うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

良いお年を

2022年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム
12月はここには書かなかった色々もあって、ドタバタしていたのですが(その割には旅行に行ったりしていますが)、とりあえずここまで来て恰好がついたかんじです。

ココもげんきです。

さいきんはご飯もおいしくたべているようです。
そういえばペレット(ハリソン)はだいぶ値が上がりました。前は2000円をぎりぎり切っていましたが、今は千円ぐらい値上がりしてます。

iPadを買ったのは3年前でした。絵を描きたかったのですが、その割に全然手が動かなくて、気が付いたらペンシルの電池がなくなっていたり。
去年の今頃はペンシルが故障して、仕方がないので1万円近く払って修理(交換)しました。

毎年年賀状は、以前なら水彩、さいきんはパステル、色鉛筆などで描いていますが、今年は初めてiPadで描いてみました。
とにかく終わらせましたが、かなり難物です。若いころから使っている子たちは、もっと自由に書けるんだろうな。
ペンシルの形状からか、つい色鉛筆風に使いたくなってしまうのがなんとも。。

本年も大変お世話になりました。
良いお年をお過ごしくださいませ。
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ことしかったもの

2022年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム
まいとしこの時期になると、今年買ったカメラとかいうタイトルで記事を書くのだが、今年はたしかカメラもレンズも買っていない。わずかに10月にMFTのレンズを修理したが、新しいものは買っていない。

たぶんここ10数年のなかでは初めてのことかもしれない。。
最近は写真も撮っていないし、買ってもたいして使いこなせてないし、買わないのは賢明なのかも。。

あれ、そういえばフィルムスキャナ買ったのは今年だっけかなと確認したら、去年の5月だった。。

光学系のものはだから、新しく買ったものはないですね。今はPentax KP(2017年購入)と2019年にいただいたPentax MZ-3、およびKマウントレンズが10数本、オリンパスE-PL9とE-P3(ほかにもあるが現在は主にこれらを使用)とMFTレンズいくつか、RICOH GR2とときどきGX200、あたりを使っています。Pentax Qシリーズはさすがに現役は退いていますがたまに。KPの後継は出なさそうだし、K3IIIはそれほど欲しくはないし、KFも特に欲しくはない。GRIIIxはスペックはいいですが、価格がちょっとね。
あとはLimtedレンズの未購入品をそろえるかもしれません。


今年の買い物でいちばん大きかったのは、やはり車ですね。
5か月乗って4,600km走りましたが、だいぶ慣れてきました。
車幅が広いのと、センサーがぴいぴいいうので、さいしょはだいぶ往生しましたが、今はほぼ困ることはないです。バックモニターも便利だし。

ライトやワイパーが自動ですが、こないだ道中ずっとハイビームのまま、ってのをやらかしました。なんかメーターに青いマークがついてて、あれ?と思ってはいたのですが。ウインカーつけるときにレバーをいじってしまったのでしょう。常時オートだし、時折自動でハイビームにするものだから、偶々なのかと思ってた。。

あと、助手席にカメラとか入ったバッグを置いて走ってたら、助手席シートベルト締めなさい、と再三警告されました。座面にセンサーがあるのでしょうね。ヘッドレストにハンガーつるしたほうが良いかもしれません。今度考えます。

前にも書きましたが、この時期に車買ったのは、インフレ懸念がある(当たり。契約後に値上げが発表された)、ガソリン車はいずれ買えなくなる(秋のマイナーでマイルドハイブリッドが追加された)等を考えたためです。

この車(Mazda 3)は、最上級は特殊なエンジンで、ディーゼルも地方で通勤などに長距離走るような人向けらしいですが、うちはふつうに使うのでガソリン2Lにしました。トヨタだとガソリンもいちおうあるが、基本ハイブリッド中心に売っているみたいです。車の電気モーター駆動化は、この先は避けられないでしょうが、今純ガソリンエンジンを買ったことには意義があると思っています。


パソコンも買い替えちゃいました。
もうすぐ、1月初めにwin 8.1のサポートが切れるためです。
前は個人用PCとしてはやや大きめの17インチのノートでしたが、今回はごく標準的な15.4インチで、家の中持って歩きやすいです。
AMD Ryzen5,メモリ16Gで必要にして十分な性能です。初期になぜか不具合が出ましたが、今は快適に使えています。





プリンタも10年ぶりに買い換えました。
前書いたように、25年ぶりぐらいにエプソンを買ったのですが(以前はキヤノン)、意外とメーカーごとの文化の違いがあって、ちょっと戸惑うことがあります。まだなんとなく、よそ様の家にお邪魔している感を感じています。。

というわけで、パソコン周りは一気に新しくなりました。
じつは、普段読書に使っているタブレットも新しくしたのですが、今日来たばかりでまだ設定も何もしていません。お正月になったらのお楽しみです。


イヤホンも買い替えました。
完全ワイヤレスは初めてでしたが、テクニクスのこれはなかなか使い勝手がよいです。スマホで音質の設定を変えられるというのも、いま風を感じます。
そういえば、マツダもスマホ連携で車両の状態を確認できたり、ドアロック忘れを教えてくれたりします。


1年前に壊れた洗面台やおふろの給湯器は、順次今年の前半に修理交換が完了しました。そこいらも新しくなりましたね。

スマホは、3年前のソニーを使い続けています。電池がすこし弱っていますが、使っていて困ることは特にない。来年どうするか、たしか端末料金5月ごろまで払う契約なので、そのあとに考えます。

あとは自転車を、買いかえようと思いながらまだしてないので、これも来年ですかね。。
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しごとおさめ

2022年12月29日 | 社会・経済

オフィスの公式の年内最終日は28日ですが、この日は在宅勤務にして、今日29日は昼前に出社、自分自身の仕事納めとしました。今日も数人部下の子が来ていたし、明日も出る子がいるなど、あまり区切りがはっきりしないです。

前職では若い子に任せて自分は早めに終わりにしてしまい、日のあるうちに退社してゆっくりお昼食べるなんて、やってましたが、同じペースではいかないようです。
昨日は地元の、前から気になっていたお店でちょっとぜいたくなランチを。
コーヒーつけると1,850円ですから、そうそうは行けませんが。


