宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

もう来年を始める

2021年12月20日 | 日常の記録
昨日と今日、私はお休みだったのである。
でも、かつて毎年恒例だった矢野顕子さんの「さとがえるコンサート」、去年に続いて今年も結局行かなかった。

迷ったんだよねー。
今の感染状況なら、普通に感染対策して行けば全然大丈夫だと思う。
でも100%絶対大丈夫とも言い切れない。
いまだ帰省や遠方の親族との面会を控えている人もいるのに、自分が先がけて行くのもなー。
近くならいいんだけど、遠方の大都市圏に「不要不急」で行くのはやっぱりなー・・・
他の人が遠方から上京するのは全く「あり」だと思っている。
でも自分はーーー
苦渋の選択。
というか、そもそもチケットは取ってなかったんだけど、そうこうしているうちに冬型の気圧配置になり日本海側は雪・・・もうやーめた、ということになった。

でもさー。
これがもし、自分が余命数ヶ月とかで、来年は絶対「ない」っていうことだったら、今年絶対行っていたと思うんだよね。
今年行かないことにしたのは、未来があると思っているからなんだなー。

「会えない時間が 愛育てるのさ」は「よろしく哀愁」(by郷ひろみ)の歌詞だが、
「いつか、会える時まで 愛を送ろう」(「音楽はおくりもの」by矢野顕子)にも、じわっときちゃったんだな。
「おくりもの」は「贈る」と「送る」を掛けていたのねーと今更ながら。

なんかね、これもある種の「願掛け」と思って、この間に野望を果たすべく奮闘を始めようと思った。
例年2月の立春まで「去年」をひきずっている私なのだが、今年の「今年」は昨日で終わり、
気分はもう来年。2022年始動。

来年の「やのとあがつま」のコンサートチケットも、もう取っちゃおう、と思ったけど、他の公演もあるだろうし、どうなるのかなー。

子どもの文学/本を紹介するとき

2021年12月15日 | にわかロシア語
NHKラジオ「まいにちロシア語」を細々と聴いている。
今期は応用編「ロシア語大好き!大人も読みたい子どもの文学」
正直私には難しいというか、一聴しても全然分からないのだが、順を追って一文ずつ優しく解説してくださるし、そもそものテキストがおもしろい。

10月はダニイル・ハルムス『プーシキン』
ハルムスといえば、ロシア語を始めて初期の頃に、読めるようになりたいと目標にしていた作家ではなかったか。牛の歩みでいまだ道遠しとはいえ、まがりなりにも「読めた」ことが嬉しい。
11月はヴィクトル・ドラグンスキー『幼友達』
主人公のデニースカくんの思考過程がかわいくて、おもしろいお話。
ボクシングのトレーニングにサンドバック(「サンドバック」は「洋梨」と同じ単語)を欲しがる彼に、クマのぬいぐるみを投げてよこすママ・・・意地悪とかじゃなくて、使い古しでおなかが大きいからぴったりだとほんとに思ったのね・・・
そして12月はアントン・チェーホフ『ワーニカ』
これはクリスマスのお話なのだそうだけど、冬の夜空を描写した一文が目に見えるようでステキだったので書き写そうと思ったのが、久々に「にわかロシア語」カテゴリーに書いた趣旨なのであった。

「うれしそうに瞬く星が空じゅうにちりばめられ、天の川が祝日をまえに洗ってもらって雪に磨き上げられたようにくっきりと見えます・・・。」

Всё небо усыпано весело мигающими звёздами, и Млечный Путь вырисовывается так ясно , как будто его перед праздником помыли и потёрли снегом ...

