和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

かたければ。なおかたし。

2023-10-14 | 古典
親鸞の「浄土和讃」の19には、こうありました。( p106 )
 左は親鸞の「浄土和讃」で、右が増谷氏の現代語訳です。

     親鸞              現代語訳(増谷文雄)

  善知識にあふことも          よき師にあうはかたきかな
  をしふることもまたかたし       おしえることもかたきかな
  よくきくこともかたければ       よく聞くこともかたければ
  行(ぎょう)ずることもなほかたし   念仏するはなおかたし


編集増谷文雄の 「日本の思想3 親鸞集」(筑摩書房・1968年)
の最初には、増谷氏による「解説 親鸞の思想」が載っております。
そのp3~p7までを読んでいると、私は、もうこれで満腹の気分になります。
うん。その満腹感の正体を味わいたいと思い、引用してみます。

「この『親鸞集』のなかでその全訳をこころみておいた『三帖和讃』
 すなわち、『浄土和讃』『浄土高僧和讃』・・『正像末法和讃』の
 三部作に着手したのも、関東での伝道をおえて、京都に帰ってから
 十年も経ってからのこと。もっと正確にいえば、

 『浄土和讃』と『浄土高僧和讃』が成立したのは、その76歳の春のこと。
 『正像末法和讃』をしたためおわったのは、もう86歳の秋のおわり・・。」
                             ( p3 )

親鸞は「90歳という稀なる長寿を享(う)けた人であった。」(p7)
歎異抄はというと、「その時、その人は、
 すでに83歳もしくは4歳の老いたる親鸞であった筈である。」(p6)

「たとえば、わたし(増谷文雄)は『歎異抄』の第二段がすきであって、
 親鸞の人となりを思うときには、よくその叙述を思いうかべる。 」(p5)

「『 おのおの方が、はるばる十余ヵ国の境をこえ、
   身命をかえりみずして、訪ねてこられた志は、
   ただひとつ往生極楽の道を質(ただ)し聞こうがためである。

   だが、もし、わたしが、念仏のほかに、
   往生の道をも存じていよう、また、
   経のことばなども知っていようと、
   いかにも奥ゆかしげに思っていられるのなら、
   それは大きなあやまりである。』 (現代語訳)

 ・・・・・ その詰めよる人々をまえにして、親鸞のいったことは・・

 『 わたくし親鸞においては、
   ただ念仏を申して弥陀にたすけていただくがよいと、
   
   よきひと(法然)のおおせをいただいて信ずるだけであって、
   そのほかにはなんのいわれもない 』

 ・・・もしも、そのほかに、いろいろの理屈や経のことば
 などが知りたいというのなら、

 『 奈良や比叡にはご立派な学者がたくさんおられるから、
   あの人たちに会われて、往生のかなめをよくよく聞かれるがよい 』
   ということであった。   」( p5 )


はい。ここまで引用したのですから、これでいいのでしょうが、
ここまで引用したのですから、もうちょっとつづけておきます。

「 そこで、彼らは、たがいに顔を見合わせながら、
 『 では、念仏だけできっと浄土に生れることができるのですねえ 』
  と念をおしたにちがいない。

  その時、親鸞が、いささかキッとした面持ちでいったことばは、
  こうであった。

 『 念仏は、ほんとうに浄土に生れるたねであろうやら、
   それとも、地獄におちる業(ごう)であろうやら、
   わたしはまったく知らないのである。

   たとい法然聖人にだまされて、念仏を申して
   地獄におちたからとて、けっして後悔するところはない。

   というのは、ほかの修行にでもはげんで、仏になれるというものが、
   念仏を申して地獄におちたのなら、だまされたという後悔もあろうが、

   なにひとつ修行もできぬこの身のことだから、
   どうせ、地獄ゆきにきまっているではないか 』(現代語訳)

 そこに読みとられるものは、
 印象の鮮明のかぎりをつくした念仏者、親鸞の人間像である・・・ 」
                      ( p5 ~ p6 )
  






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整理は急がぬこと。

2023-10-13 | 道しるべ
香住春吾著『団地の整理学』(中央公論社・昭和46年)を
古本で購入(200円)してあったのに気づく。
著者の香住春吾(かすみ・しゅんご)氏は、1909年京都市生まれ。

はい。家の整理でもするかと思っていたら、
本棚に購入してあった、この本が目に入る。
とりあえず、家の整理はそっちのけで開く。
もちろん。パラパラ読みです。
「紙を切り抜く」という箇所にこうありました。