さて、仕事面での課題や反省もありますが、ここで書くことでもないので、世の中の動きについて軽く。

1年前にはインフレが高進しそうだということはもうわかっていて、そのへんの驚きはあまりないです。
FRBの動き、日銀の対応も、自分が何か事新たに書けるようなこともないのですが、円安と貿易収支はやはりちょっとびつくりしましたよね。。

為替相場、とくにドル円というのは、昨年より前5~6年はほとんど動きがなくて、無風と言って良い状態でした。風がなければないで船乗りたちは困るわけですが、強風が吹き荒れればまた、いろいろと帆をうごかしたりして、たいへんな思いもしたかと思います。。ある程度方向性のはっきりした動きだったので、為替やっている人には良い年だったのではないですか・。僕も時間とゆとりがあれば投資してみたかったけど、仕事しながらではちょっと難しいな。。

わからなかったのは地政学のほうですよね。
たしかにロシアという国は、西欧諸国とは違う価値観や傾向を持ってはいるのですが、今みたいな状態になるとは、誰も予測つかなかったんじゃないですか。もちろんうさぎにもそんなこと、わかりませんでした。

こうなってみると、やっぱりあの国、隙あらば南下しようとしてくるし、平気で見え透いたこというし、と後から納得しようとしてしまうのですが。

民族ごと、あるいは住んでいる地域によって思考や発想が一定の傾向をもつ、というのは、不思議といえば不思議な話です。寒冷で少しでも油断すると命が脅かされる、という国では、いざとなれば理屈や人情など平気で捨てられるタフさこそ大切、そのためには平気でうそをつくことも厭うべきではない。
そういう伝統?があったら、それは話し合いでは解決しないわけです。

理屈をならべて、相手を少しずつ論破していく人たち、互いに杯を交わして、あるいはみんな同じなんだよ、と暗に圧力をかけて、ものごとを解決していく人たち、それぞれ根っこのところでは違うのですが、普段は相手が違うという認識に蓋をして生きている。そうしておかないと、気に障って辛いから。

でも、最後はあいつは違うんだ、と心に蓋をして、差しさわりのないところで付き合っていくしかないんだとは思います。

なので、今回もどうなるかはわかりませんが、うまくいけばなんだかモヤモヤという状態でひとまず落ち着くような気がしないでもありません(それが嫌だという人も多いとは思うけど)。
そうではない場合は、あるいはあまり心配しても仕方がないかも。


国内のはなしですが、例の元首相暗殺の一件は、衝撃的でした。
SNS(の話も今年は話題になりましたね)でのコメントを見ていて、世の中にはずいぶん感覚が違う人がたくさんいるものだなと。。

たぶん、そういう人が近くにいても、普通に付き合っていけるとは思います。偶々意見の違うところがあっても、喧嘩などせずお互いに気を付けて話をするぐらいで、引き続き付き合い続けるでしょう。場合によっては、相手の考えも一理あるなぐらいは思うかもしれない。

なにか事件が起きたとき、ああいうSNSであれこれ書き込むことが、ものごとを解決する良い方法なのかは、わからないな、というのが正直な気持ちです。
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Perfumeのケースカバー

2022年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム
テクニクスのイヤホン、EAH-AZ40を買ったとき、応募者はもれなくPerfumeのケースカバーがもらえます、というキャンペーンをやってました。

ので、スマホでレシートの写真送ったりして応募したのがたしか8月下旬。

同じころツイッターで応募して当選した、京成電鉄のクリアフォルダー(千葉ロッテ160Km/hチャレンジ)はすぐ来たんですけど・・ようやく今週になってきました。
相変わらずものすごく立派な箱に入っています。

お箸箱みたいな、ただのケースなのですけど。
ん、箱のなかに箱・?
あ、カバーっていってたっけ。

もとのイヤホンケースにかぶせて使います。
何気にはめ込んだらもう取れなくなってしまった。
下側のカバーはちょっときついです。

テクニクスとしては(ワイヤレスイヤホンに参入するのは遅めだったので)、わりと力を入れてプロモーションしたかったのでしょうか。

まあ、4か月使って、使い心地や音の具合は大変良いです。
ノイズキャンセルはありませんが、こっちのほうが良いと思ってます。

カバーはしたけど、やはりこのままでは持ち歩けないので伊右衛門の巾着に入れてます。
ペットボトルのおまけね。
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まだ

2022年12月26日 | まち歩き

今年さいごの遠出、でしょうね。
だいぶ押し詰まってきました。

が、世の中はまだ動いているようで、けっこう渋滞していて時間、かかりました。

正月の準備もだいぶ調ってきたようです。
この週末から来週にかけては、この辺りもそうとうの人出があるのでしょうね。

直前になって準備するわけにはいきません。
だからこうして掲げてあるのはとうぜんなのですが、なんか気が早い気もします。。

クリスマスなんかは11月からもう飾ってあっても、あれは不思議と変じゃないですね。でも終わるともう見たくなくなります。

それから七五三は、あれは神道のものなのか、仏教のものか、よくわからないけど両方やってるみたいですね。まあ結婚式もそうか。
今日も着物着た子がご家族とやってきて、御祈祷してもらってました。
年、越したらさすがにできないから、ほんとうにいまが最後ですね。。


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みちてらす

2022年12月24日 | まち歩き

夕方、SNSを見ていたらタイムラインに出てきた。
明日までだが、とりあえず今家を出れば今日見られそう。

てなわけで、のこのこと出かけてみたのだが。。

たしかに行幸のあたりの横断歩道は人がたくさんいる。
しかし、昔はこんなものじゃなかった。大手町永代通りのあたりから行列ができていて、行幸にたどり着くまでに何十分もかかったりしたものだ。

友人から聞いたところでは、諸経費の値上がりから行幸のイルミも何百メートルか短くなり、開催期間も短縮されているという。

ご時世か。

まあ、例年イルミ点灯開始が11月中旬、終了が翌年2月半ばといったところだが、たいてい年が明けると、どうも気が抜けたようになってしまうので、期間の短縮は仕方ないのかもしれない。

丸の内の、年末今頃のイベントは、もう10年前だったかの土曜日、あまりに観客が来すぎて、イベントが中止になったことがある。

どうもそれ以来、あまり人が集まるような派手なイベントは控えるようになっている節がある。

なのでお金の問題だけではないのかもしれないが。
が、この手のオブジェそれぞれに、スポンサー名が書かれているので、やっぱりお金かな。。
以前はパンジーなどの花をあしらったオブジェをライトアップしたり、小さなプールを作って水を流したりという演出があったりと、かなり凝っていた。

