トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のトンボ「ショウジョウトンボ⁉出た!」

2022-04-30 | 小父のお隣さん
 雨後、日差しが回復してからの水見回り。巨大漏水陥没が棚田部に発生して急遽作業が入ってしまい「水商売、自転車操業始まったか…」といささかゲンナリしつつトンボを眺めていたら寄ってきたのだ。カメラを出す動作で飛び立って一旦は見失ったものの帰りのルートで発見できた。土手の高い位置だし接近するには回り込まねばならなくて、その間にまた見失う可能性があるから流路に立ち入って撮影した。

 自分では「ショウジョウトンボ初見!」のつもりでたしか「見分けるのに背中の白線が手掛かり」とSさんから教えてもらってもいたのだが見上げる横位置なのではっきりしない。しかしシオカラでもシオヤでも無く、この時期に出現するこのサイズの残りはショウジョウトンボだけだ。まあ、名探偵明智小五郎よろしく迷推理なのである。

   

サギ被害撲滅!

2022-04-30 | 水辺環境の保全
 先日はアオサギやコサギ、ダイサギまで水域にお出ましになった。浅い水域で隠れる場所にも苦労する環境だから「喰い放題」であろう。テグスを張ったりするのも考えるが羽根を傷めることになるし、結局はシェルターを用意する事にしたのだ。
 手っ取り早く金もかからない竹を用いてサギの侵入を妨害する区域を設える算段なのだ。除竹した竹は山盛りにあるから細いのを選んで1mほどに枝付きで切断し、これを水域に立てておいた。竹の枝が侵入を阻んでくれると予想している。
 池の中に立ち込んで一通りの作業を終えた段階で気が付いたのだが竹を寸断しないで大きな1本を投げ込んでおくだけで良かったのではないか。これなら胴長にはき替え池に入らずとも済む。

 まあ、切断した竹の作業が引き金になって「1本でも良い」のが分ったようのもので丁寧に対応したばっかりに詐欺に遭ったようなものだった。サギには喰わせたくないがカワセミは歓迎したい、この心情は差別なのか依怙贔屓なのか、はてまた環境保全の大義に沿ったものなのかトント小生には判らなくなってきたわい。

      上の池    隣接池 

 今年になって大幅に増加したのがいわゆる詐欺メールで、それも大手の名前を知られた看板を出して入ってくる。持ってもいないカードでは「不正と思われるカード使用がありました。ご連絡ください」の類い、使ってもいない通販などの名前で「アカウントに誤りがあります」とかの類いである。ほとんど毎日のように入ってくるからアドレスを閉める必要があると感じているけれど、接続業者の防止努力はあるのかどうなのか、まあ、HP冒頭にドカーンと広告を挿入して来る感覚ではユーザーの迷惑など考慮も無いのが一目瞭然と言えよう。
 ずさんな安全管理で痛ましいとしか言いようのない海難事故に至らせたかの例もその隊列下っ端に属するのだろうが被害や影響はとんでもない所へもあるだろう。たとえば「知床旅情」など歌手も歌い難いだろうしカラオケでも歌いたくなくなってしまうのではないだろうか。少なくとも小生はそうなる。一方で鎮魂歌として歌うのもありかと思ってもみるけれどどうなのだろう。

今日のトンボ「泥水池4の抜け殻」

2022-04-29 | 小父のお隣さん
 いつも通りの水見回り。泥水池5には二つの漏水孔が露わになっているのだが夜間演劇会の課役で先延ばしとなってしまった。この池の役割は放流するための傾斜を減少させるためあるので湛水できていなくても不自由はないものの地下の漏水トンネルを大きくしていく時間を与えたことに由る先々のリスク増大は避けられない。
 
 さて泥水池4は満水位でさしたる危惧は無かったのだが大きなヤゴの抜け殻が目についた。何種類かの大型トンボが産卵をしていた水域でもあるがこの時期の抜け殻は恐らく「クロスジギンヤンマ」に違いない。生体は見ていないしヤゴで鑑定が出来る小生ではないけれど四月の大型トンボはクロギンしか出ないから小生でも断定可能なのである。この自信をもって断定できるとは何と私は優秀なのであろう。老いて益々盛ん…違うか・・・。

  

