玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

ちょい散歩

2022-07-29 11:31:25 | 散歩

コロナ下にあって退屈なので、ちょいと散歩で遠くいきました。湘南北部方面の綾瀬市の近くかな。

きれいに整備された寺のようです。

まず、庭には馬頭観世音の石碑、出羽三山詣りの石碑が置いてあった。

それぞれ、裏に何か書いてある。

嘉(永)七甲寅歳九月、隣の行は読めず、でも、この字何処かで見たような気もする、…。

相州高座郡渋谷庄菖蒲沢村 亀井孫左衛門

次の行は読めそうもないので、一行飛ばして、與安角左衛門と読める。

正面の石碑は

馬頭観世音かな。

出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)信仰で参詣した記念に石碑を建立をしたと思われる。

江戸時代は、相州では、伊勢参りも盛んであり、海側には伊勢講の石碑が多いが、この辺りは出羽三山信仰も盛んだったのかも。

本堂は小綺麗な造りだ。

そとに出ると、スターバックスの看板が見えた。

コロナが少し落ち着いたら、友達でも誘ってコーヒーでも飲みに来ますかな。

 

 

 

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不実なメディア

2022-07-28 10:19:42 | あれこれ

民主党以降の自民党政権下では、「コメントを控える」という決まり文句が、かつてのスガ官房長官記者会見を発信源として世間一般に流布された。

決して世間は認知したわけではないが、メディアが引き下がるので、その決まり文句が使用されている。

その結果として、町の一企業や役場(そう言えば、阿武町も使った)まで、都合の悪いことは、権力あるなしに関わらず、歯をむき出してこの言葉を使う。強弁すれば何でも通る国になったのかも。

先日は「コメントを控えます」という有言の拒絶ではなく、解っていることを敢えて言わない、何処かに気を使ったような変な報道があった。

その事件では「特定の宗教団体」と云い、現実に存在する宗教団体名の公表を避けた。外国メディアやネットなどの小メディアは既に「旧統一教会」という名称が流布されているにも拘らず、大メディアはその姿勢を押し通した。

理由は分からないが、大メディアが知っていることを敢えて教えないという愚劣な行為に出た。

また別に、参議院選挙まで終始「言論への暴力」と表現としたが、その時点で言えることは、言論(演説)を止めたが、それ以上に政治的な意味があったのか、その言説は正しいのか?

ともあれ「旧統一教会」は何処までこの國の自民党に、そして野党も含め政治にどれだけ侵食していたのか、空恐ろしい気がする。これからメデイアは何処まで報道するのだろうか。もしかしてメディアにも入っていたら、…。

気がつけば蝉時雨。そして空蝉か、…。

 

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空白の2~3秒間

2022-07-27 12:51:08 | 時事

映像は事実を伝えるのに、優れた伝達手段であるが、それを一部割愛して、2回撃たれた間の2~3秒間を、地面を映して報道したメディア(特にNHK)があった。

驚愕の事件で、一瞬、撮影者の手振れかと思わせた。あるいは、あまりに凄惨な場面と考え、子供に見せるのを避けた編集かと思った。

ところが、その後のネットで流れた実際の映像を見る限り、事実は単に2~3秒間の時間を空白にしただけだった。

理由は分からないが、実際の映像を編集し、結果は、編集という名の改竄を行い、何秒間かの実際の時間を滅失させたわけである。

よく目を凝らせば、的確に警護していれば、助けられたかもしれないという疑問が素人の目にも見えてくる。

最初から警察のミスの擁護だったのか?単に事実の波及が恐くて、隠蔽したいだけだったのか?

