玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

擬いモノの横行

2022-09-30 14:43:55 | ブツブツ

去年はオリンピックらしき世界商業スポーツ大会をやったらしい、と最近気づかされた。しかも舞台裏は随所で賄賂が横行し、江戸時代のお代官様と越後屋さん状態だったというのにも驚いた。いつからか、この国は恥ずかしいことを平気でやるようになった。

つい最近は、国葬と言う名の自民党国葬儀が行われた。あれを見たら、そう云うしかない。「国葬」という様式も決まっていない、「私葬」の延長で、国の経費で大々的にやっただけ。国の儀式としても記憶に残らない。誰々の弔辞が良かったとしか言えない印象薄い葬式だった。これがこの国の国葬だとは普通は思いたくないでしょう。

故人の業績のアベノミクスという大量紙幣刷りシステムは、原資の税金を見せ金に紙幣という信用貨幣を刷りまくる、どんどん刷れば、その分だけ信用価値が落ち、紙幣の価値が落ちるというシステムだった。

よくも8年間も黒田さんは信じていたものだ。もう個人の意地の枠を超えて、刑事犯にならない罪となるだろう。

今や、これは経済なのか、贋金づくりなのか、全く解らない。ここまできて、この国の政治の根幹がおかしいことになってきた。

全ての原因は自民党に、自民党の議員の質にあるような気がしている。

たった一人が個人として「国賊」だと評価したら、周りは挙ってその言論を弾圧し、議員除名をも騒ぎ立てる。この党は批評や批判の一片も許さない偏狭セクトに似ていないか。

安倍氏は擬いの国葬を経て、これからが本当の評価をされていく。5年後、10年後には国賊になるかもしれない。しかし、自民党員の声の大きい人たちは、そういう事態を考えていない。もうこれは一種の安倍信仰であろう。だから、統一教会と結託していると疑われてしまう。

もうどうしようもない。この國は自民党に任せていては駄目だろう。かと言って、他は政党なのかね…?

夏の終わり

 

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日米戦争 ―陸軍は血の贖いの為に、海軍は石油の欠乏の為に―⑾

2022-09-29 15:26:06 | 近現代史

真珠湾奇襲は、文献の中では、1941年9月6日第6回御前会議の段階で既に「奇襲らしきイメージ」ができていた。その前の9月3日第50回連絡会議で永野軍令部総長は「開戦時機ヲ我方デ定メ先制ヲ占ムル外ナシ」と言っている。この時点で奇襲しかなかったのだ。

「ジリ貧で」「座して死を待つより」と開戦に流れる海軍が真珠湾攻撃の道を選択し始めると、対米戦争を忌避する近衛に内閣を投げ出させ、開戦に都合の良い軍人政権を造らせた。それは陸海軍の底意だった。そこで曲者の豊田の替わりに直情的な東郷を外相に据えた。

東郷は一筋縄ではない松岡や偏屈な重光より扱いやすかったのであろう。軍部から見れば、広田に似て、結局は軍人の威圧に負けると見られていたのではないか。

彼は11月3日の来栖米国派遣の段階で、開戦を已むなしをほぼ受容していたのではないか。来栖は、仮に交渉決裂となった時に、元外相で元提督の個人プレーの多い野村吉三郎大使の変な動きを止めるために、急きょ派遣された。

東郷の外相就任にあたって、豊田前外相からの事務引継ぎに、「支那駐兵に期限を付ければ交渉は纏る、陸軍が応じないので総辞職になった」とあった。

海軍は米国の石油の禁輸により、「石油は二年分の備蓄しかなく、座して死を待つより…」ということであろう。

煎じ詰めれば、陸軍は日中戦争以来の流した血を贖うために、中国からの撤退ができない、つまり「過去に流した血の為に」。

海軍は大言壮語して建造した戦艦が石油の禁輸で動かなければ、座して死を待つことになる。「戦艦を動かす為に」日米戦争を決心したのである。

つまりは陸軍・海軍ともに、到底かなわない大国との戦争動機は、煎じ詰めれば陸海の幕僚たちの国内向けの「面子」ということにならないか。

それを、駐日大使のグルーは「腹切りの国」と美化して本国に忠告している。

振り返れば、陸海軍の幕僚たちの単なる「面子」によって、300万人以上の国民が死に、2000万人余の周辺のアジア人が殺された。   (次回へ)

【参考文献:東郷茂徳『時代の一面』、来栖三郎『泡沫の三十五年』、参謀本部編『杉山メモ』他】

陸上自衛隊幹部学校『第二次世界大戦概史(上巻)』昭和31年版より、

この教科書では「奇襲」と言っていない。それに日本の交渉決裂通知が1時間20分遅れたのだが、…?

