うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

8年たちました

2019年04月30日 | ブログ

毎年この日はブログ開設記念日?として、ブログ関連与太話を書いているのですが、今年は平成から令和への節目という、めったにない機会に当たることになりました。

一日中テレビを見ていると、なかなか感慨深いものがありますが、いざこうして何か書こうとすると、とりたてて書くこともないですね。。

皆さんそれぞれの心の中で、ご自身と向き合うのも一興かもしれません。。

今日は天気が悪かったので家でペーパークラフト作ってましたが、ちょっと外出したら道の混雑、すごかったですね。。仕事をしている人もたくさんいて、本当に人それぞれの平成の終りという感があります。

これから時代越しそば、食べます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成熟脳

2019年04月29日 | 本と雑誌

成熟脳-脳の本番は56歳から始まる‐ 黒川伊保子 新潮文庫平成30年

何度かに分けてこの本について書いたが、この、脳の生涯に関するテーマが本書の主題である。

その前に、前回男性脳と女性脳に関することを書いた時の補足。実はあの記事を書いた時は相当頭にきたことがあって(私事ですが・)、筆が進まないまま(死語)あげてしまった。もうひとつ言いたいことがあった。男性の空間認識力の話。

男性は女性よりも「拡張感覚」が発達している。道具やメカをまるで神経がつながっているかのように自分のものとして操作する。バイクが手足の延長のようになってくる。そして長年連れ添った妻も。。自分の右手をわざわざ褒めたりはしないように、いつまでも女房をほめそやすようなことはしない。黒川氏は逆に、奥さんを人前で褒めていた年配の夫婦に違和感を感じたそうだ。本当に一体化した二人なら、あんなことは言わないと。

まあ人にもよりますけどね。。僕など車の車両感覚に慣れるまで1年ぐらいかかって、今でも駐車場でまっすぐ止められなくて自己嫌悪に陥ってます。。カメラなども慣れるまで相当時間がかかる。だから、しょっちゅう機材を変える人のことをすごいなあと思ったりする。

女性でも運転の上手な人は多いし、あれはどうなんだろう、ピアニストやヴァイオリニストはかなり女性の割合が多いのでは。。


「成熟脳」というのは、脳の生涯についての話。冒頭黒川氏が書いているように、さいきん物忘れをするようになったな、と気にしている方には耳寄りな?話題だ。

黒川氏の説によると、人生最初の28年間は入力に最も適した時期、その次は色々な経験をしたり、ときに失敗をして判断力を養う時期、そして56歳からはそれらが結実して、状況に応じた適切な判断ができる成熟脳となる。判断をするために不要と思われる情報は頭の中で「整理」されてしまっているから、すぐに思い出せないが、それでいいのだ。

60代とか70代になるともう言葉ではなく直感で物事がつかめるようになるので、旅や抽象度の高い能などの芸術鑑賞に適しているのだそうだ。もはや言葉は不要であり、それを人に説明する必要性すらなくなる。さらに80を超えて90代になると、脳が若返る傾向があるらしい。

ただし、人により寿命は異なる。脳は(肉体的な)寿命を知っているようで、死が近づくと自然に外界に対する反応が弱まっていく。

「脚が弱った身で、地球の果てまで行きたい冒険心があったら、きっとつらくてしょうがない。」

自分の親もそうだが、年配者に触れ合う機会が増えると、彼らは自分たち(の世代)とは違う原理で行動しているな、とふと思うことがある。ただ、彼らは彼らだけで生活することができず、自分たちの助けを要する。そこに摩擦が生じる。

よく「老害」などというが、それは間違いで、単に世代間がうまく結合していないからそうなっているに過ぎない。今は自動車が操作できない老人もいるし、詐欺に会う老人もいたりするが、各世代間でうまくつながることができれば、社会はより成熟したものに変わっていく可能性がある。

とはいえ、あれですけどね。実際会ってみるとってのはあるな。。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年に一度

2019年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は年1度のオペラ公演の日なので、朝5時半ぐらいから起きて支度を始めます。