「 切り抜いたら、いちおう所定の箱に入れておきます。
  『整理』は急がぬことがコツですが、
  とくに切抜きにはそれが必要です。
  後日関連記事が出た場合の取りまとめに役立ちます。・・」(p210)


はい。パラパラ読みは、つぎに、あとがきを開きます。

「・・しかし、『整理』の結果に、
 『完全』を期待しないでください。
 『完全なる整理』は存在しないからです。

 わたしたちの暮しは、常に動いています。
 『整理』はその動きに応じて起る必要現象です。

 したがって、
 きょうの『整理』は、
 あすのための『準備』なのです。

 ・・・・・
 掃除、洗濯、炊事などは、毎日くり返される作業です。
 終点はありません。そして、そのことに、
 あなたはいささかの疑問も抱きません。

 『整理』もじつは、それらと同様の『家事』なのです。
 くり返しくり返し、いつまでも永遠につづく『家事』です。

 ちがうところは、炊事や洗濯のように、きょう、いま、
 やらなければならぬ『緊急性』がないだけのことです。

 手の空いたとき、気が向いたときに
 やればよい『弾力性』を有している点です。
 はてしないことにかわりはありません。
 はてしない作業だからこそ、
 それは『家事』といえるのです。・・・  」(p277~278)


はい。「『整理』は急がぬことがコツです・・」。
このコツを掲げ、ゆっくり整理をしてみることに。

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『煩悩を断ぜずして』親鸞

2023-10-12 | 古典
筑摩書房の「日本の思想3 親鸞集」(編集:増谷文雄・1968年)は、
親鸞への格好の水先案内書となっていて、なんともありがたいのでした。

たとえば、はじめに「正信念仏偈」をもってきております。
それについては、こういう指摘をされておりました。

「親鸞の主著は『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』、
 つぶさには『顕浄土真実教行証文類』である。

 ・・『文類』とは、諸経の要文を抜萃し編集したものをいう
 ことばであって、この著もまた、念仏のおしえに関する要文
 を抜きあつめ、その領解と讃嘆のためにしたものであって、
 その故にこそ後世この著をもって浄土真宗の根本聖典とするのである。」

 このあとに、増谷氏はこう書いておられます。

「その著をそのままここに採りあげなかったのはほかでもない。
 それら諸経の要文の羅列は、かならずしもそのまま
 親鸞の思想とはいいがたいからであり、むしろ、より重要なのは、

 それらを親鸞がいかに領解し、いかに讃嘆して、
 自己の思想を形成したかということでなければならない。

 しかるに、親鸞は、筆をすすめて『行巻』の末尾にいたり、
 ふかい領解とあふれる法悦とを結んで、百二十句にわたる韻文を
 つらねている。題して『正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)』という。

 わたしがいまここに、親鸞の思想と信仰の骨格として、
 まず採りあげようとするものはそれである。・・・・    」(p38)


このあとに、『正信念仏偈』が7ページにわたって載っております。
ページの上半分には、原文に句読点をほどこし、
ページの下半分には、増谷文雄氏による現代語訳。

はい。数行ごとに、現代語訳をみていると、
私なりに魅かれる箇所がありましたので、そこを引用。
まずは、原文。そして現代語訳

 五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
 よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。

 けがれおおき悪しき代に生をうけしもろびとたちは、
 釈迦牟尼如来のまことなることばを信ずべし。
 よく一念、本願をよろこぶ心の発(おこ)らんには、
 煩悩を断つことなくして、よく涅槃をうるなり。


そこから6行あとには、こんな箇所。

 譬へば日光の雲霧に覆はるれども、
 雲霧の下、明らかにして闇(くら)きなきがごとし。

 たとえば日の光の、雲と霧に覆わるれども、
 雲と霧のしたは、なお明るくして闇からざるがごとし。(p40)


うん。ここも分かりやすかったと思えた3行を最後に引用。

 我もまたかの摂取の中にあれども、
 煩悩眼(まなこ)を障(さへ)て見ずといへども、
 大悲倦(ものう)きことなく常に我を照らしたまふといへり。

 われもまたかの仏の救済の御手のなかにありながら、
 煩悩まなこを障(さ)えて見ることを得ずといえども、
 大悲はものうきことなく、つねにわれを照したもうといえり。 (p44)


