団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

フィンランドの原発ゴミ最終処分場

2013-02-06 18:02:10 | 社会
                   フィンランドの原発ゴミ最終処分場

                                                    2013年2月6日(水)

 フィンランドで、使用済み核燃料の処分場が来年6月に建設を始めると言います。いささか旧聞ですが、今年1月24日の朝日新聞の記事です。

それによると、地下400メートルに坑道を掘り、9千トンの使用済み燃料を埋めるというのです。「処分場を運営する」ポシバ社の地質学者は、「周辺で地震があった記憶はない。プレート境界からも離れているし、活断層もないと考えている。」と話し、記者は「フィンランドは・・堆積岩ではなく19億年前に形成された結晶質の岩石だ。火山や地震活動はほとんどないという。」と憶測を記事にしています。


 2100年に事業が終われば、全て埋め戻され、人間社会から隔離される。(注 なにをもって隔離というかの説明はありません。)ポシバ社によると、6万年後には氷河期を迎えると予想され、氷の厚さは2㌔にもなる。その重さでこの一体はある程度沈む。放射能が自然消滅によって無害化される10万年後には、氷が溶けて再び持ち上がる。その際に、地表に近い部分では断層ができたり割れ目が出来たりすると考えられるが、深い部分は大きな変化があるとは考えられない、と書いてあります。

つまり、最終処分場の建設の判断は、「火山や地震活動はほとんどない」とか「6万年後には氷河期を迎えると予想され」などという憶測により成り立っているということです。



「絶対安全というものはない」とは原発を巡る政府答弁で、つまり、便益とリスクとの対比によって、原発建設の是非を判断しようという立場ですが、私は、一旦事故が起きると、異次元の甚大な被害をもたらすものには、「生理的な感覚として」嫌だと感じるのです。(例えば、クローン人間なんて嫌だというようないわば肌身感覚です。)

最終処分場を受け入れた地元市長は、「原発を受け入れた地域として責任がある」と話していますが、住民からは「これ以上、原発も最終処分場も造ってほしくない」といった声も聞いた、とあります。この住民の声が、原発そして最終処分場を受け入れた地域住民の肌身の感覚ではないでしょうか。(私は愛媛県の伊方原発を直線距離にして数百メートルの位置から見下ろしたことがありますが、決して大きな音ではないのですが、地響きのような音がし、生理的に嫌悪感を感じたことがあります。)


 この記事には、残念ながら肝心の建設費がどれだけかかるか書いてありません。私は記者として失格だと思いますが、それはともかくとして、建設費がどれくらいかかるのでしょうか。

 その建設費は原発発電のコストに当然算入されるべきものですが、それ以外にもリスク費用も算入する必要があります。
 その際、「火山や地震活動はほとんどない」という憶測ではなく、「火山や地震活動があるかもわからない」としてリスク費用を算定する必要があるでしょう。





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