尤も荷物搬入ぐらいで、現地ですることも出番もそう多くはないのですが。

生憎の雨模様で、連休初日かつ土曜日ということで道もあんがい混んでいたりと、なかなか憂鬱。

今回は多数の人に参加していただけましたし、お客さんもたくさん。。

もうちょっと仲間内に宣伝しておけばよかったかな。

朝からずっと室内にいましたが、終わって外に出るときれいに晴れている。そしてとても寒い。

ほんのりとアウトサイダー感が漂っていましたが、帰りの車の中で、仲間と(それぞれの)職場の愚痴話などをして。。

まあどこもたいへんです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連休前

2019年04月26日 | まち歩き

平成の仕事をすべて終えて帰宅します。

なんとなく、年末年始のような感じですね。。

前の上司が言っていましたが、昭和で就職して平成、令和と仕事を続けるとは、ちょっと感慨深いものがあります。

個人的には現宅に転居してちょうど2年です。まあ時代は回っていきますね。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨のにおい

2019年04月25日 | まち歩き

前半は季節の歩みがなかなか進まないように思えた4月でしたが、今日はほんの少し、梅雨を思わせるような、ほんのりとした雨模様でした。

田舎道を(高速でしたが)窓を開けて走っていると、土のにおいがふっと漂ってきます。

車を降りて道を歩けば、木造の家からは家のにおいがします。

雨の日のにおい。

このブログでは以前再三引用していた「ヨコハマ買い出し紀行」14巻「ラジオ」より。

このディストピア感覚は令和を目前に控えた今となると、まさに平成という時代にふさわしい視点だったように思えてきました。

つまり、時代の変化とともに、本書に対する見方がすこし自分の中で「回転」してきた。

 

平成とはまさに、

「お祭りのようだった世の中」がゆっくりと落ち着き、のちに「夕凪の時代」と呼ばれた時代、

だったのかもしれません。

 

それと、これも以前はそれほど気にならなかったのですが、アルファさんたちは家族の愛情のようなものの記憶がない。というか体験そのものがない。

時にとても内省的になり、自分のルーツを思い詰めるココネさんも、そのことを気に悩むことはない。

生まれてから、次第に自意識が芽生えてくる頃の記憶はあるらしいけど、そのあたりにもうすら寂しいムードが漂ってきます。

アルファさんにはのちにタカヒロやマツキ、おじさんたちとともに過ごした経験があるし、ココネさんもやがてアルファさんとともに暮らすことで、多少の救いはあるのですが。

 

まもなく始まる令和の時代には、どのような作品が生まれてくるのでしょうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

機関銃下の首相官邸

2019年04月24日 | 本と雑誌

迫水久常 ちくま学芸文庫 (文庫は2011年2月、最初の発行は1964年)

二・二六事件から終戦までという副題がついているが、内容はほぼ、迫水氏が現場に居合わせた二・二六事件と、終戦時の内閣である鈴木首相のもとで内閣書記官長を務めた際の記憶が中心である。このうち終戦時の話については、昨年同じ著者になる「大日本帝国 最後の4か月」を読んでいる。

これを読みながらふと、「日本の一番長い日」をまた見たくなって、昨年録画したものを見返してみた。本の感想より先に映画の話をするのも恐縮だが、この映画、海軍に随分辛口ですね。。(前にもそう思ったはずだけど)。大西瀧治郎中佐など、手の早いやくざのような性格に描かれている。米内光政海軍大臣も、ちょっと軽率なひとのような描写になっている。東条英機元首相は、けっこう誰が扮してもそれらしい雰囲気がでるという点で、日本の政治家、軍人の中では特異な存在ですね。

本の話に戻る。難を逃れた岡田啓介首相を救出させるための興亡や、書記官長として御前会議等の手配をした際のエピソードは、その場に居合わせた迫水氏でなければ書けない、貴重な情報だ。それにしても、官吏としての優秀な才能のある方だったとはいえ、なんというめぐりあわせの方だろうか。

