うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

19

2020年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

新しいオフィスは19階にある。前は12階だった。

いろんなオフィスで仕事してきたが、だいたい2階から6階ぐらいにいたことが多い。

一番低いのは地下1階で、ここは窓がなかった。仕事をする分にはあんがいそれでも違和感なかった。
地下にオフィスがあることって、あんがいあるもので、前職のオフィス近くでも見かけた。地下に駐車場があって、通路があるのだが、その一角になにかの会社があった。今だと換気とかどうなのか気になるかもしれない。

19階にオフィスがあるのはこれが初めてではない。何回かあった気がする。
そう思って古い写真とか探したら、ひとつは19階、もう一つは20階だったらしい。真下に地下鉄の駅(大江戸線)があったが、2次元の移動距離は0なのに、エレベーターで地下1階に降りて、改札からホームにたどり着くまでたっぷり5分以上かかる。夜11時過ぎになると電車が15分おきとかになるので、時間に気を付けないと乗り損ねる恐れがあった。むかしのことだから、エレベータも遅かったのかな。

レストランに来ているわけではないので、オフィスで窓からの眺めを気にしている暇はないのだが、休憩中ちらちらと外を見るのは面白い。今回のオフィスは道路(首都高)がずーっと先のほうまで見える。車がゆっくり(遠くからはそう見える)動いているのを見ていると、飽きないでみていられる。

みてないですけど。


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消えたヤルタ密約緊急電

2020年10月25日 | 本と雑誌
岡部伸 新潮選書 2012

これは太平洋戦争末期、軍首脳がソ連参戦の情報を入手しながら、それを握りつぶした、ということがテーマだが、本書刊行の頃、NHKでも同じような内容の特集を組んでいて、それをこのブログでも取り上げている。


NHKのほうはこちら


手元に番組のビデオがないので、本書との関連はわからないが、本書も番組も英国公文書館で未発見資料を入手したとしている。

番組の話はこの辺で失礼して、本書ではさらに、陸軍情報士官・小野寺信の生涯を追いながら、終戦当時の事情に迫ることを試みている。
本書は第22回山本七平賞を受賞した。

著者は産経新聞の編集委員(2014年当時)とのことだが、本書の構成も学者さんの書いた論文的なものとは異なり、読み物的に楽しめる半面、ちょっとジャーナリズム的な臭さも感じないではない。とはいえ、取材は非常に周到に行われていることが伺われる。小野寺信氏がご家族の取材に答えた録音テープ(1978年録音)の引用はとても貴重で面白い。

敗戦直前の日本陸軍首脳部、政府首脳部が奇妙に思えるほどソ連に傾いていたこと、への言及は非常に印象深い。木戸内大臣や迫水内閣書記官長も、かなりソ連に期待をしていたようだし、哲学者西田幾多郎も、政府首脳を前に、アメリカ資本主義よりはソ連共産主義的なやり方が、将来の主流になるだろうと言及していたそうだ。ドイツ(帝国)のやり方もソ連と大差ないと。

ソビエトの宗教に対する寛容さを想えば、皇室と共産主義も共存できる、という見方すらあったという。言われてみれば、英米を鬼畜として戦うなら、中立条約を結んでいたソ連にはそれなりの評価が出てくるのも無理もない気がしてくる。

こんにちの自分たちには見えなくなっているが、戦前から戦後しばらくの間、共産主義にはそれなりの肯定的な評価もあったのだろう。50年代に入ってアメリカが疫病のごとく共産主義を嫌うようになるのは、それだけ共産主義思想に力があったからであり、以後40年間かけて対立し続けていた。
確かに今見るとあれは圧政そのものだったが、初期にはそれなりの求心力もあったのだろう。

変な余談だが、平成の30年間はソ連と共産主義の崩壊した、緊張感の抜けた30年(その間にアメリカはアラブを敵に回したが、それはともかく)であったわけで、ほかの人はともかく僕などは、そういう東西対立の緊張感をすっかり忘れてしまった。
いまの若い人ははじめから知らない。大人たちもあまり話題にしない。
だから、もっと昔の世界の雰囲気は、僕らもわからない。

握りつぶしたのは軍参謀本部だが、こういう都合の悪いことは見なかったことにするというのは、今日の日本でも引き継がれている悪癖で、なかなかならないもののようだ。人と人のつながり方が悪いんでしょうかね。。