新丸ビルを通ったが、とくだんの飾りつけはなかった。
15年前、開業したばかりの頃はけっこうきれいな飾りつけをしていたものだが。

あの頃は丸ビルも、もっと飾りが凝っていたな。昔はツリーはふつうで、天井付近までいろいろ飾りつけをしていたものだ。

今世紀の初めごろは、仲通りでミレナリオのイベントをやっていた。神戸でずっとやっているルミナリエとおなじやつですね。

光都東京、というイベントだったときもあった。和田倉の池に灯篭を浮かべたり、色々やっていた気がする。

いまはどうもさびれて、などというのは悔しいから言わないけど。

というか、以前は初詣よろしく大量の観客をぞろぞろ移動させて見せる、というパターンだったが、今は余裕をもってのんびり歩きながら、通りで買い食いしたり、イベント見物で立ち止まる、というコンセプトに変わっているようだ。

休憩するベンチも、あちこちに設けられている。


あと、電力不足とか、いろいろあちこちに忖度というか配慮というか、あるんじゃないですかね。
もちろんコロナってのもあるし。

まだ、尾を引いているんでしょうね。。。

それでもこの人出は、立派なものではありますけどね。。

今はみんな、手を伸ばしてスマホで写真、撮ってます。
一時期流行した自撮り棒ってのは、すたれたのでしょうか。。

もう、味もそっけもないね。。

これはよい。

Kitteのロビーはかなり広くて天井も高く、毎年すごく高いツリーが飾られていましたが、ここ数年は変わってきています。
けっこう大きいですけど、以前ほどではありません。
ただ、今の職場のあるビルなんか、はしっこに小さなツリーがあるだけで、それに比べればかなり大きいですけどね。

メインのツリーが小さくなった代わりに、周りに小さなツリーを配しています。分散型、ブロックチェーン的発想でしょうか。。

というわけで、今年の暮れもいよいよハイライトに差し掛かってきました。

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こんた

2022年12月23日 | カメラ、写真
と、いうニュースが先日流れてきて、SNS界隈をにぎわした。
・これは素晴らしい!応援したい・。
・でも実現しないんじゃないの?
・なんで?理解できない

など、感想は様々だ。

フィルムを使う、従来のカメラは今世紀の初めごろはふつうに売っていたが、2007年ごろになるとコンパクトデジカメでも1000万画素を超える製品が出始めて、2010年代に入るとスマホでみんな写真を撮るようになった。
2006年にはかつてカメラ、フィルムを製造していたコニカ、ミノルタ(合併してコニカミノルタになっていた)がカメラ、フィルム事業から撤退、京セラ(ヤシカ、コンタックス)もカメラ事業をやめた。

富士フィルムは今でもフィルムやチェキなどを作っている(デジタルカメラも)が、35mmフィルムを使うカメラは、たぶん2007年ごろまでに製造を中止していると思う。
ニコンは一眼レフのF6を2020年に製造終了した。Kenkoあたりが海外製造のカメラを出していたかもしれないが、今はないだろう。

一方、フィルムカメラは若い人たちの間でちょっとしたブームになっているらしい。そうした人たちがこれからフィルムカメラを楽しむために、今から新しいカメラをつくろう、という企画だという。

こういう、昔の規格や昔のものが流行るというのは、繰り返し話題になる。古い機械式カメラがブームというのは2000年前後にもあった。アナログレコードは本当に売れているし、カセットテープも。
レコードプレーヤーやラジカセは今でも量販店で普通に売っている。だが、フィルムカメラはない。

なので、ということらしい。

マニア系の方々が、このニュースになんか煮え切らない発言をしているのは、マニアあるあるで、いかにも、という気がする。
いわゆる「若者」はレコードを、(音は悪いが)素朴で温かみのある音がする、と喜んでいる。しかし、本物のマニアはあんな安物のプレーヤーで音出して、それがレコードの音だなんて、思ってほしくないと感じている。カセットだって、ほんの少し前(でもないか)にあったクローズドループ・ディユアルキャプスタンとか、キャリブレーション調整とか、メタルテープ対応とか、ドルビーSとか、知ってる?って「若者」に聞いてもきっと???となるはずだ。

それと同じ微妙さを、リコーのプロジェクトに感じているのかもしれない。

これはしかし、世の中そういうものなんだと思うしかない、と思うけどな。
保存運行しているSLだって、牽いている客車が変だとか、色んな事言ったらきりがなくなる。たしかにイギリスとか、海外にはもっとマニアックな保存の形をとっているところがあるが、日本は日本なりのやり方がある。

話がそれた。

リコーの企画が「若者」向けに考えられている、ということには意義がある。
中古のフィルムカメラは次第に希少になりつつあり、価格も高騰している。故障もとうぜん出やすくなっているが、修理はできなくなりつつある。


これもSNSで見かけたのだが、コンタックスT3という、2001年に発売されたカメラの中古価格が高騰しているらしい。
発売時の希望小売価格は98,000円だったが、中古で33万円ぐらいの値が付くこともあるのだとか。。

でね。
このT3を持っていたという話は、前どこかに書いたかもしれないんですけど、もってたんです。
1990年代の終わりごろに、高級コンパクトカメラのブームというのがあって、本機はその終わりごろに出てきた機種です。

あのころ(2001年~)の高級コンパクトというと、ミノルタTC-1(1996年)、リコーGRシリーズ、富士クラッセ(2001年)、そしてこのT3辺りが代表でしょうか。それぞれ少しずつ性格は違いますが、それゆえに選ぶ楽しさもけっこうあったものと思われます。

コンタックスはこの頃は京セラの1ブランドですが、ひじょうに根をつめたマニアよりは、ちょっと小金のある(大金でも良い)かめじいさんが、パ~ティなんかでちょこっと写真を撮るのに似合いそうなカメラを作っていました。
ほかにもいろいろあって、レンズ交換式のG1, G2なんか、実用性はともかくとってもかっこよかったです。あれは、仕組みはちがうけど、今のミラーレスのオリンパスペンとか富士X-Proとかの走りだな。。

T3はそうしたコンタックスカメラのなかでは、最も最後の頃に登場したものです。これの前のT2の方が売れたし、数も多かったと思うのですが、今はこちらのほうが流通しているのでしょうね。