今日の日本と照らして、社会のなりたちや感覚のちがいを大きく感じる点。一つは軍隊だ。このことを短い文章でまとめることには無理があるが、やはり第一次大戦、あのあたりで欧州や米国などが体感した危機感を、日本の指導層が十分に共有しえなかったことが、その後の色々なことを招いたのかな。。少なくとも二・二六事件のころまでは、迫水氏も書いていたように国民は軍を基本的には信用したようだ。本書で迫水氏も描いているように、「憲兵」に対する見方も違っていたらしい(これは東条内閣がダメにしてしまった)。

若手将校のあれほどまでの跋扈は、やはり僕には感覚的にわからない。

もう一つは国体という概念だ。迫水氏も笑い話として書いているが、執筆時(昭和38年ごろか)手伝ってくれた若手の人が、なぜ昔は国体がそんなに大切だったのだろう、今はオリンピックで勝つことこそが大事なのに、とつぶやいていたと。

もちろんその国体ではなく、かつて為政者の口にのぼっていたのは国のありかたのことだ。迫水氏は本来「国体」というものは、日本民族が天皇を中心として国家を形成し、天皇を心のよりどころとしながら国を運営していくことで、そこに支配者被支配者の敵対関係は存在しない、もっとおおらかなもののはずだ、という。憲法の制定にあたり、欧州の憲法を参照しながら統治権主体の規定などはなされたが、それでも国民の心情としては従来からのおおらかな心持のもと、うまく運営されてきた。昭和に入り、ファシズムや社会主義が台頭するとこれを日本に取り入れたいという動きがあり、次第に変質させられてきたのだと。

迫水氏は新しい憲法のもと、国民主権と変わった今日においても、日本国のなりたちとしての本質は、大きく変わりはないのではないか、と述べている。

これも、一言ではかたりきれないものがあるが、ただ言えることは、戦後になってからも共産主義やアメリカ的な価値観など、いろいろな考え方が輸入されては、人々の間で議論が起きたり、知らないうちに自分たちの中に取り入れたりしていた。なにかの影響を受けることはそもそも排除できない。さらにいえば、今日のグローバリゼーションとその蹉跌みたいな問題も出ていている。いずれにしても、人々が当然共有していると思っていることも、時代によっては違っていたりするのがまた興味深い。

鈴木内閣の終戦時における慎重な運営、ここでは若烹小鮮ということばで紹介されているが、これは読みながら、自分の今直面している状況に照らして身につまされたりした。やはり歴史から学ぶことは多い。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男性脳と女性脳

2019年04月23日 | 本と雑誌

成熟脳 黒川伊保子 新潮社 平成30年

「三十年ほど前、人工知能エンジニアとして、ヒトとロボットの会話の設計をしていたとき、私は、男性と女性の対話形式が異なるのに気がついた。

 女性は共感のために対話を紡ぐ。ことの経過について時系列をなぞるように話し、気持ちに共感してもらうことで、真実を見つけ出す脳だからだ。

 男性は、問題解決のために対話を紡ぐ。このため、相手の話の中から、何が問題かをいち早く切り出して、解決を図ろうとする。

 この二つの対話モデルは、まったく相いれないもので、混ぜることができない。(『くのいちの術』)。」

本書では繰り返し触れられている男女のものの考え方、話の仕方の違い。なにかが違うということは薄々とわかっているから、身につまされるというか納得ががいくところもあるが、ちょっとだけ、こんなにはっきりと断言されるとちょっと抵抗を感じなくもない。

ただ、なにかを説明するために延々と語り続ける女性は身近に何人もいることは事実だ。

そして僕は、時にはそれを中断させてしまう。

なんとも厄介なものだ。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成時代、どこにいたのか

2019年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

考えてみると、平成が始まった翌年に都内西郊に転居し、今上天皇が退位の御意思を表明された翌年まで、何度か住まいを変えながら住み続けていた。

なので、平成時代はほぼすっぽり、都内西郊地区にいた記憶と重なることになる。

ピアノが来た日 Apr. 2003

もっとも、平成時代とともに大きな区切りを迎えるという経験をされる方は、〈住まいに限らず〉けっこうおられるのではないか。30年というのはそれなりにまとまった時間だし、人がなにかを始めて一区切りつけるには適当な期間だという感じがする。

