和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

天皇陛下 大いに笑う。

2008-07-29 | Weblog
定期購読している「WiLL」の9月号が、ポストに届いておりました。
連絡紙が封筒に入っておりました。それによると一部地域で「発売日に本が届かない」というご指摘があった、そのお詫びの連絡。
そこには「創刊以来3年半・・月刊誌としては『文藝春秋』に次ぐ売れ行きで・・」「5月号から8月号と3号にわたる西尾幹二さんの『皇太子さまへのご忠言』は予想を上回る大反響。6月号は光市母子殺人事件の本村洋さんの独占手記を掲載し、完売、増刷致しました」とあります。

さっそくこの雑誌をパラパラとめくっていたら、
最後の方に連載している「ある編集者のオデッセイ 文藝春秋とともに」が、今回は「『非常識人』・池島信平さんの死」というので、普段は読まなくても興味深いので読んでみました。そこにこんな箇所があります。

「『いいか堤、日本のインテリたる者は、天皇制についてトコトン考え抜いて置かなきゃいかんよ』。池島伝説の一つに、『文藝春秋』誌を大きく飛躍させた企画『天皇陛下 大いに笑う』がある。昭和24年の春、菊地寛の一周忌に縁(ゆかり)の人を集め、バスを仕立てて多摩墓地へ出かけた。画家の宮田重雄が言った。『こないだ、ハッちゃん(サトウ・ハチロー)と夢声(徳川)老と辰野(隆)大博士が、天皇さんの前でバカ話をして、陛下は生れて初めてお笑いになったそうだ』振り返った池島さんが、『それ、いきましょう! 頂きです』早速、三人に願って鼎談を掲載した。当時は天皇退位論、さらには戦争責任論が論壇を賑わしている。その最中に『天皇陛下 大いに笑う』の見出しだ。この逆ばりを機に、雑誌は八万部だった部数を毎年十万部ずつ伸ばし、四十万部に達した。池島さんの親友に『週刊朝日』編集長・扇谷正造がいる。・・扇谷さんも辰野隆から御前放談のことは聞いていた。しかし『いまどき天皇のことなんか』と気にも止めなかった。朝日社内に瀰漫する天皇批判の空気に絡め取られていたのだろう。・・・」(p283)

とあります。これがすこぶる興味深いわけです。
そのころの『文藝春秋』のバトンを、いま『WiLL』が受け継いで走っているように私には見える。


ちょうど、この雑誌に渡部昇一氏も書いており、同様の箇所を指摘しております。

「ついでながらつけ加えておけば、戦後しばらくの間、日本人は本当に皇室の行方を心配していました。共産党は皇室廃止論です。後に最高裁長官になり文化勲章を受けた横田喜三郎東大法学部教授も、『皇室と民主主義は合わない』という主旨の著述をしていたのです。そんな時に『文藝春秋』は『天皇陛下 大いに笑う』という座談会を載せました。この昭和天皇のお姿を知って、当時の日本人はどんなに明るい気分になったことか。これ以後、『文藝春秋』は毎月十万部ずつ発行部数を増やし、国民雑誌になりました。」(p72)

これから、WiLLの発行部数が増えてゆくかどうか?
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