うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

誰なら良いのか

2017年03月31日 | 映画

 

既に最終的な移転まで1か月を切り、焦燥感にかられながら片づけを進めている毎日です。

時間切れになったら、その辺の書類をとりあえず箱に突っ込んでしまい、向こうで片づけることになりますが、できれば今ここで始末してしまいたい。。

仕事関係の書類など、自分でも驚くほどいろいろなものを持ち帰ってまして・。

イメージとしてはあれです。ウォール街の摩天楼を、段ボール抱えてとぼとぼ歩いているスーツ姿の証券マンみたいに、その辺のものを手あたり次第に詰め込んで・。まあさすがに、かの国のように朝告知されてその日のうちに荷物まとめて、はありませんでしたが、箱を開けるとそのころ使っていた電卓とか置時計とか辞書とかがでてくる。セミナーのテキスト、業務マニュアル、ノート etc・・。

まあ、今ならコンプライアンス上相当問題になるかもしれない・。時間の洗礼を受けて、今では意味のない情報の羅列になってはいますが、その辺に捨てるわけにもいかず。少しずつ、先日買ったシュレッダーで裁断します。

BGV代わりに、先日買った「シンゴジラ」を繰り返し流しています。里美総理臨時代理がいわく;

「避難とは、住民に生活を根こそぎ捨てさせることだ。簡単に言わないでほしいなあ・・。」

だんだんと自分がこれから避難のために家を追われるような気分になってくる。いや、もちろん本当は違うけど。

まあ、持ちきれない荷物の取捨選択をしているので、これまでの生活を捨てていくというところはある。もたもたしていると、そのうち家ごとひっくり返されてしまいそう。。

さて、映画を繰り返し見ているうちに、いろいろ気になってくるところも出てきます。たとえばそれは、石原さとみ演ずる、カヨコ・アン・パタースン大統領特使のこと。

今でもウェブ上で見ることができますが、映画の公開当時は(米国のエスタブリッシュメントという設定にしては)石原の英語の台詞や演技はどうなのか、とか、ルー大柴みたいだ、などと、色々言われていました。もちろん反対意見もあって、いや、きれいな英語だとか、一生懸命努力したあとが見えるとか、かわいいから許す、とか。

シン・ゴジラというのは日本の官僚たちの描写が、それまでになくリアルだとして、各方面からの絶賛を浴びていたのですが、その分外国人(出てくるのはアメリカとドイツぐらいですが)や、日本国外との関係を描写するあたりがちょっとおろそかかなあ、というのは、映画館で見たときから思っていました。40年以上前の「日本沈没」のほうが、国連決議のシーンなども出てきたりと、もっと頑張っていたように思える。。

話がずれましたが、こうして何度も「ながら観」していて、どうも気になるというのは、やはり少し問題があるのかもしれません。さとみさんは留学帰りの日本人(である、米国政府関係者?)としては、よい演技だと思うのですが、母語が英語で日本語もできるひと、という設定にしては、日本語が上手すぎるという気がする。

仕事の関係で、若い頃はいわゆる帰国子女の方々とつき合う機会が多かったのですが、彼らも日本語には苦労していました。我々が外国語を使うのとおなじで、細かいニュアンスや普段使わない言葉がわからない。いまでも印象に残っているのは「あれ、なんていうんだっけ?3年たったら石になっちゃったとかいうやつ・・」あるいは、誰それさんって、有名なロック歌手のはとこなんだって・・という話をしていたら、帰国子女の人が「はとこ、ってなんだろう??」と小声でつぶやいて、大笑いされたり。。彼らの多くは、自らのアイデンティティについてとても苦しんでいるようでした。だから、こういうことで笑っちゃうとかわいそうなんですけどね。

ルー語などといわれますが、英語交じりの日本語というのは、昔の職場ではむしろ普通でした。僕もその方が自然に話しやすいと思うことがあります。帰国子女の子なんかはそれも別格で、

「この書類はステイプラーでとめちゃおう。小切手はラババァンでまとめて・・」

「?」

「だからラババァン・・」

ラバーバンドは輪ゴムですね。最初のラにアクセントがつきます。笑わせたくて言っているのではないので、こちらも傷つけることのないように気を使ったりして。

逆に、日本語をよく勉強している外国人は、外来語を日本語風に発音することで、より自分が日本語通に感じられるらしい。ミーティングなんていうのは、完全に日本語化していますし、どんな日本人でもMeetingと英語風に発音されても理解できます。自称「日本語通」の人は、そこをわざと日本語風にみーてぃんぐ、と得意げに言ったりね。逆ルー語でしょうか。。

話が「誰ならよいの」という展開にならなくなってしまいましたが、もし石原さとみさんが大統領特使、ということに不満があるなら、では誰ならよいのか、とかんがえると;

僕はそれでも、石原カヨコ・アン・パタースン大統領特使にレイズです。映画では、日本語の会話がとても大切だから、やはり余人をもって代えがたい。そういえば、ドラマ「HEROES」の日本人役(ヒロ・ナカムラ)で、日本語も英語も堪能なマシ・オカさんが名演を見せていましたが、ヒロの同僚である日本人はたしか韓国人で、かなり怪しい日本語を話していた。あのドラマ、アメリカ人の日本人観がわかって面白かったけど、リアリティの追及といっても、映画は学術研究とはちがうアプローチが必要ですよね。。

あえて、誰ならよいの、という話になると、政治好きの春香クリスティーンさんがぱっと浮かんだのですが、あの方が40台で大統領を目指す、というのもちょっとね。ネットではほかに、アンジェラアキさんとかも上がっていたかな。ちょっと淡泊な気もします。英語力はわかりませんが、小雪さんに気の強いビジネスウーマン(政界関係者)をやらせたら、結構迫真なのではないかと、前から思っています。

芸能人じゃないけど、三浦瑠璃さんもいいですね。

 