ピアノが出ていった日。Apr. 20, '17

元号が変わること、色々な感慨を持たれる方もおられるだろうし、関係ないと思われる方もまたいよう。

ただ、この時代を生きとおした方は、思わずこの時代を振り返るということぐらいはするだろうし、やはり一つの区切りとしてとらえる方は多いだろう。

ちょうど2年前の今頃は、家の整理をしていた。

既に太平の世は終わり、自分の周りの環境は大きく変わり始めていた。今日に至るまで、色々なことが変わり続けている(変わらないで困っていることもまだあるけど)。

はっきり言って越すのは気が進まなかったけど、息をつめて思い切って動いてしまえば、あとは現実がついてくる、という感じだった。

2年もたてば今の生活にもなじんでくるし、昔は少しずつ遠ざかっていってくれている。

まだ変わりきっていないところは、色々矛盾も生じているのだが、これは致し方ない。

それこそ、時代が令和になれば、事態は一気に変わってくれるのかもしれない。

よく、失われたXX年などというが、たぶんだけど50年ぐらいたっても、この時代の評価やはりそういうものなのかもしれない。

この30年間で、日本はその存在感を少しずつ落としていった。その点は議論の余地はない。

しかし、それではこれからも日本の競争力は落ち続け、他国の後塵を拝し続けていくのかというと、たぶんそうはならないような気がする。

さりとて、昭和30年代のような、高度成長が再来するということでもないだろう。

どういう世の中になるかは、平成の初期に我々が想像できなかったのと同様、今の自分たちにもわからない。

でもきっと変わる。

昭和の事物を懐かしがった平成の人々。団地、テレビ、初期の国産自動車。

性能や使い勝手が不十分なところがあっても、あこがれの存在と思われることで、プラスの印象としてとらえられてきた。

すこし平成にかかってしまうけど、バブルラジカセなんてのも、今は作ることができない物量重視の設計が懐かしがられた。

前にも書いたかもしれないけど、平成時代の技術や製品は、わりと軽視されがち?だ。

日の目を見ずに、あるいは一世を風靡しながら、時代の波に飲まれた技術、たとえばMD,DCC,レーザーディスク、APSカメラ、iモード、MOなどなど、こういうものはいまのところまだ、見直される対象にはなっていない。

これから平成懐かしブームみたいのが起きたとき、再び脚光を浴びることになるのかしら。。

自分のことに話を戻すと、平成はなんやかやと手こずることが多かったので、これを区切りに状況が変わってくれることを望んでいます。

なので、時代の区切りを意識するんですね。。

まあしかし、色々なことがあったものです。。

前回ほどではなくても、オリンピックを前に東京の風景も変わり続けているし。

とにかく、希望を持って新しい時代に備えたいと思います。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人工知能やら、アンドロイドやら

2019年04月19日 | 本と雑誌

成熟脳 黒川伊保子 新潮文庫 平成30年

 面白い本なので何度かにわけて書いてみたい。

黒川氏はAIの研究や脳についての研究に長年携わってこられた方らしい。著書も何冊かあるということなので、一部ではかなり有名な方のようだ(すみません、初めて読みました)。

男女の脳の違いとか、ものの捉え方の違いとかも大きなテーマの一つだが、とりあえずいちばん書きやすい課題を。

 AIという言葉は、過去何十年化の間に何度も言葉としてのブームを迎えているらしい。ブーム再来ということで、今年のお正月番組で、AIを取り上げたドキュメンタリー番組は多かった。なかにはAIが人の仕事を奪うという切り口の番組も散見されたが、黒川氏はその点楽観的にとらえているようだ。

