うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

ふわっと

2023年02月27日 | 鉄道、車、のりもの
新しい車は微速でのコントロールがしやすい。

最近では少し珍しくなった、液圧式のトルクコンバータ(6段AT)だが、静止状態からブレーキを離した時の、クリープも昔みたいにもわっと勢いよく動いたりはしない。

速度が落ちれば自然にシフトダウンして、エンジンブレーキが自然にかかるのでさらに速度が抑えられる。
なので、慣れると極微速から加速、巡航、惰行、停止まで、とてもスムーズに走行できる。条件が良ければ、ブレーキペダルを多用しなくてもアクセルだけで停止直前まで車を操作できてる(とはいえ、後続車のことを考えると適宜ブレーキは踏む必要あり)。
偏見かもしれないけど、今の小型車で主流のCVTは、特に発進時の微妙な操作が難しい気がする。普通の道を走る限り、多少雑にポンと踏んで走ってても別に問題はないが、それゆえ運転全般が雑になってしまう、という印象がある。

15年ぐらい前は、運転からひじょうに遠ざかっていた時期だけど、その頃ガソリンが急に上がってニュースとかで話題になっていた。ニュースでは専門家のコメントとして「燃費をよくするには、アクセルを腫れ物にさわるように操作するのがコツです」などと言っていた。

それを覚えいていて、前の車を買ったとき(街中の燃費が5-6km/Lだった)、勢いよく加速するのがなんか嫌で、そ~っと走っていた。・街中はね。高速のランプウェイなんかはばばんと踏んでましたよ。ターボ付きだったから、あれは結構快感でしたわ。。。

今もそれを踏襲している。。信号が数百メートルおきにあるような、40キロ規制の市街地なんかだと、40キロで巡航することは少なくて、だいたい37-8km/hで流した方が経験的にはスムーズだ。すぐ信号が変わって止まるし、人や自転車とすれ違うこともあるから。

トヨタの脇坂寿一さん(レーシングドライバー)も言ってたけど、先を読んで、このあと止まるとわかっていたらもう加速させない、というほうがスムーズに走れる。

のだが、あまりふわふわ走っていると、時々後ろのくるまの気配を感じたりする。とろくせえ!と、ちょっとむっとされているような。。
ほどほどにしないといかんな。

たしかに、ご年配の人なのかものすごくゆっくり走ってて、後ろに車列ができてしまう、みたいなことも、時々見かける。
そのへんの空気は読んで、お互いに気を煩わせないようにしないといけない。

ただ、なんというか単にぶっ飛ばすよりも、流れるようにふわっと加速して、いい塩梅で街を縫うように走る、っていうのは、ある種の楽しさがあるきがする。車と交通を完全にコントロールしているみたいな。



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こねた

2023年02月26日 | 日記・エッセイ・コラム


◎なんか、花粉がすごくないですか。。
 いつもそれほど重症にはならないのですが、ことしはきついかも。


◎昨年末、何回目だかのワクチンを打ったときに熱、測ったのですが、平熱に戻ったとき、自分の体温がかなり低いことに気が付きました。
寝落ちした朝に測ったら34.6℃でした。
さすがに色々問題があるだろうと思い、さいきん生姜湯を飲むようにしてます。


◎オフィスで仕事してるとき、スケールがないことに気が付いた。失くしてしまったと思い、近所の文具売り場に。

前から折り畳みの透明なやつを使ってたので、同じものを探したけど、ない。ストレートで透明なのか、折り畳みでアルミのごっついやつしかない。少し迷ったが、アルミのやつを買った(左)。

これ、すごく作りが良くて、なんか製造元のパッションを感じる力作なのだが・・、使ってみると重たいしごついし、不透明なのはとても使いにくい。数字が何行も並んでいるのを、スケールあてて1行ずつ見る、なんていうときに、下が透けて見えるというのはとても大事なのだ。と、いうことに今更気が付いた。

失くしたと思ってたスケールは、自宅に帰ったら見つかった。

◎ レノボのタブレットは小さくていいのだが、画面が縁のぎりぎりのところまであるので、そのままだと何とも持ちにくい。専用ケースもないので、どうしようかと思ったが、結局写真のようなバンドをたすきにかけて使うようにした。

プラスチックのフックを斜めにかける。安定して持てるが、縁のところは画面ぎりぎりで、そこをタップする(電子書籍で必要な操作)のがやりにくい。
縁を薄くするのも善し悪しだな。


◎先日思い立って、大昔に録音したカセットをShazamで聴き取らせた。検索結果をYouTube musicで呼び出すのだが、あがってきた曲をそのままプレイリストに落とすと、なぜか同じ曲のライブ録音のものばかり登録されている。
よくわからないが、検索時の周囲のアコースティックを、ライブ録音のように認識するのかな。。