春の山菜試食会

2022-04-29 | 感じるままの回り道
 例年通り「春の山菜試食会」開催となった。まあ、夏も秋も冬も「山菜試食会」は無いのはご愛嬌である。天候が危ぶまれて一応は8時過ぎにはフイールド到着したのだが小雨模様。代表は既に到着して「山菜採集」していた。この日の現状では開催できたとしても連れだっての採集は無理である。

 結局、11時開催と変更になって雨が止むかどうかはお天道様次第の大博打。それでも開催時刻には小雨模様となって雨合羽を脱ぐことも無かったけれど試食する頃には止んで祝着至極だった。しかし降雨によるてんやわんやの変更でタケノコご飯を提供するには至らず、山菜天婦羅と即席の新茶で立ち食いウロウロ食いに終わったのだ。
 
 子育て中のママさんの参加が増えたのでメニューに「大マシュマロ焼き」を加えてもらったのが幸いし子どもたちは竹串に刺した大マシュマロをコンロにかざして大喜びだった。最初は真っ黒こげが多く火の付いたままのマシュマロを見えない炎なので持ち歩く子もいて初めての体験はそんなものなのだろう。
 結局「昼食」としての献立は並ばなかったものの「腹減ったー」の声も出ず遊んでいたのは喜ばしい。

 小生は前日と前々日が雨天だったので気合を入れてバナナのビスコッテイと紅茶のビスコッテイ、フォカッチャは「山菜試食会」なので「ヨモギ」と「魚沼産フキノトウ」で提供した。これらは大人より子どもに「喰わせる」とんでもエッ!品なのである。予定した主食のタケノコご飯などが無かったせいか意外に「美味しい」と言いながら食してくれたのだ。2~3本食して小腹の鳴るのも収まったのだろう。
 食べるものが少なければ時間が余る。雨も落ちてこないので近くでタケノコ掘りに行って子どもたちは大喜びの様だった。今期は表年なので探す手間も不要だ。小生は準備と後片付けで草臥れる。

    ヨモギのバウムクーヘン      小生の試食パン屋さん

狙われる卵塊、痛めつけられる植生

2022-04-28 | 小父のお隣さん
 棚田部の畔にはシュレーゲルアオガエルの卵塊が見える時期になってきた。「ここにあります」なんてアナウンスをしようものなら一回にして植生はグズグズ、卵塊は触られ破壊の憂き目は間違いないから周知はしないのだがヒキガエルのオタマジャクシは黒々と群れて水底に居るから発見されるとロープを張り植生を保護したつもりでも「つもり」で終わる。写真はトンボ池の一画で春先に羽化台や食草としてカラムシを移植し何本もの茎を立ち上げていた場所なのに踏み潰されてしまった。

        

 人為的では無くても食物連鎖の一部として破壊されるのは日常茶飯事と言えばそうなのだが今期はやたらと目につくようになった。個体数も増え捕食者の学習効果も一因と妄想するけれどこんなものは防止には全く寄与はしない。ここ数日で数カ所の被害箇所を目にしたが、今日の一カ所は「愛の巣穴」で捕食されていた様子があった。密やかで熱い一時を過ごし天にも昇る心持だっただろうに本当に昇天させられてしまった。相手が一枚上手だから「しまった!」と思った時点で万事休すエンドロールは短い。

  

今日のトンボ「シオヤトンボ♀」

2022-04-28 | 小父のお隣さん
 数日前にシオヤトンボの産卵しているのを撮影できて既にアップしたのだがメスもオスも今期は止まっている場面で撮影できてはいなかった。これでは田舎っぺというもので我の沽券や名誉にかかわる領域なのだが腐有陳のように言う事を聞いてくれないトンボの事とてしょうがないのである。

 ところが、こういう事は全くの偶然なので待ち受け画面にしてても音沙汰無い小生のケータイと同じく待っていても無駄なのであって、この日もノアザミの開花状況を見に行って遭遇したのだ。
 当然ここは撮影チャンスで1枚撮ることが出来た。オスは棚田部でS先生とSさんが撮影しようとしていたのだが小生が加わった事で度々止まっていた定位置に寄り付かなくなった。きっとシオヤトンボも観客が増えれば「しおしい」気持が増すのだろうて。
 ところで「しおしい」は越後の方言なのだがもう孫も居る姪が「おじさんに会ってみるか⁉」と姉が電話で誘った折に「しおしいから会わない」と東京育ちなのに使っていたのを思い出す。その姉も既に90歳、耳も遠くなり認知症も進み見舞いにすら行く事も出来ないコロナ蔓延下では電話も用をなさなくなった。