 「家事ロボットが家庭に入ってきても、主婦の仕事はなくならない。なぜなら、主婦の仕事の一番大事なことは『家族を案じ、するべきことを決める』ことだからだ。洗濯をするのは洗濯機でも、何をどのタイミングでどう洗うかは愛情が決める。子供の体育着が体育の授業に間に合うように、母たちは抜かりなくスケジュールを決める。(「人工知能に、人は負けるのか」)。

内燃エンジンが発明されて、穴を掘ったり荷物を運ぶ作業は軽減されたけど、それで人が失業することはなかった。人間の価値がしだいに変化してきたのだという。


スーパーのレジ打ちなんかは、やがてセルフレジにとってかわられるのではないか。無人コンビニもやがて普及していくのでは(昨日もニュースで取り上げていたが、24時間コンビニの問題。オーナー家族の方が亡くなったり、かなり悲惨な論調だった。現場のしわ寄せを無茶な努力で乗り切ろうとする日本人。。だがそれを技術でカバーできれば?)。

 黒川氏は、機械化が進めば人の温もりが恋しくなってくるのでは、と言う。

「ほどなく、トレイにかごを載せるだけで合計金額が出て支払いも自動でできる全自動レジも登場してくるはずである。買い物のうら寂しさは進むばかりだ。そうなってくると、人レジは価値化される。・・人レジは、その店のホスピタリティ・スポットになるに違いない。・・「レジ打ち」という職種は地位が上がることになる。レジ打ちさんはその店の顔になるからだ。」(「人工知能は、天使か悪魔か その2」)


わかる。

僕は結構買い物が好きだ。よく行くスーパーでは、別に声をかけたりはしないがお気に入りの店員さんがいる。

”お買い上げXX円ちょうだいいたしまあす”、と歌うように話すお嬢さんとか(よく通る声で目立つ。この子がなかなかツンデレで、財布からお金を出すのに時間がかかったりすると、じっと見つめられるときの緊張感もまたいいというか・・)。

”ばななが一点、ぴ~まんが一点・”と、イントネーションは伝えられないけど、聞いたら忘れられない語り口で読み上げる年配のおばさんとか、それぞれに味がある。

おっさんぽいなどといわないで欲しいが、それぞれのお店の制服もそれなりに可愛いと思ってみてたりする。将来スーパーがふつうに無人化されたら、やはり昔はよかった、と思うんだろうな。。

 黒川氏は機械が心を持つことに対しては否定的だ。年配の研究者はしばしば「鉄腕アトムを作りたい」というが、十万馬力の原子力でうごく機械がリビングに来て、かわいいことばでしゃべったら気持ちが悪いだろうと。

 以前テレビで見た話だが、日本人は抵抗なく人間そっくりの機械(アンドロイド)を作るが、これがドイツ人の感性にはなかなか受け入れられないらしい。宗教的、あるいは歴史的な感性の違いなのかもしれないが、とにかく気持ち悪いらしいのだ。黒川氏によれば、ネコにも思いやりの心はある。しかし機械は機械だと。。

 そうするとあれだな、ここでは繰り返し触れている「ヨコハマ買い出し紀行」なんか、ロボットでいることは一つの個性だ、なんて言っているものな。アルファさんもココネさんも完全に人の心を持っていて、それゆえ悩みも持ったりしている。あの辺は黒川氏の見解とは対極にある世界観ですね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渋谷、日本橋

2019年04月17日 | まち歩き

帰りの電車に乗りこんで、好きな昭和史の本とか開くと、ほぉ~っとする。

あまり大声では言えないが、大した人生でもないのに、なんでこんなに大変な思いをするんかいなと、つくづく思ってしまう。。文字通り手に汗にぎったり、足の裏も汗が出てきて寒くなったりと。。でもそんなこと、この国を終戦に導いた人たちの苦労に比べれば。。

