うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

二つの祖国

2018年11月29日 | 本と雑誌

二つの祖国(一)~(四) 山崎豊子 新潮文庫(Kindle版)

Amazonのログを見ていると、第1巻の注文は7月23日に、第2巻を8月半ばにしている。読み始めたのも夏の暑いときだった。父の入院のとき、夜中にすることがないのでこれを読んでいた。まもなく読書どころではなくなり中断、その後も長く再開できずにいた。

長い小説だが、そんな事情のせいで余計に長く感じる。冒頭の日系アメリカ人社会の描写から、第二次世界大戦と天羽兄弟の関わりのくだりと、戦後日本を舞台に繰り広げられる、極東軍事裁判の描写は、二つの独立した小説として分けてもよいように思える。

読みやすい文体だが、これが初めての山崎作品ということもあり、最初の頃は、文章のリズム感をつかむのに時間がかかった。読後時間がたっているせいで、どうしても後半の東京裁判の部分の印象が強い。東郷茂徳外相と東条英機首相の描写は印象に残る。ただ、東郷外相はちょっと筆が足りないというか、刺激的に盛り上がった展開のあとを受ける部分が軽すぎて、突き放されたような印象を受けた。このあたり、裁判の描写と、主人公たちの描写が交互に展開するので、単なるドキュメンタリーよりもずっと面白く読めた。

昔の大河ドラマ「山河燃ゆ」の原作に相当する。非常に熱心に見ていたわけではないが、松本幸四郎さんの演ずる天羽賢治は強く印象に残っている。

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12月号

2018年11月26日 | カメラ、写真

本屋に寄って、本当は別のものを買おうと思っていたのだが、なんとなく手にしたカメラ雑誌をレジに持って行ってしまった。

カメラ雑誌というとさいきんは年末のカレンダーが欲しくて、DCM(デジタルカメラマガジン)を買うぐらいで、日本カメラとかもう7-8年は買ってないかな。。

旧宅にいたころはカメラ雑誌も結構ストックしてあったが、転居を機会にムック本を除いてほぼすべて処分してしまった。わずかに残ったのが、オリンパスOMシリーズ終了のときの特集(アサヒカメラ2002年2,3月号)と、上の写真右側にある、日本カメラ2000年12月号、これは最初に買ったカメラ雑誌だ。

20年ほど前にいっとき、カメラでも買うかと量販店を見に行ったことがあったが、その後まもなく家を買うことになり贅沢禁止に。2000年末頃は仕事が大変でひいひい言っていた。

のだが、たぶんふと何かのきっかけー昼休みにDPE頼みに行った写真屋で、フジのデジカメのパンフレットをもらってきたーで、そういえばさいきんのカメラはどうなってるのかな、と興味を持つようになった。とりあえずということで、雑誌を買ってきたのだと思う。

そういえば、何の機会か忘れたが、当時の上司(直属ではないが「支配人」という肩書のスイス人)と備品の整理をしていたら、古い一眼レフ(キヤノンEOS Kiss)が出てきた。お前にやるよ、と言ってくれたが、とっさの判断で遠慮していいっすよ、と言った。そしたら案の定といったらあれだけど、支配人氏、自分で持って帰っていった。。その少し前に会社でカメラが必要だといって、てニコンのF50だかを買ったばかりだったのだが。あのとき、EOSをもらっていたら、今でもキヤノンの一眼を愛用していたかもしれないな。。

話は戻るが、そのころはEOSがどうのというのは全然知識がなかった。ので、この号の特集「カメラ選び2000」は興味深く読んだ。。

のだが、この特集、各機種のスペックとか特徴の説明がなくて、選者のコメントぐらいしか書かれていない。基本マニア向けの解説なので「そうか、このクラスでは秀逸、なのかこれは」ということぐらいしかわからなかった。

 

そんなことを思い出しながら、2018年12月号を買ってみた。

やっていることは(市販のカメラのなかでどれが一番かを選考する)変わっていない。たぶんこういうのは、メーカーのお金がうごく性質のものなので、雑誌としてもやらないといけないんでしょうね。。昔は上級一眼レフ、中堅、初心者向け、などとクラス分けしていたが、今は無差別級というか、どう読んだら良いのかよくわからないです・。

もうひとつ気がついたのは、さいきんのカメラ機種、どこが何を出しているのか、すっかりわからなくなりました。ニコンも最近はだめだし、ソニーと富士は全く知りません。。ペンタキシアンになってから、もう完全に唯我独尊になってしまったので。。Qシリーズももう買うものないし、新型が出る心配もないので、らくだわぁ・。