       

肌の色より眼球色

2022-04-27 | 小父のお隣さん
 吐水口で生簀を洗っていて水槽の脇を見たらアオガエルがいる。「さーて、どっちだったか⁉」モリアオガエルかシュレーゲルアオガエルか即断しかねた。赤色と金色の違いは記憶にあっても相当するのがどっちだか失念している。自己弁護すれば他人様に教える立場でも局面でもないからどうでも良いのだけれど木久扇師匠ほどでなくても少々悔しい。まだまだ小生は自宅に帰れるのだ。これは強調しておきたい。

 自宅で調べたらシュレーゲルアオガエルと判明したのだが、普段、あれほど人前に姿を晒すのを忌避している生態を持つシュレーゲルアオガエル君が威風堂々と白日の下に濡れ場を晒しているのだ。あろうことか吐水口の飛沫が飛んでいる真下で更に環境さえも濡れ場なのだった。普段なら「エー加減にせいよ!」と鉄拳制加える立場だけれど、この時ばかりは池から上げた二枚貝を早く家に運ばねばならなかった。
 濡れ場の顛末も見てみたいし二枚貝は早く池に投じたいし、てなもんや三度笠の事態はままあるのである。でも家でつらつら考えてみた。この日の気温は26℃まで上がったし暑い日に熱い場面ではシャワーを浴びて涼みたいのはカエル様も同じなのであろう。それにもう一つ、不純異性交遊でもなさそうだし大目に見る事に致しました。はい!。

       

**今日の一歌

2022-04-27 | 小人閑居して憮然
               泡立つ磯の根 残雪知床
               仰ぎ見ずとも 今は涙
               帰らぬ旅人 哀しきみたまに
               捧げまつる 胸と心

               ボートは沈みぬ 千尋の海原
               風も浪も 冷たく襲う
               力も尽き果て 呼ぶ身も凍えて
               恨みは深し 安全ずさん

                            元歌「真白き富士の嶺」   作詞  三角錫子
                                          原曲  讃美歌

毎日毎日おいらは玄関の・・・

2022-04-26 | 小人閑居して憮然
 ポーチの掃除でやんなっちゃうよ、と言いたい心境だ。昨季は蜂の巣が巣作りする入口に出来た結果、営巣が無かった。一昔も前から営巣繁殖が続いていたのに理由がわからなかったが「前期の巣材で窮屈になったかもかも・・・」と雨樋の化粧カバーを外して「これが理由か⁉」と独り言ちたのだった。古い巣を外し空間内を清掃しての今期、デスクにいると飛翔する影や「トン!」と雨樋カバーに降り立つ音で巣作りを開始したのが見て取れるようになった。

 今期は自動カメラを購入し仕掛け、巣立ちまでの給餌の回数や餌の種類を記録してみたいと思ったのだがデジカメ2台の思わぬ不調は「修理不可」との結果で、結果を反映させてタフカメラを購入したのだが倍率が4✖ではトンボの撮影すら困難。仕方が無く更に1台購入した結果、野外観察自動カメラの入手は断念したのだ。

 イソヒヨドリのカップルが忙しく巣作りに出入りする様子はデスクの前の窓下1mにもならない近距離で視認できるのだが例年と降り立つ場所も潜り込む位置も全く異なるのだった。玄関ポーチで雨樋化粧カバーの網目鋼板越しに観察すると今まで巣作りした位置には巣材を運び込んではおらず玄関小屋根の前縁の隙間に巣作りをしている様子だった。自動カメラの設置は断念したからそれはそれでどうでもよい事なのだが今までと異なるのがポーチに落ちる巣材の多さである。

   