もう一つ印象深いのは、当時の国際情勢というか、西欧社会の世界観のようなもの。英国と欧州主要国、新興のアメリカ、ソ連が圧倒的な力を持ち、小国であるポーランド(二次大戦前)、ラトビア(同)などは今よりもずっと発言力が小さかった。ましてや東洋の非白人国である日本など、表面的にはともかく、激しい利害の対立する外交、諜報戦の場では、今では考えられないぐらい低い扱われ方をしていたことだろう。
小野寺信はそうした中、欧州小国のインテリジェンスとの交流を深め、高い信頼を得ていく。ヤルタ密約の情報をもたらしたのも、ポーランドのインテリジェンスだった(当時ポーランドは連合国側)。

角度は多少異なるが、当時の日本軍首脳や政府の間には、枢軸国であるドイツに不信感が強かった(という岡部氏の見解)というのも面白い。ヒトラーやドイツ帝国に心酔してしまったような軍人、外交官等もる一方で、政府、軍首脳部は比較的冷静だったようだ。
史実ではドイツは英米、ソ連双方に同時に敗戦しているが、どちらか一方、特に英米と停戦する可能性もあったわけだ。相互不可侵といいながら突然ソ連侵攻を始めた前科がドイツにはあった。

終戦工作にスウェーデン王室、英国王室が日本皇室に働きかけるという提案もあったらしい。実現はしなかったが、それだけ戦争を終結させるというのは難しいということなのだろう。

というわけで、ちょっと感想のまとまり悪いですが興味深い本でありました。
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オフィスの移転

2020年10月23日 | 日記・エッセイ・コラム

今日23日がこれまで働いてきたオフィスの最終日。月曜からは新しいオフィスに移転する。

移転の発表があったのがたしか6月ぐらいかな。

移転プロジェクトの委員となって・・、別にたいした仕事はしなかったけど、さいしょのころは随分先の話だよなあなんて、会議で話していたものだが・・とうとう来ちゃいましたねこの日が。。

僕はあしかけ10か月くらいここに通ったことになるが、まあ色々ありましたね。さいしょは通勤ルートにも慣れなくて、オフィスのエレベーターに長蛇の列ができていることにびっくりしたり、(1月だったから)外が寒くて、昼休みにオフィスを出て食事になかなか行けなかったり。

そのうち緊急事態で在宅勤務が始まって。。
写真の地下レストラン街も一時期は全滅で、コンビニすら閉店休業していた。
前に書いたと思うが、この街界隈は昔、別の会社に勤務していたころにも通っていた。街の様子は変わってないところもあれば、面影のないところもある。

昔は昼休みになると、昼めし食いに周りをあちこち歩いていたんだよね。今思うとかなり遠くまで歩いていた。

もうなくなってしまったが、50年代の渋いジャズの流れるとんかつ屋とか、好きで良く行っていた。あなご丼のおいしい店ってのもあったな。あと、和食の定食が食べられる店。夜はパブかなにかになる店で、家族総出でお店やっているところもよく行っていた。

今はそういう食べ歩きをぜんぜんしなくなってしまった。
この界隈に限らず、前職の頃もある時期からスタバに毎日入り浸って、ずっとおなじようなものを食べていた。
本読みたいとか、外から帰ると仕事モードに切り替えるのが大変とか、なんか心境の変化があったようだ。

20年くらい前にいた会社がかなりブラックなところで、ベテランの人が辞めて人を入れたことがあった。

何人か面接をして、一人の方に1月から働いてもらうことになった。

僕と同じ業界の出身の人で、僕より5つぐらい年が上だったかな。
履歴書の写真は少し若い頃のものだったけど、お会いしてもちょっと可愛い感じの方で。。
たしか郊外の実家にご両親と住んでおられた。夜はよく近所のジムに通っている、と話していた。

入社初日、緊張している様子だったので、部下の子(離れた部屋にいる男性を除き、全員女性だった。直属の上司も女性だった。苦労が多かったな色々・)に「経費申請していいから、一緒にどこかお昼につれてってあげて」と小声で伝えた。

しかし「いや、わたしはいいです・そういうことは上司であるうさぎさんがやってくださいよ!」と言われてしまう。

仕方がないので、何故かはにかみながら「あの・・・よかったらお昼、ご一緒しませんか」と誘ってみた。

周りから声にならない声で「うふふwww」というのが伝わってきたのを覚えている。。

これ、今思うとけっこう苦い話で。。
というのも、何しろブラック企業なので、なにかと理不尽な仕事とか、ひどい超過勤務とかが横行していた。
きちんとしたご家庭に育ちしっかりした会社に勤めていた彼女には、かなり期待を裏切る待遇になってしまったのだ。

ほんとうはちょっとおちゃらけたところのある、可愛い人なんだけど、直属の上司であった僕には結構怒りをぶつけていた。僕も中間管理職だったので、どうしようもなかったのだ。。