 

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国力の衰微

2022-09-28 13:57:22 | あれこれ

安倍政権のレガシー(遺産)は「国力の衰微が隠蔽されてきたこと」と内田樹(日刊ゲンダイ9・25)は簡単に言う。

もっと前から、55年体制の時から、自民党はアメリカ民主主義を植え付けられた日本国憲法で育てられた子供たちの個性の発達を削いで来たのではないか。

それが「ゆとり教育」という美名のもとに、才能のない子はゆっくりと、お金のない子は大学に行かなくてよい、つまりはDNAと家柄・資力による子供の選別化で、戦前以来の旧支配層を含む既成権力層の体制保持に勤しんで来たのではないか。

その結果として、個人としての尊重を否定し、単に種としてのヒトの尊重程度にとどめる「半生な民主体制」を作った振りをして来たのではないか。

ただ単にアメリカから押し付けられた憲法を一行でも変えれば達成された気になり、中身はどうして良いやら分からない程度の右傾の自民党議員たちは振り上げた手を同胞に降ろし、決して宗主国のアメリカには手を上げない。

結局、憲法改正しても、アメリカへのポチ度が増すだけ、アーミテージの首輪がきつくなるだけのことでしかない。

ただ単に、アベの負のレガシーに注目するより、自民党体制の保持する戦後レジーム、つまりアメリカへの「負け犬根性」体制のことだけど。これを叩き直さないと、どうにもなるまい。

今一度、家柄や資産で選ばれた子供だけでなく、捨てられた底辺の子供たちにも、それぞれに成功体験を持たせる機会を教育の場に投資して、昭和後期の「誰でも地道に努力すればきっとうまくいく元気のある社会」に生きる意思の強い若者を育てなければ、この国は徹底的に駄目になってしまう。

いくら資本が、資源が、国土があっても、人の生きる力、望む思いが無ければ経済は回らない。その譬えの両極端を、中国とロシアに見ることができる。今は日本と韓国にもその兆しを見ることができる。

コロナ自粛でラーメン屋に行けないので、家で作ってみました。

 

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老人には海が似合わない

2022-09-27 12:56:35 | 散歩

久しぶりに海に行ったが、台風の後のため砂が荒れていた。

所詮、小説のようには生きれない。

どうも老人には海は似合わない、と思う。

江の島

烏帽子岩は見えるが、今日は富士山は見えない。

今はスケボーの練習場、かつてここははプールがあった。昔子供を連れて行ったものだ。

此処に「鵠沼プールガーデン」の看板があった。

30年前に東京から湘南に引っ越して、二回目の転居を山側にしたのは正解だったかもしれないと思う。

 

 

 

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国葬とは国民の為・・・

2022-09-26 10:11:45 | 政治

民主的な国では「国葬」とは国民の為にやるんじゃないのかな。国民が一人の格別な人間の業績をたたえて、その人柄を愛し、長く忘れないために、国民の総意で行う儀式ではないだろうか。だから税金で挙行されるんだと思う。

キシダ自民党は根本から民主主義を解っていない。

初めの頃は安倍氏の業績の説明の中で、「6回も選挙に勝った」と言った。それこそ自民党葬である馬脚を出している。こんなアホな政治家は顔を見るのも嫌になる。

自・社・さ政権以降の自民党と各種の連立政権以降の行ったことは、結局選挙に勝って既得権益層(当然天下り官僚も医系技官も含まれる)の利権を守り、自らの議員待遇(年間2億円の議員待遇)を守る以外に何もやってこなかった。

そして、国民は、時間経てば「忘れ病」だと決め付けてきた。

今回の怪しい国葬が終わって、前のオリンピックのように「結構やったら良かったじゃないか」と国民が言い出したら、ボンクラ世襲型の自民党政権はまだ続くでしょ。

そしたら、この国は確実に衰退し、破滅に向かって進んでいくのでしょう。

稲穂が重そうだ。

もう9月も終わるというのに、稲刈りが終わっていない。人手が足りないのではないか。

これ何だろう?タニシじゃないし、子供のころに見たような?

 

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