トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

**秋津唱

2022-11-30 | 温故痴新
         今日よりは木枯らし強く吹きなむをいかにす孤爺アキツいぬ日々
          今よりは秋風寒く吹きなむをいかにかひとり長き夜を寝む        大伴家持

         裸木や山の木枯らし吹き曝しマユタテ消えて侘し寂しも
          あしひきの山の嵐は吹かねども君なき夕はかれて寒しも         詠み人しらず

         アカネ飛ぶトンボ池行き野池行き池守見るやトンボ水打つ
          あかねさす紫野行き標行き野守は見ずや君が袖振る           額田王

         クロギンもアカネもオニも何せむに優れる宝種の多様性
          銀も金も何せむに優れる宝子に及かめやも               山上憶良

         夏池の真茎に休むテネラルの知らえぬ羽化は苦しきと見ゆ
          夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ        大伴坂上郎女

         あしひきの山の紅葉を染め移し散りし落ち葉にアカネ点描
          あしひきの山の黄葉にしづくあひて散らむ山路を君が越えまく      大伴家持

         マユタテの待ち喜ぶる小春日にアカネと我はひねもすのたり
          こほろぎの待ち喜ぶ秋の夜を寝る験なし枕と我は            詠み人しらず

         大雪や谷田に秋津は消え果てて枯葉舞い上ぐ裸木高く       トロルお爺

         谷地の空灰色の空風花に秋津散る散る雪子舞う舞う        千恵子

ぼちぼち地拵え…2

2022-11-29 | 今日は真面目に
 マキ列植部と真竹林との間の段々部が地拵えの部分だ。大きく日陰を作っているマキは除伐し地表の笹類や竹、ヒサカキなどは取り除いて地表に日光が当たるまでに環境を回復させる。これにより植生が復活し生物も生息し易くなるはずだ。この東端部は猛禽類の、それもフクロウの営巣地にまで仕上げたい心算もあるけれどまだまだ先の事である。まずは飛翔できる森林空間と林床部に餌となる生物が増える環境設定が必要なのだ。

 この日は人知れず栗の実を落してきた栗の木の周りに空間を作るための除伐と地拵えを開始する。やはりマキの列植部が大きな障害で、最終的にはすべて伐採しなければならないだろうが伐採木の処理集積には伐採する以上の手間暇と集積場が必要だ。集積場所は斜面下側の大杉近くの窪みに決めて裁断した枝などから積み上げる。太い部分は最後に重しである。これで嵩が減り腐食も早まると言うものであろう。
 写真では侵入していた真竹の若稈やシュート、ヒサカキなどを取り除いた後だから通り易く見えるけれど処理前は手で跳ね除けながら出ないと入れなかった平坦部である。

      

今日の素労風努「イナゴのビスコッテイ」

2022-11-28 | 何よりの楽しみ
 冷蔵庫には「秋グミ発酵母」が入ったままだし天然酵母で製パンするか「イナゴで製パンするか迷った末にイナゴを冷凍庫から出した。傷みやすいのはイナゴ粉末だからである。この日、未明までお湿りがあり晴れるのは午後の予報だったから「寒空の下、あえて出かける程も無い!」として主夫なのかシェー夫なのかよくわからないけれどお約束の選択だ。ちなみにフイールドに出かけないので洗濯は無し。

            卵            2
            卵黄           2
            キビ糖        100g
            全粒粉(中力粉)   160g
            BP        小匙  1
            シナモン      小匙  2
            黒ゴマ       大匙   1
            イナゴ粉末       80g

 手順通りササッと混ぜ合わせ容器に延ばすだけで手軽であるのがビスコッテイなのだが、今回は卵黄が4個のところ卵が無くて2個になった結果、粉っぽいままで固まりそうもない。仕方がないから牛乳を加えようとしたものの牛乳も無く、結果的に外した卵白を泡立てて投入し何とか繋がりを維持できた。
 見誤ったもう1点は「イナゴ粉末」が吸収する水分量が入っていなかったと言う事で乾燥前は250gあった物が80gにまでになっている。まあ、初体験であるうえ経験値不足のシェー夫であれば致し方なし。