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山車引き回し

2023-10-10 | 地域
10月8日(日曜日)に地区の山車引き回しがありました。
小雨の中を、コロナ禍以来の祭りとなりましたが、
こんなに子供たちがいるのかと思えるほどの人数があつまりました。
おそらく、連休で実家をはなれている方々も参加されていたのでしょうね。
ちっとも、顔をみてもわかりません。

地元の小学校・中学校が統合して、他地域へ移ってしまったので、
まるで地域小学校の運動会が復活したような気分を味わえました。

ということで、昨日9日は、あとかたずけ。
万端縮小しての開催でしたが、役員さんのおかげで楽しい祭りとなりました。
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朝の露ひやびやと

2023-10-09 | 詩歌
丹治昭義著「宗教詩人 宮澤賢治」(中公新書・1996年)の
はじめの方に、どういうわけか堀田善衛氏の名前が登場してる。
うん。アマノジャクは、本文よりもこういう箇所にひっかかる。
ということで引用。

「 堀田善衛氏は、千手観音の千本の手は、
  インドの強烈な太陽のギラギラ輝く光線を
  象徴しているといった意味のことを語っているが、
  そのインドの真実の太陽の光は地上のすべての生命を焼き尽くす。

  そういう意味でもこの世を意味する娑婆は、
  耐え忍んでかろうじて生きていけるところ、忍土(にんど)である。

  インドの人々はそういう強烈な太陽光線が鎮(しず)まった、
  柔らかな静かな光、寂光こそが生命を育むと考え、寂光の国を求めた。

  伊藤左千夫は、

   今朝の朝の露ひやびやと秋草や、
      すべて幽(かそ)けき寂滅(ほろび)の光

  とうたっている。11月であろうか、すでに夏から秋への
  生の横溢から充実を終えた庭が、寂光の土となっている。・・ 」
                      ( p8~9 )

はい。最初から丁寧に読んでゆくと、先へと進めなくなります。
また、パラパラ読みをしてゆくことにします。 


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何でもないやうなこの山々

2023-10-08 | 詩歌
井伏鱒二著「厄除け詩集」(講談社文芸文庫)をひらくと、
最初に置かれた詩は「なだれ」でした。

       なだれ   井伏鱒二

   峯の雪が裂け
   雪がなだれる
   そのなだれに
   熊が乗つてゐる
   あぐらをかき
   安閑と
   莨(たばこ)をすふやうな恰好で
   そこに一ぴき熊がゐる



こんな、なにがなにやら、わかったようでわからない詩は、
その時々で読む側の心に、ちがう感慨がわいてきたりして。

そういえば、寒さが伝わってくるような詩たちでした。

「歳末閑居」という詩の最後の4行は

    どこに行つて来たと拙者は子供にきく
    母ちやんとそこを歩いて来たといふ
    凍(こご)えるやうに寒かつたかときけば
    凍えるやうに寒かったといふ


「石地蔵」という詩の最後の4行

    霰(あられ)は ぱらぱらと
    お前のおでこや肩に散り
    お前の一張羅(いっちょうら)のよだれかけは
    もうすっかり濡れてるよ

はい。「逸題」という詩といえば、はじまりの4行は、

    今宵は仲秋明月
    初恋を偲ぶ夜
    われら万障くりあはせ
    よしの屋で独り酒をのむ

 このはじまりの4行が、この詩のおわりの4行にも登場しておりました。

そういえば、「寒夜母を思ふ」という詩は、4行ずつまとまっていて、
つぎの4行へうつるときに、行わけされていたのでした。
けれども、この詩の最後の4行から、ひとつ前だけが
4行ではなくて5行でまとまっています。
その、5行を引用することに。

     母者は性来ぐちつぽい
     私を横着者だと申さるる
     私に山をば愛せと申さるる
     土地をば愛せと申さるる
     祖先を崇(あが)めよと申さるる

うん。最後に「山の図に寄せる」という詩を全篇引用してみたくなりました。

      山の図に寄せる

    これは背戸の山の眺めである
    鬼のとうすといふ名前の
    大岩の上から見た景色
    わが故郷の山々である

    右に見えるは中条の山
    明日は雨ぢやといふ夜さは
    山のきれめで稲光りする
    左に見えるは広瀬の山
    近くに見えるは大林寺山

    もう一つのこの画面
    左に見えるは四川(しがは)の山
    夏日夕立が来るときは
    先づこの山の背に雲が寄る
    右に見えるは芋原(いもばら)の山
    手前に見えるは七曲り

