宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

タイムカプセル2

2017年02月09日 | 日常の記録
映画『SUPER FOLK SONG ピアノが愛した女。』について

昔観た時の「怖かった」という印象は、慣れない場所でレイトショーで観たせいもあると思っていたけど、違っていた。
記憶は当てにならない。

当時の手帳をめくってみると、観たのは1993年1月21日木曜日。

当時一時的に奈良に居たので、大阪での上映を観に行ったのだった。

手帳の週間ページに日記代わりのメモが。

「休み。起きるのが遅い。
デパートをみてまわる。
3:40からのサンケイホール『SUPER FOLK SONG』見る。
疲れる。阪神百貨店のファミリーレストランでごはん。
←すいててゆっくりできるから。
夜、家から電話。」

・・・なんだこりゃ?
3:40とは15時40分のこと。
ごはん場所のチョイスがわれながら謎(^^;

この映画に登場する人たちの中で、いちばん自分に年齢が近いのは THE BOOM の宮沢和史さんだけど、宮沢さん、今の若い人もきっとファンになりそうなかっこよさで、今の新進バンドのヴォーカルの人たちもまさにこういう表情、雰囲気だよね、自意識と気負いがひしと感じられて、「ああ若いな」と涙がでそうになる。

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映画のこと何か載ってないかなと90年代に角川文庫から出ていた『月刊アッコちゃん』文庫本シリーズをめくってみると、
『愛について考える毎日』の「検証『1976年のわたし』」の回に(この回は1996年掲載らしい)

「さて、では20年後の2016年はどうなっているでしょうか。
『20年後は61歳かー。きっと、このまんまだよ。孫のおしめとりかえながら、ヘラヘラ笑ってピアノ弾いてんじゃないでしょうか』
 そんなときも、『アッコちゃん』とか呼ばれてるんだろうか」

とありまして、「ずいぶん先のことだなー」的空気が漂ってますが、案外あっという間にやってくるものですね(^^;

(今この本を見てごく個人的に驚いたことには、アルバム『ELEPHANT HOTEL』の誌上視聴会にスカパラの初代ドラマー青木さんが「FRIENDS AGAIN」のことを書いているー、で、この曲を聴いてみると、たしかに言ってみりゃボディーブロー(c小沢健二)な曲だった。青木さんは「子供と行くコンサート」の回にもコメントが。興味深い。GAMO(当時はGAMOU)さんが「私の好きなクラシック」でコメントしてるのもびっくり)

タイムカプセル

2017年02月09日 | テレビ・ラジオ・映画など
数日前ですが
この先映画館で観られるか分からないので、リマスター版じゃないDVDを思い切って家で観た。
『SUPER FOLK SONG ピアノが愛した女。』

内容についてはこちら
www.110107.com/yanoeiga

「思い切って」の意味は、昔観た時「怖かった」という印象があって、観るほうも集中力が必要と思ったから。
DVDは2000年発売とあるから、その頃に買っておこうと思ったんだと思うけど、1度も観てはいなかった(^^;

今回観ての印象は「すがすがしかった」。
松本の雪景色の映像が挟まっていたためかもしれないけど「雪解け」な感じ。

「怖い」も最初ちょっとあったんだけど、観ているうちに変わった。
うまくいかなくてガッシャーンとやった次の瞬間にふっと「うまくいかないなぁ」と苦笑いしたりするんだよね。
感情を爆発させ続けてまわりに八つ当たりする人は怖いけど、そうじゃない。
いいものを生み出すためにどうすればいいのか、常に考えている。
カリカリしたりキーッとなったりしてたらやり遂げられない、冷静で緻密な作業なんだなー。
むしろ、こんなに緊迫した空気が流れているのに、「先食べていいよ」って言えたり、ちょっとしたやりとりにユーモラスな感じもあるところがすごい!と思った。

米国人マネージャー氏との会話で
「でもね、ミュージシャンでありながら批評もするなんてできないんだよ」
云々と言われて
「でも私自分でジャッジできるわ。基本的に私の事信じてるもの」
と返す場面がありますが、

よく知らないけど、一般にミュージシャンってひたすらのめり込むタイプの自己陶酔型の人が多いのかな。ジャッジは他の人に任せているものなのかな。
矢野さんは一見陶酔型にみえるかもしれないけど、実は違う。
(そして私はそういう自己批評の目(耳)を持っている人が好きなんだなーと思う)

今はごはんを食べる(または声の調子を落とさないために食べない)という判断も、一番いい状態で録るためにはどうしたらいいかを冷静に考えてのことなんだなー。

鍋焼きうどんを前にちょっとぶーたれているお姿がかわいかった。
きっと熱々じゃなかったんだろうなと推察。
運んできた人はヘルメットをかぶってたから、きっとバイクで来たんだと思うけど、場所を迷ってたみたいだし。「冷めたうどんを運んできた人」として映画に記録されてしまったのは気の毒だ・・・(映画に映り込めてうらやましいなーと思いながら観ていたもので(^^;)
批評家だったら「自分に厳しい矢野にとっては、うどんを最高の状態で届けられないという意識の低さも信じ難いことであったのだ。」と書きそうな場面ですが(書かないか(^^;)でもまぁしょうがないわねって全部おいしく食べたと思う。

まるっきり次元が違う話ではありますが、このブログのこの文も、「もっとうまく書けるはず」と思いながら、書いては「なんか違うなー」を繰り返したのだ。
時間もずいぶんかけた。
「時間がーっ」とイライラキーッとなったり、書いている最中に呼ばれて怒鳴ったりもした(^^;
妥協しないで、I made it. と言えるまで持っていくことは本当に難しい。
つい妥協したりごまかしたりしてしまう。
そういう意味でも、特に芸術に関わってない人にとってもいろいろ得るところのある普遍性のある内容だと思う。

まぁうんでもなんといっても、聴こえてくるピアノの音がステキで、指慣らしでひたすら弾いている音もステキで、それにひきずられて画面を観ているところもあった。
またピアノだけのコンサート、行きたいな。