タイトルを読んで「!」と来た人はかなりの人形浄瑠璃通だろう。盲目になってスズメを追うしかできなくなった母君を子どもたちが発見した場面の鳥追い歌なのだ。思い返すまでも無く小学生の時、学校の体育館で鑑賞した人形浄瑠璃の一節で、この後、感激の対面を果たしながら「野に寝たり山に寝たり、軒に寝て打たれたり~」の台詞回しも記憶にあるのだ。社会人になってこの場面に会いたくて「山椒大夫」の上演があった折りに2回ほど出かけたのだがこの場面には出会えないままである。今、災の河原で小石や砂利を掘っている孤爺の予言だったに違いない。だから安寿石や獅子王石を必ず見つけねばならん!。
まあ、しがないブログを改めるのも孤爺の日課でもあるけれど安寿石(取水升)、獅子王石(取水堰)とまあなんとピッタシカンカン照りな事よのう。この日も真夏日の予報で熱中症警戒アラートは「危険」と表示だ。しょうも無いので朝6時過ぎに出立し7時前から作業に入った。湿度の高い沢の中だから日照が届く時間になるといたたまれなくなるのである。段差工に使用したい丸太材、押し流された残りの1本を河原で運ぼうとしたのだが水をたっぷり含んだ丸太は曳く事もならず鳶口を掛け転がす事もならずで断念した。カタツムリの様な丸太曳きでは疲労困憊するだけである。
とりあえず集めた2本で右岸の取水堰の在るだろう周辺から水路が逸脱しない様に護岸堤を作らねばならない。未だに砂利層の下になっている取水堰の位置は不明なのだが見当をつけた周辺の浸食を多少でも促進させて探索し易いようにするのが狙いである。ピンポイントで位置決め出来ない以上はベクトルが「探索方向」であればなりふり構わずやらねば終わらない。とは言え小型重機で行う様な土砂の量なのだからスコップ一丁では「砂場で爪楊枝を使い遊ぶ」様なものだろう。社会的関係の終わった孤爺であるからこその災の河原の彷徨である。
洗堀用水路