玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

スキャンダル断罪会

2022-11-30 14:21:20 | 政治

予算委員会のテレビ中継を偶に見るけれど、ツマラナイ。

何故なら予算の中身に入った議論が全くされないから。事実、質問に数字がない!単にスキャンダルや不祥事で責めるだけ、バカバカしくてチャンネルを変えてしまう。

新聞発表された国の予算書を誰が読み解けるのだろうか。主計局の役人たちも自分の関係部分しか解らないのだろう。

この国の借金の総額は財務省によって恫喝的に告知されるが、国債には色があるはずだ。

例えば将来にわたって世代を超えて負担をして行くべきモノ、一年間の収支が間に合わず補填財源としたモノ、公債の返還によって生じた歳入不足で負担したモノ、等々、多種多様だが、それを明確に整理して国民に見せることを財務省は一切しない。実は敢えてしないのだ。

この国の一般会計と特別会計は巧妙な目晦ましの装置となっている。

2002年に暗殺された石井紘基は「国会で決めるのは抽象的な予算に過ぎない」「予算支出の中味は省庁の官僚が与党の族議員の意向を考慮して決めている」と言っていた。

今思えば、国会議員なのでどこでも出版できた筈だが、彼の本はPHP出版という素人が好む出版社を選んだ

あれから20年経って少しも変わってない。この国は彼の予言通り自滅するのだ。

野党議員は週刊誌ネタで岸田政権を揺さぶるだけ、脅して何かのおこぼれを無心しているのかも。近頃、与党化を目指す国民民主党なんかもあるし、真面な野党が無い、ダメだね。

 

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みそこなったよ、自民党

2022-11-29 14:21:06 | あれこれ

かつて民主党が政権を取った時、ひょっとして自民党が潰れると思った。それは欲深い政治家ばかりだから野党生活が我慢できないと思ったからだ。

現金な公明党も離れると思ったが、結局離れなかった。

思えば、あの時ほど強烈で強靭な野党は戦後政治で見当たらない。

しかし、自民党とは未だに解らない政党で、また解りたいとも思わないし、利害がなければ魅力を感じない政党である。

政権党である以上、関係の本を読んで、又は、安倍一強や右傾化に言及した若手学者の著作を読んでも、まったく「統一教会」のことは触れてなかった。単に学者の限界なのだろうか。

結果は鈴木エイトしかいなかった。有田芳生は議員を落選したら、急に発信しだした。此の人物は信用できない感じだ。

自民党はカルトと手を結んで、謂わば、毒を食らって議員という地位を求める輩に成り下がったと言わざるを得ない。

この国に普通に暮らす人間は、自分の栄達の為に弱きモノ、苦しむ者を踏みつけにする人間を撰ぶ者はいない。

自民党は統一教会と結んだことによって、今度は潰れるような気がしている。ともかく恥ずかしいよ、自民党。

変わった雲、十字か、✖か?

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日米戦争 ―なぜ、東條が首相になったのか―⒆

2022-11-28 14:16:33 | 近現代史

近衛が荻窪の荻外荘に東條陸相を呼び、支那からの軍隊の撤退を勧めたが、東條は頑として首を縦に振らなかった。

一年前の5月には陸軍参謀本部では支那の兵力削減を検討していたが、ドイツの電撃戦を知って、突如南進論が噴出した。その幻影への突進はもう止めれなかったのだろう。

結局、いつもの通りに、近衛は政権を投げ出した。しかし、彼の中で後任は東條ではなく東久邇宮と想定していた。

ところが、木戸内大臣は意外にも東條を推挽した。他の重臣たちは宇垣一成を推していたが、彼は意外なことに、大将でもない中将の東條を抜擢した。木戸は破格の推挽で東條を操ろうとした。

木戸は近衛の推薦で秘書官長になり、湯浅内大臣が推して後任になった。実は近衛も内大臣を狙っていた。近衛は自分が生来の弱気で、首相が勤まらないことを自覚していたのだろう。しかし友人の木戸に譲って、已むを得ず国家権力の闘争の頂点である首相の座に再度就いた。