 型に入れ予熱170℃13分が初回の焼き、粗熱が取れた段階で切り分けてから断面を上下にし予熱150℃30分の二回目の焼き。温度の下がるのを待ちきれず1本試食する。温かい段階ではカリッとした食感にはならずとも味わいは分かる。キビ糖を半量まで減らしたから甘味はほのかだけれど大量にイナゴが入っている割には「美味しい」のだった。

          生地完成  ➡   1回目焼き上がり

 勿論、フードプロセッサーでの粉砕イナゴだから粒子は粗く咀嚼していても分かる。黒ゴマとイナゴ粉末が一般的に用いるドライナッツの「置き換え」になるのだがナッツ類は水分を盗まないから生地の咀嚼感に影響はないだろうがイナゴの粉末ではそうは行かなかった。
 とは言えレシピ集に見られる「○○何々」の様な「入れた」程度がイナゴ粉末でなくても添加量大匙1~2杯ではない戻した量に換算すれば生250g相当投入されているから名実と共に粉の分量より多い「イナゴのビスコッテイ」なのである。量は多いが「美味しい旨い」は間違いなく、それは味だけでなく手練手管も「上手い!」結果であろう。またイナゴ1kg購入しなくては・・・。

 それはともかく昆虫大好き人間S先生とSさんはこの「イナゴふんだんビスコッテイ」を口に出来るだろうか、それが問題だ。なんてったってここまで昆虫を大量に放り込んだパンなど想いもしないだろうし。そんな中、たわいもないあられもない事柄をつらつら妄想して「ビビビッ」と降臨した案がある。
 それは香ばしい「はったい粉で作る」というビスコッテイなのだ。薄力粉で良いし風味は格段に向上するだろうが原価が、原価が莫大湯水のごとく、と言っては何だが物価高騰の折り湯水も節約傾向だから却下しようか脚下に留めおくか、それも問題だ。
 我が人生、問題が多すぎるし孤爺になる訳であった。いいや意固地と言うべきか意孤爺と言うべきか。それにしても以孤露爺は難しい年金減るだけだから更に難しい・・・。やはりフイールド三昧、以孤露爺がとどのつまりよのう。



ぼちぼち地拵え…1

2022-11-27 | 今日は真面目に
 自転車操業・水商売の身としては好むと好まざるまいと水見回りが必須で当然、漏水や断水の手当てに追われる羽目になる。今期は台風15号の被害で更に輪をかける始末と相成ったのである。それもどうにか一段落して水域も冬籠りの静かな日常に入るのだが「漏水や渇水が無ければ…」の条件付きだが見回ってもトンボは既に出現期終盤で見る影も無い。ましてや山の日陰になってしまった水域はそうそうイベントも無いのだった。

 そんな訳から冬期は林内作業が主になるのだが今期は水域の補修が残っている。しかし春の条件を考慮すると林内作業、特に地拵えは早めの方が植生の萌芽を促しやすい。そんなこんなであっちもこっちものバランスが必要なのだけれど気分転換もあって東端部の地拵えに着手した。
 既に今期久しぶりの林床刈り払いを実施した東端部は入り易くはなったものの歩き難いし辺縁部の荒れた状態は手つかずで、まずここの地拵えから着手し早めに林床部へ冬の日差しを届ける事にしたのだ。真竹とのせめぎ合い最前線の上に昔の境界線上に列植したマキが日陰を作り鬱蒼とした段々構造の2段を日当たり好い状態に作り替えたいのである。