◎職場隣接のテーブルでオンライン会議をするとき、スピーカーから音を出すことは禁止で、各自がイヤホン等で聞く決まりになっている(周辺の人にとっては誰かが電話しているのと同じ状況ね)。
僕は自分のワイヤレスイヤホンをBluetoothでPCと接続している。イヤホンはふだんスマホとつないでいる。

先日、若手の部下も交えて会議に参加すべく、イヤホンを取り出したのだが、なぜかうまく接続できない。いったんリセットすることにして、イヤホンをしまって、アプリ(teams)を落とした。

すると、なぜかスマホから矢野顕子「春先小紅」が流れ始めた。イヤホンがPCより先にスマホに接続していたらしい。それを切ったので、外部スピーカーから音が出てしまったのだ。
部下に指摘されて、慌ててスマホの電源ごと落とした。

ちびっと恥ずかしかったな。。若い部下だから「春先小紅」なんて知らないとは思うけど。。
もしこれが天地真理「思い出のセレナーデ」とかだったら、そうとう恥ずかしかっただろうな。。



◎そういえば「およげ!たいやきくん」を久しぶりに聞いた。たいやきくんは最後におじさんに釣られてしまう。
たいやきくんは「たまにはエビでも食わなきゃ」といいながら、エビにくいついて、それが釣り餌だと気が付く。

「エビでタイを釣る」ということわざから来ているのだろうけど、さいしょに聞いてから50年近くたって、今そのことに気が付いた。



◎去年買った自宅PCだが、以前からブラウザ(Chrome)が使っている途中で落ちる、という症状が出ることがあった。
Windows11は初期にはちょっと不安定なところがあり、10からアプグレした会社のPCも、最初は下のタスクバーが出なかったり、不明なエラーメッセージが出たりしていた。アップデートを繰り返すうち、それらの症状は治まった。

自宅PCも、しばらく待てば治るだろうと思い、事実一定期間は問題なく使えていた。
ところが、今年に入ってけっこうな確率で落ちるようになった。
再度立ち上げて、タブの復元をすればまあ問題はないが、使いやすいとは言えない。

ので、今はEdgeを使っている。
EdgeもChromiumの仲間で、コードベースは同じなので、落ちる可能性はないとは言えない。たしか昔一度、落ちた経験がある。

なのだが、今のところ先週Edgeにして以来、使用感は安定していて全く落ちない。PCを立ち上げっぱなしにして、ブラウザも開いたままにしていても全く問題ない。Chromeだと一晩スリープさせると朝見たらブラウザが消えている、ということが頻発していたのだ。
Edgeは職場PCでは常用しているので、使用感に問題はない。検索もbingで別に困らない。地図はどうも慣れないけど。
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コロナ後の日本経済

2023年02月24日 | 社会・経済
植田次期日銀総裁の所信聴取が、きょう国会でありましたが、きょうはそれとは関係なく某エコノミストの方のセミナーに参加させていただきました。

とかいいながら、書いたメモをオフィスに忘れてきてしまいましたが、大まかな流れは覚えています。割と旗幟鮮明な方で、「ここには日銀OBや関係者の方もたくさんおられるので、お聞き苦しいところがあるかと思いますが」とか言いながら、黒田日銀時代の金融政策をボコボコにぶった切っておられました。

曰く、患者に対して誤った診断をしたものだから、処方箋が役に立たないばかりか、副作用ばかり出るようになった。

議論としてはそれほど特別なものでもありません。中央銀行は景気が過熱して、インフレがひどくなったら利上げをして鎮静化をはかる。景気が冷え込んだら利下げをする。下げる方向には限界があり、今はマイナス金利もあるがそれでも-2%位が限界だそうですが、量的緩和、さらにYCC(長期金利の調整)までやったが、インフレ目標は達成できなかった。

昨年になってようやく2%を超えるインフレにはなったたけど(今日のニュースでは1月のCPIが4.2%になったとのこと)、これはコスト・プッシュ型で何と言ったかな、インハウスインフレ?、ようするに国内の景気が良くなったからではない。

日本の企業は付加価値を増やすということができずにいた。利益が増えないから賃金も上がらない(2000年を100とすると2021年は96.1。アメリカは160ぐらい。欧州も150ぐらいだったかな)。欧米ではコスト上昇を価格に転嫁して、人件費の上昇もそこで吸収された。日本の企業はそれができなかった。

では、どうしたらよいか?となるが、この辺になるとやや鋭さを欠いて、人々が、値段が高くても欲しくなるような、付加価値の高い商品(サービス)開発を、と。
だからそれはなんなんだ、という話ですが。