そんな毎日をすごしておりますが、気がつけば桜も散って、少し春らしくなってきましたね。。


月曜日はお休みをいただく。

午前中は建設中の墓の打ち合わせ。の、はずだったが担当者の方のご家族が急病で繰り延べに。色々あります。

午後は渋谷に出て、セミナーを聞く。

渋谷、先週も来たが、とにかく再開発工事がすごくて、なにがどうなっているのかさっぱりわからん。

まあ先週のほうが酷かった。今回は少しは勘がきいて、多少はどこを通ったらいいのか分かるようにはなった。

東急文化会館はさすがにあれだが、東急線の駅とデパートがなくなるとさすがに異次元の世界めいてくる。昔は山手線の改札を出たら右に行って東急の改札を横目で見て、階段を下りると右が歩道橋、左にデパートがあり、ワッフルだかベーグルだかのにおいをかぎながらすこし歩くと、バスを待つ人がたくさんいて、とい感じだったのだが。。

今も都01系統新橋行きは何台か待たないと乗れなかったりしているのだろうか。

まるっきり、別物の街になりつつあるわけだが、たしかにぜんぜん違うけどそこここに昔の面影が残っているあたりが何とも。。

昔東急線の駅があったあたりは今、高層ビルを建築中で、一部が完成している。通路には線路跡のようなオブジェを見ることができる。

もちろん、本当の廃線跡という訳ではない。

セミナーの講師は吉崎達彦氏だが、内容について触れて良いかわからないのでここではとても楽しんだ、と書く程度にとどめておく。

終了後、まだ日も高いので昔通った道(短期間だが。それに、消してしまいたい思い出ではあるのだが)を歩いてみる。

ここも、周りのビルがきれいになっていたり、お店の業態が変わっていたりするが、それなりに昔の面影は残っている。自分のいたオフィスのビルは、きれいに改装されて、おしゃれっぽいテナントが入っているようだった。

表参道に出て地下鉄に乗り、日本橋へ。皇室展を見る。

平日の夕方だが、たくさんの人が来ていた。平成の30年間のみならず、皇太子時代のご公務などを含めた展示となっている。

考えるまでもなく、昭和から平成へと変わったころは、このような企画展示は存在しなかった。そういう意味でも今回のご退位-新時代という流れは、理にかなったものといえるのかもしれない。

このあと、中央通りを京橋方向に歩いて銀座まで。山野楽器でCD買いました。

常磐津です。初めて。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひばり

2019年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

諸事情で書くのに時間がたってしまったが、少し前の週末、車の修理のため工場に出向いた。うちからはちょうど街の真反対にあり、周辺は田園地帯だ。

旧宅にいたころ、桜(ソメイヨシノ)の見事な大木が家々の庭に咲いているのを見て、この辺は戦前に住宅街になったので、その頃家を建てた人たちが植樹したのだろうなと考えた。そして、その頃近郊農業地帯だった現宅付近は、普段利用価値のない桜の木はあまりないのではないか、と思ったりもした。

がしかし、そんなことはなかったようで、車で走ってみると、そこかしこに見事な桜の木がたくさんある(開発されて日の浅い現宅の周辺にはほとんどないけど)。

のどかな田園地帯だ。

数十年前もそうだった。子供の頃よく父と一緒に、自転車に乗ってこのあたりの田んぼを見に行った。

農家の出の父は、田畑を見ると心が落ち着くようだった。

この季節、田んぼにはレンゲが咲き、上空ではヒバリがぴりぴりと鳴いていた。

ヒバリは地表に巣を作る。この時期、ひなたちが餌を運んでくれる親を待っている。親鳥は空から直接巣のある場所には降りずに、離れた場所に着地してしばらく地表を歩いて巣にたどり着く。