 まずは集積場所にしてある侵食穴の周囲を笹刈り除竹して作業空間を作り、ここを起点に地拵えを進めるのである。この日は刈り払い機で笹刈りしてから徐竹して侵食穴脇で枝払い細断の作業で終わった。刈りっ放しや切りっ放しだと楽だけれど、後々出て来る刈り払いなどの手入の邪魔になる事請け合いなので、ここは骨惜しみしないで集積場所へ運ばなくてはならない。
 これを行ってあるかどうかで後々の作業や活動の危険やストレス、余分な手間暇が軽減される。こういう手間は周年継続して維持管理の作業をしていないと理解できないようで、一斉刈り払いなどでは集積がおろそかになって後々悩みの種になるのが痛例だ。


 
 イベントなどの一斉植樹なども十分な説明と実演を行ったうえで実施してもチョコチョコと苗を小穴に置いただけの様な状態が多く発生し歩留まりが悪い。いきおい植栽の数は少なくてもしっかり確実に植え込み水決めするのが苗を失わずに済むからフイールドのほとんどは他人の手を借りずに定植である。

二点位置流「昆虫すこいぜ!」

2022-11-26 | 小父のお隣さん
 この時期、いの一番に登場させるのはアサギマダラの幼虫しかいない。アカボシゴマダラはありきたりだしカマキリもマユタテアカネもご健在で面白いネタにはならぬ。この日、11月24日なのだがカエルの鳴き声がしていた。アマガエルなのかシュレーゲルアオガエルなのか区別がつかなかったが地表でのニホンアカガエルは発見できなかった。

 さてアサギマダラの卵は二桁を数えるけれど1齢2齢の段階で既に産卵された数を数える事は無い。写真の幼虫は周辺の中でも大きな個体ではあるけれど体長20mmには達してはいないだろう。撮影する時にカメラを掲げて片手で写さねばならない位置だったからこの大きさ以上には写せなかったが複雑な体の模様ははっきりとわかる。
 成蝶の翅模様は大ぶりのデザインで開放的に感じるけれど幼虫は緻密な色彩と模様で何となく組み紐模様に見えるのは小生だけだろうか。この幼虫を見ると「紐よ紐!まだらの紐よ!」というエドガー・アラン・ポー原作の小説の台詞、それも少年時代に聴いたラジオの朗読だがいまだに思いだす。「アッシャー家の崩壊」最後のシーンも怖かった記憶がよみがえる。背景にあったのは月だったか夕日だったかはもう思い出せない。

 手慰みに調べてみたら1955~6年頃の放送だった。同時期だったか「少年№1」という番組はタービンエンジンでレースに挑戦する物語だったが、これも真空管スーパーラジオで聴いていたのだった。まあ、虫とは関係ないけど音声だけとは言え血沸き肉躍る楽しみだったのである。

        

春の準備に 5

2022-11-26 | 今日は真面目に
 未明まで降雨があったけれど前日分を足したところでお湿り程度だった。水位の下がった三日月池は数センチ上昇しただけなのだが、これで数週間は底を露わにしないで済む。何と言ってもクロスジギンヤンマの良好な発生池ではあるが雨水頼みの池なので気がもめる。

 この池脇の斜面下、先日にアズマネザサの進出線を後退させて春の小花畑用に裾を整備したのだが伐り取った稈は通路に並べたままになっている。未明までの降雨で濡れてはいるものの早く片付けないと春の芽出しに差し支えると思い、重い腰を上げたのだ。
 長い稈は3mを優に越すので抱えて運ぶにしても取り回しに難渋した。それでも集積し数年経てば砕けるようになって土に還りながら良い腐植質を提供してくれるだろうと皮算用。至近の食草園の林床に敷き並べたのだ。歩くのにおっかなびっくりになろうが度々入り込む範囲でも無いから腐食して樹木の生長の一助になれば良いのだ。

 早春の小花畑を目論んだ通路と立ち上がりの斜面裾がさっぱりとした。ネザサを刈り取った部分に草本が茂るには2~3年必要だけれど今までの範囲にとっては更に日照を得られる環境が出来たはずなので春が楽しみな小春日和になった日であった。

