和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「私の不徳の致すところ」

2018-02-05 | 前書・後書。
雑誌「WILL」3月号に、石平氏の文があり、
気になっておりました。
産経新聞2月4日(日曜日)の書評欄に、
喜多由浩(文化部編集委員)の評による、
石平氏の新刊の紹介が、あったのでした。

PHP新書新刊の石平著
「なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか」。

はい。気になったので注文。
それが届き。
とりあえず(笑)。
序章を見る。

「日本人が中華文明から多くのことを学んでいた
古代の段階からすでに、中華思想の世界観から
いかに脱出するかをもっとも重要な政治的および
思想的課題として捉えていたことは、特筆すべきことである。
日本人はそのために国を挙げて、多大な努力を払ってきたのである。
日本の思想史はまさにここから出発し、
独自の道を歩んで、今日に至るのである。」(p29)


序章で分かりやすい例が
あげてありましたので、そこを引用。

「少なくとも建前上においては、
天下を支配するのは『徳のある者』でなければならないから、
皇帝たちはさまざまな形で自分が『徳のある皇帝』、
すなわち『聖君』であることを証明してみせなければならないし、
そのためにさまざなま『善政』を行わなけらばならない。
 ・・・・・
王朝がたいへんな失敗によって国家と民衆に
災難をもたらした場合、自分の『不徳』を天下万民に
謝る皇帝もいる。皇帝が自分の『不徳』を謝るというのはやはり、
皇帝は『徳のある者』でなければならない
という前提があってのことであろう。

ちなみに、今の日本でも、組織のトップや
社会的地位の高い人がときどき、
『私の不徳の致すところ』と言って謝ることがあるが、
実は、これは昔の中国流の『徳治主義』の名残りである。
平社員や普通のサラリーマンが失敗をしても、
『私の不徳の致すところ』とは言わない。
それを言うのは、組織のトップや社会的地位のある人の
『特権』である。なぜなら、それは昔の中国で、
皇帝にだけ許された台詞だったからである。」
(p22~23)


「まえがき」に、惹かれました。

「私が日本思想史に初めて触れたのは、
今から二十数年前、神戸大学大学院の博士課程で
学んだ留学生時代のことだったが、
関連の書物を何冊も読んでいるうちに、
不可解なことに突き当たったのである。
それは、江戸期以前の時代では、
日本の代表的な思想家はほとんど
仏教の世界の人間であるのに対して、
江戸期に入ってからの代表的な思想家は
ほとんど儒学者だったことであった。

歴史的には、儒教と仏教は六世紀頃、
ほぼ同時に日本に伝わってきたはずである。
だが、儒教と仏教では、明らかに受容の仕方が
まったく違っていた。
 ・・・・
これは、なぜなのか。このことは、
中国からやってきた私の目には、
いかにも『奇妙な現象』として映った。」
(p3~4)

当ブログの怠惰の致すところ、
いまだ本文を読んではおりません(笑)。
コメント
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