うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

どうかな

2019年02月28日 | 社会・経済

今週初めごろ、リビングにおいてある小さいPC(ASUSの2 in 1)が突然ウィンドウズのライセンス認証しろ、と言いだした。更新インストールして設定が変わったか、どこかで中途半端に止まったかしたらしいが、困ったことにネットがつながらなくなっている。。

仕方がないのでリカバリかけたら治った。ように思えたが、1日ほどするとまたメッセージが出る。プロダクトキーを入れろと言っても、元箱は捨ててしまったし、番号も控えたのかどうか。。困った。

さてそれはそれとして・。ほんとうはひな祭りのことを書こうと思っていたが、夜遅くなって書く元気がなくなってきた。今日は米朝首脳会談のニュースをたらたら見ていたもので。

てなことを枕に本題に入りますが。

政治ショーといか色々言われても、前回はとりあえず会うこと自体意義があったと思いますが、今回そうした見せ場も何もなく終わってしまったのは、やはりトランプ大統領がロシア疑惑のごたごたから目を逸らせるために、無理な予定を組んだから、ということが関係しているのでしょうか。。

昼食会以降のスケジュールが全部吹っ飛んでいますが、先に席を蹴ったのは北朝鮮でしょうし、金正恩とて駆け引きの心得はあるでしょうから、よほど触れてほしくないことー隠している核施設とかーに話が及んだ、ということなのかもしれない。

どうせ素人だし寝言言ってると思ってもらって結構ですが、委員長、やはり軍の偉い人たちを押さえるのにかなり苦労してるんじゃないかな。。余計なお世話だけど、ちょっと心配です。ちゃぶ台ひっくり返しても、何もいいことないですし・。

そうでなくても世界中、ごたごたの火種が尽きないですからネ今年は。

 

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速報 ミミズク見つかる *追記あり

2019年02月24日 | うんちく・小ネタ

・・ただいま住民の方からの情報にもとづき、杉並区付近を捜索していましたところ、こちら閑静な住宅街のマンションの屋根に、ミミズクを発見いたしました。。

先ほどから3時間、まったく動きません。。

・・ちょっとカメラを引いていただけますか。。ご覧のようにこの辺り、少し先に行きますと中央線の駅に通じる商店街が広がっています。

「こちらスタジオですが、視聴者の方から、『走っている中央線の電車がやけに古臭いけど、本当に中継なのか?それに、杉並区にしてはやけに高い山が見えるが』というメッセージがよせられていますが・・」

・・いえ、わたくしたち取材陣も、昨夜から苦労してようやく探し当てたのですが。。

・・たいへん失礼いたしました。。この辺り、2年前に土地ごと引っ越してしまったので、今は杉並区じゃないそうです。。

「スタジオですが、これ、置物じゃないかと視聴者の方から意見が寄せられていますが。。」

・・いえ、そんなことは。。ご覧のように、先ほどより数が増えています。。

さきほどはみみずくだけでしたが、それにインコも加わって・。

 

いいかげんによしなさいって。。

 

Feb26'19追記:その後現実の世界では逃げ出したミミズク(中野区のミミちゃん)が事故で亡くなっていたことがわかりました。。残念です。。

時間が経過すると上記記事の意味がわからなくなってしまうと思いますが、2月中旬から杉並区の住宅街でミミズクを見たという報告が相次いでいました。あるテレビクルーが付近を捜して、ベランダに止まっているミミズクを発見、スクープ報道をしたのですが、実はこれ、木彫りの置きものだったことがわかった、という珍事件が。それにしても、かわいそうなことをしました。。

 

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さがしもの

2019年02月20日 | 本と雑誌

角田光代 新潮文庫平成20年

角田光代をここで取り上げるのは2度目。人生ベストテンは3年ほど前に読んだが、かなり重苦しい作風ながら傑作だという印象を持った。

この「さがしもの」も先の「人生ベストテン」とほぼ同じころに書かれたようだが、正直なところ完成度はやや落ちるように思える。9作品すべてが本をテーマにしたものだが、自分が売った古本と旅先で再会したり、自分が気に入った本を、今の恋人も読んでいた(しかし、だれの何という本かについては語られていない)など、なんとなく不自然、あるいは説明不足な感じがして、どうも感情移入できないのだ。