いくつか、面白い論点がありました。
MMT(現代貨幣理論)批判をしていました。前にもここで書きましたが、国家には通貨主権(自国内で通貨を流通させる権利)がある。財源は枯渇することはなく、債務不履行に陥ることもない、というものです。

余談ですが、某政党がこの理論をそのまま政策として主張している、という話も以前しましたが、最近はその支持者の方がいくつかのキーワードを切り取ってSNSで主張したりしてますね。あれ、ちゃんとわかってて言ってるのかなとか、思ったりします。多分初期の共産主義とかも、こんな感じで(資本論とかの)一部の言葉を教条化して、広がっていったのかなと、ふと思いました。

講師の方は、これまで国債が実質的に償還されたことは一度もない、と言います。発行された国債は、利払いと償還のために、新たに国債を発行して払っている。
よく、次世代に負担を先送りする、というけれど、次世代の人たちも負担をするわけではない。ただ単に、債務がどんどん膨らんでいく。
そもそも(日本)国家は既に債務超過に陥っている(665兆円と聞きました)。
我々は銀行に預金をしている。銀行は預かったお金を債務として持っているが、その裏付けとして国債を持っている。その国債を発行した国は、債務の裏付けとなるものを持っていない。

つまり、われわれの預金の裏付けとなる資産はなにもない。国家としての信用とか、まさか国がなくなることはないという思い、ぐらいしかない。

このセミナーではいろいろな方が講師として登壇されます。過去にはリフレ派の方もいらしたし、その反対の方もおられました。
色々なものの見方を知ることはとても勉強になります。個人的には全面的に賛成とは言えないのですが、そうはいっても理路整然と反論するだけの知見はもってはいません。。

たとえ話としても完全ではないのですが、鍋に具材を入れて煮込み、カレールウを入れたとします。塊状のルウなので、底に固まったまま沈んでいる。それでは困るので、水をどんどん足していく。いくら水を足してもかき回さないとカレーにならない。それに、あまり水を入れちゃうとスープカレーを通り越して味が薄くなってしまう。日銀は水を入れることはできるけど、それしかできない。誰かがお玉でかき回さないといけないのに、だれもそれはしていないのですよね。

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松本零士さん

2023年02月20日 | アニメ・コミック・ゲーム
いやあ・世代的にはちょうどストライクゾーンですかねえ。
宇宙戦艦ヤマトとか、かなり入れ込んでたし、銀河鉄道999も、アニメは見てたな。。

ただ、漫画とかに関しては、はマニアと言えるほどではないので、今までまとめて読んだことはないです。

前から読もうとおもっていたのですが、漫画、早く読めないんですよ。。買っても結構積ん読になっちゃう。「ドラえもん」はちびちび読むからいいけど、「動物のお医者さん」も12巻買っておいてまだ2巻しか読んでない。

とりあえず銀河鉄道999を5巻買ったので、読んでいきます。

西武線にラッピング車が登場した時の写真です。

豊島園駅ですが、引きが取りにくくて、あまりいい写真が撮れませんでした。。

訃報に触れて、今夜は我が家の999号を取り出してみました。

高校生の時に、アニメ見て気に入って、客車1両だけ買ったんです。それ以上はちょっと手が出せなかった。
大人になってから折を見て編成にしました。アニメ由来ではなくいわゆる普通の鉄道模型ですけどね。。

たくさんの夢を見せてくれて、ありがとうございました。
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小泉悠 ウクライナ戦争

2023年02月19日 | 本と雑誌
ちくま書房 2022年

小泉氏の著作を読むのはこの1年で3冊目だ。おおもとはウクライナ戦争にあるわけだから、1年前のことがなければご縁がなかったことになるが、一般の人向けに書かれたこの方の文章はとても分かりやすく、勉強になる。

本書は2022年9月の時点でまとめられている。戦争は今でも継続中であり、まもなく、来週には開戦後1年を迎えることで何らかの変化が起きるかもしれないが、とにかくここまでの状況を整理することに、本書は役に立つと思う。

小泉氏は今回の戦争を第二次ロシア・ウクライナ戦争と呼んでいる。第一次は2014年に発生したロシアによるクリミア半島の強制併合と、東部ドンバス地方の紛争を示す。そのうえで、今回の事態の発端として2021年春からの情勢を概観している。

詳細は本書を読んでもらった方が早いが、個人的に印象に残った点だけ抜き出すと、この時期、ロシアは米政権の動きをにらみながら行動していた、という視点だ。21年春にも演習名目によるロシア軍のウクライナ国境付近での集結が見られた。このときはまもなく集結が解かれ、6月にはバイデン大統領とプーチン大統領との対面会談が開かれている。