 今までは壁際だったし進入路も一定だったから巣材の散乱は目立つほどでは無かったのだが今期はポーチ前面に落ちて来る。雀が巣作りしていた当時は乾燥した細い植物材や羽毛が多かったのだがイソヒヨドリの運び込む巣材は全く異なる。「こんな巣材で保温性など得られない」と思える物ばかりだ。
 2~3年に1回ほど古巣の撤去を衛生上行ってきたが撤去した巣も単なる「座面」程度の代物で抱卵し雛を囲うにはあまりにも開放的、悪く言えば巣とは思えない感じがしたのだ。まあ、カラスの勝手でしょ!に代表されるがごとくイソヒヨドリの勝手なので苦情など言わないけれど「巣」に対する見解の相違や齟齬は大きいのが分った。「それがどうかいたしましたか⁉」と言われれば腹がグーとなるだけ。

      

爺さんは山へ泥浚いに行きました・・・

2022-04-26 | 水辺環境の保全
 思いもかけない丸太椅子やルート工作に日時を費やしてしまった。そして避けたかった顛末。メモを見ると三週間はかかりきりだったがフイールドのビジョンや指向性など皆目関心も無い人が作業して必要以上に荒らされるよりはましだと考えての事で、しょうもない事だったと思うしかない。
 ぼやけばチェーンソー2台は修理で万札4枚は消えてしまった。会にはいくばかの金額が入ったけれど修理代にもならない。本番前の予行演習に会員を招待してくれたのがせめてものお駄賃替わりかと思ったところに破壊行為が始った。
 まだ危険と思われる場所に杭を打ちロープを張る作業は継続中だが、今以上は主催者側のスタッフのに任せようやく通常の自転車操業水商売に戻れると安心したのは油断だった。だいたい看板を背負っている連中は信用できないのは身に沁みているフイールドなのだ。

 さて冬の間に堆積した沈泥部の泥土をまずは取り除かねばならない。これを除かないと泥土の侵出は進み水域が浅くなるのが早まってしまう。この日の作業は沈泥池と棚田部の温水田の沈泥部で、長柄のジョレンとスコップを使い泥浚いし泥上げをした。
 沈泥部       棚田部温水田

 棚田部は今季から新たに会員になったママさん達が子どもに「田植え」と「稲刈り」体験をさせたいとかなので準備も進めなくてはならない。例年、除草に難渋しているキシュウズズメノヒエは稲作の障害になるから成長する前に抜去しておきたい。
 この多年草は根とランナーの繁茂が著しく抜去は力仕事になって握力の減退も伴い易いけれど今回は時期的には早めで貝掘り熊手の柄を長くした道具を利用して根こそぎ掬い上げ、そのまま水中で上下左右に泥洗いを行い畔に放り投げて乾燥させる戦術にした。4本鍬などだと隙間が大きくて引っかかる事に繋がらないが、この熊手は有効だった。
 除草を済ませたから植え付ける範囲に泥土を寄せて栽培部の土層の厚みを増やす必要もあり、イベントを行う事になると保全活動とは無縁の準備の手間が倍増するが、そこは子供向け、体験学習としての必要手間である。

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信義と誠実の原則

2022-04-25 | 小人閑居して憮然
 民法条項を持ち出すまでも無く社会生活を営む上で基本中の基本、必須の原則だと小生は思うのであるけれどこれが一筋縄ではいかない。かの国の政や指導者を出すまでも無く威風堂々馬耳東風カエルの面に小便の事態は水の惑星に溢れておる。まあ、原則なんて「水物」と判じてしまえば終わりである。

 フイールドに限定しても代表格はかの環境教育NPOと断ずるけれど、実態を知り得ない集会に於いて自らの行動は不問とし誹謗中傷放言するような姿勢では宣戦布告に等しい。ネット上に公開すれば取り消しも出来ないのと同じように口から耳へのリレーも取り消し消去は不可能なのだ。
 そういう事態が今回「環境破壊行為」としてまた発生した。そういう事が発生しないように担当者を現場に立ち会わせて2回の打ち合わせを行ったにもかかわらずなのだ。その結果、環境保全に対して「理解」を示し必要以上の破壊は行わないと判断できたから小生は三週間も費やして道路緒安全確保と整備に通常活動を先送りして協力したのだった。

 ところが数日前会友のYさんが「主催者が瓢箪池の水切りを行っていた」と言うではないか。既に帰り支度をしていた時間だったから敢て現場を見に行かなかったけれど今日になって現場へ行って見た。確かにしっかり補修した集水路は切断され、池の水そのものも抜こうとしたのだろう水路の掘削途中と観られる堀跡も出来ていた。
  