これを書き始めたのは3月31日(金)の昼休み。夜は元上司との飲み会で盛り上がり、さすがに片づけは進まなかったがとりあえず今朝は資源ごみを出したところ。これから新居のカギを引き取りに行きます。

というわけで、矢口蘭堂内閣官房副長官の言葉で締めを・。

「だが今はまだ辞めるわけにはいかない。事態の収束にはまだほど遠いからな。。」

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桜にワカケ

2017年03月30日 | 動物 いきもの

スカスカになった森の、わずかに生き残った桜の樹。

今朝はこちら(引っ越しもとの家)から出勤だが、出勤時に桜を愛でるのも、これが最後ということになるかな。

それはともかく、画像ではわかりにくいかもしれないけど、肉眼では3分咲きの桜よりも目立つものがとまっているのが、ぱっと目につく。。

撮影機材がなにぶんスマホなので、これでもわかりにくいのですが、中央やや上のほうに、ワカケさんがとまっていて、無心に桜の蕾を食べて?います。

ワカケさんはこの界隈では一時期幅を利かせていたのですが、さいきんちょっと見る機会が減っている気もします。

そういえば、先日は鶯がないてたな。彼らも驚いているだろうねえ。森がなくなって。

 

いよいよ片付けも佳境に入っていますが、さいきん周りからまだ片づけてるの?とかまだ越してないの?といわれるようになりつつある。

う~ん、勘弁して。。真面目な話、整理するの大変なんですから。そりゃ、身から出た錆というか、身から出たゴミというかではあるんですけど、出すべきゴミはここで整理してしまいたいし、それには時間が必要なのです。。

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シン・ゴジラ(DVD)

2017年03月27日 | 映画

はい、うちはブルーレイの再生装置がないので。。

22日発売、その日は買うことができず、量販店に行けたのは24日(金)。

開封すると動けなくなるので、書類整理で大量にシュレッダーをかける予定でいたこの午後まで待って、ようやく見始める。

もう三巡目です。。

こういうシーンは、映画館よりテレビで見る方がリアルですな。

家の書類整理のほうは、結構深刻な事態でして。。時間はかかりそう。まあ、少しずつ前進はしているが。紙袋とか開けているうちに手が傷だらけ。人差し指のささくれがいたい。。

今日は量販店に文具(チューブ・ファイルとクリアフォルダー。穴あけパンチもほしかったけど売っていなかった)を買いに行く。コンポのCDプレーヤーが壊れたので、この家で片づけをしているうちに粗大ゴミに出して、新しいのを買おうと思い、オーディオ売り場に行くが、結局買わず。。店員さんと話していたら、この方かなり詳しい人で、なんとなく一番安いのください、とは言いづらくなっちゃった。。

 

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コーラスライン(映画)

2017年03月25日 | 映画

 前に書いたことあったかな?16年ほど前、NHK BSでミュージカル映画を1週間通して放映したことがあり、そのうち「ヘアー」「ジーザスクライスト・スーパースター」とこの「コーラスライン」を、一本のVHSテープに録画した。これらのどれも繰り返し、何度も見返していてもう体に染みついている。

 どういうわけか、この時代、30代ごろに見た映画は体にしっかりと染みついてしまって、離れようとしない。映像にそれほど関心がなかったせいもあり、自分のビデオデッキを持ったのは30ちょっとすぎくらいだったが、そのせいだろうか。そもそも映画館自体、20代ごろはそれほど行っていない。ただし、上記の「ヘアー」と「コーラスライン」はロードショウで映画館で見ている。

 それはともかく、僕自身はもちろん、映画の人たちみたいに舞台オーディションを受けた経験はないが、広くこれを面接と捉えれば、何度も経験しているわけで、そういう意味での共感を感じることはあったと思う。それに、ブロードウェイじゃなくて市民ホールだけど、舞台や舞台裏とかにはそこそこ出入りしていて、なんとなく雰囲気を感じられる、ということもある。

なので、なんだかその辺の質感のようなものがひしひしと伝わって来るのだろう。久しぶりにこの映画をちらちらとみていると、なんだか自分自身の経験と混ざりあって、かつて自分があの場にいたような気すらしてくる。

 

 

 映画ではなく、舞台公演を見た人の評価を、たしかウェブで読んだことがあるが、そういう人たちにとってこの映画は物足りないらしい。もっと素晴らしい舞台なのに、それを伝えていないと。そこはわからないが、ミュージカル特有のおおらかな筋書の矛盾とかは別としても、ちょっと詰めすぎかな、と思う気がしないでもない。舞台の台詞ならライブ感で見られるが、映画にするとちょっとというところもあるし。

それでも、空港からタクシーで会場に向かう冒頭のシーン(遠景に世界貿易センターがそびえている!)などは、映画ならではのものだし、細かいところだが、回想シーンの明るくて広い練習場(キャシー全盛の時代)や、オーディション会場の控室で、窓越しに雨が降っていることが分かるシーンなど(侘しい。。)は、舞台では再現しえないところだろう。

 

個性豊かな登場人物たち。

 ザックと舞台にあこがれる有能な秘書(よく気が働いて、仕事を楽しんでいる。こういう子は大好きです)とのやりとり。秘書、もちたいです。。

ザックをサポートするラリー。舞台上でのプロっぽい働きもいいが、ザックやキャシーとの友情を示すシーンもいい感じ。休憩時間にキャシーのところへ行き、「粗末な昼食だ。まずいパストラミと、ぬるいトニックウォーター」とか言いながら食事をするところなんか、共感をそそります。あれだけ激しく動く人が、これしか食べないなんて。。「休め」の姿勢で、肩の力を抜いて立っている姿も印象的。