小泉氏はこれを、ロシアが米新政権に対し牽制をしかけたもの、と説明している。
トランプ前政権はロシアにとっては便利な存在だった。
トランプ氏はロシアに対し非常に甘く、いわゆるロシアンゲート疑惑についても記者会見で「プーチンは介入していないと言ってるんだから、自国の情報機関よりもプーチンの言い分を信じる」と発言したそうだ。同席していた米官僚はあまりの屈辱に非常ベルを鳴らして会見を中止させようとすら思ったそうだ。
他方、バイデン政権の対露政策は就任時点では未知数だった。

ゼレンスキー大統領(小泉氏は呼称のウクライナ語読み統一に多少の躊躇を示しながらも、本書ではゼレンシキーと呼んでいる)は、当初はロシアに対してひじょうに敵対的というわけではなかった。むしろクリミア問題等に対しては消極的で、対ロ交渉においても終始主導権をとることができずにいた。

ゼレンスキー氏が「化けた」のは、ロシアの攻撃が始まった直後の対応だ。
閣僚たちと共にキーウの街頭に立ち、スマホで自撮りをしながら「私も閣僚たちもここにいる。我々は断固として戦う」と宣言したのだ。
今日我々が抱く、ゼレンスキー氏の戦時リーダー的な姿は、ここから始まっている。

当初は、我々も記憶にも鮮明に残っている通り、ウクライナが攻撃に持ちこたえるとは、ほとんどの人が思っていなかった。アメリカはゼレンスキー氏に極秘ルートによる亡命を提案した(ゼレンスキー氏は「必要なのは弾薬で、亡命ルートではない」と答えたという)。

「非常に影響力のある欧州某国」駐在のウクライナ大使が同国の外相に支援を求めたところ、「48時間以内にすべてが終わるというのに、なぜ貴国を助けないといけないのか」と言われたという。

レズニコフ国防相はベラルーシを通じてショイグ露国防相の、(ウクライナに)降伏を勧めるというメッセージを受け取った。
レズニコフの答えは「ロシアの降伏なら受け入れる」であったという。
(↑かなり好きなエピソードです)。

プーチン氏の当初の意図は、これも良く知られていることだが短期間に現政権を瓦解させ、親露寄りの政権を打ち立てることにあっただろう、とされる。ウクライナの政権内部、官庁や情報機関などにもロシアの息のかかった人物が配置されていた。また、キーウ近郊のアントノワ空港はロシア軍空挺部隊により攻撃を受けた。
しかし、内通者たちは戦争がはじまると皆逃げ出してしまい(しかるべきポストの人物がいなくなることによる混乱はあったかもしれないが)、期待したような役目は果たさなかった。空港もウクライナ軍の激しい抵抗を受け、制圧作戦は失敗に終わる。
結果としてキーウ攻略はならず、露軍は撤退を余儀なくされる。

撤退後、ブチャの大虐殺が明るみになる。ちょうど、第4回の停戦交渉が始まった頃だ。停戦交渉はこれを機に停滞してしまう。

この大虐殺について小泉氏は、これまでのロシアの非人道行為をよく知っているにもかかわらず、たとえナイーブと言われようと「非常にショックを受けた」という。

・・殺害されたブチャの住民たちは、戦闘の巻き添えになったわけではない。のちにジャーナリストたちが明らかにしているように、ブチャの占領自体はほぼ無血で行われたものの、虐殺、性的暴行、略奪はその後に始まったのである。そこには何の軍事的合理性もなかった。(中略)ブチャやその他多くの占領地域(ロシア軍の戦争犯罪はブチャに限られたものではなく、むしろ氷山の一角であった)における振る舞いは、どう考えても「悪」と呼ぶほかないだろう。 (電子版のページ119-120/219)

ここでは開戦前夜、初期の状況を中心に拾い書きしたが、小泉氏の専門家としての本領はこの戦争をどう捉えるべきか、という考察にある。

技術的にはドローンの利用など、新しい面もあるが、戦争の性質としてはには80年前の独ソ戦からあまり変わっていない、古典的な戦争となっている。

クラウゼヴィッツの戦争論から戦争の本質を説き、古典的な貴族同士の争い(互いに犠牲を抑え、小規模な勝利を重ねて相手の消耗を図った)から、ナポレオンによる戦争概念の更新(国民皆兵制度による大規模動員、国王の軍隊から国民国家の大衆による、自国の危機に対し自発的に戦う「獰猛な戦争」への変化)について解説をする。ウクライナの国民は自国への侵略者に対しこれを撃退すべきだという、シンプルな意思で結束している。