 この場所も二度にわたる現地説明会の折りに「池の周りで催しを行う一会場」となり、小生からは「漏水が激しく水溜りは数日で消える状態なので、湛水状態を保ちたいなら防水シートを用意してもらえれば間に合わせます」と伝えた池でもあった。それが月も変わらないうちにこの手太楽である。

 まあ、主催者側は公の機構であってこっちは私人で個人みたいな姥捨て山の住人では「イベントなんて開催しちまった方が勝ち!」と思われても不思議はない。この計画を聞いた時点で「どうしてここが候補地なのか⁉」と確かめたら「他では全て断られました」との返事だった。この要因なぞ知る人ぞ知る当たり前田のクラッカーであるのだろう。
 かのNPOも含め「活動は公のものであるから多少の反則は許される」なんて傲慢が根底にあると断定も否定もしないけれど小生が「不明」であったに過ぎなかったのだ。

 この時、思い出していたのは数年前に隣り沢で行われた夜間音楽祭の一会場は「サンコウチョウの飛来観察ポイント直下」で、ここに舞台で使う大型の音響設備と照明を周囲に配置して実施していたから、あのような事態は「絶対避けたい」と話し合いを持ったのだが、何の事は無い腐有陳類似の輩や組織では全く役には立たなかった。
 大規模照明や大音響がどれほど営巣期の鳥類に悪影響するのか事実確認など出来ないのだがまあ人生、生涯学習という事だろうて。ホント血圧が上がるわい。マインドフルネス、マインドフルネス・・・。敢て付け加えるなら「ウクライナ侵攻」と同様な手口、入り込めたら破壊する、分断して統治する、僻地へ分散させれば消えさせられる・・・。

今日のトンボ「ムギワラ、むぎわら、」

2022-04-25 | 小父のお隣さん
 四月に入ってトンボは4種が出現した。どれも繁殖種なので精一杯の種数であるが更に上乗せするなら「飛来種」に頼るしかないものの時期的には可能性は無いだろう。
 この時期に一番目につくのはシオカラトンボ♀でムギワラトンボと言った方が♂♀言わなくても済むだけ手っ取り早いし口が馴染んでいる。

 行き帰りの道すがら目につく花が「ムギナデシコ」とかいう外来種だ。淡い桃色の花を華奢な茎の上に載せて風に揺らいでいる姿は好きな風情である。昨年春、注目して種を手に入れようとしたものの「毒性あり」との植物と知って取りやめた。いくら風にそよぐ頼りなさそうな揺れる姿を「好ましい」と断じても「虫もつかない柳腰の美人草」を庭に入れる訳にもいかない。
 しかしなんだ、昨今の話題に準じれば、こういう表現は「いけない」のであるかどうか、まあ、社会人講座など受け持ってはおらんしコンサルティングもしない姥捨て山住人だからOK牧場としておこう。

 すぐ脱線するのが小生の良い癖であり長生きの秘訣なのだが今回はそれでは無い。ムギワラトンボはムギワラに似ているかイネ科、いいえ否か、であって田舎でもない。残念ながらムギワラは長い事お目にかかってはいないから稲藁で対応してみたらし団子、いいえ、みたら少しだけ似ている。でもでも似ている所に止まってもらうより春の陽光に輝いている方が小生は好きでありんす。しかし若い頃より輝いていた私の一部は好きではなかった・・・。あっ、りんすも出来なかったから。

  

 さてさて22日になりようやくオスが出現した。既にオス同士ファイトオーッとやっておる。写真の波板の上を二匹でとりあっていたのだが気温26℃でも暖かい場所が良さそうみたい。

ノアザミが咲いたから・・・

2022-04-25 | 蝶の食草園
 ノアザミが花径を立ち上げ始め開花に至った株も出てきた。特に群植したところは立地も良いのか数が見えてきた。五月に入ればノアザミの花盛りとアゲハの群れ盛りが出現するはずだと今から待ちどおしい。種子を採り蒔きしても開花は翌年なので、たとえ群植したとして花壇とは異なる野ッ原だから多少の管理が必要になってくる。