木戸は近衛の恩義を顧みず、自らの権力の保身と強化に走った。『木戸日記』には東條推挽の重臣会議の記録が極めて少ない。ということは隠していることが多い訳である。

多分搦め手を使って重臣会議を黙らせたのだろう。それは天皇からの「虎穴に入らずんば虎子を得ず」との木戸への誉め言葉から大体は推察できる。

おそらく、日米開戦の白紙化を東條ならできると木戸は説明して天皇の賛意を引き出し、それを重臣たちにチラつかせたのだろう。

木戸は東條をあえて陸相兼任させて総理に就け、軍人政権の形を取って過激な中堅将校を黙らせた。

そして、東條には開戦の白紙化を天皇ではなく、木戸が言った。つまり天皇が一旦認めた開戦を自ら止めるとは言えない。此処は木戸が一旦泥をかぶった訳である。

しかし、結果は一時的に日米開戦の白紙化はできたが、結論は変わらない。結局木戸は天皇を騙したのである。

戦後の東京裁判で、コミンズ・カー検事は「木戸は内心では天皇を秘かに軽蔑の目をもって見ていたのが真実である」と、「木戸候は陛下の性格を知りつつ、それを悪用して戦争へと導いた」と力説した。

戦後、昭和天皇は御用掛の寺崎英成にこう言った。「原田日記は個々の事実に誤りあれど全体の流れは正し。木戸はその反対」と。昭和天皇の慧眼は恐い。(次回へ)

【参考文献:種村佐孝『大本営機密日誌』芙蓉書房、『木戸幸一日記(下)』東大出版会、藤田尚徳『侍従長の回想』講談社学術文庫、寺崎英成『御用掛日記』文芸春秋、等】

 

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公文書の作為的な廃棄

2022-11-25 15:31:29 | 時事

ちかごろ、「神戸の少年A」「オウム真理教の解散命令」に関する記録資料が廃棄されていたというニュースが流れている。裁判所が特別に重要だと認定しない限り、永久保存にはならない、との説明だ。

全くふざけた話だ。裁判所の責任逃れの役人の仕業だとすぐ解る。冤罪が多いとか、再審請求が多いとかで、わざと資料を廃棄してしまうのか。この分だと佐川氏らが行った公文書改竄事件も、追及が止まれば、即廃棄される。

それでいて、国民が公文書の資料公開請求をすれば真黒の海苔弁で出てくる。

ふと思い当たることがある。そう言えば、この国がアメリカに負けた時に、ポツダム宣言受諾を決定した閣議の後で、もう日本国中の軍・戦争関係の資料を燃やしたという。霞が関の空が真黒になった。

そのおかげをもって、戦争犯罪裁判つまり「東京裁判」の資料が集まらず、A級戦犯は27人しか審査できず、岸信介、笹川良一、児玉誉士夫ら、その後の日本に大きな影響を遺した人間たちが命拾いしている。

その成功体験が、今をして、日本の官僚の公文書法の趣旨を逆用した、自らの保身の為の証拠隠滅衝動があるのか?

ただ卑劣な気がする。証拠さえ無くしてしまえば、後から役所の行為の責任を問うことが困難になる。単に身勝手な裁判官や検察官の保身術としか見えない。

法の番人たちの官吏にしてこの有様。これじゃ何を信頼すればいいんだろう。

そう言えば、モリ、カケ、サクラでも簡単に公文書を廃棄して逃れていた。その時にしたり顔で「法治国家です」と嘯いた人物が、この国では総理になれる。それを追求しないメディアは必ず廃れる。この国はおかしい。

私の趣味は立ち食いソバです。コロナでさすがに飽きましたが。

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そのうちに判るだろう

2022-11-24 13:36:25 | あれこれ

近頃、ネットの「一月万冊」が止められたようだ。電通の怒りに触れたのだろうか?あまりに反自民?モリとかスガとか、タケナカが捕まると騒ぎ過ぎたのだろう。多分、彼らは何処かで踊らされているのだろうが。その何処は分からない。

庶民としては、何故、一国の宰相を勤めた田中角栄が捕まったのかが、今回の二人の元首相の扱い方で判るような気がする。

孫崎享は『アメリカに潰された政治家』(小学館)の中で「アメリカの虎の尾を踏んだ」からと言っているが、この国が形式の上では主権国家であれば、一定の自浄能力があると期待したいが、この先がどうなるかが興味がある。加えて、皇室系の扱いもどうなるのであろうか。

振り返れば、アベ・スガの2012年以降の自公政権は、内閣人事局に象徴されるように、「人事権による官僚支配の徹底化」であったが、庶民の前に見せつけられたのは、裁判所も、検察も、警察も、単に役所だということが痛く解ったことだ。

司法に救いを求めることができない國になったということが辛い。だから、・・が出てくる。

我らの国はまだココにある。

 

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