ゼレンスキーは国民に結束を呼び掛け、国際社会にロシアへの非難とウクライナへの共感を呼び掛けた。

かつてヒズボラは圧倒的な戦力差を持つイスラエルに対し、小回りのきく軍事機構と小規模戦闘を繰り返し、それを情報空間に拡散(市民が殺傷されているニュースが流されることで、イスラエルの権威を毀損させる)手法を取り、イスラエルの軍事意図をくじいた。いわばハイブリッドな、現代的な戦争の手法ともいえる。
但し、これには限界があると小泉氏も認める。この手法が功を奏するには相手がある程度民主的な政体を持っている必要があるからだ。

長すぎて書評としてはあまり褒められたものではないが、やはりご一読をお勧めしたい。

ところで、本書のあとがきの最後に関係者への謝辞と執筆年月、自署名が書かれているが、執筆年月がなぜか2020年9月になっている。。ちょっと珍しい校正ミスですね。。


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しっぱい

2023年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム
新世代ロケットH3の試験打ち上げが発射直前に中止された事に関する記者会見での発言について、通信社の記者がした質問に批判が相次いでいる。
JAXAの人は失敗ではなく中止だ、と主張したが、記者は質問の最後に、そうですかわかりました、それは一般に失敗と言います・、と発言して質問を締めくくった。

通信社は速報で「失敗」と報じていた。

ただし、後になって記者会見の様子を報じた記事では、JAXAの人の「失敗ではない」という主張も報じている。
質問をした記者は、JAXAがこれを失敗と呼称しないことに違和感を抱いていたようだ。しかし、質問の最後に「それはふつう失敗と言います。」と断じたことで、一部の人の反感を買ったようだ。

ネットの人たちはこういうことにとても厳しい。
ツイッターでは賛否両論というよりは、ほとんど「否」の発言で埋め尽くされていた。
ざっと見たところでは、わずかに「報道機関は批判も仕事だから」という冷静な発言、「発射しなかったのだから発射の失敗だろう」という韓国の方の発言が目についた。

失敗の定義について、フローチャートを掲げて説明している方もいたが、日常使う言葉でも、業界では一定の決まった意味合いで用いられる、ということはしばしば見られる。

おなじ税金がかからない取引でも、非課税取引か不課税か、免税かという言葉によって、その意味合いは少しずつ違う。専門家がこれは不課税取引と言います、と言ったとき、いやそれはふつう非課税と言いますよねなどと返されたら、話がすれ違った状態になる。
そこで専門家が、いやだから・と頑張るか、まあ似たようなもんか、と収めるのかは、思案のしどころかとは思う。

天気予報でも、晴れ時々曇、所によってにわか雨、など、よく聞き慣れた言葉だが、実はそれぞれの言葉にきちっとした意味がある。

ただ、今回の記者はJAXAの人達が自らの非を認めようとしない、というとらえ方をしていた節がある。撤退ではなく転進と呼ぶように、失敗を中止と呼んでいるのではないかと。
ということは、やはり失敗という言葉をかなりネガティブな、忌むべき言葉というとらえ方をしているのだろうな。悪い言葉だから避けていると。潔くないと。

悪い言葉と言われれば、それはそうかもしれない。上で発射の失敗だ、と発言した韓国の方も、ポジティブな意味では言っていないのだろう。記者の方の視点も同じだろう。

まいどおなじみドラマ「ザ・ホワイトハウス」のエピソードで、火星探索船の活躍を大統領とゲストの子供たちが一緒に見守る、というイベント(テレビ番組)を企画する、という話があった。

ところが、イベントの直前になって突然、火星探索船の通信が途絶えて(失敗して)しまう。
イベントを中止するか、という大統領に対し、スタッフはいやむしろ、どんな偉い人でも時には失敗することもあるんだ、と子供たちに伝えるべきだと進言します。

I think you should say to these kids you think you get it wrong
sometimes, you should come down here and see how the big boys do it.
I think you should tell them you haven't given up hope, and that it may
turn up...
失敗を恐れて、一歩を踏み出すことができずにいる子供たちに、怖がらないで挑戦すべきだと。
これ(通信途絶に伴う失敗)は、子供たちにそれを教える良い機会だと。

・・・そんなことを書いているうちに、今回の話も、それを失敗と呼ぼうが何だろうが、どうでも良いように思えてきました。

”煙草臭き 国語教師が言う時に 明日という字はもっとも悲し”

なんとなく、寺山修司の短歌が心に浮かんできました。



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世界面

2023年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム
世界線という言葉は、もともとは相対性理論で用いられる物理用語で、「四次元空間に表現される質点の運動の軌跡」、なのだそうですが、近頃はパラレルワールドというか、ある仮定に基づいて、その条件の下で世の中がどうなっていたか、を論ずるときに使われたりします。

よくある設定は「先の大戦で日本が負けなかったら」みたいな話ですが、最近のSNSなどでは「東京発の夜行列車が存続し、JRがより魅力を増すために力を入れるようになった、という世界線の、新型豪華ブルートレイン」みたいな話がでてきます。じっさいにはもっと細かい世界線で、マニアックな想定を楽しむものが多いです。