どうであれ、結果は、報道の自由が報道する側の手で曲げられ、又は歪められたことだ。

今後、人々は報道映像に信頼を持てなくなることだろう。そして、大手企業のメディアは衰退の一途を辿ることになるのだろう。

元よりいれる気はないが、最後まで「みんしゅ」なのか、「りっけん」なのか、解らなかった。

彼らは大企業労働組合をあてにして、生活に苦しむ一人一人の有権者に目を向けていなかった。彼らこそ一種の(労働)貴族なのかしら。

 

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『開戦神話―対米通告を遅らせたのは誰か』(後)

2022-07-26 10:30:33 | 

味気ない無味乾燥な抑留生活にも若い者には花があったらしい。

真珠湾攻撃によって、一夜にしてアメリカにいる日本人は抑留生活を送ることになる。

筆者の井口武夫は11歳、通っている学校にはベティという初恋の女の子がいて、クリスマス・イブには告白をする段取りになっていたそうだが、戦争によって初恋は潰えることになる。

戦争が終わって、井口はその女性を探したそうだが、全く消息は分からなかった。だが、マリコ・テラサキには晩年に会えた。その時にベティの事を話すと、マリコも日本へ帰る浅間丸で一緒に帰った本城文彦への淡い愛があったと告白されたそうである。

本城はハーバート大学に留学中に強制送還となり、浅間丸では子供たちの教育の面倒を見ていた。その本城は後に東郷茂徳の娘いせと結婚して婿となり、東郷文彦と名乗り、戦後、外務事務次官、駐米大使を勤めたそうである。

話は外交官の世界という随分と小さな世界に凝縮されてしまう。

かくいう私は、この本を読むきっかけは、実は東郷茂徳『時代の一面』での東郷が何を弁明しているかを調べていた。

真珠湾攻撃が奇襲と意図されたモノか、大使館の事務的なミスの結果の奇襲なのか、それを見極める中に当時大使館に居た井口貞夫参事官の存在が浮き上がぅた。

その息子である井口武夫が父親の汚名を晴らす意図をもって書いた本として、今読んでいるのである。

こういうのを相関図と云うのか、いや、本の旅と云うのだろう。

 

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『開戦神話―対米通告を遅らせたのは誰か』(前)

2022-07-25 14:04:13 | 

現役の時は忙しくて、本を読むにも効率性を重視した。今でも目次を見てから、一番知りたいところから読む癖がある。

この『開戦神話』は著者の論文を読んでいたので、その該当の個所から読んだので、読了日を記入した後に、幼少期の体験部分を読んでいなかったことに気づき、急いで読み直したら、結構おもしろいことを見つけた。

真珠湾奇襲攻撃の、いわゆる「だまし討ち」というルーズベルトの罵りに対する、日本側は、大使館職員の遅いタイプ打ちによる事務的ミスによる「宣戦布告」の遅れと弁明してきた。

著者の井口武夫は、その当時の日本大使館の井口貞夫の息子なのである。それを前提として、此の本を読んできたのだが、幼児期の体験の章は大使館の外交官の子供たちのことが書かれている。

其処には、あの『天皇独白録』の寺崎英成の娘マリコとの交流の話も出てきた。

井口武夫は1930年生まれ、マリコは1932年生まれで、真珠湾攻撃をラジオで聞いた時は11歳と9歳であった訳である。

武夫少年は直ぐにマリコに電話したら、既にマリコは父親から外出しないようにとの電話が入っていた。少し経って、武夫の家にも、大使館にいる父の井口貞夫から一切外出するなという電話が入ったことが書かれていた。

1958年、マリコの母親がアメリカに戻って書いた『太陽にかける橋』にも、ちょっと違うがその開戦の時の事が出てくる。二つの本を突合すると俄然おもしろみが出てきた。

当時の10歳前後の子供たちが共有した数奇な体験のシーンや日米開戦の日の夫々の外交官の家庭で起きたことが、二冊の本で偶然に確認できる。それだけでも、本を読む楽しみが増す。

ネットで調べたら、マリコは2016年に既に他界していた。

それで2017年に「天皇独白録」の原文がオークションに出され、高須クリニックに落とされ、国へ寄贈されたという流れが腑に落ちた。

マリコが生きていれば、原文は父親の筆跡なのだから、まだ大切に所持していただろうと思う。

【 次回へ続く 】

 

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