 植え付け時にはネザサの根茎は排除したつもりでも断片から再生するし周囲からは侵入するので適宜、掘り取っていく必要がある。今回はカラスノエンドウが空間を占領する様相を見せ始めたから種子を落す前に抜去した。根元から蔓性の茎を何本も絡ませて這い上がってくるけれど、この時期だと容易に引き抜けるのだ。時期を逸すると葉や茎などに絡まって始末に困るようにもなるし繁茂して覆ってしまう事が一番困る事でもある。

 思っていたより簡単にかたがついて、ついでにカナムグラの伸び出した所やスイバの株などを引き抜いて群植部の手入を終えた。今までノアザミの養成株は野草の中に紛れ込ませて定植していたけれど、刈り払われるケースも多くて損失多数、で群植しておけば多少は免れると思うようになってきた。

 まあ、自然の野草の景観風に誘導してきた年月と労力など入域者には理解できるはずも無く、単なる雑草としてしか見えていないのが折々に観察すると良くわかる。「桜守り」などは良く知られた用語だけれど桜見に繰り出す輩は多くても「桜守り」に思いをはせる輩など居ないのと同じように、「植生守り」や「トンボ守り」が背後に存在しているなど一瞬だって過ぎらないのが農耕民族の遺伝子なのだろう。「環境教育やってます!」なんて団体のスタッフだってそのレベルなのだから。

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アオガエルとは思えない…

2022-04-24 | 小父のお隣さん
 沈泥路の泥浚いをしていたらシュレーゲルアオガエルともども浚ってしまった。作業者側の視点でなくカエル側の視点で申せば「攫われた!」のであった。小生に悪意があった訳でも無く、いわゆる不測の事態でアクシデントなのだったが、久しぶりに見るシュレーゲルアオガエルはとてもアオガエルには見えないのであった。

 経験則で成体は何時も「アオガエルです!」なんて体色をしている訳では無くアマガエルのように皮膚の色を変化させることが出来る様なのだ。常時、姿が見える場所には居ないカエルだから何色でも変わりない様に思えるものの、穴倉の中ではそれなりに暗色であった方が発見されにくくはなるだろう。
 ところがどっこい、カラス様は頭脳明晰で「だるまさん転んだ」の反対の遊びを行う。鳴き声を頼りに抜き足差し足近づいて「ここぞ!」と言うタイミングで嘴にカエルを挟む時があるのだ。どのカラスもこぞって行う行動でもなさそうで、そこにはカラスなりの好奇心というか頭を絞ると言うべきか思考や個性が見え隠れする。
 見ていると「トントン」と移動はせず抜き足差し足、その上立ち止っては小首も傾げる仕草もするのだ。まあ、こういう行動は捕食時のありふれた行動ではあるものの「カラスは頭が良い」を摺り込まれるのだ。ほんとあの国の国民と全く同じになっている・・・。

            

      

入口部段々の品質

2022-04-24 | 今日は真面目に
 入口部のルートは表流水で荒れてしまい思い切って大補修を施したのが先だっての事だ。その後、何回となく上り下りしていて気になったのは表面を覆う瓦の破片(産廃)である。もともと産廃投棄地だったので表土の下はレンガや瓦、タイルの破片が詰まっている。故に雨水で表土が流れ現れるのは自然の経過なのだが何とも歩き難い。これが夜間で山慣れなく不整地歩きに慣れていない善男全女や老若男女が通るのである。足腰も弱り視力や判断力も衰えたが催し物には貪欲の観客もいるだろう。瓦の破片ひとつでさえ躓きの元になりかねない要素はある。

 とは言えフイールドの箱庭状態の環境下では資材が容易に調達できるわけもなく、浚渫土では水分を含めば泥化する心配がある。そこで目を付けたのは駐車場横の沢のドンドンである。ここには浸食防止の杭列に阻まれて土砂の堆積が砂州状態になっている。畳半分ほどの面積しかないけれど一輪車で2杯も採土出来れば十分なのだ。水の落ち込みで沸き上がった砂泥が堆積したのだが流れがある場所なので泥土より砂質に近い。これなら敷き詰めてやれば水はけも良く破片の凹凸も覆ってくれよう。

 読みはぴったしカンカンで上出来の品質に近い。これこそ今が流行のSDGsとか何とやらの具現化なのである。見上げたもんだよ屋根やのふんどし、見下げたもんだよ草履のウンコ・・・。