結局、僕も3月にはそこを辞めることになる。

最後まで僕のこと怒っていたようけど、あれは送別会だったかな、さいしょ来ないようなこと言ってたのに来てくれた。
そのときの、赤いベレー帽を被った姿が、ちょっと素敵だな、と思った。。

僕は辞めるので管理はしなかったが、そのときには僕の上司に辞表を出してたと、最後の頃聞いた。
なんでそんなこと思い出したかな。

まあ、それを想えば、今はしあわせだな・。
とにかくまあ、時間のたつのははやいねえ。。

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いろいろいろいろあるぞ

2020年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 今月初めから所有の貸マンションに新しい方が入居されたのだが、先週管理会社の人から、階下の人が(上の人の入居後)水が漏れてきた、と連絡が入った。とりあえず検分してもらうため、居住される方に協力お願いするよう手配。
数日後、すいません、水漏れした部屋の上はおたくじゃなくて隣の部屋でした、という電話が来る。。
この管理会社の人、今月着任した新人だが、どうも頼りない感じなんだよな。今回は前任のマン管の人に手伝ってもらって対処したらしい。。

 古い友人に久しぶりに連絡取ろうとFacebook開いたら、アカウントが凍結になっている。これは・・、と思い別の知人に連絡したら電話番号を教えてくれた。とりあえずショートメール送ってみたらエラーになる。いよいよ焦って電話すると、着信音するがでない。
・・と思ってたら、向こうから折り返し電話がきた。FBは飽きたのでやめたらしい。電話は僕の番号登録してなくて、とりあえず出なかったのだという。メールがエラーになった理由は不明。
 まあとりあえずよかった。
 ちょっと思っただのだが、向こうは別に連絡取れなくてもかまわないや、とおもってたんだろうなきっと。。

 ビジネス誌に認知症の親をひとり介護した記事を書いておられた方がいて、わりと感動してその方のツイッターをフォローしていた。
記事の印象と違い、ツイートは割と辛口というか、政治的なつぶやきが多いな、とは思っていたが、先日亡くなられた政治家を(かなり口汚く)誹謗するような書き込みを見て、なぜか非常に悲しくなった。

思いついたことをすぐ書けるせいか、ツイッターは非常に剣呑な言論空間になっている。
ふと思ったのだが、よくSFとかで人の心の本音が読めてしまう、という話があるでしょう。ツイッターってそれに近いなって。垣根が低い分本音が漏れてしまう。いやもちろん愉しい書き込みも多いのだけど。
時々ツイッターやめたくなるのだが、ここでしかつながってない人もいるので、できずにいる。

 今週末にオフィスが移転するので、社内が慌ただしい。住所が変わるから名刺も変わり、新しいのが配られた。
さっき管理部からのメールを見たら、印刷所の不手際で間違いが見つかったから全部回収しますと。。お疲れ様です。

 イヤホンのポーチをなくしてしまった。ポーチだけ買うわけにはいかないし、なんかぴえん。
スプーンがいつのまにかひとつなくなってしまった。ヨーグルト食べたときに、殻ごと捨てたのかもしれないと、ゴミ袋をあさってみたがみつからなかった。
ぴえん。
 
 こないだ運転中にふとみたら、スピードメーターがとまっていた。一緒にオドメーターも動いていなかった気がする。なぜか自然治癒しているが、見てもらったほうがいいかな。。

 今年もカレンダーを調達する時期になった。毎年いまごろ買っている皇室カレンダー、以前は昼休みにちょっと出かけて買えたのだが、今はそうもいかない。のだが、今日はお天気もいいので何とかならないかと乗り換え案内をにらみ、勇躍電車に飛び乗った。乗る前にコンビニでおにぎりとサンドイッチと袋を買い(7月以降初めてレジ袋買った)、25分ほどで皇居外苑に到着。今は楠公銅像前の売店、やってないんだね。レストハウスの売店で買えた。昼飯をくうのはむりなので、そのままとんぼ返りして、オフィスの机で3分でくった。

 
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小室等 23区コンサート東京旅行

2020年10月18日 | 音楽

また古い音楽の話になってしまって恐縮です。。

前回Shazamのことを書きましたが、これは検索してアルバム見つけて、アマゾンで注文しました。

たしか、在宅勤務しているときにふと「逆境」という言葉が浮かんできたんですよね。同時に吉田拓郎が曲の合間に「(今のおれは)逆境に耐えて生きていくからな」と言っていた言葉が浮かんできて、たしかあれは小室さんのコンサートでの出来事だった、と連想。