「寝落ち」と共に、昔はなかった便利な言葉です。
ただ、今回語りたいのは世界線の話ではなくて、別の状況です。それを言い表すうまい言葉がないかな、と。

先日亡くなった伯母は9人兄弟の5番目で、下から2番目だった父とはとても親しくしていました。小さいころから叔母の家族とは付き合いがあり、よく一緒にあそびにいったり、お互いの家を訪ねあったりしていました。

従姉たちは僕たち兄弟よりは上で(いちばん下の従姉が僕の3つ上)、物心つく前からよく遊んでもらっていました。そういうのって、当たり前にそうなっているので、なんでそうなのか(なぜよく遊びに来るのか、なんで親切にしてくれるんだろ)、わからないというか、理由を考えることすらしないんですよね。。
ふだんは内弁慶してたのが、従姉たちと会うと子供なりに、また違う自分を見せていた気がします。

大人になるとどうしても疎遠になります。従妹同士のつきあいというのも、うちはあまり盛んではなかった。父方の従兄たちはみんなかなり年が離れていたし。。

日曜に伯母を見送ったとき、久しぶりに従姉たちにも会いました。
僕が1~2歳の頃のことも、よく覚えていて懐かしそうに話してくれた(僕は泣き虫だったのだそうです)。

そういう親族に囲まれて話をしていると、僕はそういう中の僕(おじさんちの、あの泣き虫のうさぎくん)になってしまう。

色々な人との間の、相対的な関係のなかで、そこにいる「僕」が定義される。

幼馴染、小学校の同級生同士で集まったときの僕、前職の同僚と会ったときの僕、音楽やってる人と会うときの僕、それぞれ少しずつ違う。
そういうの、うまく言い表す言葉はないものか。

それで、「世界面」という言葉を拾ってみました。
世界面、という言葉も、もともと相対性理論の用語らしいですけどね。
例えば、「父方の親族という世界面における僕」、とか。。

世界線はある仮定の延長線上にある、という感じがいかにもそれらしいけど、世界面じゃ、ちょっとわからないかな。。
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冬の日々

2023年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム
ここまでくると作品ですね。。

関東平野の雪は久しぶりですね。コロナ渦となった'20年以後では、その年の3月末に少しまとまった雪が降りましたが、一昨年も去年も、積もるような雪はなかった気がします。

そう思ったのは、朝電車に乗ったらなんか違和感を感じて、よく見たら窓が全部閉まっていました。予想最高気温2度とか言ってましたから、閉めたのでしょう。今マスクを外して云々と言われてますが、電車の窓もそろそろ何とかしてほしいです。ドアの鴨居についてるモニター見てると、未だにコロナ対策で窓開けてます、とか宣伝してますが。

車窓から風景を見ていると、都心に近づくにしたがってみるみる雪が見えなくなってきます。職場の周辺は終日雪は見えなかったな。

昨日の出勤前、叔母が亡くなったという電話を従兄からもらいました。

そのあと電車に乗ってスマホ見たら、前職の同僚からLINEが来てて、職場あてに親戚の方から電話がありました、という連絡。名前と電話番号をもらいました。従姉(叔母の子)からだったので、昼休みにかけなおしました。
年賀状で住所は知っていたものの、電話番号は、数年前に渡した前職の名刺しかわからなかったそうです。

まあ、親戚にも長く会っていないわけですが、コロナ直前に辞めた前職の同僚が、きちんと対応して取り次いでくれた、というのが、なんかほんわかとうれしい気がしました。まあ、今も時折お会いしている方ですけど。

東日本震災で、父と共に帰宅難民となったとき、叔母の家に一晩泊めてもらったこととか、ふと思い出します。やっぱり、さびしいよね。。

そういやバート・バカラックさんも亡くなったそうですね。
今日は貴家堂子さん(タラちゃん)も。

バカラックさんといえば「雨にぬれても」とか、「遥かなる影」、「This Guy's In Love With You  (or Girl's)」とか、たぶんほとんどの人が街やテレビ、ラジオなどで必ず聴いていて、知らないうちに心の片隅に残っているような曲をたくさん作った方ですね。ニューヨークタイムズではバカラックを’60年代の楽観的な恋愛を歌った作曲家、と評したそうですが・。

昔、英語の勉強の雑誌とか見てると、よく洋楽の歌詞と解説とかが連載で載ってたりしてました。
「雨にぬれてもRaindrops Keep Fallin' on My Head」 なんかも取り上げられていたりするわけです。メロディは覚えてるから歌ってみようと思うのですが、けっこう早口?で歌わないといけないから、難しいんですよね。
「遥かなる影」「I'll Never Fall'in Love Again」とかも、カレンが調子よく歌っているのを真似しようとしても、'cause I've been there and I'm glad..とか、けざ~びれーれな・・??みたいになってしまう。これに比べたらビートルズなんか、中学生の教科書みたいですよね。You say yes, I say No..とかさ。