    何でもないやうなこの山々
    望郷の念とやら起させる
    こんな筈はないと思ふのに
    どうにもならないことである
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きわもなく。隈(くま)モナシ。

2023-10-07 | 思いつき
まるっきり読んでいない本の癖して、
題名だけが気になる本ってあります。

最近になって思い浮かぶのが
丹治昭義著「宗教詩人宮澤賢治」(中公文庫1996年)。
うん。親鸞さんからの連想でした。


親鸞について、増谷文雄氏の対談の言葉に

「たとえば『和讃』のいちばんはじめですな、
 『讃阿弥陀仏偈和讃』ですね、これは全部原文がありますですね。

 それを親鸞はなんとかやわらかくしようとしながらも、原文の
 大事なところは原文のままに生かして『和讃』をつくっているのですね。

 ・・・・・・
 たとえば『智慧光明不可量』なんていう原文がありますね。
 それを『智慧の光明はかりなし』と訳しておる。

 あるいは、『法身光輪遍法界』とあると、
 『法身の光輪きわもなく』としています。

 それはもうほとんど読み下しなのです。
 むずかしい言葉を使っておられるのですが、
 それは原文をできるだけ生かそうとしておられるようですね。」
      ( p10~11 「日本の思想3 親鸞集」別冊・筑摩書房  


この箇所やらなにやらで、私に思い浮かんだのは、
宮澤賢治教諭がつくった農学校の「精神歌」(大正11年)。
それは歌詞が4番までありました。
ここでは、各1~4番の、はじまりとおわりの行とを引用。

1 日ハ君臨シカガヤキハ ・・・ マコトノクサノタネマケリ

2 日ハ君臨シ穹窿ニ  ・・・・ 気圏ノキハミ隈モナシ

3 日ハ君臨シ瑠璃ノマド ・・・ 白亜ノ霧モアビヌベシ

4 日は君臨シカガヤキノ ・・・ ワレラヒカリノミチヲフム


もどって、最初に引用した対談での最後の方で、増谷文雄氏が
指摘されていた言葉がありますので引用したくなります。

野間宏氏が『極楽というようなものもあってもなくてもいいんだという、
そこの、つまり強さですね。その極楽という一つのフィクションという
のかな・・・』
これを引き受けて、増谷氏は語っておりました。

『あなたが極楽をフィクションといってしまわれると
 私どもは非常に楽になるのです。仏教の中に身を置いておりますと、
 極楽はフィクションだなんていう言葉は容易に使えないです。・・・

 ・・・・・・

 密教的フィクションの場合は、これはいわゆる地上だけでといいますか、
 高きところのものを仰がずしてできますね。

 親鸞の場合には大きなフィクションが、光り輝くものがあったわけですな。
 無量光という光を考えるのが親鸞の場合の一つの決め手でございますな。
 ・・・・・
 親鸞にとってはフィクションというのは光として
 受け取られていたような気がするのですね。   」(p15)


はい。ここで本の題名が思い浮かんできたのでした。
それが、丹治昭義著「宗教詩人 宮澤賢治」でした。
副題には「大乗仏教にもとづく世界観」とあります。

はい。次はこの中公新書を開いてみたくなりました。


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ハナニアラシノタトエ

2023-10-06 | 詩歌
福沢諭吉翁の言葉といわれる『心訓』というのがあります。
じつは、どうも福沢諭吉の文ではないようなのですが、
けれど、どうも福沢諭吉が語ってもおかしくないような言葉。
はい。そういうのって、ありますよね。

たとえば、親鸞の言葉といわれる

   あすありと思う心のあだ桜
         夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは

これも、親鸞の言葉といわれているのですが、出典未詳。
それはそれとして、この言葉の意味を知りたくなります。

「観桜は明日にしようと、明日を恃む心はあだである。
 夜半に嵐が吹いて、桜が散らないとはかぎらないのだから。

 この歌が人口に膾炙する理由の一つは、
 明日ありと恃む心が仇となって、
 いたずらに日を延ばしたばかりに、
 思わぬ故障から成るものが成らなかった経験、
 これが万人に普遍的であること。・・・    」
   ( p168 木村山治郎編「道歌教訓和歌辞典」東京堂出版・1998年 )

