玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

ドタバタ降板劇

2015-03-30 15:22:03 | 時事

1月のブログに、こう書いた。「言い過ぎたジャーナリストやコメンテーターはテレビ画面から姿を消してしまうらしい。森田実、江川紹子が記憶に新しい。古賀茂明もそうなるか。」先週、古賀茂明が報道ステーションを降ろされた。私は番組が終わる瞬間のほんの1、2分だけ見て、興奮した古舘の言いぶりに違和感を抱いたが、そのドタバタ騒動の全体は見逃した。まことに残念であった。 

これで古賀氏はテレビ画面から消えるだろう。どうせ消えるなら、言いたいことは言った方がいい。ともかく番組の視聴率は上がったろうし、恫喝が好きな官房長官の人格や人柄の一端が世間に流失したことは価値があった。三代目総理も、最近は「我が軍」「人身売買」と国民や世情の反応をわざと試しているような姑息な言動が多い。どうせ、この人も、戦前日本帝国の支配階層に居た長州系統の一族の利害や矜持を守りたいだけの人品であろう。最近思うに、大臣とは誰れの臣(家来)なのだろうか。まさか国民の家来ではないだろうなあ、と思う。

昨日、流行りの目黒川の桜を見に行った。人ばっかりで二度と行かないことにした。

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〇〇妻とウロボロス

2015-03-24 23:48:10 | 芸能

最近、人気のあった二つのドラマが終わった。二つの共通点は「終わりがだらしないと結局台無し」の典型である。「〇〇妻」は、未成年のシングルマザーが育児逃避によって我が子を殺してしまったという過去を持つ主人公が、自らの過去の罪を家族の範囲までは許されたが、社会全体で許される前に、死という形で突然締めくくってしまった。ドラマの落ちを主人公の死によって、物理的な消去を図る、最も安易でつまらない結末と言っていいだろう。「ウロボロス」は二人の若者が恩人の復讐という目的を果たすために犯人を追い求めるのだが、その捜査には殺人も厭わないという暴力的反社会的なドラマだが、娯楽なのだから、それはそれで面白ければよいのだが、最後だけ、真犯人の処罰を法に委ね、恋人のところには戻らず、反社会的な生き方のまま、自らの命を絶ってしまう。結局主人公の死によってドラマを終了させた。両ドラマとも、結局、娯楽なのだから、もっと自由に制作すればいいものを、最後の結末だけ、急にブレーキをかけて、辛気臭い倫理性を持ち込んで終了させてしまっている。何故だろう、現代の日本の続発する反社会的行為を恐れている社会的風潮がそうさせているのだろうか。何だか社会の閉塞感が増すだけで、意味がないような気がするのだが、…。

 

〇春近し…

まずコブシが咲いて

木蓮が咲いて

そして、もうすぐ桜が咲く。

その次は、ハナミズキ、この順番は変わらない。

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春近し

2015-03-22 00:21:33 | 日記

昨日、寒が戻ったが、どうやら春が近いらしい。

桜の芽がふくらんだようだ。

地面には土筆坊だ。 どうもわが身は、以前として冬の儘…。

先日昔ながらの商店街に行く。 

ここで弁当にいれる小さなコロッケを買ったものだ。 

それにしても立派なアーケイドだね。 思わず見上げてしまう。(横浜橋商店街より)

 

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この国の危うさ

2015-03-11 13:01:23 | 時事

3月10日付、読売報道では、戦後70年首相談話に関する有識者懇談会で座長代理を務める北岡伸一・国際大学長は9日、東京都内でのシンポジウムで先の大戦に触れ、「悪い戦争をして、たくさんの中国人を殺して誠に申し訳ないということは日本の歴史研究者に聞けば99%がそう言う。私は安倍首相に『日本は侵略した』と言ってほしい、と述べた。 

彼は、その著書(『政党から軍部へ』中央公論新社)でも、南京事件を「相当大量の捕虜の処刑、民間人の殺傷、強姦等があったのは否定できないように思われる。・・・4万人でも1万6千人でも、・・・大参事・大不祥事であることも、あらためていうまでもないだろう」と記している。 

しかし、一方で、南京の面積は世田谷区よりも小さく鎌倉市と同じくらい。この狭い地区に10万人を超えるシナ人が虐殺されていれば、一人ぐらい「虐殺の現場」を見たというジャーナリストや文学者が居てもいいはずだが、誰も報告していない。・・・『ニューヨークタイムズ』やアメリカの地方紙には「大虐殺があった」と伝える記事もあるが、その内容は何十万という数字になるものではない、という人もいる。 

一説には40万人というのもあるようだが、事の本質は日本の侵略行為であり、その内容であろう。ナチのアウシュビッツを引き合いに出して、どちらが残虐かと比較する者がいたり、大空襲や原子爆弾の投下の方が大虐殺だと言う者もいる。他者の行為を批判する前に、まず、自分たちの國の過去を見つめてほしいものだ。北岡氏の言葉は歴史研究者として当然の見方であるが、それがニュースになるということに、この国の危うさが見てとれる。

 

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小田急線散歩(2)

2015-03-08 08:58:01 | 散歩

当初は簡単に考えていた、代々木上原~新宿コースは、南新宿につながる側道がなく、案外に手間取ってしまった。

新宿の手前には懐かしいビルがあった。かっては小さな美容学校だったが、今や大きなビルとなっていた。それよりも、もっと驚いたのは、代々木ゼミナールだった。

予備校ではなく、まるで明治や法政大学のような規模だね。見ようによってはいつでも会社に転用できそうだ。全部が予備校なのかと不審に思い、つい中に入ってしまった。すると、場違いな爺さんが入ってきたと、職員がツカツカと寄ってきた。ムッとしたので、つい言ってやった。「オレ、ここの卒業生なんだよ!」(ほんとのことである。でも厭な爺だね…)その一撃で、職員は言葉に詰まったようだ。「ここも撤退するの?」と聞いた。「しません」、「全部代ゼミなの?」「ハイ最上階には食堂もあります」「昔は代ゼミもたいしたものだったがね…、残念だね」と言って早々に逃げた。でも、凄いなあ、受験産業という教育産業の拡大的発展を身をもって感じた。ちなみに、私が40数年前に通っていた本校はまだ代々木にあるそうだ。

もう、あたりは新宿の空気だ。

前方には新宿南口が見える。

JRに比べると、小さな小田急線改札口だね。

一応、このブログ上で約2年間、それ以前を含めると、4年ぐらいかけて、片瀬江ノ島から新宿まですべての駅を歩いてきた。感激はないが、一つの節目を終えた。次は、小田急小田原線散歩かな。それとも、金がかかるが、東海道五十三次を復活しようかな?

 

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