冒頭の浅井慎平氏、中井精也氏の写真もいいけど、後半のコンテスト写真、特に若い人の写真が面白かったです。意外と年配の方の写真も面白い。自分じゃ写真を人に見てもらうなんて(ブログにのっけるとかいうのは別)まるっきり思いもよらないけど(いちおう本業は絵描きのつもりでいるので)、写真じゃないとできない表現もあるし、いいよな。。みんなごく普通のカメラで撮っているのも、カッコいいです。

 

 

 

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気おくれ

2018年11月24日 | 日記・エッセイ・コラム

今年最後の3連休とのことだが、体を休めつつ、少し家のことをしながら週明けに備える。

前からその傾向はあるが、チャンスがあっても、なんとなく体が身構えてしまって、羽根を伸ばして休めない。

今年は特にいろいろあったから。。

なんとなく森進一「襟裳岬」の歌詞みたいですね。身構えながら生きるなんて臆病なんだね・、という。

襟裳岬、一度行ってみたいですね。。何もない春。

まあ、言ってみるだけのことかもしれませんが。

今年は色々あったとはいえ、必ずしも悪いことばかりではないとは思っていますが、そのとき、その時で刺激的な時間を経ないといけませんから、なかなか大変なことは確かです。

だから、心を十分に遊ばせることができないのも、仕方ないのかもしれません。。

旅に出たいとぼんやりと思いはするが、いざとなると面倒くさいと思うかもしれなくて・。

少し落ち着いたらスマホを新しくしようと思いながら、設定とか考えるとどうも気おくれが。。

まあ、スマホは普通に使えれば別に変えなくてもいいんですけど。

しかし、外から動かされるよりも、自分から倖せをつかみに行った方が良いに決まってますから。

なんとかこちらのペースに持ち込めるよう、頑張りたいと思います。

 

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かいもの

2018年11月23日 | 音楽

木曜日は仕事でけっこうしんどい思いをして・・。まあこちらにも落ち度があるとは思うのですが、久しぶりにけっこう来ました。

とりあえずオフィスを出て気持ちを切り替え、なんとなく新宿へ。

紀伊国屋の8階に移ったディスクユニオン、行くのはこれが3度目です。ここ、前の店(カワセビル)も8階で、エレベーターを待つのに時間がかかりましたが、紀伊国屋のエレベーターも結構待たされるし、お客のわりに定員が少ないのがちょっとストレスです。。と思っていたら、壁の張り紙に「エレベーターホールで割り込みをしようとしたお客に、注意した従業員が殴られる事件が起きました。次にそんなことがあったら、その人の入店を禁止します」とある。。なんと世知辛い世の中。。

それはともかく、今の店はきれいにはなったんだけど、まだどうも落ち着かないというか、探しにくい感じはあるんだよね。。

今回はポリーニの前奏曲新盤、を探したがないので、ベートーヴェンの初期ピアノソナタにしました。ポリーニ(のピアノソナタ)はこれで7枚(特典盤を除く)。本当はバラで買うより全集(8CD,今回見かけた中古盤は4,800円。新譜でも6千円ぐらい)を買ったほうがずっと安いのですが、まあダブるのもなんだし。ただ、残り9曲をバラで見つけられるのか、いったい自分が何を持っていないのか不明。

レジのおじさんはネイティブの関西弁ペラペラの人で、「はい、本日ポリーニ2枚で1,600円です・・」と陽気に接客してくれる。この辺が実店舗の良さね。。この方、まえの店でもレジしてもらったことがあって、確かその時も「本日ポリーニ2枚で・・」と言ってくれた記憶がある。そもそもなんでこんなにポリーニばっかり買っているのだろうか。。

さて、ショパンがなかったので、新宿3丁目からルミネに向かう。タワーレコードも久しぶり(たぶん1月以来)だ。目的の前奏曲は首尾よく見つかる。というわけで、買い物終了。

今日はいろいろあったし、ちょっと気分転換の意味で昔住んでいた街に寄ってみる。

なじみの店、よく頼んでいた料理。半年かそれ以上ぶり。

昔の住まい付近も歩いてみるが、もうそんなことしても戻れないことはわかっているし、その場所に実存的にいても感傷を感じるわけでもない。あの家は今ここにはないが、自分の心の中にあるので、どこにいるかは関係ないのだ。