革ケースいくらしたっけな。とても上質でした。

さっき書きましたが、定価は98,000円でした。
たしか大塚に安い店があって、かなり値引きした値段で売ってた記憶があります。
僕が買ったのは大手量販店のヨドバシカメラでした。たぶんポイントもってたからだと思います。73,200円でした。
本体を買うと左側に見える、ぴっちりした革ケースが付いてきます。
ボディはチタン合金製です。工作精度は高い感じですが、ボディの構成はモナカ方式(芯となるプラスチックのフレームの前後を金属の側材で挟み込む)でコンデジと同じです。

同時に買ったのは、レンズフィルターを付けるためのアダプタ(右)と、フィルター(径30.5mm)。それとキャップ。もともとコンデジと同じレンズバリア方式ですが、フィルターはカバーされないのでキャップが要るのです。
こういうアクセサリは、けっこうぼったくり的に高かった気はする。値段は忘れたけど。

はじめてフィルムを装填するの図です。
つまんないものを撮影記録しているわけです。

先ほどのフィルターを取り付けたの図。
後にPLフィルターを買って使ったりしましたね。

ちなみに所有中に2回故障で修理に出していますが、一つはこのアダプタが緩くて固定されない、だったかな。もう一つはレンズバリアが半端に残って、撮影した画像の隅に影が映るという故障でした。

T3の持病としては、フィルムに傷が入ってしまうというのが有名でした。
幸い、自分のT3はそういう症状はありませんでした。

なぜかフィルムの写真を撮っています。
右のダイナはリバーサル、左のゴールドはネガです。ダイナは500円、ゴールドは350円ですね。

おととしリバーサル(36枚)を買ったときは1,650円でした。今年はフィルムの供給不足で、店頭に在庫がない店が多いらしいですね。。

フィルムを装填して、最初に撮ったのがこれみたいです。
右に見える競馬場、じゃなかった一眼レフカメラはオリンパスOM-1、左はニコンのE4300(デジタル)です。

金曜の夜に買って、翌日自転車で撮影に出かけたわけです。
この写真で映りがどうだ、っていう説明にも何にもなりませんが、描写は確かにひじょうによかったです。

以来気に入って、一時はかなりこれで撮影しましたが、3年使って手放しました。その頃はすでに京セラがカメラ事業から撤退し、修理対応の期限もアナウンスした後でした。

気に入っていたけど売った理由ですが、簡単に言うとデジタルも併用していくうちに、このカメラでスナップやポートレートなどをガンガン撮っていることの、ランニングコストがだんだん負担に感じられるようになったからです。

フィルムで手軽に、しかも描写は良いのでついたくさん撮ってしまうのですが、デジタルに慣れてくるとどうも自分が無駄遣いしている気がぬぐえなくなって。。

このカメラの話はまだ語りつくせていませんが、とりあえず最初に思ってた結論に達したので、今回はここまでとします。
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伊豆半島 一周

2022年12月20日 | 旅行記
18日から19日にかけて、伊豆方面に行ってきました。

もともとは9月に京都鉄道博物館などに行けなかった、リベンジとしての旅行計画でしたが、家のことなどいろいろあって、計画が流動化して直前まで何も決められず。

比較的近場でなにかできないか考え、当初は富山も候補にありました。それか、会津若松。会津城久しく見てないし、喜多方ラーメンたべて、五色沼行って沼尻鉄道の廃線跡めぐって・・と色々考えられます。日本酒も良い。

しかし、これらの北の地はここ数日の寒波のため、不可能と判断されました。
じっさい、無理して出かけていたらえらい目に遭っていたことでしょう。。

つぎに、千葉でもいいんじゃないかと。アクアライン走った事ないし、房総半島一周するのも手ごろでよいかなと。
これは、てきとうな宿が取れませんでした。

それで、半島といえば伊豆半島はどうかと。
いうことで。

すが、日曜日はいろいろあって、出発できたのが午後4時過ぎ。
3時間のドライブなので、それ自体はなんちゃない(土佐弁)のですが、とうぜん何もできませんわな。

ここには友達が数人いるのですが、こんなにどたばたの日程では会うこともかなわず。

あまりニュアンスが伝わらないと思いますが、ここんとこなんか思ったように物事が運ばん状況なのです。。

運ばんといえば、この日は新幹線が停電で止まり、多くの人が影響を受けて大変だったみたいです。ホテル近くの駅でも、たくさんの人が立ち尽くしていました。

幸い、といってはなんですが、僕の方は車でしたので、交通の面では影響を受けずに済みました。

寒い夜で、ホテル周辺は商店もほとんどなくて、とても暗いかんじの街並みでした。駅で食事してあとはこもってました(「1Q84 再読」はここでかいたのだ)。

部屋は眺めのよい高層階でしたが、家の明かりもまばらって感じで。
テレビつけてサッカーみながら、というかほとんど寝てました。

で、朝起きて外見たら、上のような風景が広がっていました。
眺めの良い部屋、だったのです。

月曜なので通勤の人とかたくさんいて、あわただしい朝の風景のなか、すこし静謐な場所へ。

それにしても口がでかいやつだ。

ネットで見ると、伊豆半島一周は2泊3日ぐらいで行くのが良いよ、とあります。まあ、見どころは色々あるようですが。

今回は色々立ち寄ったりはあまりせず、くるっと反時計回りで行くことにしました。

松崎から少し南にいったところの、名もない駐車場付近ですが、富士山と海がきれいに見えました。

この日は良く晴れていましたが風がものすごく強くて、すごく寒かったです。
海に近い道では、時折海岸に当たった波しぶきが道路まで飛んできて、フロントグラスにかかったりしました。

観光地に立ち寄るのも良いですが、今回は車を繰って眺めの良いところを回るだけで、十分楽しめました。

こないだの三峰山同様、ワインディング・ロードが続く行程でしたが、基本ATのスポーツモード(比較的低いギアを維持する)で走り、長い下りではマニュアルモードでM3,M2を選択して走りました。