その、小室さんと吉田拓郎さんがデュオで歌った曲というのは「君にで出会ってからというものボクは」で、二人の出会いから今日までにおきた様々な事件を歌っていくというもの。小室等さんの23区コンサートで披露されました。

1978年に行われた(と思われる。CDには録音データが一切記されていない)23区コンサートのことは、僕は吉田拓郎さんの深夜放送を通じて知っていました。小室さん自身のこともそれで知った。

小室さんは吉田拓郎さんと仲が良いらしくて、よくゲストに呼ばれていました。気さくな感じの吉田さんと、ちょっと繊細で芯のある感じの小室さんとの会話がなんか楽しいというか、二人の関係がうらやましいというか、そういう感じで聞いていた。

吉田拓郎さんは飾らない感じの話し方で、なおかつ一定の礼節というか気配りが話し方に伝わる感じで、ラジオでゲストの人たちと楽しく会話しているのが良かったんですよね。。当時思春期で、いろいろ人間関係の面倒くさいことに悩む少年でしたから。。

いちど加藤登紀子さんがゲストのとき、拓郎さんは性関係(と芸術)の話題を持ち出して、加藤さんが「私は今34歳で、それはけっして悪いものではないけど、でもやっぱりそれだけじゃ満足できない(だから音楽などの芸術活動をする)」と答えているのを聞いて、いやあ、すごい大人の会話だなあ、と感心したことがあった。
いまだって自分、なかなかそういう会話できないよな。。

話を戻すと、このアルバム、小室さんの代表曲がほぼ収められている、と同時に、曲の合間にゲストとして出演された方々のコメント(会話)がたくさんはいっていたり、小室さん自身の興味深いMCが入っていたりして、とても中身が濃いものになっている。

僕が知っている小室さんの曲は、たぶん相当ムラがあるけど、本アルバムには例えば、「なんにもしたくない」、「一匹のカニ」、「お早うの朝」(これは山田太一原作、田宮二郎主演「高原にいらっしゃい」テーマ曲)、「お前が死んだあとで」、「都会の朝」、「おねえちゃん」(NHK「みんなのうた」)、「雨が空から降れば」、「出発(たびだち)の歌」(上條恒彦さんが歌って大ヒット)など、代表的な曲が収められています。


「都会の朝」も上條さんが歌ってらしたそうですが、この歌詞がとても好きでした。

「厚いガラスの向こうに 白い河のような高速道路・・」
おそらくは東京下町の、現代的な高層マンションから見る風景なのかな。
ちょっと松任谷由実「十二階のこいびと」を連想させる、静謐な描写。

歌う前に、これを作詞した白石ありすさんと、谷川俊太郎さんのコメントが収録されています。
白石さんは70年代半ばに活躍された方で、その後は行方がわからない(ウィキ)そうです。声を聞く限りでは、小室さんたちと同世代ぐらいなのかな、という感じもします。。



「雨が空から降れば」は、これを書くためにネットを検索するまで全く知らなかったのですが、もとは今年亡くなった別役実さんの演劇「スパイものがたり」から来たものだったのですね。。

雨が 空から降れば 
思いでは 地面にしみこむ

僕にとっては、歌詞が自分の頭の中にしみこんでいます。。

しょうがない 雨の日はしょうがない
公園のベンチでひとり
おさかなを 釣れば
おさかなも また 雨の中

コンサートは40年以上前に開かれたもので、CDはそのときの盛り上がったようすを伝えてくれます。

僕は当時少年だったので、コンサートに行くことはできなかった(行動力があればできただろうけど、チケットの買い方も知らなかったよな)。
もとより僕にとっては、窓越しにちらりとみえる、大人の世界でした。

なので、今こうして聞くとなんとなく、いまだ願ってもかなわぬ世界を垣間見たような、わさわさした思いが残ります。

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つたわらない

2020年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム
ラジオやテレビ、あるいは喫茶店などで「あ!」と思った音楽が聞こえてきたら、スマホのShazamを立ち上げて曲名を確認する(いわゆるシャザる)。
もし気にいったらYouTube Musicにつないで(うちはAppleじゃないので)プレイリストに登録する。

昔なら曲名の紹介を聞く、あるいは自分で曲名を思い出したり、いろんなキーワードで検索したりして、CDやアルバムを探し出したものだが、はあ・世の中は便利になったものだ。