ザックの照れ隠し的冷たさも、やはり共感させれるところがありますが、ふと見せる心の温かさが素敵です。結果発表の直前、舞台上に立つみんなを見て、ふと「A long day..」と、ねぎらいのような言葉をかける。こういうところがリアルというか、共に長い一日を過ごしてきたという共感を素直に伝える台詞として、とても人間臭い感じを与えてくれます。

ダンサーたちの、舞台上からの強烈な自己主張、すごい人もいるし、緊張で変なこと言う人もいる。見ちゃいられないというか、結構痛い感じもしますよね。。通常会社の面接なら、キャンディデート側は一人のことが多いですけど、ライバルが隣にいる中での自己主張だものね。10代半ばの子もいれば、30前後の人もいる(十分若い気がするが、この世界ではベテランなのか。)。

中ではダイアナ、生真面目な人で、芸能学校の授業で自分がアイスクリーム・コーンやスポーツカーになったつもりで演技せよ、と言われて何にも感じない、と悩む。クラスメイトはみんな小器用なんだろうねえ。。

実は一番好きなのは、女房子供を抱えて頑張っている、ドンという人。指名されて興奮し、一生懸命支離滅裂な主張をしまくる。「今日ここでみんなのいうことを聞いて、俺は・・週何時間レストランで働いて、仕事はつらいが、云々。。俺の女房は世界で一番きれいで可愛いが・・、よくわからない(I don't know)・・」
客席でザックは、打ち合わせのためにやってきたラリーと思わず顔を見合わせる。僕の人生のどこかで、こんなシーンを経験したことがあるはずだよな。。とってもリアル。。

 

 

先に掲げた3本の映画、「ジーザス・・」は1973年と古く、「ヘアー」は1979年だが、舞台は1960年代後半の設定だ。コーラスラインの舞台上演は1975年かららしいが、映画の公開は1985年で、設定上も現在になっている(画面に1984年であることを示す看板が出ている)。ので、この中では一番「現在」に近い。
なので、これらのなかでは現代アメリカ、という印象がつよく伝わってくる。


個人的な事情を言えば、ちょうどこれを見たころ、しばらく勤めていた会社を辞め、春から米英系の大きな会社に移る過程にあった。
それまでいた会社は今はもうないが、昨今でいえばブラックの烙印を押されかねないような面を持っていた。
もともと僕は米系企業でキャリアを始めたので、米系の次の会社に行くことを、まるで古巣に帰るような ほっとした気持ちで捉えていた。
まあそんなわけで、この「コーラスライン」を見て、「ああ懐かしい(現代の)アメリカ」という印象を 抱いたことを覚えている・・。現代、つったってあれだよねえ。。そのころ生まれた赤ん坊が、今や会社の子として活躍しているんだからなあ。。

 

というわけで、思い切り私的な感想でございました。

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もとばこ

2017年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

僕は重度の元箱フェチです。。

例えばデジカメとか買うと、元箱をきれいに保管しておきたくなります。

昔働いた会社の、ITインフラを担当していた日系人の人が、割と似た傾向の持ち主でした。彼は外箱は勿論、ケーブルとかを束ねてある針金なんかも、きれいに外して箱の中に入れていたりしてました。それで影響を受けて、僕も中袋や針金もきれいに取っておいたりするんですね。。やっぱり、ちょっと病気です。

こんなのもとっておいたりします。だって、捨てにくいじゃないですか。。

が、今回方針を変えて、かさばる元箱蒐集はやめることにしました。この写真の箱もすてました(ただし、ちょっとだけ残した。。やはり忍びない)。

こういうのは小さくていいんですが、大きなオーディオ製品とかになると。。

特にコンポなんかは伝統的に保管しておく傾向があった。

あれは、修理が必要な時、きちんと梱包できるという実務的なメリットもあったからだとは思う。

もっとも、この写真に写っている箱の中には、ファクス、扇風機があるし、このほか空気清浄機、掃除機、電気敷毛布などの箱が取ってあった。。

どれだけ収納に余裕があったんだ、っていう話ですよね。

まだカメラ系の箱は捨てていない。カメラなんか、中古で元箱付だと特記してあったりするが、それで価格が変わる、ということはないと聞いている。

捨てないとねえ。

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例の運輸会社値上げの件

2017年03月23日 | 社会・経済

ニュースで話題になった例の件だが、といってももう発表から時間がたちすぎて、話題性はなくなりつつあるけど、うちでもよく通販の荷物は来るし、不在のことは多いしと、個人的には結構関心を引いたニュースでした。。昼の時間帯の配達がなくなっても困りはしないが、夜便が早くなるのは困りますね。。

今の住まいは、さる運輸会社の配送センターからごく近いところなので、不在通知が来たらすぐ電話して、取りに行きますということが、これまで多かった。別の運輸会社はそういうわけにはいかず、不在のときは再配達をお願いするしかないので、配送会社を選択できる場合は近い方の業者を選んでいた。日本郵便も自転車や車で取りに行ける場所に拠点があって、かつては24時間対応していたから、時間を気にすることなく取りに行けるのが強みだった。しかし、昨年8月以降は他社並みに閉店時間が短くなり、不便になってしまった。

うちも昨年ぐらいからアマゾンプライムになって、荷物が早くなるようになったが、もらう方が追いついてなくて、不在で引き取れなかったりする。SNSの友人のコメントを見ていると、「そんなに早く来なくてもいい」という意見が多いようだ。ということはこのサービス、どこかで空回りしているところもあるようだ。

それにしても。。今回のニュースの件を見ていると、知らず知らずのうちにアマゾンが悪者にされているようで、そこが気になる。ドライバーの労働環境が過酷で、という話にはなるが、経営陣がブラックで、という方にはいかない。資本主義なのだから、需要に見合った価格設定をすることは自由だし、状況に応じ価格が変動することもむしろ自然なことだ。それが、ネット上ではなんとなくヤマトびいきというか、直接の大口顧客を差し置いて(たしかに通販でものを買った人は送料を払ってはいるけど)、ムード形成がされているようなのだ。この状態でヤマトがアマゾンと価格交渉するでしょ。もしあなたがアマゾンの物流責任者だとしたら、すくなくとも多少の逆風は感じないわけにはいかないでしょうね。。