今週は友人のご家族の葬儀に参列した。その帰り、メロンパンの店があったので買ってみた。

一つ余ったのをしばらく食べずにいたが、家に帰って夜中に食べてしまった(ますますぶたになる)。

湿気ってしまったかと思ったら逆で、カサカサになっていた。

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にっさぁ~ん

2018年11月20日 | 鉄道、車、のりもの

日産のゴーン会長を逮捕へ 毎日新聞30年11月19日 一定期間経過後にはリンクは切れると思います。

そうか、あのごんさんが。。

むかし勤めていた会社の本社会長は、当時のゴーン改革に感銘を受けて、自分たちもあやかりたいといっていた(業種は全く違うのだが)。

その彼が実際にやったのは闇雲なコストカット、というより単なる不払いにちかいもので、自分がその会社を去って数年後には日本から撤退してしまった。

それにしても昔の話だ。今世紀に入ったばかりのころだものなあ。。

大昔の日産の印象は、なんか時流に乗ってカッコいいことをしようとすると妙にえぐいというか、ありていに言えばダサい車を作ってしまうのだが、実用車をふつうに作らせると、とても説得力のあるいいものを作る、というものだった。同じ時期のホンダとかの場合、ファミリー向けの実用車を作ったりすると、どこが悪いとはいえないまでも、なんかぎこちない感じがのこったりしていた。。

さいきんのことはよく知らないが、カーシェアでよく使ったノートなんかは、車内は驚くほど広いしよく走るし、簡潔で使いやすいと、乗るたびに感心していた。展示会でさわったGTーRもZなんかは、別の真面目さですごかったな。。

今ノートのことは褒めましたけど、これは去年知り合った中古屋さんの情報です。昔と違って外車の電装品は日本製の部品を使っているので、信頼性は日本車と変わらなくなってるそうですが、逆に日産車などはさいきんどうも・・らしいです。エルOらOドなんか、電動スライドドアのところがたいていいかかれていて、修理がひつようだとか。彼のみたてでは、補修部品の流通を含めて、トヨタは頭一つ抜けている、とのこと。自分の感想も中古屋さんの感想も、経験からくる部分的な印象にすぎませんが、そういうことって大事ですよね。。

 *11/23一部訂正しました

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夢で

2018年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム

正確には覚えていないが、かれこれ1か月近く風邪気味の状態が続いている。。たしか自転車で出かけたら雨に降られた日ごろからかな。銀行の人からは「いろいろおありでしたので、今頃疲れが出ているのでしょうね。。お大事に・。」と言われたりしているが、そうかなあ・。はっきり自覚があるのは、夏以降太ってしまったこと。

鼻づまり気味で頭の芯に調子の悪いものが入っている感じがして、とりあえず家に帰ったら寝てしまう。外に出てるときはまあ、自然にテンション上がってますけど。

夢の中で、親に会うことが増えた。

昔は家族の夢を見ることなど、それほどなかったような気がするが、最近は見る。

実を言うと、父が亡くなる少し前には、家族の夢の中で父だけいない、という夢を見ることが時々あった。

目が覚めて、夢を思い出しながらあまり良い気がしなかった。

それが、今は夢の中でよく会えるようになった。

まあ、家族に限らず、夢では実に色々な人に会うものではあるが。

以前は夜更かしして、朝も遅くまで寝ていることが多かった。

今でも基本そうなのだが、時折早くに目が覚めてしまうことがある。今朝がそうだった。

直前の夢で親に会っていたこともあり、実家まで散歩に行って庭の落ち葉を掃除してみた。

 

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ベートーヴェン ピアノソナタ作品90

2018年11月17日 | 音楽

バレンボイムのベートーヴェン ピアノソナタ全集。この方、何度か全集を出しているそうだがこれは60年代後半の録音。

このセットを買ったのは昨年転居して間もないころだった記憶があるが、最初の数枚を聞いてしまいこんでいたらしい。ここでも取り上げていなかったようだ。

全体にかっちりとした、良い演奏だと思うけど、第27番作品90は、なんとなく流れが悪いというか、うまくいえないが散漫な印象だな、という第一印象を受けた。何度も聞き返せばまた違う感想になるかもしれない。

ピアノソナタの番号で言うと、一つ前の第26番は「告別」として有名、第28番作品101は昔たしか評論家の宇野功芳氏が著作でエピソードを紹介していたと思うが、ベートーヴェンのよき理解者であったエルトマン男爵夫人ドロテアに献呈された、チャーミングな曲だ。作品90の作曲された1814年ごろはベートーヴェンにとって移行期あるいはスランプ期?であったそうで、曲全体の印象もかなり地味だ。