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チェーホフといえば、以前、テレビ番組の読書についてのコーナーで、若手俳優さんが好きな本について「チェーホフっていう作家がいて『かもめ』っていう作品があるんですけど」と言っていた。
チェーホフの『かもめ』といえば超有名作品だ。
(非常に恥ずかしながら内容はほぼ覚えていないが・・・)
「っていう」は要らないだろうという違和感があった。
しかしその俳優さんは明らかに「ご存じないかもしれませんけど」というニュアンスを込めていた。
他の出演者は読書案内人や読書好きな人だった。知らないわけないだろう。
なんか一瞬、その俳優さんがすごく頭悪くみえてしまったのだけど、でも逆に、幅広い視聴者層への配慮があってのことだったかと考え直した。
何が、どこまでが、常識なのか判断するは難しい。もちろん書名だけ知ったかぶりするより、実際深く読み込んでいる(その中の役を演じている)その俳優さんのほうが本にとって喜ばしいことは言うまでもない。

お造りと音楽

2021年12月14日 | テレビ・ラジオ・映画など
はや12月も半ばである。
矢野顕子さんの「SUPER FOLK SONG」の一節「残り時間のやるせなさ」がたびたび頭をよぎる今日この頃。
(そういえば、「SUPER FOLK SONG RETURNED」の一節「When I'm sixty four !」って、ビートルズの曲から来ていたのですね、ということを今年初めて知った(^^;しわとしわが倍したからってわけでもないのね。)

某日
またまたNHKEテレ『クラシックTV』「蔦谷好位置と語るストラヴィンスキーの魅力」というのがおもしろそうと思って観る。
私はフィギュアスケートで知った「火の鳥」くらいしかなじみがないけれど、ストラヴィンスキーは現代のミュージシャンにも影響を与えているらしいというので興味があった。
蔦谷好位置氏についてはよく知らないながらも、『関ジャム』で大江千里「Rain」を熱く語っているのを見て以来、好みが合いそうと思っていたのだった。
「春の祭典」の話が主だったのだが、「ゴジラ」(伊福部昭)や「ジョーズ」(ジョン・ウィリアムズ)の主題曲にも影響を与えていたとか、なるほど。音楽史的に革新の時代だったとか、リズムの話とか、ストラヴィンスキーが武満徹を「発見」したとか、果たしてとても面白かった。
この番組、MCの鈴木愛理さんも、ほどがよくて好感度大。

某日
これもNHKEテレだけど『シュガー&シュガー サカナクションの音楽実験番組』トークゲストがくるり岸田繁氏ということで観てみる。
その中で、岸田氏が語っていたことに「魚のお造りを食べて『うまい!』と思うことと、お造りが食卓にのぼるまでの過程(魚を解体したりetc.)を結び付けている人は少ない。結び付けているのが理想だけど、そこをうるさく言ってもしょうがない」というのがあった。
岸田氏は音楽のつくり手としての意識を語っていたのだけど、聴く側の自分にも「なるほど!」と思うことがあって、感銘を受けた。
私は音楽的素養才能もないし、特別自分で音楽をやりたいわけでもないのに、こんな自分が音楽の構成要素や作り方に興味を持ってもしょうがないというか、おかしいかなぁと思っていたのだが、料理に例えるとおかしくない、と思えてきた。
「おいしい」と味わうことが第一歩で、そこから調理に興味を持つ人もいる。
一流シェフにならずとも、調理過程やら必要器具やら材料の産地やらを知ることは興味深い。
知らなかった時よりも「おいしい」に敬意が加わる。
岸田氏が「ピタゴラスが音律を発見して、鍵盤をつくった」みたいなことをちらっと言っていて、そうそう、なんでドレミファソラシドなのというところから疑問なんだよなぁー・・・

まったくの蛇足で申し訳ないんですけど、この番組で岸田氏は正面に大きな編み込み柄が入った茶色のセーターを着ていた。
たぶんどこかのかっこいいブランドのセーターなのだと思うけど、何か気になる。
中野翠さんの「キメツケ御三家登場」シリーズ「お茶目セーターの男(ケント・ギルバート・はらたいら・関口弘)の巻」がふと思い浮かび、本をひっぱり出す。(『ひょんな人びと 92・私の青空』所収 ざっと30年前ですね・・・)
その後、ビートたけしの柄セーターについても書いていた気がしたけど、どうだったかな?

「・・・私の頭には唐突に『お茶の間の知性』というフレーズが浮かぶ。日本の家庭の団らんムードにしっくりなじむ知性。けっして毒にもジャマにもならないかしこさ。親しみやすくわかりやすい『頭のいい人』。」

Eテレ出演にあたって、あえて意識してのスタイリングだとしたらすごい。無意識だとしてもすごい。