ちなみに、その次のページには五首が並んでおりました。
興味深いので、そのままに列挙。

  あすは斯(かく)ときのう思いしことも
     今日多くは変る世の習いかな

  こころしてことをばいそげ
   いそげたださわり出(いで)くる物は世の中

  明日ありと思う心にはかられて
     今日を空しく暮らしつるかな

  あすまでと思う心のおこたりに
     今日をばあだに暮らすはかなさ

  あすよりは徒(あだ)に月日を暮らさじと
      思いしかどもきょうも暮らしつ


もどって、親鸞の言葉といわれる

    あすありと思う心のあざ桜
      夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは

この次に、ついつい井伏鱒二の現代語訳の
言葉とを、ならべて置きたくなるのでした。

まずは、原文。そして、井伏鱒二訳。

      勧 酒       于武陵

    勧 君 金 屈 巵
    満 酌 不 須 辞
    花 発 多 風 雨
    人 生 足 別 離


   コノサカヅキヲ受ケテクレ
   ドウゾナミナミツガシテオクレ
   ハナニアラシノタトヘモアルゾ
   「 サヨナラ 」ダケガ人生ダ


    ( p53 井伏鱒二「厄除け詩集」講談社文芸文庫 )


はい。こちらは、酒飲みの歌ですね。禁酒の人には辛い。

    
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親鸞さんと井伏さんの現代語訳。

2023-10-05 | 詩歌
野間宏・増谷文雄の対談に

増谷『 ・・・「讃阿弥陀仏偈和讃」ですね、
    これは全部原文がありますですね。

    それを親鸞はなんとかやわらかくしようとしながらも、
    原文の大事なところは原文のままに生かして「和讃」を
    作っているのですね。・・・

    親鸞さんも実は現代語訳をしたんだなと気がついたのです。
    「讃阿弥陀仏偈」の文句は、むろん漢文でしょう。
    それを現代語訳なさっているんです。

    いわゆる歌を作るというのとは少しわけが違うように思うのです。

    現代では仏教ものの現代語訳をしきりとやりますけれども、
    あの時代に親鸞さんはもう現代語訳をなさっているのですな。」
         ( p10 「日本の思想3 親鸞集別冊 」筑摩書房 )


こういう箇所を読むと、先へとすすまずに、ひょんなことを思うんです。
そういえば、井伏鱒二に、漢詩の現代語訳があったなあ。

うん。ここは、井伏鱒二の『厄除け詩集』から、
この詩を引用したくなりました。原文は李白。

      静夜思   李白

    牀 前 看 月 光
  
    疑 是 地 上 霜

    挙 頭 望 山 月

    低 頭 思 故 郷


はい。井伏鱒二の現代語訳はというと。

    ネマノウチカラフト気ガツケバ

    霜カトオモウイイ月アカリ

    ノキバノ月ヲミルニツケ

    ザイシヨノコトガ気ニカカル


漢文を訳す、井伏鱒二の現代語訳というのは、
親鸞さんの時代から、連綿と続いているのだ。

その繫がりを知らずに、『厄除け詩集』を読んでいたのは、
何と不自然だったのだろう。と、ようやく気づく年頃です。
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人生の幸福度と年齢。

2023-10-03 | 古典
花田紀凱・和田秀樹「70歳からが本物の成長期」(サンマーク出版・2023年)
この本の「はじめに」にこうあります。

「本書は、伝説的な雑誌編集者で、80歳を過ぎた現在でも
 編集長を続けられる花田紀凱(かずよし)さんとの何回
 にもわたる対談をまとめたものです。

 ・・・80歳をすぎた花田さんには、年をとるほど不幸という
 巷(ちまた)の思い込みは嘘ではないか、自分はむしろ幸せ
 を感じているとおっしゃるのです。

 私も、年をとることで幸せを感じている人が大勢いることは知っています。

 それは、花田さんのように現役で充実した仕事ができるひとに
 限ったことではありません。・・・

 たとえば、アメリカのダートマス大学の経済学者、デービッド・
 ブランチフラワー教授が世界132か国の人を対象に、
 人生の幸福度と年齢の関係を調べた調査では、
 世界中のどこの国でも、歳をとるほど幸福度が増し、
『 日本人の幸福度のピークは82歳以上 』というのです。

 この研究は、私が長年高齢者を診てきた肌感覚に合うものです。

 そもそも高齢で幸せを感じている人からじっくり話を聞く
 というのは大切なことだと思っていたので、花田さんは適任者。・・」
                    ( p1~2 )

