ディープ・パープルを脱退したジョン・ロードが一昨年発表したソロ・アルバムです。なんだかんだといいつつジョン・ロードも60歳を超えた訳で、きっともうそろそろハード・ロック・バンドでツアーをするのもつらくなってディープ・パープルを抜けたんでしょうが(ひょっとしていつもバンド内抗争でクビ?)、もともとクラシック指向の強い、ノーブルな性格みたいですから、本当はもっと早く辞めたかったんでしょう、いやはやご苦労様でしたといいたい気分です。
さて、このアルバムですが、ディープ・パープル流のハード・ロックとはほとんど無縁な音楽になっています。全編に渡って小規模なオケというか、室内楽風な弦がフィーチャーされていて、たまに思い出したようにロック・ビートがそれ風なフレーズが出てきたりもしますが、ほとんどクラシカルな趣に塗りつぶされていて、ヴォーカルが登場する曲では、半音階風に上り詰めていくように展開を多用して、サム・ブラウン(ヴィッキー・ブラウンの娘)のフィーチャーした「One From The Meadow」など、前作「Pictured Within」のタイトル曲同様、まるで後期ロマン派の歌曲を聴いているような気分になったりもします(その他フリーダやミラー・アンダーソンが参加した曲もあってどれも秀作です)。
また、もう40年近くも前の出来事になってしまった最初期のクラシカル路線を思わせるオーケストレーションや旋律が随所に登場するのも懐かしく、アルバム冒頭やジョージ・ハリスンを追悼した作品らしい「A Smile When I Shook His Hand」などは「バンドとオーケストラのための協奏曲」の第2楽章で展開された黄昏っぽいムードそのものだし、「The Telemann Experiment」では「4月協奏曲」の木管オーケストレーションやダイナミズムを思い出させる部分が出てきたりして、「ロードさん、やっぱりあんたは忘れてなかったのね」とかいいたくなっちゃいました。
という訳で、私みたいなロートルにはなんか初めて聴くのに妙に懐かしいアルバムなんですが、客観的に見ると音楽の核になる部分が今一歩伝わってこないというか、全般的にちょいと音楽が薄味過ぎて、「だから何かいいたい訳ぇ?」みたいなところは確かにありますよね。前述のようなヴォーカル曲をもっと増やしてもエレガントな歌曲アルバムみたいにすればいいと思うんだけど、だめか。
ともあれ、パープルを辞めてしまった以上、これ以上この手を音楽でもって活動を続けていくとなると、この人、スコアも書けることだし、映画音楽みたいな分野に行かざるを得ないんじゃないんですね。
さて、このアルバムですが、ディープ・パープル流のハード・ロックとはほとんど無縁な音楽になっています。全編に渡って小規模なオケというか、室内楽風な弦がフィーチャーされていて、たまに思い出したようにロック・ビートがそれ風なフレーズが出てきたりもしますが、ほとんどクラシカルな趣に塗りつぶされていて、ヴォーカルが登場する曲では、半音階風に上り詰めていくように展開を多用して、サム・ブラウン(ヴィッキー・ブラウンの娘)のフィーチャーした「One From The Meadow」など、前作「Pictured Within」のタイトル曲同様、まるで後期ロマン派の歌曲を聴いているような気分になったりもします(その他フリーダやミラー・アンダーソンが参加した曲もあってどれも秀作です)。
また、もう40年近くも前の出来事になってしまった最初期のクラシカル路線を思わせるオーケストレーションや旋律が随所に登場するのも懐かしく、アルバム冒頭やジョージ・ハリスンを追悼した作品らしい「A Smile When I Shook His Hand」などは「バンドとオーケストラのための協奏曲」の第2楽章で展開された黄昏っぽいムードそのものだし、「The Telemann Experiment」では「4月協奏曲」の木管オーケストレーションやダイナミズムを思い出させる部分が出てきたりして、「ロードさん、やっぱりあんたは忘れてなかったのね」とかいいたくなっちゃいました。
という訳で、私みたいなロートルにはなんか初めて聴くのに妙に懐かしいアルバムなんですが、客観的に見ると音楽の核になる部分が今一歩伝わってこないというか、全般的にちょいと音楽が薄味過ぎて、「だから何かいいたい訳ぇ?」みたいなところは確かにありますよね。前述のようなヴォーカル曲をもっと増やしてもエレガントな歌曲アルバムみたいにすればいいと思うんだけど、だめか。
ともあれ、パープルを辞めてしまった以上、これ以上この手を音楽でもって活動を続けていくとなると、この人、スコアも書けることだし、映画音楽みたいな分野に行かざるを得ないんじゃないんですね。