冬場特有の、透明で明るい日の光と、落ち着いた山々の色合い、そういうのを見ているだけで、気持ちが良かったです。

車内の音楽は、何枚か持ってきたバレンボイムのベートーヴェン・ピアノソナタが不思議と良かったです。午前10時の田舎の風景に、よく似合っていました。

石廊崎灯台に行こうとして、道間違えました。
まちがえて石廊崎漁港に行ってしまった。
今日は観光船も休みで、誰もいない。店もやってない。

写真はそこから少し行った、何でもない海岸。
まるっきりではなく、ほんの少し、人がいて車が走ってたりします。
いいかんじです。

下田についたのが2時半ぐらいで、ここでお土産を買って(旅行支援でもらったクーポン使って)、あとは海岸沿いをひたすら走って、真鶴道路、小田原厚木、でしたっけ。
厚木でものすごい渋滞に遭いましたが、それ以外はスムーズでした。

というわけで、ちょっとだけ気分転換です。
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1Q84 再読

2022年12月18日 | 本と雑誌
夏から秋にかけて、再読をはじめた本がふたつある。ひとつは「独ソ戦」で、ここに書いた。

もうひとつは村上春樹の「1Q84」だ。
どちらも、今年の世相が再読のきっかけとなっているところが似ている。


この本は7年前に一度感想を書いている。
さらにその4年前にも、なにか書こうとして中途半端になってしまったらしい。

独ソ戦が今日的世相に照らして、何がきっかけかはすぐわかるとおもうが、「1Q84」は何かというと、この小説の主人公(青豆、女性)が宗教二世である、という点だ。家族全員が入信しており、兄はのちにその教団に勤務するようになる。小学校の行事に出られなかったり、給食の時にお祈りを唱えたり(することを強要された)したため、学校内で孤立する。最終的に彼女は家族と縁を切り、物語が始まるころにはスポーツジムのインストラクターをしている。

もう一人の主人公、天吾に宗教的な背景はない。彼はNHKの集金人である父のもと、男手ひとりで育てられた。父は仕事熱心だがやや偏屈なところがあり、休日には息子を連れまわして払いの悪い家などを集金して回っていた。
当然子供たちからは特殊な目で見られるが、天吾は体格もよく、成績もよかったためいじめの対象にはならなかった。

この二人は小学校の同級生であり、お互いの特殊な環境からか、どこかで惹かれ合うものを持っていたのだろう。ある日、のちに二人とも相手を想うときに必ず思い出す、印象的な出来事が起きる。
そのあとすぐ、二人は離れ離れになる。

物語が始まる時点で天吾は、予備校の数学の講師をしながら小説を書いている。そして、ふとしたきっかけで文学賞に応募した女子高生とかかわることになる。
この女子高生、ふかえりもまた、宗教二世である。父は教団のトップを務めている。
そして、ふかえりも家族と、その家族の属する組織から逃れてきた。



ここまで書くと、この物語は(読んでない人から見ると)宗教二世がその桎梏から逃れる物語か、と思うかもしれないが、もちろん単純にそういう建付けにはなってはいない。

村上春樹はここでいくつかの違ったセクターが、本来保護されるべき幼子たちを不可避的に押さえつけ、苦しめている姿を描き出している。

いわゆる新興の、厳格な教義を持つ宗教団体、全共闘世代が作り上げたコミューン(宗教的色彩を帯びているが、どちらかというとヒッピー文化の変形したものという要素が強いように思える)、そしてゆがんだ権威主義。

さいごのゆがんだ権威主義は、本来は父と子の関係性を示すものだが、村上氏はなぜかその権威のおおもとを’NHK’に据えて、これを親子間の関係から拡大させている。集金人の亡霊(のようなもの)は、大人になった天吾(ふかえり)、青豆、それを追う牛河を脅しつける。

だしに使われたNHKもいい迷惑だと思うが。。村上氏はNHKが、たぶんお好きなようで(その点は例のワン・イシューの政党とはちがう)、「ねじまき鳥」でも常にNHKを大音量で見ている本田さんとか、しばしば出てくるFMのクラシック番組(本作の冒頭でもタクシーの車内でヤナーチェクが流れていた)は間違いなくNHK FMの番組だ。

家庭を訪問して受信料を徴収するのはNHKしかない(Netflixの集金人というのはいない)から、集金人のシーンはNHKとなるのも道理なのかもしれないが、明らかに自民党員のはずの綿谷昇(「ねじまき鳥」の)の所属政党は保守党となっていたよなあ、とか、思ったりするん、だがなあ。実名で出すか。。

話を戻すと、本作の主人公たちはそうした強い権利からの桎梏から、形の上ではすでに逃れることに成功している。そこから逃れること自体は、村上氏にとっては主題たりえないらしい。ただ、少なくとも青豆、たぶん天吾も、心のどこかではその傷を克服しきれていないように思える。

物語的にはいちおう、第3部の最後にはハッピーエンド的な展開にはなるのだけど、どうもすっきりしない感じは残るのだよな。。


2,3よけいなこといいます・。
ときどきここでも書いているけど、僕は天吾はどうも苦手だ。
この人は村上作品には珍しく、自分の存在にあまり疑念を持つようなものの考え方はしない。それは良いのだが、周りの人に対する反応がとても鈍い(意図的な描写なのだと思うが)。

年上の人妻と付き合っていたが(ほぼ性的な面においてのみ)、あるときその関係が失われる。この女性の夫から天吾に、直接電話がかかってくる。夫は女性に何が起きたのか、はっきりとは言わない。天吾は、何が起きたのか繰り返し確認しようとして夫に遮られる。そのあとも天吾は、自分と女性の関係性以外のことには思いを巡らせることはない。女性の夫がいかに傷ついているのか、自分の行為が彼女の周辺にどういう影響を与えていたのか、そういう認識が見られない。

その鈍さは、彼を取り巻く女性、ふかえり、安達クミ(父の入院していた病院の看護師)、青豆との関係性においても変わらないように思える。小学校の先生もそうか。ただ、女性たちから見ると、その鈍さはあまり気にならないらしい。

この人は予備校の講師かつ作家(志望)だし、身寄りもないので、そうした人間関係でもまれることはなかったのだろう。それでもたぶん、もししばらく一緒に仕事をすることになったら、僕は嫌な奴だと思うようになりそうだ。

牛河という人が出てくる。切れ者のもと弁護士で、教団に乞われて青豆の足跡を追っている。頭脳は鋭いが外見は極めて醜く、彼も社会に強い疎外感を持っている。自然と社会の底辺をさまようような仕事をせざるを得なくなった、という設定だ。
これも前に書いたが、同名の牛河として「ねじまき鳥」に出てくる人物と、外見や役割は似ているが境遇(の設定)は少し違う。ねじまき鳥の牛河はある意味自然な底辺者だが、1Q84の牛河はインテリだ。その結果かどうか、描写に彼の外見の醜さが繰り返し描かれていて、そこがどうも引っかかる。