ただ、タイで病に臥せっていたとき、宿に置かれていた片岡義男の本をみつけて、どんな男がこの本を置いて行ったのかという妄想にふける(「だれか」)、というお話には吹いた。。

マラリアにかかった主人公は、退屈しのぎにと旅行者が置いて行った本を読みふけり、その本を置いて行った旅行者のことを思う。

・・片岡義男がどうこうではなくて、なんで彼は片岡義男を選んだのだろう。読みやすそうだと思ったのか。開いているところをだれかほかの日本人旅行者に見られても恥ずかしくないと思ったのか。あるいは、昔別れた恋人が、片岡義男を好んで読んでいたことを思い出したのか。

彼女は、本の内容そっちのけで、この本を持ち込んだ男のことを妄想する。男が高校時代に愛読していた片岡義男だが、大人になって現実とのギャップに気づくようになると、本を読むこと自体をやめてしまう。やがて恋をして結婚を考えるがあえなく失恋、南の島へ旅に出ようとする。旅行代理店の帰り、本屋で再会した片岡義男の本を手にして、旅の道連れとする。。

片岡義男氏は今でも文筆家、写真家として活躍中かと思うが、この作品を見たらどう思われるだろうか。。なんとなく、青筋たてて怒り出すような方には思えない。。かすかに苦笑いする程度かな、という気もするが。

そのうち、イタリアかどこかを旅したら、この文庫本を泊まった宿屋に置いていこうかしら。後に手にした日本人はきっとこう思うだろう。「しかし・・なんで角田光代なんだろう。。なんか鬱屈した心を抱えて、傷心旅行の途中でこの本を置いて行ったのかな・・」

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ちらちらと

2019年02月16日 | テレビ番組

15日夜。イルミネーション、たぶんもうこの冬最後だと思います。

 

去年の秋ごろからレコーダーの調子が悪くて、予約録画をしなくなった(再生とかはできる)。新しいのを買おうと思うが、どうも面倒で気が進まない。

昔は物欲がむらむらとわきあがる男だったのに、枯れてきたのかしら。。

それで、テレビを付けてそのときやっている番組をみている。

当たり前のようだが、ふだんはほとんどニュースとかしか、見ないことが多いのだ。

ドラマは苦手で、よく友人とテレビドラマの話になるとひやひやする。彼らがみているドラマを知らないのだ。

でも、今年はちらちらっとみてるぞ。どれもNHKだけど。

1月にやっていた、「モンローが死んだ日」は良かったです。

鈴木京香さんはとてもいいです。草刈正雄さんは、いかにもという感じになりそうでそうはならないのは、演技が達者だからでしょうね。

大人のドラマでした。

朝ドラの「まんぷく」も、ずっと追ってはいないけど、見られるときは見ている。

タイトルのドリカムと、映し出されている福子さんの映像がどうもしっくりこない。

ドリカムは個人的にはバブル最盛期から数年間のイメージが強い。むしろ「半分、青い」の時代性のほうが似合う感じ。なのに、福子さんは昭和20~30年代の、サザエさんみたいなファッションで。。いつもこれ見ると、自分の親たちの世代のひとが、ああ若いころを思い出すわねえ、と思うんだろうなとか、考えたりする。でもバックの音楽があれですからね。。。

今週は矢口プランもいよいよ実行段階に入ったようで、いよいよ佳境ですね。あ、ちょっと違うか。。?

「特撮ガガガ」は、ほんとうにチラ見している程度だが、わりとあの世界観、好きです。今では想像しにくいですが、昔は鐵道ふゃんだと人前で言うのは、とても勇気がいることでした・。さいきんではうちの部下の子なんか、ああ、鉄なんですかあ!と目を輝かしたりしますからね。

女の子がヒーロー特撮ものが好きに悩むといえば、僕も子供の頃、親に犬のぬいぐるみ買って欲しいといってからかわれたことあったな。しかしこの、自分のもふもふ好きと自らの外観とのギャップには、この先も悩むことになりそう。。

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外は寒いのに

2019年02月11日 | セキセイインコ

寒い連休。雪も降りました。

少しずつ春に向かってはいるようですが、今が一番厳しい時期かもしれません。

一方こちらは常夏?

