玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

或る政党の改正草案

2019-10-28 10:13:25 | 憲法

G党の憲法改正草案を読むと、途中で読むのが面倒になる。まず、文章に魅力がない。また、民主化という面では明らかに後ろ向きだ。

「日 本 国 は 、 長 い 歴 史 と 固 有 の 文 化 を 持 ち 、 国 民 統 合 の 象 徴 で あ る 天 皇 を 戴い た  国 家 で あ っ て 、 国 民 主 権 の 下 、 立 法 、 行 政 及 び 司 法 の 三 権 分 立 に 基 づ い て 統 治 さ れ る」 

前文の最初の文だが、まず象徴天皇を誰から戴いたのか聞きたい。文化か?歴史か?まさか天照大神なのかな。

それに誰に統治されるのだろう。天皇を戴いた国家に統治されるのか!とすると、その国家は神の国家という事になる。

神に統治されるというのだから、喜ぶのは神主さんかな。それとも、戦前の現人神の天皇制に戻るのかな。 

ともかく主語が不明で、目的語もあいまい。読点ばかりが多い文章だ。国民はそっちのけ、國家がまず在っての憲法、そんな感じ。

この國家は、天皇、政治家、企業主、富裕層、つまり支配階級を守る憲法のようだ

国民主権の意味が分かりたくない人間が作ったのだろう。前文の一行目としてはお粗末。民主国家は国民があっての国家ではないのかな。

この程度の抵抗ですが・・・。

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本当の平和憲法なのか?

2019-10-18 12:44:26 | 憲法

この国は世界に冠たる平和憲法を持つ、と言う人がいる。果たしてそうなのか。

現憲法は、先の十五年の長きにわたり戦争をしてきた大日本帝国という國が太平洋戦争に敗北し、連合国側の降伏条件(何故だか「ポツダム宣言」という)を受諾して、その条件を実現するために、GHQからの案を当時の国会で一部修正してできた、形の上では旧憲法の改正憲法として成立した。

いわば、敗北憲法であるし、アメリカは二度とこの国が「カミカゼ」を生ませないようにした。だから「二度と戦争をさせない憲法」なのである。

裏を返せば、平和を目指す、実現する憲法ではなく、結果として、戦争ができなくて、外形上平和的な國に見えることを規定した憲法であるとも言える。

現憲法は、急ごしらえの改正憲法である証拠に、第一章が「天皇」であって、独立した主権在民の条項がどこにもない。近代民主憲法としてはやや不自然な憲法でもある。

決して、現憲法の堅持にこだわらないが、民主憲法であれば、第一章に主権在民か基本的人権を規定するべきである。したがって、より民主的に、国民主権のもとに、その総意で平和を目指す憲法とするのであれば、憲法改正はするべきであろう。

どうも、今の自民党の改正論は本筋ではない、小手先論であるような気がする。

嵐の前の海

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国民は皇室祭祀に甘い

2019-10-09 14:03:19 | 政治

天皇践祚のあたる大嘗祭に外国から元首もたくさん来るだろう。日本の首相や高官も参列するだろう。この国はいつから祭祀国家になったのだろうか。現憲法のどこにそれが書いてあるのだろうか。全く不思議なことだ。

凡ては、事実が公表されないことで、この国の政治が成り立っている。事実を隠蔽や粉飾しないと国民主権の国家は運営できないのだろうか。一九八九年一月に昭和天皇が亡くなって、やっと『天皇独白録』が翌年の一九九〇年刊行された。豊下楢彦の『安保条約の成立』も一九九六年の刊行である。

本人が死なないと何も出てこない。それでも本当のことは闇に葬った侭だ。結果として、事実の端切れでも、それが出てくるのがあまりにも遅すぎる。

この国の政治は、モノの本質は、まず隠す、そして燃やす、または改竄する、結局、モノが、コトが無かったことにする。

それができるのが、国家権力というモノなのかもしれない。それは、近年の森友・加計事件で嫌という程よくわかった。

このまま見せかけの主権在民を唱える日本という国家は、どんどん姿を変えて、官吏の國家や企業の国家へと流れていくのか。それとも、神道や新興宗教の祭祀国家になるのだろうか。

【参考文献:村上重義『天皇の祭祀』岩波新書2004年】 

この国には、いろんな神社がある。

  

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安保条約は天皇制国家を守るものだった

2019-10-01 09:40:59 | 近現代史

子供のころ、テレビで国会を何重にも取り巻くデモ隊の姿を見た。あのデモ隊はどこを目指していたのだろうか。戦犯候補だった岸信介の行う安保条約の改正だから反対していたのか。

今中身を改めて読めば、若干だが、岸の条約改正は吉田の条約を少しでも良くしようとした内容だった。少なくとも屈辱感は減っていた。

あの時のデモ隊の行き先は違っていたのではないか。敵は皇居にいたのである。丸い縁なしの眼鏡の生物研究者の顔を見せながら、政治的行為をしない「象徴」なのに、陰では政府に内奏させ、ご下問をしていた。

こうした非公式の戦後天皇制を支えるには、天皇に忠実な官吏がいた。戦前は内相の木戸幸一がいたが、戦後すぐに巣鴨プリゾンに入ってしまった。木戸の代わりに秘書官長だった松平康昌がその役を果たした。

二人が長州藩と徳川家という武門の系統であることも面白い。結局、近衛のような古くからの公卿は、戦後は天皇制を守る藩屏になれなかった。

この辺から、新たな日本の隠れた支配階級が生まれているのかもしれない。敗戦で天皇の軍人である「皇軍」が消失し、今度は、天皇の官吏が天皇制を守っていく。

それを、今、長州の末裔の安倍政権が担って、戦後のエリート官僚たちがそれを支えていく。国民の知らない間に、彼らは国民を欺きながら、いつの間にかこの國を戦前に引き戻していくのではないだろうか。

【参考文献:豊下楢彦『安保条約の成立』岩波新書1997年/工藤美代子『われ巣鴨に出頭せず』中公文庫2009年】

ヨコハマ・象の鼻パーク

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