昔はそんなにはっきりと意識してはいなかったが、ベートーヴェンには秋~冬が良く似合う気がする。もちろんどの季節に聞いてもいいのだが、暮れなずむ空とか、短い日の暮れた後の、人々が帰宅を急ぐ通りとか、曲を聞きながらそんなシーンが思い浮かんでくる。。

手持ちのCDで、作品90を一番素敵に演奏しているのはやはりバックハウスかな、という気がする。毛筆の楷書で書かれた文字のような、多少ごついけど温かみのある感じ。

全集でほかに持っているのはシュナーベルだが、この歴史的録音はどうもほかの印象が頭をよぎってしまって、演奏の良しあしを感じ取ることができない。数枚持っているポリーニのCDの中にもあった。響きの美しい、すてきな演奏だ。ブレンデルの90年代の録音も探したが、作品90は持っていなかった。2枚だけ持っている仲道郁代さんのCDにも収録されていて、意外にといったらいいのか、スケールの大きな演奏に思えた。


一回なおりかけた風邪がまたぶり返したというか、改めてまたひいたかんじで、それが中々なおらん。。昨夜は従弟と飲んだのだけど、全然飲めなかったはずの従弟が飲みにゅけーしょんに目覚めていてびっくりした。ちょっとペースがきつかったわ。。というわけで、今日はちょっと午前中ゆっくりして、仕事いってくる。

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ツリー

2018年11月09日 | まち歩き

このブログではだいたい毎年取り上げているが、例年11月の7~8日ごろになると、街路樹のイルミネーションと、ビルのエントランスホールのツリーが飾りだされる。

昔は物珍しい感じも確かにあったし、今だって見ればきれいだな、と感心はするのだが、さすがに毎年見ているとなんというか、息苦しい感じがしないではない。

ふつうにモミの木が立っていればいいのだが、光の装飾やらなにやらが加わると、それも毎年となると、どうしても前より派手なもの、というエスカレーションが始まってしまい、それが微妙に気疲れを招くのだ。

などと、のっけから愚痴になってしまった。いや、今年もけっこういいんじゃないっすかね。

よくわからないが、ことしはユーミンの局がバックに流れている。聞いたのは「恋人がサンタクロース」でした。

街路樹のイルミですが、前回10月31日に点灯開始したと書きましたが、あれはテストか何かだったようです。

今年は昨日8日から始まりました。

あと、仲通りに飾られていたオブジェが入れ替えになりました。毎日脇を通っていたトラと、小熊のオブジェが、一つはニワトリ、もう一つは何だったかな、変わりました。

写真中央にたぶん同年輩ぐらいのおばさまがおられるのですが、この方、最前列で写真を撮るでもなく、熱心に見ておられました。シルエットが写ってしまって申し訳ないのですが、これも何かの縁ですかね。この後もずっと写りこんでいます。

見物客はそれほど多くはありませんでした。昨日はイベントか何かで、ひとだかりがしていましたが。

キリスト教に喪中はないのでしょうけど、しきたりはともかくちょっとこのギラギラはちょっとあれです。

ここでは時々話題にしているドラマ「ザ・ホワイトハウス」の大統領秘書、ランディングハムさんは、双子の息子をクリスマスの日にベトナム(戦争)で失っています。なので、賑やかな装飾を見て気持ちが沈む、と言っていました。たしかに、色々な事情で世間のにぎやかさについていけない時期ってありますよね。。

あ、こりゃ90度回転させるべきか。まあいいか。

きのうだったか、ニュースでやっていたけど、クリスマスを題材にした曲(邦楽)って、30年-40年ぐらい前のものが目立つそうで。ロッジで待つクリスマスとか、山下達郎とか。今の音楽事情はしらないのであれですが。

今週はどうも朝起きるのがしんどくて弱りました。一回治った風邪が、ぐずぐずと残ったというか、また入ってきた感じがあります。

まあ、具合が悪いといえるほどでもないのですが。

さいきん困っているのが太りすぎたことです。3年前に食事制限してやせたけど、ここのところそんなこと気にしていられなかったので。

四六時中気になるので、そういうものは解決すべきですね。

すこし運動するか何かしましょう。歩くぐらいしかできませんけど。

どうも愚痴っぽいはなしばかりで恐縮です。

それでは。

 

 

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期限

2018年11月08日 | 日記・エッセイ・コラム

いつもはほとんど読むことのないメールマガジンだが、タイトルに「MG6230をお持ちのお客様へ」と、うちのプリンタの名前が書かれたメールがあって、思わず開いてみた。