むかしはだって、国鉄改革、郵政改革でしたからね。国鉄の運賃は許認可制で低く抑えられ、労使は始終ぎくしゃくした中でサービス改善は遅れ、今の宅配便の参入を許した。郵政もしかり。文字通りぶっ壊されざるを得なくなった。いずれも、運輸業者側が旧態依然で殿様商売で、と攻撃されていた。

なので、なんだかうまいよなあ、と思わずつぶやきたくなる。。

別に、いい悪いといってるわけではないんですよ、誤解しないでね。

うちの話に戻ると、今は仮住まいと今の家とを行ったり来たりしていて、ひとところに落ち着かず、宅配便をもらいにくくなっている。ので、実店舗で買えるものはそうしている。。といいながら、先日アマゾンで二つの注文をした。そのうち空気清浄機のフィルターは土曜日に着くことになっていたが、あえなくフェイルして、翌日到着になった。amazonの自動メールでは、渋滞の影響で遅配になります、とのことだったが。

あれですね。Google ストリートビューで見慣れた近所を見るのって、離れたところで夜見たりすると結構せつない感じがしますね。

じぶんでも奇妙な感覚ですが。。

 

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タイムカプセル

2017年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

暖かな連休だったが、僕はいくつかの用務で外出したものの、ほぼ家にこもって整理を続けていた。

とはいえ、ここしばらく睡眠不足でひどい状態だったので、休みを取ることも大事な仕事だった。こういうことしていると、とにかくまとまった時間がほしくなる。そうするとどうしても夜型になってしまい、数日間の平均睡眠時間が3時間強という事態になったりする。実際、昨日も電車に乗って座ると間もなく意識がすっ飛んでしまい、気が付いたら目的地、ということを繰り返していた。まさにここはどこ状態。

さて、以前から戸棚や押し入れの書籍が、今回最大のネックになろうと思ってはいたが、なかなか手を付けられずにいた。先週はそれでも、かなりの雑誌を資源ごみに出した。夜出すと持ち去り屋にさらわれてしまうので、朝早くから少しずつ出すのだが、それでも完全には防げない。朝の6時過ぎに、ひもで縛った書籍などを少しずつ指定場所に置いていく。いったん戻って、数分後に戻ると、もうなくなっているのだ。電柱の陰で狙っているのだろうか。。

勿論、こちらとしては所有権放棄して整理してもらうために集積所に持ってきているのだが、なんか気持ち悪いじゃないですか。。資源ごみは「資源」なのだし、僕らの出す相手は公共の自治体のはずなのに。。

まあ、そんな話はともかく、雑誌でも書籍でも古本に回すことはできるはずなので、ネットで古本屋さんを探して引き取ってもらうことにした。これなら業者さんと相対で取引することになるし、まあ多少のお金ももらえる。これこそが本来の取引だ。

とはいえ、古本屋さんは回収業者ではないので、価値のないものは向こうももらいたくはないだろう。その辺申し訳ないとは思ったが、電話でその旨伝えて、来てもらった。

鉄道関係の雑誌が多かった(この道40年、古本を買ったことは多いが、手放したことはなかった)が、スペースの関係で今回泣く泣く手放すことに(とはいえ、手元に残すものもかなり多数あるが)。ほかにも、本棚に収まりきらずに押し入れに箱詰めしていた単行本、文庫、新書その他多数を引っ張り出して並べた。

こちらを読んでくださっている方にはお分かりかもしれないけど、僕はなんでも取っておくことが好きな人だ。だからこそ今苦労しているのだが、今苦労している、ということは、逆に言うと、徹底した保管マニアではないということでもある。本物のマニアなら、悩むことなく全部取っておくだろうから。

それはともかく、掘り出して処分した雑誌類の中で、いくつか興味深いものを。

インターネットマガジン 99年7月号

特集 いま インターネットが面白い100の理由

集中企画 本気で使える電子メールテクニック

特別企画 それはmp3から始まった 疾走するノンパッケージミュージック

仲間でつくろう パーソナルメーリングリスト など。

こうしてタイトルを眺めていると、やはり保存しておきゃよかったかな、という気もしてきますね。。

同誌は発展的解消の上、ウェブ上のコンテンツとして盛業中の由

FMVファミリー 1997年No.1 月刊化第一号。

こういう、メーカーのシリーズごとに作られる雑誌の歴史は長くて、古くはOh! FMなどの名前で出ていた。Oh! FMも買ったことがある。

これを買ったのはもちろん、僕が富士通のFMV5133というパソコンを買ったからだ。既にDOS/Vの時代だから、メーカーごとに紙面を分けるほどの必然性はあまりなかったのかもしれないが、昔からの流れで分けていたのだろう。

こんな時代も二度と来ないという意味で、手元に置いていてもよかったとは思うが、まあきりがないので。

ASAHIパソコン 98年6月1日号。windousはそろそろ98が出るという頃ですね。

表紙がパット・メセニーさんというのも豪華な感じですが、わりと敷居が低くて、オタクっぽさのないという意味でこの雑誌は好ましい印象がありました。会社のネット環境もようやく、各個人すべてのPCがネット接続できるようになり始めたころでした。まだまだITリテラシーは低く、僕の上司も初めてネットにふれて「あのヤッホーっていうの、面白いね。。(もちろんYahoo!のこと)」などと言っていた時代でしたね。。

バブル崩壊後、一時的に車の方向性が乱れいていた時期ですね。それまでのコスト意識が一気にひっくり返って、安っぽさを前面に打ち出したような?新車も出てきたり。プリウスが出るのはこの数年後です。