写真のCDは、もう四半世紀前に買ったバカラック集です。カーペンターズとかディオンヌ・ワーウィックが歌ってるのかと思って買ったのですが(ちゃんと見てなかった)、かなりマニアックな選曲になっていて、お気楽にBGM的にに楽しむような感じではなかったのでした。ブレンダ・リーとか、歌ってる・・。
訃報を聞いて今夜聞いてみましたが、なかなか、味わい深い演奏が並んでいる感じです。
合掌。


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めしや

2023年02月08日 | まち歩き
今日のお昼は特別に行きたいところ、食べたいものがなかった。
とりあえずファミレスでもいいかと思って歩いていくと、夜はバーをやっているお店が目についた。いつも店の前を行き帰り通るのだが、入ったことはない。

飲み屋さんだからちょっと薄暗くて、昼間は入りにくい印象もあるが、中に入るとけっこう女性客もいたりして、にぎやかだ。

頼もうとしたローストビーフ丼はなくて、代わりにパスタを薦められた。
ミートソース風だがローストビーフを刻んだのが入っているとか。
お味噌汁とたくあんがついているというのが、珍しい。。

たぶんオーナーシェフの方がやっているお店だと思う。お値段も良心的だ。
一通り食べ進んだころ、注文を聞いてくれた女性の方が話しかけてきた。

お客さんで毎日のように来る方が、メニューにない、自分の食べたいものを注文してきて、それがもとでこのパスタ料理ができたのだそう。夏はまたメニューが変わるんだとか。

駅前や街道沿い、あるいはショッピングモールなど、この辺はチェーンのお店がとても多くて、ほとんど何でもあると言ってもいい位だ。
半面比較的新しい街だから、古くからの商店街や、昔ながらの小さな個人店というのがないのだ。

しかし、全くないかというとそうでもない。昨年暮れにはこの近くの別の個人店に行ったし、実家周辺にあるお店にも伺ったことがある。数年前にできたお店で、シェフのお子さんが僕の前に座って、お出かけした時のこととか、あれこれお話したりした。

改めて考えてみると、これらの個人でやっている飲食店は、人が少ないせいもあるが、たいていお店の方が親しげに話しかけてくれる。。別に前から知っているわけでもないんだけど、お店の密度的に、自然と話がしやすいのかもしれない。あるいは、僕はなんか話を聞いてくれそうな人間(うさぎだけど)に見えるのかもしれないが。。

チェーン店ではそういうわけにはいかない。前職の近くにあったスタバの店員さんと親しくなったのは例外だ。お店にもよるが、あそこは社風的に?そういう感じなのだろう。だって2年近くぶりに行ったのに、前よく来てくれた方、とか声かけられたもんなあ。

なので、チェーン店でも全く人同士の交流がないわけじゃないけど、一般論としてはひじょうに機械的、淡白な人間関係。むしろその距離感がいいというのもある。

が、それがHuman beingとしてほんとうに自然なことなのか、というのは、よくわからん。だから醤油舐める輩がでてくるんだ、とか言えば、なんとなく話の収まりはいいかんじもするが、どうだかね。

今の季節感というと、とってもピリッとしているけど、ほんの少しだけ春の気配が見え隠れという感じがなんとも。

大学生のころだと、今頃期末試験がおわって、ほっとしてるころだよね。
先週末の4日がカレン・カーペンターの命日でしたが、ニュースでそれを知ったのは数日たった、今ぐらいだったような記憶があります。。


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トルコで地震

2023年02月07日 | 日記・エッセイ・コラム
トルコ南部で6日発生したM7.8の地震は、隣国シリアと合わせた死者が5千人を超える大惨事となったようだ。被災地の皆様に心よりお見舞いをもう仕上がると同時に、少しでもたくさんの人が助かることをお祈りします。

日本からも国際救助援助隊が派遣されたが、先遣隊が出発したのが地震当日6日の夜だと聞いて、正直すごいなと思った。日本からは75人程度が派遣されるそうです。。

ところで、年明けからまた「日本沈没」を読み始めています。。ほかの本と並行して、昼休みにちらちら読む程度なので全然進んでいませんが。
というのも、来月3月は「日本沈没」が刊行されてから50年になるのです。

繰り返し映画やドラマなどになっていますが、今読み返してもすごい設定・小松左京の描く東京(197X年)は、今よりも古い時代のはずなのに、むしろ今よりもモダンな感じがします。。