朝ごはんが終わって、いい気分になったのか、水差しにどぼん。

ケージ付近の寒暖計は22度。寒くないか、お前。。

でも、アルは結構風呂好き。風呂じゃないか。

夏はちゃんとバードバスを出すのですが、こっちのほうがいいのかな。

う~ん、さっぱり。。

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待つ季節

2019年02月09日 | 日記・エッセイ・コラム

夏は冬にあこがれて、冬は夏が・・という歌詞の曲があるが、気候が厳しいと、つい別の世界を思い浮かべるということは人情かも。

とりわけ冬は、できることならばはやく通り過ぎていってほしい季節だ。

夏も、近頃はうんざりする日が続くことはあるが、どちらかといえばやはり冬のほうが辛い。家の中に閉じこもって、暖炉の前で読書などしながら、来るべき春を待つ。夏は暑くてもどっか行ったりするし。


今、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の英訳を読んでいる。朝電車の中で読んでいると、こんな言葉が胸に刺さってくる。

A Killing winter, the Colonel has said. And it has only begun. Will my shadow survive? No, the question is, will I survive, uncertain as I am?

大佐は別のところで、冬は色々なものごとを明確にしていく、と「僕」に語りかけている。雪は降り続け、獣は命を落とす。誰にもそれを止めることはできない。

冬というのはそういうものだ。厳しい寒さは、ときとして命を奪うが、そのことによってものごとはより明確になっていく。


とはいえ、季節は廻り、春は必ず来る。

穏やかな冬は、心安らかに過ごすことはできるが、その代わり何も変わらない。前に進めない。

3年前がそうだったな。。当時の記事を見ていると、とりあえず穏やかな2月だが、今年はまだ始まったばかりだ、とある。

その年の終わりから、大きな変化が始まった。次の年も。

そのまた次の年、つまり今もまた、何かを変えなければいけないと思っている。

変わるのを待つよりは、自分から変えていきたい。とはおもうけど、なかなか難しくてね。。

 

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いつの間にか

2019年02月04日 | 日記・エッセイ・コラム

転居してからずいぶん経つが、越してからいつの間にか変わったことがある。

ひとつは仕事が終わったらまっすぐさっさと帰るようになったこと。以前はもっとどこかしらで引っかかっていることが多かった。昔は毎日のように何かしら買い物をしたり、カメラを持ってその辺歩き回ったりしていたものだ。

もうひとつはわりとさいきんのことで、帰宅後料理をするようになったこと。これも以前はどこかしらで引っかかって、外で食べたりしていた。もっとも、昔の食生活というのは思い出せないことも多くて、昔何食べていたのかは正確にはわからない。

はっきり覚えているのは、2年前の仮住まい時代、あのときは忙しくて、毎晩スーパーのお弁当をかきこんでいた。転居後しばらくの間も、食卓に時間をかける余裕などなかった。実家におかずを買ってくることはあったが、できあいのお惣菜とかばかりで、相手を待たせて料理するということが事実上できなかった。料理するなんて贅沢なことのように、あの頃は思えていた。

それとなんとなくだが、この界隈のスーパーは、出来合いのお弁当的なものがあまり多くない。食材は豊富で安いので、自然とそれらを買って調理したほうが良いような気がしてくる。車で走れば、食事処はそれこそいくらでもあるが、たいていがファミレス、チェーン店なので、どうしても飽きてくる。だから下手なりに何かを作ったり、テレビの「きょうの料理」とかをちらちら見たりと、自然になっていく、きがする。

結論として、環境は少しずつ生活を変えている。先に述べた帰宅の早さはも料理も、かつては介護に係ることに大きく影響を受けていたのだが、今は以前よりはそうではなくなってきている、ということもある。