天敵に巣のある場所を悟られないための知恵だ。

そんなことを父から教えてもらい、感心していた。

中学生になって、もう父と田んぼなどに行くこともしなくなった頃、珍しく父に誘われて一緒に出かけたことがある。

その頃は休耕地になっていて、ゴミやらなにやらが雑然とおいてあったのだと思うが、父はそれをやおら拾い上げて、水のたまった溝に投げ込んだ。

勢いよく水柱が上がる。

何度もそれを繰り返したあと、僕の方を向いた。

同じことをしてみな、という合図だと思い、僕も石か何かを投げ込んだ。

しばらくそんなことを繰り返した。

子供でも、あるいは子供だからこそかもしれないが、父が普段と違い、なにか心に抱え込んでいているんだな、ということは十分に理解できた。

少しずつ日が落ちてあたりが黄色くなってきたが、しばらくそんなことをしていた。

父は何も言わなかったし、家に戻ってからも普通にしていた。

あのとき父は、自分が何かを抱えているという姿をはっきりと見せてくれた。

なおかつそれを、息子と分かち合おうともしてくれた。

そのことを思い出すと、今でもとてもありがたく思う。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和へ

2019年04月07日 | 社会・経済

もうテレビでは平成を振り返る特集などが始まっているが、これからもそういう切り口の報道はますます増えていくだろう。

ただ個人的には今は新時代への期待のほうが大きくて、あまり過去を振り返る気がしない。ともすればすぐ感傷的になる自分にしては珍しい。

これはネットでちょっと語られていたことだが、令和はどこか高貴な響きがある。平成は、そんなことは今まで考えたことはなかったが、なんとなく庶民的というか大衆的で、あえて言えばどこか鈍い感じも漂う。令は令嬢とかいう言葉が浮かぶけど、平成は平民とか、そういう単純な連想でしかないような気もするが、やはり言葉の響き、語感が影響していると思う。

オーディオ評論家、コラムニストだった長岡鉄男氏の30年前のコラム「平成元年」(『長岡鉄男のいい加減にしますPartⅣ所蔵)によると、平成HEISEIは「肩肘張らずに、気楽に、気軽に、内外の世論にさからわず、摩擦をなくして仲良くやりましょうという意味合いを持つ」。今にして思うとかなり当たっているなあ、という感じがする。。氏が存命していたら、REIWAをどのように評価するだろうか。。

振り返る気がしないといいながら、結局振り返ってたりするが(^^;、あのとき、昭和64年1月7日は土曜日で出勤日だった。そのころはまだ金融機関は土曜日も営業していたのだ。有名な小渕官房長官の新元号発表は、リアルタイムでは見ていない、はずだ。週明けにはもう平成という元号で仕事をしていたはずだが、なにかが困ったという記憶はない。

土曜日は半日勤務で午後1時退社でした。職場の人と何の話をしたのかも覚えていない。。

一緒に食事をとった後、「写ルンです」を買って(とうぜん写メもコンデジもなかった)、街の様子を記録した。

社会がいろいろと自粛ムードだったことは確かで、前年放映されたCM「みなさんお元気ですか」が削除されたのには驚いたが、そんなものでは社会全体の隆盛は抑えきれるものではなかった。あの頃のことを考えると、社会全体の勢いが全然違っていたことに改めて驚く。

ご記帳に向かう人々。手前の東京海上ビルはいまも健在だが、真ん中のAIUビル、その奥の日本鋼管、左のパレスホテルもみんな建て替えになってしまった。

こういう街の記録はほとんどしたことがなかった。だいたい、日常普通の人が写真を撮るということ自体、あまりしてなかったものな。。

さっきの場所から90度右にむいたところ。行幸通りもそっけないアスファルト。丸ビル、新丸ビル、遠くに大丸デパートのビル。

時代の勢いの話に戻るが、この年空前の好景気を謳歌し、消費税導入の影響なんかまったく気にする必要もないようにみえた日本経済は、その翌年から一気に転落する。あとは皆さま覚えている通り。のちにバブル時代をうらやんで、あの頃どうだったのか聞いてくる若い子もいたが、その末路を知っている僕らとしては、そんなものを懐かしむ気にもなれない。

新しい令和の時代こそ、僕らの望むような時代になることを望む。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝の国際ニュース