数年前にGoogole Play Musicを導入したときは、従来のダウンロード型の音楽アプリに毛が生えたていどのもののように思えたが、YouTube(Google Play Musicは間もなく終了し、YouTubeに一本化される)は流石に進化している。
ただ、気を付けないとデータ通信量使いすぎになってしまう(YouTubeはダウンロードしたアルバムが終わると、自動的に関連ある曲をストリーミングしてくれるような設定になっている。ごく自然なつながりで次の曲がかかるので、そのまま聞き続けてしまう)。

カバーしている曲はGoogle Play時代よりかなり広くなっている気がする。
昔はぜんぜん見つからなかった「ナオミの夢」が検索でヒットして、小躍りしてしまった。。なんかこれ、好きなんですよ。古い曲だし日本では一発屋に近いから、検索では従来出てこなかったのです。動画はありましたが。

2年前ここに色々書きました。

直ちゃんのこと、懐かしいな。。
今度近所のおばさんに会ったら、昔のこと話してみようかな。

イスラエルはー勝手にイメージしているだけですけど、昼は暑く夜は寒く、ものすごくからっとしていて、色々ハイテクもあるけど古いものもたくさん残っている。。という感じ。

西欧文化のーアメリカや(主に)西ヨーロッパの近代文明ーは世界中どこでも普及していて、イスラエルでもiPhoneはあるしマクドナルドもある(まあ調理は多少違うらしいけど)。トヨタもメルセデスも走っている。共通言語だからこの辺に違和感はない。

だけど当然細かいところは相当ちがってて、見たことも聞いたこともないようなものがいっぱいあるんじゃないかと。。一見西欧社会の一員のように見えるけど、ちょっと目を凝らしてみると相当珍しい伝統が守られている、みたいな。

それでなにが言いたいのかというと、それは西欧社会の人々が、日本の様子を見て感じる、ある種の違和感と似ているんじゃないかと。。

日本にもiPhoneはあるしスタバもマクドナルドもある。メルセデスもルノーも走っている。でも、人々は妙な響きの言葉をしゃべってるし、赤い鳥居をくぐって柏手うったりしている。会社でも学校でも、微妙にやってることの感覚が違う。

そのちぐはぐさって、僕らがもしエルサレムに行ったら感じるであろう、ちぐはぐさと似てるんじゃないかな、という気がする。。ちぐはぐというか、グローバルな文明を表面取り入れながら、非常に特殊な文化を守り続けている、とうことかな、真面目に言うと。

ちなみに西欧キリスト教社会の人は、イスラエルに行ってもそういう印象は持たないでしょうね。あっちはつながってるから。
僕らは彼らと同じ感覚では、ものを見られないだろうな。

なので、イスラエルに行くと、もしかしたら「日本人って何者か」がわかるかもしれない、という漠然とした思いがある。
去年の暮れにエルサレム行こうと思って行けなかったので、まだ確かめられていないけど。

年が明けて、この夏にりべんじ!とおもっていたら、これですからね。。
今日旅行代理店の前を通ったけど、店の前のチラシ全部国内旅行のものでした。
そうだ、そういう世の中に生きてるんだよな僕らは今。。

というわけで・・・、やっぱりつたわらないですよね、いいたいこと。。
下弦の月と金星。

撮影は12日(月)。


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村上春樹「一人称単数」

2020年10月11日 | 本と雑誌
刊行されたのは8月の下旬だったかな。オフィス近くの文教堂に平積みにされていた。
こういうときは地元の書店を応援したいと思い(話題の新刊なら地元でも必ず売ってるだろう)、買い物のついでに本屋に寄る。マイナーな本だと買えない時があるからね。

そこではカバーが欲しい人はカウンター前のところから勝手に取って、自分でしてくれ、という制度になっていた。・・別に構わんが、それってエコなのか、感染症対策なのか、単なる手抜きなのかよくわからない。

たしか別の店では、本のセルフレジもありました。どこも色々大変です。

さて、この「一人称単数」というタイトルを見て、村上主義者の皆さんはピンと来られる方も多いことでしょう。以下、村上春樹、川上未映子「みみずくは黄昏に飛びたつ」(2017年新潮社)より。対談は2016年秋に行われたようです;

村上「〈前略)今回はずっと一人称、あるいは三人称で書いてみようと決めるのは、一つの縛りですね・・・(中略)縛りの中でも、人称の問題は一番大きいかな。

川上「一人称から三人称に組み替わっていった村上さんの変化は、一読者としてのわたしにとっても大きなものでした。そこであえて伺いたいのですが、三人称を獲得したことによって、失われてしまったものはありますか。