天吾を追う牛河は、天吾の小学校時代の教師に2名会う。村上氏はここでも二人の教師(どちらも年配の女性)の外見、美醜に言及している。

この、外見の美醜に関する奇妙なこだわり(醜さ=悪とまで言い切りはしないが、背後にそういう思想が感じられること)と、料理に関する描写(たぶん村上氏自身にこだわりがあるー喫茶店を経営してらしたからーせいか、時に奇妙に一面的で、料理があまりおいしそうに思えない)、お酒に関する描写(酒が弱い人の気持ちがわからないのか、登場人物がやたらと飲みまくる)は、村上春樹氏の作品の、なんというか引っかかるところだ。

ファンはそれをひっくるめて村上作品として受け入れているんだとは思うけど、ちょっとね、覚めるんですよね。やたらとあれしまくる、っていうのは、巷間言われているし、それは本人も認めている(「村上さんのところ」)けど、上記の点はあまり指摘をみないので、いちおう。

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化粧直し

2022年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム
アルとペンの墓碑ですが、先日見たら風雨にさらされてだいぶやれていたので、持ち帰ってステインとニスを塗りなおしました。
ふつうのベニヤで、ステイン+速乾ニスを塗ったのですが、最初の時はやや薄めの仕上がりだったのかもしれません。

こないだの一周忌のときに持って帰ったので、すごく仕事が遅いのですが。。
実家でゆっくりする時間がしばらくとれなかったのです。

あわせて落ち葉も掃除しましたが、今年はじめに剪定をお願いしたせいか、おもったより葉っぱが落ちていません。
柿の実はさすがにかなり少なかった(なかった?)ようです。

たまった郵便を見てたら、叔父(亡父の弟)の喪中の知らせがきていてびっくり。6月に亡くなったと。父とは仲良かったので、よく来ていたのですがね。
お墓もちがうし、父方の親族とは縁が離れてきてるんだなあ。。
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ふくはんのう

2022年12月14日 | 健康・病気
写真は単なる駄洒落なので本文と関係がありません。
関係ないついでにローカル鉄ネタですが、こんど浦和に新しい駅つくるなら、副浦和とかどうですかね。。まだいけそうですね。シン・浦和、第三浦和村、モア浦和・・。

日曜午後に接種しましたところ、やはりその晩寝てたら(11時過ぎに寝てしまった)1時半ぐらいに目が覚めました。それきり眠れなくなり。

ひじょうに苦しくはないのですが、やっぱり使い物にならないので、午前中は仕事、お休みにしました。フレックスなのでいつ働き出してもいいはいいんですが、後ろ倒しにするのも別の日に余計働くのも大変ですし。
たしかワクチン副反応は公休とするという規定、前はあったけど、まだ生きてるのかな。。

体温は37℃まで上がりました。前もそうでしたが、これでも結構高いほうです。平熱は35℃ぐらいで、朝測ると35.1℃とかになってます(一般的には病気にかかりやすくて、好ましくないそうですね)。そんななかで37℃は、ちょっとしんどい、難しいこと考えたくないという感じです。

低体温と共に、ふだんから具合が多少悪くてもあまり自覚ができない、という体質らしい、という自覚があります。きょうは具合悪いから休みます、とか、あまり思い切って言えないんですよね。言える人がうらやましいと思ってました。。

とにかく午後というか12時に出社して、5時に執務終了(休憩は自動計算されるので4時間執務)しました。
帰りにデパート寄って、前の日混んでてやれなかったお歳暮の注文して、PC運ぶ通勤カバン買いました。具合悪くてもそのくらいはできるみたいです。なんかだるいけど、やることやってすっきり。

頂き物でしたが、カロナールは効きました。
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せっしゅ

2022年12月11日 | まち歩き

ワクチン接種について、3回目までは職域接種だったが、4回目については職場から何の案内もなかった。ので、自分で受ける場所を探すことになった。

案内が来たのはいつだろう。10月だったかな。。とにかく、さいしょのうちは多忙で日程を決められなかった。

11月半ばには少し落ち着いたので地元をあたったが、思ったより日程が合いにくいことが分かってきた。できれば週末の午後、それも週末に特別な予定がないときが好ましい。

のだが、そんな都合の良い日程はとれない。
すぐ近くのクリニック(月曜に行ったところ)でもやってるのだが、予約が午前中来院か電話で面倒くさく、在宅勤務の日に行ってみたら水曜休診とかで、どうも縁がない。

仕方がない。先日通りがかったときに東京都がやっている大規模接種会場を見かけたけど、そこが都内在勤者も受け付ける、とあったことを思い出し、これを予約した。

これも金曜日は満杯で、土曜日はこちらの都合で夜飲み会がある。
ので、日曜の午後になってしまった。

GR2は手振れ補正がないので、補正に慣れた手で暗いところを撮るのはきびぴいですね。

接種会場は撮影禁止なので画像はありませんが、ものすごくたくさんのスタッフの方々がいて、たくさんの人たちを一気にさばける体制になっているみたいでした。
なんだか行政の本気度を感じました。。

じつは予診票を家で記入して、それをコピーにとって、両方とも持って行ったのですが、受付でまちがえてコピーの方を渡してしまい。。最後のところで見つかって、しばらくごたごたしました。結局コピーを正として受け付けてもらい、それのコピーをとってもらって帰りました。。

というわけで、いまは少し腕がいたい気がする程度ですが、このさき、とくに明日の仕事にどう影響が出るか、しんぱいではありますね。。

はなしはかわります。

昨日会った友人たちとはFacebookでつながっているので、やむを得ずFBを開いたが、以前は出てこないようになっていた「リールとショート動画」がまたタイムラインに出てきている。全く知らない人の動画が表示されるのは気持ちが悪いことおびただしい。特にスマホページだと、動画が大写しになる。
例えば水着姿の女性がどど~んと画面にでてくるわけだ。

嫌なので、時間のある時、電車に乗ってるときとかにこういうのをブロックするか、通報してブロックするかしている。通報欄を見ると、通報の理由として暴力、ヌード、などと並んで「気持ちの悪いコンテンツ」というのがあるので、これを選んでいる。たぶんお役立ち動画みたいな画面も出てくるが、一律「気持ち悪いコンテンツ」としてブロックしている。