2019年04月05日 | テレビ番組

番組改編の季節だ。毎朝出かける前に見ていたNHK BS1 キャッチ!世界のトップニュースは時間帯が変更になり、8時から(再放送11時から)となった。番組名は変わるが、この系統の報道番組は、かれこれ20年ぐらい見続けている。以前はもう少し早朝に始まっていたと思うが、8時台ではちょっと見るのが難しいなあ。今、7時台はは各国のニュースを通訳付きでそのまま流している(以前はこれが8時台の番組だった)。個々のニュースもさることながら、痛いのは市況とワールドウェザー(日本を含む)が見られなくなったことだ。市況はデータとともに、ニューヨークのマーケットについて現地の日系金融機関社員の人が注目点などのコメントを話してくれていた。これらの情報が見られないのはちょっと寂しい。

夜の「国際報道2019」は放送時間が短くなった。実は朝のほうの放送はちらちらと見る程度で、テレビ自体見ないことも多いのだが、夜の放送は、特に昔は熱心に見ていた。一時は2時間(経済の番組も含む)枠で放送していた時代もあったが、4月からは40分に減ってしまった。もっとも、3月までの50分時代は後半のWORLD ROUNGEあたり、ちょっとダレる感じが否めなかった。ニュース番組は長ければよいものではなくて、NHK地上波でも朝6-7時台や、夜9時台のものは不要な情報を延々聞かされていると感じることがある。

報道番組の形として一番好きだったのは、前宅時代見ていた日テレニュース24だ。30分~60分間隔でほぼ同じ内容のニュースが繰り返し放送される。今はスカパーに入っていないので見られないが、以前はこればかり見ていた。

地上波11時台のニュースチェック11という番組も、時間帯がちょうどいいので時折見ていた。これも新番組に変わった。今はちょっと違和感だが、まあ数か月もすれば慣れてしまうのだろう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新元号

2019年04月01日 | 社会・経済

月曜の朝。

職場で元号の話をしている人はいない。部下の子は話しかければ応じてくれるかもしれないが、上司が誰かと「元号なんか興味はない。(野球の)開幕戦のほうが関心がある」などと言っているのが聞こえたので、ここでは何も話さないことにした。

11時25分、早めの休憩に入る。買っておいたおにぎりを持って、皇居外苑のベンチで食事。行幸の通りは封鎖になってるな、やけに人や警備の人がいるな、ヘリコプターもすごい・・。もっとも、人が多いのは元号と関係なく、乾通りの一般公開のせいらしい。

外に出たときからスマホのワンセグで録画している。のみならず、歩きながらテレビを見ていたのであった。これがなかなか始まらないんですね。

おにぎりを食べ終わるころ、11時41分ぐらいだったと思うが(もっと後か?)、ようやくすがちゃんがでてきた。

ですね・・

って、一般の人にわからないだじゃれ、つうかこじつけだし、よく見ないとわからないし。。

 

発表が終わったので、とくに意味はなかったが二重橋方面に行ってみた。

テレビのひともたくさんいます。

しかし何といっても多いのは外国人観光客。これがまたたいそうにぎやかというか、はっきりいってうるせえ・・。

とくにさる国から来られたと思われる方々が。。

まあしょうがない。

平成のときは天皇陛下崩御という大きな出来事がまずあって、元号はその大きな渦の一部という感じだった。あのときだって、元号が変わる(天皇陛下崩御と新天皇即位)ことは数か月前からわかっていることだったし、次はなんだろう、と考えることはできたはずだが、考えたことはなかったなあ。日曜日に発表があって、月曜には仕事に行って、もう元号は変わっていたわけだけど、たぶん特に困ることはなかったと思う。そうか平成なんだあ、というぐらいしかなかったな。。

もちろん今回みたいに、あやかり商品がどうのという話はなかった。

そういうお祭り騒ぎをニュースで見たり、職場で元号なんて・・ぐちぐち、と言っている人を見たりすると、ちょっと色々感じることもあるが、まあ今はとにかく人は人、自分は自分の生きている時代をかみしめながら。。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする