玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

二冊の本

2023-12-29 11:56:58 | 

この『失敗の本質』という本は少し前に多分読まないだろう、と書いた記憶がある。

その理由は筆頭の著者の戸川良一の単行本がよくある忖度本だったことと、他の著者が組織経営論の研究者が多かったことに違和感を待ったからだ。

だが、戦争の実相を知る観点から如何なる作戦で戦争をしたのかを知るために、読まざるを得なくなり、渋々読んだ。

結果は「失敗の本質」論には程遠く、そもそもが「失敗を予定される作戦」による敗戦ということがわかった。

如何に酷い作戦で戦争をしたのか、そして、あまりに多くの犠牲者を出したことが、ただ虚しく悲しい。

この本の中の一例で云えば、沖縄戦の第三十二軍の牛島満司令官と長勇参謀長は独自作戦を立て、責任取った風に自決した。そして、大将と中将にそれぞれ没後昇進をした。

しかし、彼らの作戦による沖縄戦で、日本軍戦死者6万5000人と沖縄島民10万人の死はどうすればよいのだろうか、…。それらが失敗と片付けられない程のたった一つの個の人生を奪い、しかも、本土上陸の時間稼ぎのための戦争だったとしたら、…。

「参謀」という名の無謀で、無能な軍人「官僚」を大量生産したこの圀の軍人帝國制は唾棄に値する。

何処か、この圀の今の無能な東大官僚や無知な世襲議員の有様に似ている気がする。この圀には脱却する戦後レジームなんて抑々無かったのかもしれない。

一冊は鉛筆の線や書き込みで本の体を為さなくなったので、もう一冊を資料として残そうと思う。

 

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国会議事堂を壊そう

2023-12-28 10:47:41 | 直言

他国から押し付けられようと、半世紀以上、現憲法下で暮らしてきた大衆が居て、その根本の九条の平和条項を、派閥持ち回りの閣僚会議で憲法解釈を決める荒業は、何処か精神の歪みがあると疑ってしまう。

野党は、与党の知の無さ、目茶苦茶な行為を継続して批判し、党の綱領にしても良いと思うのだが、単に多数決に屈してしまう野党も議員の威厳も矜持も無い、これも同様に恥ずかしい。

こういう人間たちが澄まし顔で政党交付金以外に裏金を得ようと居座る国会というモノを国民たちがノコギリやトンカチもって、ボランティア活動として壊すのもいいだろう。少なくとも万博に行くよりも面白い。

万博の350億の木材の輪を使って、国会議事堂を建て直したらいいだろう。国会の腐った威厳が無くなって、誰でもが自由に発言できる国会になるかもしれない。

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マスコミに戻れ

2023-12-27 11:14:44 | つぶやき

テレビや新聞は、マスコミ、つまりマス・コミニュケーション(大衆伝達・通報)という概念から自由になりたいのか。メディア=情報媒体業者という言葉に自らの安泰を置き換えている。

マス~大衆を消したが、決してパーソナル~個人でもない。むしろ、強きを扶け、弱きを挫く小うるさい報道機関でしかない。

この圀の自民党政権から「すいません」「ごめんなさい」「申し訳ない」という普通の日本語を「遺憾である」と意味の曖昧化で逃げる政治が始まった。

近頃は「御免なさい」から「謝罪」へ逃げて、更に「説明責任」とした。

こうしたことを許容し、片棒担いだのが、ジャーナリズム?いや単に企業ゴマスリ報道屋でしかない。またマスコミに戻れ!

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近現代史の裏側⒇―「木戸日記」という贈り物―

2023-12-26 11:04:32 | 近現代史

12月21日、巣鴨拘置所に拘留されていた木戸は、都留重人と一緒に自動車に乗って、芝に行き、キーナンの宿舎を訪問し、食事をご馳走になり、記録(『木戸日記』)の提出を求められ、それを承諾した。(拘留中でも、外に行けるのには少し驚いた。)

『木戸日記・東京裁判期』(1980年初版)より

木戸が乗ってきた自動車や日記の提出は、巣鴨拘置所に収容されていた他のA級戦犯容疑者の感情を逆なでしたのか、彼は孤立した存在であり、「豆狸」というあだ名がついたとか、…。

城山三郎はこの『木戸日記』(上・下、1966年初版)を読んで小説『落日燃ゆ』(1974年初版)を書いている。正確に言うと、東京裁判期は1980年刊行なので、著者は他の史料を使って木戸の人格像を描いたのであろう。

 城山三郎『落日燃ゆ』より

GHQにとって、『木戸日記』の提出は誠に有難い贈り物で、もし無ければ「東京裁判」の結審にはもっと時間が掛かったことだろう。

ただ、天皇にとってはどうだったのだろうか?【次週へ】

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近現代史の裏側⒆―「木戸日記」という商品―

2023-12-25 10:50:50 | 近現代史

『木戸日記』は軍部に従っていたことを示すと同時に、自らが黙認していたことも現れていた。また、特別な扱いを受けていたことも書かれていた。1945年12月16日、近衛の訃報を聞きながら、宮内省の自動車に乗って巣鴨拘置所に行った。

 『木戸幸一日記』東京裁判期より

12月16日未明に自殺した近衛は、11月9日に芝浦桟橋から駆逐艦「アンコン」へ連行された。米国から木戸・広田らも尋問を受けたが、日比谷の明治生命ビルだった。近衛は、戦争を終わらせるキーマンは木戸だと言った。そして彼は「巣鴨に行く」ことを徹底的に拒んだ。

ロサンゼルス・アーカイブスの近衛尋問記録

12月21日、木戸は都留重人と一緒に自動車に乗って、芝に行き、キーナンの宿舎に行き、食事をご馳走になり、記録(『木戸日記』)の提出を求められ承諾した。【次回へ】

『木戸日記・東京裁判期』(1980年初版)より。

 

 

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