キヤノンのキャンペーンで、まもなく修理対象期間が終了する機種を持った人に、新機種を特別価格で提供します、というもの。うちの機種がタイトルに出たのは、同社のサイトに所有機種情報を登録したことから来ていると思われる。MG6230は、来年3月で修理対象期間が終了するそうだ。

このプリンタがそんなに古い機種だとは思いつかなかった。。たしかにずっと使っているが、ついこないだ買ったような気もする。無線LANだし、スキャンしてPDFもつくれるし。。

買ったときの記事を読むと、前の機種も8年間使っていたようだ。プリンタも昔と違ってそうそう買い替えるものでもなくなっていると思うが、修理対応の期間はもうすこし長くしてもいいんじゃないかな。なんかメーカーの姿勢がエコじゃないように思えるし、持ち主としてはそれなりに愛着持っているんだし。

 

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犬系金融機関

2018年11月05日 | 動物 いきもの

地下鉄の中でぼんやりしていたら、なんとなくゴールデンレトリーバー証券という名前が思い浮かんだ。略称はやはりGRか。同時に浮かんできたのはサモエド銀行、こっちのほうがなんとなくリアル感があるな。The Bank of Samoyed 、キャッチフレーズはいつも笑顔でお取引というのはどうでしょう。

大好きなシェルティも銀行化したいけど、バンク・オブ・シェットランドでは単なる地名で犬じゃないし、バンク・オブ・シェットランド・シープドッグでは様にならない。コリー銀行、セント・バーナード証券、ウェルシュ・コーギー・トラスト アンド バンキング・コーポ―レーションはいいかな。コーギーはオリジナルのペンブロークと、のれん分けしたカーディガンがあって。。

日本犬を金融機関化したいが難しい。秋田銀行、もうあるって。柴信用金庫。たぶんちょっとちがう。土佐銀行はたぶんないかな。そもそも日本の銀行はそんなお遊びの先を行っていて、ローソン銀行なんかおにぎり支店とかおもち支店なんていうのがある。イオン銀行はジュエリー、住信SBIは果物系、楽天銀行は音楽系の言葉が支店名になっている。ジャパンネット銀行は鳥の名前なのだが、セキセイインコとかワカケホンセイインコなどというのはなくて、フクロウ、スズメ、ペンギン等、選べるものは少ないのが残念。キンカチョウ支店なんて、お金がたまりそうな気がするんだけどね。。

 

 

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村上春樹 河合隼雄に会いに行く

2018年11月03日 | 本と雑誌

新潮文庫1999年 

読むのは今回が初めてではなく再読だが、読了するまでにかなり時間がかかった。引っかかるところが多いのだ。

河合隼雄氏は臨床心理学者で、村上氏の作品にも造詣が深かった方だ。

対談が行われたのは1995年の秋だという。この年、1月に阪神淡路大震災、3月には地下鉄サリン事件が起こり、日本中が騒然となった。夏にはフランスが核実験を行い世界の非難を浴びた。八王子のスーパーでアルバイト店員が殺された事件はたしか、今でも解決していないはずだ。11月にはウィンドウズ95が国内発売になる。バブル経済は崩壊していたが、まだ日本経済は相対的に突出していたし、イスラム過激派も台頭はしていなかった。

村上氏は「ねじまき鳥クロニクル」を完結した直後であったという。

そういえば、今目の前でプロコフィエフのチェロ協奏曲を奏でているオンキョーの3ウェイスピーカーは、この年に買ったものだ。

本を読んでいると、村上氏と河合氏の会話にはそういう時代性がかなり入り込んでいる。あの頃のことを知らない、若い人にはもしかしたら伝わらない部分があるかもしれない。村上氏は、ここでも述べているし後にもどこかで触れていたが、この年の災害や事件がきっかけとなって、日本が大きく変わるかもしれないと考えていた。それ、今考えるとどうだろう。今我々が抱えている傷は、先の東北の大震災と原発事故だ。この国は外から何かの力が働かない限り変わらないというが、自分たちが社会とかかわってきた平成という時代、社会は進歩したのだろうか。。

というのは完全な脱線であって、本書の内容とは関係がないのだけど(それに近い話は出てくるが)、そんな風に考え込んでしまうので、なかなか読み進めることができないのだ。

最初に日本と西欧の「個人」としての存在についての違いが取り上げられている。村上氏は日本にいるころは社会や組織から逃れて一人になりたい、と強く思い、そのための努力を重ねてきた。ところがアメリカに住むようになると、初めから個人で生きることが前提の社会なので、そのような努力そのものが意味をなさなくなったという。

僕が村上氏の作品に興味を持つようになったのは、自分もどこかでそうした「個人へ希求」を意識していたからではないかと思う。面白いのは、アジアの読者はおしなべて村上作品のこうした面に関心を示しているという記述だ。これは我々アジアの社会が、多かれ少なかれ西欧文化の「個」の概念とは異なる、共通した社会観を持っていることを示しているように思える。

自分の話を続ければ、そうした「個」でありたいという希望を強く持ち、いわゆるウェスタナイズされた社会で活躍することを志向してきたにも関わらず、そうした組織での生活は必ずしも安定はしていなかった。今では仲間内のしがらみが余計きついアジア系の組織に属し、窒息する思いをしながらも生き永らえ、それまでの自分の生き方が浅薄だったのではないかと自信を失っている。のみならず最近では地元に回帰し、地域に根差す生き方を模索しようとすらしている、というか、自然とそういう方向に行っている。

自分の場合、強く願ったり、強い関心を示したものとは必ず縁がなくなる。当たり障りのないところでは、自動車が好きだったのに20年以上自分の車を持つ環境になかった。「強く願えば何でもかなう」といったのはピーター・パンだ、というセリフが映画「マイケル・コリンズ」に出てきたが、まさにその逆だ。

脱線しすぎた。ただまあ、この本自体がそういった、心の奥をのぞいて癒すという、河合隼雄先生的な世界の話なので、必ずしもずれた話というわけではないのかもしれない。

もう一度本の内容に話を戻すと、最後のほうで触れている、人間の持つ暴力的なものに対する取り扱いの話、これにも興味を惹かれる。暴力性というのも人間の持つ一つの属性であり、西欧ではそれを論理化して肯定した(フェアな戦争なら位というように。あるいはスポーツのように)。日本では先の大戦の経験もあり、また論理万能ではない社会ということもあり、こうした位置づけがきちんとできない。戦後はものすごく急進的な暴力否定をして、チャンバラまで禁止するということをした。その結果、抑えらえたものがどこかで噴出するとめちゃくちゃになってしまう。

「ねじまき鳥」に出てくる、酷い暴力の描写は、村上氏によると必然的に出てきたものだという。それは人間の持っている、根源的な何かなのだ。

この問題は、本書でも語りつくされているとは思えないし、今でも解決していない。本書前半部分で、アメリカではなんでも論理化しようとしておかしなことになるが、日本ではそこを「洗練されたずるさ」ですり抜けることができるという。矛盾があってもバランスを取りながらうまくやっていけると。アメリカは白黒つけるのが好き、日本はその場を上手に、とうことだろうが、それなのになぜ極端な軍事国家、極端な戦争否定になったりするのか。

ううむ。きょうはどうも話がまとまらない。。

 

 

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はやばや

2018年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム

写真は10月31日夜です。この日からイルミネーションが点灯し始めました。

このまま来年の2月中旬ぐらいまでこの姿です。

まだ10月なのに早いなあ、と思いもしましたが、今日から11月、たしかに時間は冷酷に過ぎているのでした。

昔は物珍しくてよく写真を撮っていたけど、さいきんは。。

そういえばもうお忘れでしょうけど、フィルムカメラの時代、素人はあまり夜景を撮りませんでしたね。

この日は昼に皇室カレンダーも買ってきました。平成最後のカレンダーですね。大判のものと卓上のものを買いました。

上のインコカレンダーも確保。

システム手帳のリフィル(ダイアリー)も見たが、毎年買っているPTMのものは扱いを止めたのか、見当たらなかった。去年あまりの値上がりに閉口して、来年は止めようかなどと思っていたが、さてどうするかな。

夜、イオンに寄ったら、もうハロウィン関係の展示を片づけて、お菓子なんかはクリスマス意匠のものが置かれていた。はやいなあ。。

ハロウィンの飾りつけがあるステージ脇にいた、マネキンの小さな女の子もいなくなっていた。ごくふつうのマネキンなんだけど、どうもかつらの具合が気になったり、ぽつんといる姿に妙に哀愁を感じたりして、変に気になってたんですけど。


今日はまた色々と忙しくあちこち出歩き(まああっちとこっちとここぐらいか)、その間色々なニュースが入ってきて日が暮れて・・。

という感じですな。

 

 

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