玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

政治家というモノ

2020-03-26 11:18:23 | 政治

政治家の資質というのは“人でなし”ということらしい。立派な人格者であることを表面で見せてきても、一旦、その仮面が剥がされた時には、「ごめんなさい」と潔く退場するのが昔からの常識ある政治家の生きざまであった。

それが今、全く通用しない時代になった。

地獄絵の餓鬼のように権力の座にしがみ付く姿を哀れと思うが、本人は他人の目など一向に気にせず、必死になってその地位に居座っている。

まるで、水木しげるの妖怪のように。それを許す周りの議員たちも、そしてメディアも、何よりも選挙で表現しない、こちら側の国民に問題があるのかも、…。

〇暗雲は急に

オリンピックが延期となれば、ちょうど都合よく、コロナウィルスの感染者が増えてくる。偽装国家と言われてもしょうがない。

この騒ぎさえ利用して、首相夫妻の愚行をうやむやにしようとしている政権と、それに加担をする大手メディア。どうも戦前の大本営時代に似てきた

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強く言えば、正しいような

2020-03-23 10:10:55 | 政治

財務省でも公文書の忖度改竄があったのだから、私企業であるメディアの世論調査などは忖度調査かも?どう考えてもアベという政治家が40%以上の支持があるとは思えない。「自公内閣は支持しますか?」と聞いているのかもしれない。

菅長官は今までアベが言えない無知なこと、無学なことを強い口調で代弁してきた。あたかもそれが正論のように。彼が「解散は総理の専権事項です」とよく言うが、そんな文言は憲法上どこにもない。

1948年11月の宮澤俊義の「憲法7条の天皇の国事行為としての解散は必ず内閣の助言と承認に基づくのであるから、解散権は内閣にある」という憲法解釈が根拠となっている。

解散権は内閣にあると言っているが、総理にあるとは言っていない。国務大臣の誰かが反対すれば解散は出来ない。あくまでも総理に各大臣は従うという信頼関係に過ぎないのだ。

だから自民党憲法草案では、但し書きで「衆議院の解散については内閣総理大臣の進言による」と明確にしている。

菅官房長官は無知・無学を承知で強弁する汚れ役を務めてきた。最近、安倍と菅の確執が伝えられる。この人を失うと一見強そうな安倍政治は成立しないだろう。

行列のできるナポリタン(新橋駅ビル)

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おかしいものはおかしい

2020-03-18 22:01:01 | 時事

森友で財務省の文書改竄で犠牲となった遺族が訴訟を起こした。良いことをやった者が損をし、悪いことをやった者がのうのうと暮らしている。

そんな世界は誰が見てもおかしい。当たり前のことが通らない世の中。それが安倍自民党政治だ。そのことがおかしいということすら気が付かないほど、人々の神経は鈍麻しているのだろうか。ともかく良かった。森友問題を風化させてはならない。

民事でも、国賠法でも訴訟すべきである。為政者のために文書改竄をする公務員は人間としても最低な行為である。それ相応の責任を取らなければなるまい。

今の黒川検事長の勤務延長も文書創作の疑いが有る。また口頭決裁なんて言うのは、ワンマン会社の論理である。もう今の官僚は公務員とは呼べない。単なる安倍の手下である。

昨今の政府の振る舞いは江戸時代の封建制と何ら変わらない。もっとも今は、コロナ騒動で、大本営の報道統制がとられる安倍特別措置法が与野党賛成で成立した。

立憲民主党はこんな時だけ大人の振りをして、見せかけの協力なんかすることはない。だから野党としての存在感がない。不潔感が匂う。山尾の方が立派だ。信用できない奴には武器は持たせるな。

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戦前と戦後がつながっている

2020-03-17 00:16:59 | あれこれ

今度のコロナ騒ぎで、つくづく思ったことがあった。この國は変な国だ、世界の中でもおかしい異常な国だということが分かった。

今日いつもの薬をもらいに病院に行った。窓口が二つになっていた。一つは定期的に診察を受けている既往症患者、もう一つの窓口は、風邪・インフル・コロナの専用の窓口だ。感染者がいるだろうと言っているのではない。

だって、今日の朝日新聞は1500人規模の感染者から急にクルーズ船分を引いて814人という数字を持ってきた。もうこれは、単なる数字であり、この國では数字を隠蔽し続ける。マスコミも同罪。大本営発表か?

孫さんがPCR検査を寄付しようと言ったら、とてつもない反対があったという。誰が反対したのだろう?怖い國だ。占領国アメリカがこの國の何を恐れていたのかが、今何となく解かる。特攻隊を生む風土なのだ。

どんなに世界の他の国が何万、何千という感染者を公表しても、この國はずっと三桁にこだわるだろう。もうこれは数字ではない、単なるまじない、お祈りのようなものだ。ふと、そのことを考えながら、病院から家に戻る間に或ることを思い出した。

昭和天皇が敗戦原因を四つあげた。その内の一つに、「余りに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視したこと」(『昭和天皇独白録』文芸春秋)この國は戦前とちっとも変わっていない。また同じ失敗をやらかしている。

沖縄を捨てたように高齢者を切り捨て、特攻隊のように満員電車を継続させ、薬も病床もないのに、かつ学童保育も非正規手当も補償しないで、株価を維持するために30兆円の年金資金を、日銀は更に投入して、下落する株をまた買い漁る。

このままずっと安倍さんと黒田さんにやってもらい、すべての責任を取ってもらいましょう。

穏やかな春の日はいつ来るのかな。

 

 

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あれから五十年

2020-03-14 19:32:52 | 

辺見庸と目取真俊の対談を読んでいたら、「のうのうと戦後を生き延びた昭和天皇…」というくだりで、奥崎謙三という名が出てきた。(『沖縄と国家』角川新書)

何となく興味を持ってネットで調べたら、天皇にパチンコ玉を打った人だった。

当時、フッと吹き出すような感覚があった。それは1969年の正月一般参賀の事だった。

七〇年安保を挟んで、三島由紀夫の割腹事件があった。その事がひろまった時、一瞬、何の理由もなく浮揚したような感覚に捉われたのも覚えている。

あれから五十年、半世紀、この國が内部からじわじわと忍び足で戦後民主主義というものを潰して行くのが感じられる。そのどん詰まりに控えていたのが安倍自民党政権であった。

昔ながらの駅ビルのカレー

 

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