間違いだらけの・・は、古本でそろえるなどして、一時期すべての年の分がそろっていたころもあったのですが、今は手元に1-2冊残すのみ。

文庫版で、珍しくもなんともないのですが、気になったのはなぜか付箋が張ってあるところ。何考えて付箋をつけたのか、思い出せない。。

動物のお医者さんは一時期、オフィスで流行ったのでした。あと、「アドルフに告ぐ」も。オフィスの女子グループに混ぜてもらって、回し読みしてました。

 

文庫の大半は捨てましたが、それでも結構残っています。パッと見て、直感的にこれはいる、こっちはいらないとやるのですが、そのとき結局基準になったのは、その作家が好きかどうか、だったみたいです。。村上春樹、安倍公房、井伏鱒二はかなり残した。司馬遼太郎は、好きじゃないわけではないけど、とりあえず今読み返したいとは思わなくて。。藤沢周平は残した。あとは、辞書代わりに使える「世界の歴史」とかは結構残したけど、歴史書も時間がたつと記述が変わっていくので、残すべきだったかどうかは。。

というわけで、パンドラの箱は開いてしまいました。

実はこれで終わりではないのですね。押し入れの上段は今回手を付けてないし、シュレッダーすべき書類はまだ見始めたばかり。カメラやオーディオのカタログは、スキャンしようとは思っているけど、時間的に無理かもな。。

押し入れというのはまるでブラックボックスで、多少整理すれば膨大な書類を収納することができてしまうんですね。

そういえば、3.11のときは、細長いCD棚が倒れたことと、押し入れの書類が部屋に散乱したのが印象に残っています。

その写真を掲げておきましょう。おそらくは家の構造がやわで、我が家の地震被害は近所のほかの家などより格段にひどかったのだと思います。

当日、この家にいたらそれこそケガしていたかもしれない。

これは12日午後の早い時間の撮影ですが、同日の午後7時ごろには、一応室内を歩ける程度にまで復旧しています。

ただ、このときは応急的に並べなおしただけで、きちんと整理しなおしたのはゴールデンウィーク前半だったと記憶しています。

 

 

 

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早春

2017年03月19日 | まち歩き

ここのところずっと、家で夜な夜な片づけをしては、深夜に車で戻るという生活をしている。

なので、昼間の近所の風景が物珍しいというか、なんだか家にいるのがもったいような気分になってくる。

間もなくここを去るという感傷は、たしかにあるのだが、実際には今後もこの地域と縁が切れるわけではない。なので、引き続きこの地域の変遷を見続けていくことにはなるのだろうが、まあ地元ではなく他所の地になれば、風景の見え方も違ってくることだろう。。。

本当は片づけも終わっていないが、ちょっと疲れたので一息。。

この地に来たときから閉店し続けている、札幌ラーメンの店。ちょうど交差点に近いところにあるのだが、この辺に住まう前はこの辺をよく車で通っており、そのころからこの店のことは知ってはいた。信号待ちのとき、窓に張られたこの、劇画のキャラクターみたいなシールを見ながら、ぼんやりと考え事をしていたのだ。

やや線の太い、白土三平とか矢口高雄あたりを思わせるような絵柄。このひと、たぶん色白で女性にしては上背が高くて、ちょっとどすの利いた、低めの声で並み居る荒くれ男たちを仕切っているんじゃないかと。

などと昔は思っていたのだが、改めてこの絵を見るとそんなに印象深い絵でもないですね(^^;。年月を経て、オーラが消えてきたのかしら。

今日は久しぶりにワカケさんの声を聞いた。ただ、数は相当減っているはずだ。

一般論として、お寺は瓦葺、神社は藁葺や銅板屋根のことが多いらしい。

久しぶりに街を撮り歩いたが、こういうのは慣れないとなかなか感覚がつかめないものだな。。

さて、明日は荷物や業者を待つ間、家で作業の続きをしないと。

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さいきんの移動音楽事情

2017年03月18日 | うんちく・小ネタ

 ひと月ほど前にこの記事を書き始めたが、多忙でまとめる時間がなく、ずるずると時間がたってしまった。

通勤などの移動中に(再び)音楽を聴くようになったのは1月以降のことだ。いつの間にか季節も廻り、今の生活様式も定着してきたようだ。

数年前の健康診断で、聴力が基準よりも落ちている(無音の環境でもわずかに高音の耳鳴りがする)と言われた。それ以来、耳を酷使するヘッドフォンステレオを通勤時に聞くことは止めた。1年ぐらいしてから、偶にはいいだろうと思って休日に長時間電車に乗るときとかは聞くようになったが、習慣的には聞かずにいた。

しかし、昨年末以降電車に乗っている時間も長くなり(通勤に加え、家と仮住まいともよく移動する)、だんだんと移動中の時間がしんどくなってきた。もちろん本も読むが、混雑具合によってはスマホも開けない時がある。

というわけで、自然イヤホンを耳にすることが多くなってきた。

しばらく使っていなかったウォークマンを再び使い始めた。さいしょはPCを何度かリカバリするなどして、音楽データをなくしてしまったものが多く、コンテンツ的にあまりぱっとしなかったが、改めてリッピングしたりして、徐々に環境を整えた。

音楽データがふるいのは、1年ほど前からGoogle Play musicを使い始めていたからでもある。Googleのコンテンツは、主に仕事で一人オフィスに残っているときなど、タブレットに音楽データを落として聞いていた。または、キッチンなどでBluetoothスピーカーと接続して、家事をしながら聞くとか。外出中に聞くことはほとんどないので、それほど積極的に使っていたわけでもない。3か月100円のお試し期間を経て、今は月に980円かかっているが、あまり聞かないのでやめようかと思っていた。

ただ、せっかくライブラリをまとめたことでもあるし、せっかくだからもう少し活用してみようと思い、Amazonで評判の良かったSoundPEATSのQ12というイヤホンを買ってみた。

このブランドについて予備知識はなかったのだが、ランニングなどのときに使えるイヤホンとして、ネット上では結構な評判になっているようだ。価格も安い。これを、Google Play Musicからコンテンツをダウンロードしたスマホを接続して聞く。スマホはこのほかに、普通にパソコンからダウンロードしてきた音楽や、ボイスレコーダーの音とかも入っているので、それも聞ける。テレビの録画とかもあることはあるが、あまり見ていない。

こんなポーチが付属している。本体に比べてやや大きい気もするが、ある程度のサイズがないとなくしてしまうのかもしれない。

本体はこんな感じ。リモコンには3つのボタンがあり、電源のオンオフ、Bluetooth接続、音楽のオンオフ、スキップ、音量調整すべてできる。充電はUSB端子から。

 

で、いまのところこの二つ(パソコンのリッピングデータを取り込んだウォークマンと、Q12+スマホ)を併用している。

はっきりした使い分けがあるわけではないが、Google Play musicはクラシックが弱い(コンテンツとしてはあるのだが、リファレンス性が悪くて、ライブラリには入れていない)ので、自然ウォークマンをクラシック系、それ以外をスマホみたいな使い分けになっている。とはいっても、ウォークマンにもカーペンターズやらキャロル・キング(それってクラシックじゃ?)も入っているが。スマホというか、Google Play musicではプレイリストに昭和歌謡みたいのも入れてあり、いしだあゆみとか岩崎宏美とか(だからそれってクラシックじゃ?)も聞ける。

音質でいうと、やはりウォークマンのほうが多少良いようだ。それよりも、ノイズキャンセルが強力だという点のほうが大きいかもしれない。3年前の製品だが、昔に比べるとノイズ遮断技術は隔世の感があるなあ、と改めて思ったりする。Q12もノイズキャンセル対応になっていて、一般的にはこれでも十分だが、ウォークマンのほうが遮音が強い。

スマホ付属の音楽プレーヤー(Samsung製)は、アルバム単位で演奏する場合、そのアルバムが演奏し終わったらアプリも停止する。ウォークマンはアルバム単位で演奏して、そのアルバムの最後の曲が終わると、次のアルバムの演奏に移る。外出して手が塞がっているとき、これは結構便利だったりする。

それと、ウォークマンはイヤホンが有線だが(Bluetoothもついているが、これが酷い代物で、全然ペアリングできない)、これも案外と使いやすかったりする。Bluetoothは電源入れてペアリングしないといけないが、出先でQ12の小さなボタンを長押しして接続を確認して・・とやるのは案外ストレスだったりするのだ。きちんと接続できないまま、スマホの演奏ボタンを押せば本体から音が出てしまう。電車の中でそれをやったら、そりゃ恥ずかしい。。なので、有線であることは必ずしもディスアドバンテージとも言い切れないのだ。

家の自動車はBluetoothをサポートしている。車での移動は、スマホをつかった音楽演奏の独壇場だ。 さっき書いたように、ウォークマン付属のBluetoothはとても弱くて、車では認識できない(というより、ほとんどの機器と接続できない)。ここで問題となるのは、さっき触れたアルバム単位での演奏終了だ。運転中に演奏が終了したら、スマホ画面を見ながら別のアルバムを選択して・・などとは簡単にはいかないし、だいいちそれは違法だろう。グーグルではなく、スマホのミュージックプレーヤーなら車側である程度操作はできる。グーグルのほうはそれもできないので、長めのプレイリストを準備しておくしかなさそうだ。

話は少し変わるが、引っ越し時に廃棄予定のスピーカー、TEAC S-350。

既に結線を外されて久しい。もとはサブシステム用として、テレビともつないで使っていた。一見シングルコーンに見えるが実は同軸の2ウェイで、突板仕上げの上品なキャビネットと相まって、同社が輸入代理店をしているTANNOYのスピーカーを思い起こさせる。システム構成から、ニアフィールドで聞くと精密な音場感が味わえる、と紹介されていたが、それほど切れ味の良い音という感じではなく、個人的には上手に使いこなせなかった、という印象が残っている。試しにミニコンポにつないでみたことがあるが、こもったような音になり、結果はよくなかった。経年でエッジが切れてしまい、中古でどこかに持ち込むこともできなさそうだ。

22年前に買った、ミニアクティブスピーカー。電池2本で動く。ウォークマンにつないでよく出先で使っていた。こちらこそ、ニアフィールドで聞くと信じられないくらい、精密な音場が再現される。よく枕元において聞いていた。

今の家の引き渡しを受けた後、家具の配置を決めようと家の中に入ったことがある。このスピーカーとポータブルMDを持ちこんで、外にどのくらい音が漏れるか、確認してみた。窓を閉めて外に出てみたが、案外盛大に外に音が漏れることがわかり、ちょっとがっかりした。当時はマンションに住んでいて、音漏れに関する隣家との関係に神経を使っていたのだ。曲はモーツァルトの36番か39番の交響曲だったと思う。

 

 

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Green

2017年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム

先日軽く触れたが、今の家の近くにある、小さな森の伐採が進み、もはや森とはいえないほどになってしまった。

実際、何か別の用途に使うために伐採しているのだろう。いくつかの大きな木は、区の指定樹木となっていてこれらは伐採できない。それ以外の、椿のような背の低い樹はみな切られてしまった。

 公共の公園などでも、維持管理には相当の人手と費用を必要とするが、こうした都市部に「森」を維持して行くことの難しさは想像がつく。実際、持ち主の方と立ち話をしたことがあったが、自治体の人からも色々言われたり、たとえば台風の後など、落ちてきた枝や葉を掃除するだけでも大変な労力がいるのだそうだ。

美しい花を咲かせる桜も、虫がついたりして色々大変らしい。

理解はできるが、心情的にはやはり寂しいという気持ちをぬぐうことはできない。

などと、考えながらGoogle ストリートビューを見ていた。

今回初めて気がついたのだが、デフォルトでは最新の画像が表示されるが、同じ場所の過去の画像も見ることができるんですね。

毎日眺めていて、その場では変化に気が付いていても、忘れてしまっていた色々の事がよみがえってきて、かなり面白いです。

今は整骨院になっているところが、以前はコンビニだったりとか、いつも通る駐車場に止めてあった、古い車がいつごろまでそこにいたのかとか。

もっと些細なこと、いまはきれいに整備されているフェンスが、少し前まで赤さびた古いものだったりとか。毎日のように通っていたので、ディティールがよみがえってくる。

そんなものは写真にとらないですからね。

緑の話に戻ると、ストリートビューの最も古い画像は8年ほど前ですが、その頃はかなり緑豊かだったらしい。いつの間にか、随分と変わってしまっていたのだ。

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ネスト

2017年03月14日 | セキセイインコ

気が付いたのは2月末の日曜日。その時は同窓会で道を急いでいたので撮影はできなかった。

せっせと枝を運び込んでいた。針金のハンガーも運び込まれている。

今の家の通勤途上だが、既に仮住まいにいることが多くなっていて、撮影の機会はなかなか訪れず。

ようやく先日、Q-S1+06 TELEPHOTO Zoom で狙ってみたが、ちょっと小さいかな。

巣の持ち主はカラス。おそらく都の対策なのだろうけど、ここに住み始めたころに比べると随分カラスの数は減ったが、もちろんいなくなったわけではない。

ただ、このように巣を作るのを見るのは初めてだ。

別の話だが、以前はしょっちゅう鳴き声を聞くことができたワカケホンセイインコを最近見かけないな。どこへ行ったやら。

話変わって、ココちゃんのお宅にお邪魔しているアル。

なんて顔しているんだ、アル・。

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6年

2017年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム

今年もこの日が来ました。

この5年間、当日の足跡を再体験する、ということをしてきたが、今年はあまりにも忙しくて、状況的に無理かな、と思っていた。

しかしながら、当日は帰宅できなかったとはいえ、翌朝押し入れのものが散乱した室内に唖然とし、夏には地震保険で半壊適用を受けた今の家は、この初夏には自分の手許を離れ、解体されてしまう。金曜日、なんとか時間を作り、オフィスを出た。

今回は4年前と同様、家族をピックアップした新宿のオフィスから、親戚の家まで歩いてみた。

昨年、そして6年前と同じく、金曜日だ。

昼間の天候も、ちょうど6年前のような明るく晴れ、そして早春らしくすこしだけ肌寒いものだった。

6年前も部下の子が休暇で一人で仕事していたが、今日も(人は変わったけど)やはり部下の子がお休みだ。

同僚とそんな話をして、そういえばあの日、掃除の人が来たかしら、と聞いてみた。いつもなら6時過ぎに清掃の人がやってくる。答えは来なかった。ほかの会社では、地震後まもなく帰宅を促すよう案内した会社も多かったようだ。

僕は一人で仕事していたので、震災や津波の映像をウォークマンについたワンセグで見ながら、7時近くまで仕事していた。同僚に話す。「あの日は仕事がもたついて、なかなか終わらなかった。今だから言うけど、正直言ってけっこう動揺していたんだ。人には涼しい顔していたけどね。。」

あの時と今とで、大きく違うのは新宿南口にバスタができたことだ。あのときは工事中で、たしか歩道が閉鎖され、臨時に車道に仕切りをつけてそこを歩いていた。すぐそばの車道は車でいっぱいだった。

当日は開店休業のような状態だったことを思い出す。町のたたずまいは、変わっていないような気もするが、よくわからない。考えてみると、当日、ようやく連絡がついた部下の子と歩きながらずっと話しっぱなしで周りを見ていなかったのだ。ただ、この牛丼屋だけは覚えちている。

昨年以前にも書いているが、当日は親戚の家に泊まって、翌日従兄の車で送ってもらい帰宅した。大通りから自宅まで歩いて帰ったが、澄み切った青空の気持ちいい朝だった。家についたのは11時半ぐらいだったと記憶している。

今年の天気もあのときとそっくりだ。あのときは鳥も何も飼っていなかったな。そういえば。

あの日は、押し入れや本棚からものが落ちて大変なことになっていた。

今は、あのときもとに詰め戻したそれらのものを取り出しては、ゴミに出している。

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ハードカバー

2017年03月10日 | 日記・エッセイ・コラム

ようやく買いました。

すぐに買うつもりが、なかなか本屋に行けなかったり、図書カードを忘れてきたりして、ずいぶん時間がたってしまった。

しかも、丸善のレジで図書カードを出そうとしたらすぐに出てこなくて、財布を大捜索して店員さんに笑われてしまった。。

2冊で4千円近いですからね。。

しかも、ハードカバーは持ち歩きが不便だし、重いし嵩張るし。

1Q84も、出るたびにハードカバーで買ったけど、読み返すときは面倒なので、文庫本6分冊を買いなおしてしまった。

今、引っ越し準備で大量に古い本をすてているのですが、これが大変。こんな思いをするくらいなら、最初から電子書籍にしてほしい、と思うのですが。

今は「ねじまき鳥」を読み返していまして、ほかの本も読んでいるので、これを読み始めるのはちょっと先の話になりそう。

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近況

2017年03月08日 | 日記・エッセイ・コラム

月曜日、予定がながれて、時間がすぽっと空いた。

予定が変わるのは残念なのだが、少し自由になる時間ができて、うれしく思ったりしている自分もいる。ちょっとだけ、色々変化が起こる前の頃に戻ったような感覚。夜になって雨もやんだ。風はやや湿気を帯びていて、頬に心地よい気もする。季節はまた少し進み、春を感じる。。

押し入れから古い衣類やカバンなどを引っ張り出して、袋詰めする。10数年前まで使っていた通勤カバンなどがそのまま残っている。覚えのないバッグなども入っている(たぶん、もらったまま使わずにおいたものとか、1,2度は使った形跡があったりと色々)。クリーニングの袋を見ると、預かり日が9年ぐらい前のものがあったりとか。

クリーニング屋さんも、古い店のものだ。ここに来て間もなくからの付き合いの店に、かなり長いこと出していた。眼鏡で細い感じのおばさんが店番をしていて、時折大学生らしいお嬢さんがラケット抱えて帰って来るのを見かけたりした。あれはいつだったのか、そのおばさんが辞めてしまったのか、とにかく店から姿を消し、30代ぐらいの女性に変わった。それから数年続いたが、いつだかの初夏のころ、店舗そのものがなくなってしまった。

ほぼ同時に、向かい側の雑貨店でクリーニング取次ぎを始めたのでそちらに移った。この店はやがて雑貨店をやめて、元出していたクリーニング店側に移動した。おばさんと息子さんが店頭にでてくれるが、今は顔なじみだ。

引っ越しをすれば、このおばさんたちとは縁がなくなる。

今回引っ越すにあたり、最初に寂しいと思ったのは、こういう人たちとのつながりだ。ちなみに、最初のクリーニング屋さんで、学生だった娘さんはその後お母さんになったらしく、子供を連れて歩いているのを時折見かける。まあ、向こうはこっちを知らないだろうけど。

ゴミ出しをする。適当に作業を終わらせようとするが、ゴミ捨ては癖になるというか、ついでにこれも、これもと、一度勢いがつくと止まらなくなるようだ。

壊れたレコードプレーヤーと、古いワープロも出してみたが、夜戻ったら集積所に残されていた・・。粗大ゴミですな(おおむね30㎝角以上のものは粗大ゴミ扱い)。調べたら、ワープロはPCのようなリサイクル法の対象外とのこと。パソコンの、法施行以前に出荷された製品は料金がかかるが、4-5千円かかるらしい。そりゃないだろ、とも思うけど。。

火曜日、昨日張り切りすぎたせいか、オフィスで仕事をしているとしんどく感じる。柚子胡椒のせんべいとか、チョコレートを食べて蘇生をはかるがだめ。会社の子に助けられて乗り切る。

夜、用事があったので戻ったのが10時半過ぎ。遅い食事をして、なんやかやするが、さすがに片づけに手を出す気になれない。寒い。動けなくなり、寝落ち。この日は作業中断。

水曜日。朝日がさわやかだ。寒いがやはり気持ちいい。

駅に向かって歩く。近所の森の木が、また伐採されて見通しが良くなっている。詳しくは知らないが、農地法か相続税法でも変わったらしく、今までほったらかしだった農地や森が、近年開墾されたり切り開かれたりすることが多くなっている。一部は宅地化もされた。うっそうとした森は、心を落ち着かせてくれるし、鳥たちも喜んで集まるので好きだったのだが、持ち主にとっては手入れが大変らしい。

僕がここを去ってからも、この町は変わり続けていくのだろうな。

 

 

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シュレッダー

2017年03月05日 | 日記・エッセイ・コラム

こんなものを買った。

職場ではとうぜんシュレッダーを使っているが、自分で家庭用のシュレッダーを買うことになるとは思わなかった・・。引っ越しに際して、手持ちの書類を少し整理したいからですね。

この分野の製品はピンからきりまで非常に幅が広く、数千円のものから数十万円のものまであるようだ。どの程度使うのか、自分でもわからないので迷ったが、偶々量販店で型遅れのものが安く売っていたので、それにした。

GBC(アコ・ブランズ・ジャパン株式会社)はアメリカの伝統のある事務機メーカーのようですね。

さいしょはサンワサプライとか、アイリスオーヤマとか、知っている会社のものにしようかと思っていた。しかし、餅は餅屋ということなのか、店頭では多くのモデルがそろっていて存在感があったこのブランドの製品に決めた。

大きさは加湿器とか、セラミックヒーターとかを思い起こすようなかんじで、重さもそれに準ずる。つまり家庭用としては扱いやすいサイズ、重さだ。デザインもすっきりしている。

肝心の使い勝手については、まだ作業が本格化していないのであれだが、まあ家庭用としては普通ではないかと思う・・。オフィス用としては今は古いMSシュレッダー、以前の職場では無名のメーカーのものを使っていたが、さすがにMSの信頼性は抜群だ。無名メーカーのはしょっちゅうトラブルを起こしていた。こういう純粋な機械物は、細かなノウハウの積み重ねが効いてくるんだろうな。

新しい家が、当初予定したよりも狭いものになってしまったので、不要不急のものはできるだけ処分する方針。この点、今までの生活からの脱皮のような意味合いがより強くなっていくのだろう。今の家の整理は、これからがいよいよ本番。

’99年春ごろ、今の家の中を撮影したものとしては一番古いもののようだ。デジカメもコンパクトカメラもなくて、MFのフィルム一眼レフしか持っていなかったので、今みたいに日常風景の写真は残っていないのだ。。このスピーカーはいまも現役。今は階下においてある。(上の写真の、シュレッダーの背後に映っている)。部屋の雰囲気は基本、今でも変わっていない。

2001年春。この頃が一番熱心に花を植えていた。門柱脇のゴールドクレストは、この年の夏の猛暑で枯れてしまった。

今も緑豊かな土地柄だ。これも2001年。麦を作るのは今は止めたらしい。奥の森は農家の庭で、欅の木は間伐されて小さくなったが健在。

追記:一部誤字修正しました。だいぶ疲れてるな。

コメント (2)
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