へたくそな動画見てると気持ち悪くなってくる。困った時代になったものだ。

もちろん根本的な解決にはならない。FBが不要な情報をタイムラインに出すのを止めるのが一番だが、その設定を変更することはできないようだ。

メタ社のコンテンツは、一時話題になったTwitterよりも余計質が悪いというか、設定の仕方が拙い。広告も詐欺まがいどころか詐欺そのものの広告が出てくる(カメラが9割引きみたいな)。

車関係のグループサイトは、中国辺りの何者かに目をつけられているのか、やたらと無関係なコンテンツ(捨て垢で下世話な芸能情報や、えっち画像)が投稿されている。こちらも時間のある時に消しているが、これまたきりがない。この投稿行為は、なんのために行われているのか、意図がよくわからない。

FBでつながっている人たちも、投稿する人はわりと限られた人になってきていて、過疎化が進んでいる。ので、FBを見て怒っていても仕方ないから、もうあまり見ないようにはしている。ただ友達の投稿は見ないといけなくてね。。

こうした現象については、FBの不作為もあるが、インスタ、ショート動画共に(主に)女性が自分の姿を平気でカメラの前に晒して、ポーズをつくったりしていることにも驚く。ご自身の姿をみなさんに見てほしいということか。。

そのうえに、それを見るとすごく不快な気分になる自分に気が付いて、余計驚いたりする。
先日いわゆる「萌え絵」が駅のポスターに掲示されて、一部の女性がそれを見て不快感を示した、という話が話題に上っていた(それを表現の自由と絡めてSNS界隈で論争になった)が、なんのことはない。自分もFBの動画を見せられると不快な気持ちになるのと、原理は同じなのかもしれない。

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けんさ

2022年12月05日 | 健康・病気

今日は検査のため仕事はお休み。

なんだかんだで3日がかりの検査だった。土曜日はPCR検査をクリニックに提出、確認してもらった。この日は食事制限なしだが、日曜から食事が配られたレトルト食品のみとなる。

上の写真は朝食。昼食もおかゆと、ジャガイモのそぼろあんかけ、夕食はビーフシチューとクラッカー。飲み物は自由。酒でも良いらしい。

ビーフシチューなど、ふだんでも夕食に食べているが、クラッカーだけなのですぐに食事が終わってしまう。

こういうときいつも思うのだが、日常生活でいろいろ食べていると、なんだか眠くなったり、だらだらとした時間を過ごしてしまう。おなかも持たれるような気がする。
しかし、このようにひじょうに制限された食事をする、あるいは食べないでいると、活動できる時間が長くなるし、なんとなく体が軽くて調子が良い気がする。夜もしっかり眠れて、目覚めも良い気がする。

ふとしたはずみに、なんか口さびしいな、と思いはするが、ああ今日はだめか、とあきらめがつきやすい。。

食えば太って困っている。。日を決めて、自主的に食べるのを思い切り制限すれば体にいいんだろうな。
そう思って、できないんだけど。

今日は食事はせずに、薬剤入りの水を一升飲んだ。事前に聞いて大変だと思ったが、あんがいそうでもなかった。日中家をでることはできないので、部屋の掃除して書類の整理とか、していた。

検査はもんだいなし。
前日ちょっと心配した家族の方も、まあだいじょうぶだった。

ほっとしたので、すこしごほうびに、ホイップクリームたっぷりのコッペパンと、自分で調理するポップコーンを買ってきた。

ポップコーンは火加減が難しい。
レンジから浮かせて手に持ち、左右に振るのだが、片側が焦げてるのに反対側のコーンが膨らんでくれない。

昔やったときはもっとうまくできた気がするんだが。。
いずれまた再挑戦したい。
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EPSON EP-885AW

2022年12月04日 | デジタル・インターネット

そういえばこれを買ったのでした。

4月ごろディスクレーベルを印刷しようとして、その頃使っていた複合機(キヤノンMG6230、2011年発売)が故障で印刷できないことががわかった。写真や普通紙は印刷できる(普通紙は給紙に問題あり)ので、しばらく使っていたが、この秋にいよいよ交換を決意。

ところが、買おうと思っていた機種(EPSON EP-884A)は10月に新型に切り替わるという情報を入手、それならば、と新機種を予約。これが10月14日のこと。

ここでも書いたが、ビックカメラが家まで配送してくれて、旧機種のMG6230を引き取ってくれた。10月22日のことだったが、その後ひと月、いろいろあって開封できずにいた。
先月23日に、ようやく開封。スキャナの試験などを終えたのは今日になってしまった。。


いまさら言ってもしかたないけど、EP-884とEP-885は、機能的にはまったく同じだったらしいです。本体の材質をリサイクル可能なものに変更したとか。
価格差は2千円程度でしたが、納期はもっと縮められたかも。
まあ、早く来ても開封しなければ同じか。。修理対応期限は少し長いかも。


前のプリンタはかっきり10年間使った。

Windowsで動くプリンタは、さいしょ(96年)エプソンのMJ500C(だったかな)を買った。型落ち品で2万円弱だった。印刷物によって黒色とカラーを都度交換する。インクが一体型で、2,800円だったかな。
家庭用プリンタの出始めで、内田有紀がCMだった(という話は今調べて思い出した)。あの頃は各社ともCMにすごく力が入っていて、製品の同梱物もなんか夢のある感じがあった。

2001年にキヤノンBJ-F870にしたのは、デジカメを買って写真印刷をしたかったから。このときのCMキャラクターは中田英寿で、デジカメのIXYも中田だった(自分のカメラはオリンパス)。以後、プリンタ、スキャナともにずっとキヤノンばかり使っていた。デジカメは他社製も多かったけど、キヤノンも結構使った。

写真が自宅のプリンタで印刷できるのが、すごくおもしろかったし、印刷物をスキャンするのも新鮮だった。なんだかんだいって、いろいろ夢があって楽しかったのよね。あの時代(平成中期)。