うん。花田さんはいいや。
私が気になるのは、親鸞。

法然が69歳の時に、親鸞(29歳)がはじめて会います。
その出会いについて増谷文雄氏は対談でこうかたっておりました。

「とくに大事なことは法然が『選択集』を書いたあとだということですね。
 法然はもうぼつぼつ自分は死ぬるからというのであれを書いています。
 
 だから法然の門下の中では、年次で申しますとごく終りのほうでございます。
 ・・・『選択集』を書いた以後にびしっと厳しくなっております。
 そのときに(親鸞が)飛び込んでおります。

 それからご存知のように数年して越後に流されました・・・
 ・・・・・

 やがてまた京都に帰られますね。ところが
 京都に帰りましてからぽつぽつ仕事を始めますのは
 七十を半ばすぎてから、そこでもスロー・スターターです。
 なにか私は、牛のごとき人という感じがするのですよ。・・

 その代り、歩き始めると大地をとどろかせてぐんぐん押しつめていく。
 親鸞という人はそういう性格の人だったのじゃないかと、
 そんな感じがするのです。 」

以上は、筑摩書房「親鸞集 日本の思想3」の付録の冊子
「対談 野間宏・増谷文雄」(p3)から引用しました。

この対談のはじまりを増谷氏はこうはじめております。

「親鸞の文章は、むずかしい字もたくさん使っていますけれども、
 晩年のものはわりあい現代人にわかりやすいのじゃないかと思われます。

 その文章を訳しておりますと、描いている世界は
 現代の世界と違うけれども、なにか現代に通う
 ものがあるような気がするのですね。

 この人のものはそのまま私たちに通じるのじゃないかと、
 そのとき私は思わざるを得なかったのです。 」


うん。これでこの『親鸞集』。もうすこし読み続けられそうです。
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ひとつひとつの花ごとに。

2023-10-02 | 詩歌
親鸞の和讃を読みたくなり、
増谷文雄編「日本の思想3 親鸞集」(筑摩書房・1968年)をひらく。

ぱらぱらと、ひらいていたら、あれこんな浄土和讃がありました。
まずは、増谷文雄氏の現代語訳。


    ひとつひとつの花ごとに
    数えもしれぬ光明を
    四方(よも)にはなちて輝けば
    照らさぬくまはなしという


次に、親鸞のその和讃原文

    ひとつひとつのはなのなかよりは
    三十六百千億の
    光明てらしてほがらかに
    いたらぬところはさらになし

つぎにも続きます。
つぎは、まず原文。そして現代語訳。


    ひとつひとつのはなのなかよりは
    三十六百千億の
    仏身もひかりもひとしくて
    相好金山(そうごうこんぜん)のごとくなり


    そのいちいちの光中に
    それぞれ仏のましまして 
    ともに光をはなつとき
    黄金の山にさもにたり         ( p93~94 )
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『歎異抄』の月。

2023-10-01 | 古典
せっかくなので、読んだこともなかった歎異抄を
現代語訳で読む。はい。短いし現代語訳ならスラスラ読めそう。

真継信彦現代語訳の歎異抄をめくっていると、
でてきました『月』。

はい。まずは現代語訳で、その箇所

「 私たちは戒律を守れず、経典を理解する力もない。
  しかし弥陀の願いの船に乗って生死(しょうじ)の苦海をわたり、

  報土の岸につけば煩悩の黒雲はすみやかに晴れ、
  法性(ほっしょう)のさとりの月がたちまちあらわれて、

 十方を照らしつくす無礙(むげ)の光明と一つになり、
 一切の衆生を利益(りやく)できるようになる。
 そうなってこそさとりと言えよう。   」
  ( p24 「親鸞全集5 真継伸彦現代語訳」法蔵館・昭和57年)


はい。現代語訳でやっと読んだ『歎異抄』。
それではこの引用した箇所の原文はどうなっているのか。
岩波文庫をひらいてみることに

「 いかにいはんや、戒行慧解(かいぎょうえげ)ともになしといへども、
  弥陀の願船に乗じて生死の苦海をわたり、
  
  報土のきしにつきぬるものならば、煩悩の黒雲はやくはれ、
  法性(ほつしやう)の覚月(かくげつ)すみやかにあらはれて、

  尽(じん)十方の無礙(むげ)の光明に一味にして、
  一切の衆生を利益せんときにこそ、さとりにてはさふらへ。 」

       ( p75 「歎異抄」金子大栄校注・ワイド版岩波文庫  )

  
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