そう、この2年の間にも、その時その時で少しずつ環境は変わって来ているのだ。

1年前はちょうど、家の車を売ろうとしていた。親も妹も使わなくなり、以前は借りて使っていた僕も自分の車を持つようになったので、車検を機に決断した。

その1年前はこの車で深夜、散々実家と旧宅を往復した。前にも書いたが、昨日のことのようにおぼえている。

去年、2年前、それぞれの時において、何らかの悩みや心の傷を抱えていた。それがいつの間にか。。

ので、今色々抱えていることもまた、時間がたてば過去の思い出になってしまう、のでしょうね。。

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阿川佐和子『強父論』

2019年02月02日 | 本と雑誌

文春文庫 2018年12月

阿川さんのお顔はテレビでよく見かけるのでもちろん知ってはいるし、エッセイも読んだことはある。長くテレビ等で活躍されているので多少の親しみは感じる(年齢的には少しずれるが、なんとなく自分の亡くなった叔母のことを連想する)。が、特に関心があるわけでもなかった。

多少心に引っかかるようになったのは、ご両親の介護とかについてよく触れるようになってからだ。ネット等で読める対談やエッセイを何度か読んで、参考というか、そうかあの人も、と思ったりしていた。どこで読んだのか忘れたが、介護は長期戦だからほどほどに、みたいなことを言われていて、わが意を得たりと思ったり。

『強父論』は介護の本ではなくて、お父様、阿川弘之氏との思い出をつづった本だ。冒頭と最後の章で、臨終間際の様子が描かれていて、本屋で立ち読みしたとき、そこが心に引っかかって、レジに持って行った。最後に交わした言葉とか、ちょっと意識が混乱した様子を見せたときに受けたショックとか。。

どの親子でも同じような経験はするもので、それも、なんてことはないささいなことが、心には強く刻まれているものだ。そういうことを語りたくなるはよくわかる。。また聞く方もなんとなく身につまされる。

先日僕も、幼馴染のミニ同窓会に出て、ふと気がついたら隣り合わせた友人に、父との別れのことをとうとうと語っていた。。聞かされる方はちょっとびっくりだったでしょうね。。

実はお父様、作家の阿川弘之さんのこともそれほど詳しいわけではないけど(鉄道好きだったらしいので、その方面で多少読んだことがあるかもしれない)、親子像としてはちょっと、個人的には身近にいないタイプですね。。うちは祖父(母方)もそんなに威張っていなかったな。年齢的に近い作家の城山三郎氏も(そういえば城山さんも海軍ですね)、戦後風のマイホームパパだったようですし。。向田邦子さんも、よくお父様や家庭の様子を書いていたけど、あれに近いかな。

二つ思ったことがあります。

これを書いている今、テレビでは小学生の女の子を虐待死させた父親と、その子が助けを求めて書いたアンケートを父に渡してしまった教育委員(この男が何故逮捕立件されないのか、もし法的にそうなっていないならなぜなのか、非常に不思議)のことで持ち切りです。

阿川親子は、本書で知る限りかなり強烈な親子関係だったようですが、少なくとも娘は父との思い出を(なつかしく?)回想しながらつづるぐらいのことはしている。昔の雷親父と、さきのニュースのような鬼畜親とはなにが違うのだろうか。

もしその背景のひとつとして時代が違うなら、いまと昔はなにが違うのだろうか。。

(もっとも、娘が親の横暴を語る、という点では、「ど根性ガエル」の吉沢やすみ氏の娘さんが書いた漫画が思い浮かびますが、このお父さんはもう、ニュースの鬼畜親に近いほうの描かれ方でした。ただ僕は、作中いわゆる良妻賢母風に描かれているお母様が、家庭を守ろうとして実は娘を傷つけていることに強い罪を感じましたけど。。話がそれました)。

阿川佐和子さんはごく平凡な結婚を望みながら長年果たせず、ごく最近になって伴侶を得ています。本書を読みながら、むかし阿川さんがお見合いを重ねながら踏み切れずにいたのは、阿川さんのご家庭(特にお父さん)が遠因だったのではないか、となんとなく思っていました。お父さんが娘の相手に反対するとか、阿川さんがお父さんに拘束されているとか、そういう直接的なものだとは全く思わないのですが、もっと深いところで自らブレーキを踏んでいたのではと。結婚されたのはお父様が亡くなられてから2年後です。。いや、そこは全く分かりません。。

長くなった割には、本の内容にあまり触れていませんがご容赦を。。

 

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