。元和9年(1623年)に再建された境内は、

庭を主にした作りで、本堂は池を渡り階段を上ったところにあります。
「三田洞の弘法さん」として親しまれ、境内にある池には蓮の花が咲き、大きな鯉が泳ぎ、訪れただけで癒される気分に。春のさつき、秋の紅葉も見事で四季を通じて楽しむことができます。

また弘法大師が植えたという菩提樹があり、天然記念物に指定されています。 (岐阜市観光協会より抜粋)

黄金の慈母観音が目につきます。

  

三田洞弘法を過ぎると「あと5km」の標示があります。現在13:10。ゴールは14:00ごろかな???

  

長良天神を過ぎ、長良橋手前の所が最後のチェックポイントです。

 

  

  

14:15ゴール! スタッフの方のあたたかい声援でゴールすることができました。

ゴールでは、赤みその「豚汁」が振る舞われました。これって結構おいしいです。

 

ゴール後は、スタッフの方に「長良川温泉」を教えてもらい、そちらに向かいます。

長良川温泉は、にっぽんの温泉100選にも選ばれており、茶褐色の湯が特徴です。じっと湯船にいると、体がつるつるしてきます。疲れが飛んでいくようです。

  

長良川温泉からバスで宿舎へ。JR岐阜駅前には、金の信長公の銅像が建っています。

  

今夜の夕食は、飛騨牛の朴葉焼き、鮎の土鍋炊き御飯です。

  

明日は、金華山登山。ホテルに帰りぐっすり休みました。

6/6のGPSです。

 

 

「#gooポイントキャンペーン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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九州・沖縄 道の駅スタンプラリー

2015-06-03 22:18:57 | 日記

6/02、九州・沖縄 道の駅でスタンプラリーが行われています。

私も早速スタンプブックを買い、スタンプラリーに参加しました。

スタンプが5個集まったらスタンプブックの商品群から希望の商品のある道の駅に応募します。各道の駅で10人、計1250人に当たるそうです。

    

九州・沖縄管内の道の駅は、126か所。10月31日までに全部まわるのは、ちょっと無理ですが、50か所ぐらいは、廻れるのではないでしょうか?

「道の駅」とは、安全で快適に道路を利用するための道路交通環境の提供、地域のにぎわい創出を目的とした施設で、「地域とともにつくる個性豊かなにぎわいの場」を基本コンセプトにしています。
また、「道の駅」は3つの機能を備えており、24時間無料で利用できる駐車場、トイレなどの「休憩機能」、道路情報、観光情報、緊急医療情報などの「情報提供機能」、文化教養施設、観光レクリエーション施設などの

地域振興施設で地域と交流を図る「地域連携機能」があります。
駅ごとに地方の特色や個性を表現し、文化などの情報発信や様々なイベントを開催することで利用者が楽しめるサービスも提供しています。
「道の駅」の設置者は市町村等で、国土交通省道路局に申請し登録します。(道の駅HPより)

「道の駅 七城町メロンドーム」 (熊本県菊池市)

七城町の特産物「メロン」を中心に販売しています。駅の中には、メロンの糖度を図る機械が設置されています。

メロンの他には、メロンパン、メロンのソフトクリームがお薦め。

  

「道の駅 旭志(きょくし)」 (熊本県菊池市)

旭志町(きょくし)と難解な地名ですが、これは、昭和31年、旭野村と北合志村が合併し両方の地名の一部をとり、「旭志村」となりました。

旭志牛が有名で、道の駅にあるミンチカツ屋さんのハンバーグ、ミンチカツは、私の大好物です。

  

「道の駅 大津」 (熊本県大津町)

阿蘇の玄関口の国道57号線沿いにあり、熊本県下一の産地として「からいも」が有名です。館内には、からいもをつかった「いきなり団子」「たい焼き」などがあります。

  

「道の駅 泗水(しすい)」 (熊本県菊池市)

「泗水」という珍しい名前は、明治22年、町村制施行に伴い、初代村長、西佐一郎氏が村会に諮り、命名されたものです。西氏は、漢学者であり、儒教の祖である「孔子」を崇拝し、合志を孔子に見立て、

その生誕の地、中国山東省泗水の地名をとり、この地が実り豊かな「文教の里」になることを願ってつけられたものです。

また、本町を貫流する合志川が、鞍岳川、矢護川、若木川、小原川の4支流が合する所から「泗水」と名づけられたとも言われています。

   

道の駅の横には、「孔子公園」があります。平成元年、泗水町誕生100周年を記念して、町のシンボルとして、また、町が進める「人づくり」の核として、有朋の里「泗水・孔子公園」の建設を計画、平成4年11月オープンしました。

この公園は、中国の材料を使い、中国人技術者の手によって造られたもので、中国官延文化を再現しました。孔子像は、中国山東省の6億年前の石を用いて造られています。

公園内には、芙蓉、カラー、菖蒲などの花が咲いていました。

   

お昼も近づいてきましたので道の駅内の食堂を見てみると、日替わり定食がコーヒー付で@500です。

早速、注文しました。私たちが最後のオーダーみたいでした。この定食、御飯、味噌汁がお代わり自由です。また、御飯には、カレーをかけることもできます。

 

    

 

「道の駅鹿北・小栗郷」 (熊本県山鹿市)

ここに来る途中から、雨が本降りになりました。カーラジオからは、北部九州が梅雨入り宣言したとのこと。

道の駅鹿北は、熊本県北部に位置し、小栗峠を越えれば、福岡県になります。

以前は、鹿本郡鹿北町でしたが、山鹿市と合併し、山鹿市鹿北町になりました。

ここでは、石窯ピザが体験できます。また、道の駅の食堂では、旬の地元の野菜を使った一品料理があります。

道の駅の一膳メシ屋さんみたいです。

 

「道の駅たちばな」 (福岡県八女市)

小栗峠を越えてしばらく走ると福岡県に入ります。更にしばらく行くと、「道の駅たちばな」が見えてきます。

この道の駅は、過去何度も紹介しました。前に行ったときは、タケノコが旬でこの道の駅で買ったタケノコを湯がいてくれるサービスがありました。

雨も本降りですので、スタンプだけ押してもらい帰ります。

 

今日1日で、6カ所の道の駅に行きました。先週は、佐賀・吉野ヶ里、大和に行きましたのでこれで8カ所の道の駅のスタンプがもらえました。

道の駅を廻ってみると、なかなか面白いですね。次回も道の駅のはしごをしてみたいと思っています。

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