もちろん、今も技術は進化していて、今回のエプソンはスマホアプリをインストールすると、ラインのチャットみたいのが出てきて順次設定してくれる。


こんな感じ。

いちおうプリントのテストをしておしまいになるが、パソコン側のユーティリティーソフトはサポートしていない。

そこらへんはDVDに入っているので、それを使っても良いし、ウェブからダウンロードしても良い。ただ、知らないと使えない。

基本、プリンタ本体で最低限の操作はできるように考えられているらしい。
コピーなんかはPC不要なのはもちろんだ。

ただ、スキャンとかはパソコンでないとやりにくい。
プリンタにSDカードを入れて、そこにスキャンデータを保存できるそうだが、それが便利な場面ってどういうんだろな。。

本体の液晶が正面にある(タッチパネル)。カタログにあるように、本棚みたいなところに置かないと操作しにくい。
うちはもともと床にプリンタを置いてた(昔PCラックの上に置いてたら、印刷の度にゆさゆさラックが揺れて、パソコンのHDDを壊してしまったことがある)。それでは不便なので、併せてラックも買った(サンワダイレクト)。

本体色は白だが、昔のオフィス用品みたいなそっけないデザインだ。スキャナの蓋もぺなっとして安っぽい。
その辺は、10年前のキヤノン(MG6230)が良かったかもな。今のキヤノンはどうかしらないが、あの頃の複合機は外装も結構凝っていた。

なので、トータルな感想として、機能はしっかり。なんか華がなくてさびしいな、というところかな。

時代かねえ。



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ソ連が満州に侵攻した夏

2022年12月03日 | 本と雑誌
半藤一利 文春文庫 (Kindle版)

夏に読み始めようとしたが、あまり体調も良くなかったし、気の重い内容だったのでいったん本(タブレット)を置いていた。先月になってようやく読む気になった。

題名がこれなので、書いてあることを説明する必要はないような感じだが、ざっと気が付いたことを書くと;

・ソ連参戦は国際間の様々な思惑の中で政治的に決められた。日本にとっては日ソ中立条約(1941年発効)が締結されていたこともあり、寝耳に水の事態と捉えられた。もちろんヤルタ会談での密約情報も入手できていない。

・はずだが、実際には陸軍などはいずれソ連からの侵攻はありうるという見方もあった。ただ、南方の戦況が厳しく、関東軍の兵力を転用している中、侵攻開始はまだ先のこと、という希望的観測が大勢を占めていた。

・もともと日本には戦前、親ソ(露)的な感情を持つ人が一定数いた。また、日米戦争の悪化に伴い、政府筋にはソ連の仲介により戦争終結に向けて動けないかという考えが真剣に議論されていた。
(実際に近衛元首相を特使としてモスクワに派遣するという動きが'45年7月にあった)。

・侵攻が始まり、国境付近の関東軍は奮戦したがことごとく撃破された。関東軍は(有名な話だが)居留民たちを置いたまま後退し、市民を守ることをしなかった。

・ポツダム宣言(ソ連は署名しておらず、当事者ではない)受諾後、日本政府、軍はダグラス・マッカーサーがソ連を含む占領行政を一任されているととらえた。しかしマッカーサーは連合国の総司令官であり、ソ連軍の管轄は対象外だった。日本は宣言受諾を終戦と捉えたが、国際的には降伏調印がなされた9月2日が戦争終結日であり、それまでソ連軍の侵攻は続いた。

・居留民たちは鉄道などの交通も遮断された中を逃避せざるを得なかった。8月15日以後すぐに、一部の満州国軍は叛乱を起こし、新聞は”東洋鬼”を追い出せという報道をした。

・ソ連軍の避難民たちに対する略奪棒鋼は筆舌に尽くしがたいものがあった。これはドイツ戦線でも同様(満州のソ連将兵はドイツから転戦してきた者も多かった)だった。こうしたソ連軍兵士の質の悪さは、スターリンをはじめとするソ連首脳部において共有、許容されていた。

・満州における機械装置や鉄道車両など、日本が持ち込んだ資産は、国際的には中国政府に帰属すべきはずのものだが、ソ連はそれらを「戦利品」として持ち帰った。満州国の産業施設の4割は破壊され、4割はソ連が持ち去ったといわれる。
満鉄、日本政府、在満法人所有の資産は合計で400億円にのぼるという。現在の価値では数十兆円に及ぶかもしれない。
将兵、居留民200万人が満州、関東州に取り残されていた。

・兵士たち(スターリンが指示した員数が足りないため、実際には市民も徴発された)をシベリア抑留する指示は、スターリンが日本本土(北海道の半分を要望していた)占領の希望をトルーマン米大統領に拒否された後、急遽指示された。スターリンは自らの存命のうちに、共産主義が発展成功する様子を見たかったから(少しでも労働力、産業基盤が欲しかった)だと言われる。



自分たちがロシアという国としてイメージするのは、やはりこの辺りですかね。。

リアルタイムで知っているのは冷戦終盤期のソ連、その崩壊としばしの混乱、西側とのつかの間の和解。そして今。

またドラマの引用になってしまいますが、「ザ・ホワイトハウス」の中で、核施設で起きた事故をひた隠しにする中米ロシア大使に向かって大統領が、そのかたくなさはいったいどこから来るんだ、と言います。すると大使は「ロシアの、長くて辛い冬です」と答える。

たいして気が利いた言葉ではないようで、それこそが真実なような気もします。広大な、ひじょうに厳しい自然の中で、生き続ける人達は、よりプラグマティックで人間の根本的な欲望に忠実なのではないか。そうでないと死んでしまうし、そもそも死に対する意識すら違う。

帝政ロシアの頃から一貫して不凍港を求め、少しでも隙あらば南下しようと目論んでいるというのはもはや厳然たる事実です。
ウクライナもジョージアも、その流れの中でサクリファイスを受けているわけです。

しかしそうなると、地球上で気候の厳しいところに棲んでいる人たちは、未来永劫乱暴で困ったことをする、ということになってしまう。
それではスカンジナビアの人々はどうなのか?って話ですよね。

日本は国土のどこに行ってもとても住みやすくて、だから人々は礼節を重んじて心穏やか、おもてなし最高。
っていうと、それでは400年前に全国で繰り広げられた「内戦」はなんだったのか、80年前にアジア一帯を戦火に巻き込んだのはどういうことか、という話になる。
しかも、為政者は平気で市民を見捨てているという。

気候への適応は様々な技術で克服できるし、過去の反省で国民性も変わりうる、と考えないと。

そうしないと自分に返ってくるわけです。


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