村上「四十代の半ばぐらいまでは、例えば「僕」という一人称で主人公を書いていても、年齢の乖離はほとんどなかった。でもだんだん、作者の方が五十代、六十代になってくると、小説の中の三十代の「僕」とは、微妙に離れてくるんですよね。自然な一体感が失われていくというか、やっぱりそれは避けがたいことだと思う。

(途中しばらく人称についての議論を展開して)
・・ただ僕自身は、正直言って、そのうちに一人称小説をまた書いてみよう、書きたいと思っています。そろそろ新しい一人称の可能性みたいのを試してみたいですね。

少し長い引用でしたが、今回の「一人称単数」はその新しい「一人称」への挑戦ということのようです。ん、でも、「騎士団長殺し」も一人称だったな。

これを読む前に、何十回目か忘れたけど「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいたのですが、岡田亨さんは今読んでも生き生きしているというか、なにか生活のふとしたところまで、伸び伸びと描かれている感じがあります。

個人的に戸惑うのは「1Q84」の天吾です。特異な環境のもとに生まれ育ったという面はあるけれども、どうにも感情移入が難しい。あえて言えば、あの小説に出てくる主人公たちは皆不自然というか、読者が感情移入をすることを拒否しているような不自然さが感じられます。
「色彩をもたない・・」の多崎つくる君はそこまでエキセントリックではないし、「騎士団長殺し」の私も好感の持てる男なんですが。。あくまでも個人の感想です。。

話が飛躍しましたが、今回の一連の短編集ではそういう人工的な不自然さがなく、現在の生身のの村上氏とシームレスにつながっているような感じがある。なんだかエッセイのように読めてしまうところもあるが、そこはタスキに書かれている「私はもう私でなくなり、僕はもう僕でなくなっていく」というやつなんでしょうね。。

どの作品が好きかというと難しいが、「石のまくらに」は短辺としてひじょうにまとまりがよい、いい作品だなあとしみじみ思いました。あとはウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatlesは不思議な魅力を感じる(要するに上手く言えないが面白かった)。謝肉祭(Carnaval)は問題作、というか、なんかあまり成功してないような感じ(やばいたたかれそう。。)。

写真並べてごまかす。

台風の直撃は避けられたけど(昨年の19号は大変でした)、雨は金曜から土曜にかけて、しっかりと降りましたね。
毎週末同じこと言ってる気もしますが、疲れていたのでだいぶ寝てました。
夢から覚めると、夢の世界のほうに戻りたくなるというか。。
合間にめし、くいました。
近所にあっていつか行こうと思ってた中華屋(といっても王将だけど)、行ってみた。
あれだねえ、今月は祝日がないんだねえ。
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ぎりぎり2(追記あり)

2020年10月07日 | 日記・エッセイ・コラム

今日も帰りがおそくて、井上あさひさん間に合いませんでした。
これをやんなきゃと、ひっしでPCを起動。いつの間にかマウスの電池がきれてたわ。しかも電池が潮吹いてた。

回答期限の4分前に完了。

ふだんからもっと余裕をもって行動しましょう。。

今朝は電車が故障で遅れ、ひさしぶりに超密な電車に乗ってしまった。
自分は座っていたからあれだったが、自分のところに女子高生が倒れこんできそうになってびっくりした。。
通勤自体は予定より15分延くらいだったが、少し疲れた(座っているのに申し訳ないけど)。

おまけ。つかいそびれた映像。燃料ぎりぎり。
残りのガソリンであと30キロ走れます。。
撮影は先月12日。
朝夕はひんやりした空気が心地よいですね。
金木犀の香りも、季節を感じます。

追記(10月10日)このあとすぐに国勢調査期限延期のニュースを知る。なんだあせってそんした!
追記2 アルメニアとアゼルバイジャン停戦合意にほっとしました。。コロナ渦で世界中人の心がささくれ立っているので、本当に気が抜けません(気を抜いてどうなるものでもないが)。
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修正第25条

2020年10月04日 | 社会・経済
米NBCのドラマ「ザ・ホワイトハウス」(1999-2006)のことは、このブログで度々取り上げていますが、このドラマのすごいところは、時々現実に起こる政治的な出来事について、エピソードを通じて勉強できてしまうところです。
一例をあげれば、予算をめぐる議会との確執(シャットダウン)など。

とはいえ、もともとアメリカ政治の専門家でも何でもないので、たいていのエピソードは漫然と表面をなぞっているだけで、お話のベースとなった法律関係とか過去の事例などはわからないままでいることも多いです。

反対にドラマで取り上げたことが、あとから現実世界のニュースを見ているときにピンとくる、というのもあります。


トランプ大統領がコロナウィルス陽性となり、驚いたということは昨日書きました。
その後、ワシントン近郊の軍の病院に入院しながら執務を継続している、と、テレビのニュースは報じています。報道では一時的に健康状態が悪化したものの、現在は落ち着いているとのこと。

このまま順調に回復してくれることを祈りたいですが、万一職務の遂行が困難になった場合はどうするか。こうした大統領の職務不能についての規定が憲法修正第25条第3節です。
法律の具体的な内容や、現実世界での適用例は調べていただくとして、ドラマではどう取り上げていたかというと;

ジョサイア・バートレット大統領の末娘ゾーイ・バートレットは、卒業パーティのクラブで誘拐され消息不明になります。折しも中東をめぐるテロ活動を暗示する動きや事件が起きており、ゾーイの誘拐についても脅迫状が来ていることがわかります。(シーズン4、第22,23話「悪夢のシナリオ」「孤高のリーダー」)

自分の身内を誘拐されたことにより、大統領としての公正な判断が困難になったと悟った大統領は、修正25条3節の規定に基づき、一時的に職務を退く判断をします。ドラマでは全閣僚を集め、自らの考えを表明したうえ、法の規定にはないが、と断ったうえで各閣僚にこの決定の賛否を問うています。

このときバートレット政権は、少し前に情報漏えい問題で副大統領が辞任しており、副大統領職が空席の状態でした。大統領権限の継承は第二順位となる下院議長になされることになり、ミズーリ州選出共和党のグレナレン・ウォーケン下院議長が大統領代行として宣誓をします。

ペンス副大統領も大統領としばしば行動を共にしていたことから、万一ペンス氏も感染してしまったら、承継順位第二位のナンシー・ペロシ下院議長(民主党)が大統領代行を務める可能性もあると、SNSで一時話題になりました。

ただ、すぐにペンス氏が検査の結果陰性であることがわかり、噂も沈静化しています。

シリーズの最終シーズンである第7シーズンは、2期8年務めたバートレット大統領の後任を決める選挙運動がドラマの中心です。
民主党はマシュー・サントス下院議員と、バートレット政権で長年補佐官を務めたレオ・マクギャリーが副大統領候補として立候補しています。共和党はベテランの上院議員アーノルド・ヴィニックが候補です。

サントス・マクギャリー候補は終盤追い上げ、勝利の可能性が高まりますが、投票日にマクギャリー氏は心臓まひで倒れ、そのまま不帰の人となってしまいます。

サントス候補はマクギャリー氏の死を公表しますが、投票と開票作業はそのまま進み、サントスは選挙戦を制します。
副大統領候補が空席のままの勝利です。現実世界でもこんなことはないそうですが、ドラマでは他の閣僚指名と同じプロセスで、副大統領を決めようとしています(閣僚は大統領就任後に議会に諮り、上下両院の承認を得て決められる)。
ただこれは、そういう決まりになっているわけではなく、「司法長官経験者の意見では、理論的には選挙人に候補者を承認してもらうこともできる」と、ドラマでは語られています。議会の承認を求める場合、次の大統領選で勝てそうな副大統領候補(=有力な候補)では、議会は承認したがらないだろう、という懸念があるために示された助言です。(シリーズ通算エピソード番号152 「党派を超えた人選(The Last Hurahh)」)。


これもイフの世界ですが、トランプ氏がコロナの影響で、大統領候補を続けることが難しくなった場合、ペンス氏が自動的に大統領候補になりうるか、というと、そういう決まりがあるわけではない、とこれは、SNSで会話した友人のコメント。たしかに、有権者は正副大統領として立候補したペアを判断するわけで、片方がいなくなればその判断も大きく変わってくるでしょうね。。

これは余談ですが、選挙戦に敗れたヴィニック氏は、スタッフに次期大統領選への出馬意欲を示します。怪訝な顔をするスタッフに対しヴィニック氏は「わかってる、年齢のことだろう。心配ない、70歳でも気分は60だ!」と答えています。
この頃(15年ぐらい前)のアメリカの政治家は年寄り=ディスアドバンテージでしたが、今やトランプ氏74歳、バイデン78歳ですからね。いつの間にこんなになってしまったのでしょうね。。

これも余談。
このザ・ホワイトハウス、基本民主党視線によるドラマなのですが、先日このドラマの「同窓会」番組を企画しているというニュースが流れました。アメリカのケーブルで放映するもので、日本では見られないと思いますが。
選挙運動の一環として企画されているものらしいです。

長くなってしまいましたが、とりあえず推敲なしでアップします。後で書き直すかもしれません。。


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れっつ おくとーばぁ

2020年10月03日 | アニメ・コミック・ゲーム
10月に入りました。
神様がおでかけしてしまうということで、なんか色々騒がしいことがおこる月のようです。。
米大統領選のどんでん返し(オクトーバーサプライズ)とか、暗黒の木曜日とか。リーマンブラザーズが破たんしたのは9月でしたが、日経平均が底値になったのは翌10月だったので、その時の印象が強いです。

今週は引き続きどうも疲れが残っていて、朝起きても眠く、水、木は遅く出社する形のフレックス適用でしのぎました。。
金曜は在宅勤務ですが、やはり朝もたついて、在宅としては遅めの始業。

この日は午後いっぱい全社会議があり、リモート配信で施行。用意周到な会社なのに通信が乱れ、裏方さんは大変だった模様。前年までは会場に集まって(いわばふつうに)やっていたそうで(今年入社なので知らない)、苦労がしのばれます。
世の中は、まだ変わり始めたばかりなのです。。

こちらは聞いているだけで、楽なはずなのですが、昨夜就寝して今朝目が覚めても、なんとなく重いものが残っている。

多くの人たちが、自分の言葉で語っているのを聞いているうちに、その人それぞれの人生みたいなのが色々自分にかぶさってきて、自分の中におりのようなものが残ったようです。。



東証のシステムダウン(関係ないけど、こないだ株、注文まちがえちゃった)、大統領のコロナ陽性(もうしっちゃかめっちゃか)、日本学術会議任命問題(思想云々以前にひじょうにカンにさわる)と、月が明けてからもうすごいことになっています。

トランプ氏の件は会議のあいまにツイッターみて、ぶっ飛んでしまいました。
さすがに会議でも誰かがそのことに触れていたな・。

とまれ、トランプ大統領の回復を心よりお祈りします。いや本当に。

それはそうと、ここでは日本ではいまいち取り上げられ方の弱い、アゼルバイジャンとアルメニアの紛争について。

この事件を見て思い出したので、実家からこれを取ってきました。
昭和56年(1981年)7月1日発行だそうです。39年前です。

これ以前の号も持っていますが、あとから古本で買ったのかもしれません。この号はとっても印象が強い作品が多くて、高橋葉介さんもひさうちみちおさんもこの号で初めて知りました。とくに樹村みのりさんの作品には強い印象を受けました。
ですが、今回はこの話ではなく。。

巻頭カラー ひおあきらさんの「あなたのそばにメロディ」です。
このシリーズは現在単行本として入手することはできないようです。
毎回読みきりで様々なエピソードが繰り広げられていく形だったそうですが、実はこの回のものしか読んだことはありません。

科白にあるように、この回はアルメニア(ソ連崩壊後独立し、モスという独裁者が反政府勢力を弾圧している、という設定)が舞台です。


ソ連崩壊後独立し・、と今さりげなく書きましたが、現実世界でそんなことがほんとうに起きるのは、この漫画の10年も後のことです。

今「ソ連崩壊後独立し・」という言葉を見ても何の感慨も感じませんが、当時その設定は、今で言えば「圧政のタガが緩んでテキサスが独立した」ぐらいの、とんでもな想定だった気がします。プエルトリコとかカタロニアなら、なんかいかにも、ですが、アルメニアって・・ぽっと出されると、うぉ、とうなるというか。。

いつかお読みになる日も来るかと思いますので、それを踏まえて書きますが、アルメニア出身の若い音楽家(トーキィ)をめぐる話です。この時代(あとで出てきますが、設定はちょうど現実世界の今、2020年代初頭)、メロディカという楽器があって、彼はその部門の天才として、半ば人為的に生み出された。

彼には恋人(メロディ)があったが、パリ留学直前に姿を消す。ゲリラとして殺された、とされていた。

実はメロディは特殊な暗示装置を組み込んだ、ロボットのようなものだったのだが、その一部はトーキィの愛用するメロディカに組み込まれ、彼の演奏により聴衆に凄まじい感動を引き起こす。。

影の組織はトーキィをスターに仕立てて資金源とし、暗示装置はやがて人々を洗脳し、組織の思いのままに操られるようにするために役立てられる事を目的としていた。
トーキィはメロディカのことも組織のことも全く知らず、ただ、亡き恋人に思いをはせる。

トーキィは舞台でメロディと一体になり、聴衆は圧倒され放心したようになる。。

アルメニアに平和が戻るのは今から2年後の春。

現実の世界では、もっと早く、平和が訪れてほしいものですね。。
首都エレバン、美しい街のようです。いつかは行ってみたい。

コメント
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