今読んでいるのは政府が地質変動の可能性に気づき、極秘計画をスタートさせたあたりです。首相(73年の映画だと丹波哲郎ですよ)が、これからの日本人は海外に雄飛すべきだと、それとなく移民を推奨するような発言をしはじめた、という場面です。

それで、話はまた変わるのですが、日本はいくつものプレートがぶつかる辺りに位置しており、世界でも最も地震の多い国とされています。記憶に残るだけでも阪神淡路、東日本大震災、熊本地震などは大変な被害をもたらしました。
他方それゆえに、建物の耐震基準が大変に厳しいことも有名です。学校や職場でも頻繁に避難訓練や災害時の心構えなどを聞かされたりしています。

小説では国土を失うほどの状況になるのであれですが、地震を避けるために海外に移住したとして、その地ではもう地震に遭わずに済むのか。

なんとなく、北欧やイギリスなどは地震、少なそうだな、という印象があるのですが、ウィキによると世界の地震発生頻度(1963-1998)は、こんなだそうです。


Quake epicenters 1963-98.png
NASA, <a rel="nofollow" class="external text" href="http://denali.gsfc.nasa.gov/dtam/team/">DTAM project team</a> - <a rel="nofollow" class="external free" href="http://denali.gsfc.nasa.gov/dtam/seismic/">http://denali.gsfc.nasa.gov/dtam/seismic/</a>, パブリック・ドメイン, リンクによる


まるで地殻のプレート境界が浮き彫りになったようで、なんかすごいですね。。日本はたしかに真っ黒ですが、イギリスもけっこうありますね(但しこの表は地震頻度を示しているので、地震の強さ、被害などはわかりません)。南北の局地帯、アフリカ、ブラジル、オーストラリアなどは少なそうです。
黒海、地中海周辺も、決して少ないとは言えませんね。
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雪解け

2023年02月04日 | 日記・エッセイ・コラム
地域系のSNSグループを見ていると、飲食店の閉店に関する書き込みが目立つ。

年が明けてから、チェーンの牛丼屋や焼き鳥屋とかが、ばたばたと閉店になったようだ。幹線道路沿いの、主にドライバーを対象としたお店だ。

道路沿いの飲食店って、このあたりの幹線道路走っていると次から次へと現れて途切れることがない。風景としてはすっかりおなじみだけど、入って食事するようなことは、ほとんど・・本当に限られたお店しかない。。

今週在宅勤務の時(ちょっと暖かかった日)、ふと思い立って、そうしたお店に行ってみることにした。
その頃既に、例の回転寿司チェーンでの不祥事動画が話題になっていたが、それとは別に、ここのお寿司屋にはいかなかった。

お寿司って、食べなくはないけど、世間の人が喜んで食べるほどには好きでもないんですよね。。回転寿司もたぶん‥人に連れられて行ったのは20年近く前かしら。
あれ、どうやって食べるんでしたっけ?難しいのかな?

今回は、とんかつやさんに来ました。

それで、入ろうと入口見たら、近々ここも閉店になるみたいです。

平日の1時過ぎでしたが、たしかにそれほどお客はいなかったな。

設備的にはモダナイズされていて、テーブルにあるタッチパネルで注文して、会計もセミセルフ式で入金は機械に自分で入れる方式です。

たぶんこうした設備はここ数年で整備されたと思うけど。
運営会社さんのことはよく知りませんが、その辺も踏まえて出店、閉店は柔軟にできるようになっているのかもしれません。。


この界隈はほんとうに外食店が多いのですが、緊急事態宣言の頃とか、大変だったのでしょうね。。って、その頃だって車で通っているはずですが、あまりそんなこと、考えたことなかったわ。

3年続いたコロナ渦も、ようやく色々のことが日常に戻りつつあるようです。ここ数日都内では、外国人旅行者の姿がやけに目につくようになりました。4年前に当たり前だった風景に、こちらも戻りつつあります。

他方、今になって知り合いや仕事周りの人たちが感染した、という人話をちらちら聞くようになってきました。大変だったかどうか、詳しい話は聞いていませんが。。幼馴染から聞いた話では、親戚、友人、仕事周りのひとを亡くされたとのことで、そう考えると、やはり怖い病気ですよね。。

飲食店の経理を見ている会計士さんによると、昨年は補助金でだいぶ潤ったところが多かったとか。そうした一時策も終わり、日常に戻る中で、色々と体制を直さないといけない所が増えているのかもしれません。

雪解けの季節は雪崩とか、注意しないといけない季節でもあります。ほんものの季節はまだ早いですけど、世の中の方は。。
在宅勤務、やオンライン会議、フレックスは今後どう位置付けていくか・。満員電車乗るのも嫌だけど、近頃は電気代も高いし、とか、色々考えたりしますね。。
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