       

「ごど」と「しょうゆの実」比較してみた

2022-11-25 | 何よりの楽しみ
 まずは「ごど」を試作したのが9月でその風味で遠い記憶がよみがえり「しょうゆの実」を試作するに至った。「ごど」はともかく「しょうゆの実」は少年期までは食していた郷土食である。今回、熟成期間を終えた「しょうゆの実」と冷蔵庫で比較の機会を待っていた「ごど」とを食べ比べてみる。
 「ごど」は冷蔵庫で低温熟成約一カ月間で「しょうゆの実」は28℃の恒温発酵だから発酵条件は異なるけれど公の比較では無いし、あくまで小生個人の口に入れるだけの食品であるから全く問題は無い。よくある不正報告を行わなければならない動機すらないのだ。

 写真右が「ごど」で左が「しょうゆの実」である。とりあえず「ごど」から口に入れてみる。真っ先に酸味がきて塩味が後からくる。期待していたほどの旨味は感じられなかった。
 「しょうゆの実」は郷里で食していた記憶の色合いとは異なりベージュ色である。郷里の記憶は溜まりの様なこげ茶だったように思えるのだが大豆を炒った色が反映されたのか塩の代わりに醤油を入れたのか今となっては分からないし義姉も姉たちも作ってはいなかったはずだから尋ねてはいない。小生の試作は塩ベースである。
 口にすれば酸味は「ごど」より圧倒的に弱いし郷土食の親近感もあるだろうから食べやすく感じた。特に大豆の食感が異なり「ごど」では納豆をそのまま使ったけれど「納豆感」は消えて大豆の食感だ。一方「しょうゆの実」の大豆は半割にした結果も影響しているのかどうか軟らかい納豆の質感が出ている。これは意外であった。

 軍配を上げるつもりも無いので「好み」という結論にしたけれど作るなら「しょうゆの実」が容易に思えた。そんな事から「ごど」を容易に味わう為にはひと工夫し納豆に糀と塩はベースだけれど即製させるために豆乳ヨーグルトの植物性乳酸菌、それに数種ある酵母や乳酸菌製剤錠やビール酵母などを最初に混入すれば出来上がりが早く安定した性質になりそうな気がする。
 もともと「ごど」の製造過程は食品としては稀有な複合菌発酵で糀菌・乳酸菌・納豆菌のハイブリッド食品だ。これは「えひめAI」と同様な過程であって、最初から菌材を投入すれば「手間なし」が小生の見解。

 タナゴの産卵期に池に入れた二枚貝への給餌にミドリムシ粉末を加えたこれらの錠剤混合粉末が冷蔵庫にあるからこれを添加して作れば出来そうだ。一旦ビビビッと来ると「待てない性格」なので作ってみるしかないなあ。
 尾籠な話で恐縮だけれど時折両者を大匙一杯ほどつまみ食いしていたのだが翌朝の通じが良い様に感じている。もちろんエビデンスのある結果ではないが個人的には「そうだろう」感がある。

        

 実物を眺めても写真を眺めていても思う事はたったひとつ「今時の食生活では腐敗物に見える食品ではあえて口に入れたい人など少数派で、言わば食品マイノリティになっているに違いない」と言う事だ。それは別として塩分を少なくすれば冷蔵庫もある環境下なので手軽にお惣菜発酵食品を用意出来る「優れ物」が小生の結論。伝統食は侮れない。

二点位置流「昆虫スコイぜ!」

2022-11-24 | 小人閑居して憮然
 いつものビビビッと点損降臨なのだが「昆虫すこいぜ!」シリーズをアップしたくなった。まあ、昆虫は「スコイ」なんて露ほども思ってはいないけれど、そこは言葉の綾という物でパクリはしたくないし消えた番組に成り代わって繋ぎの一稿、と言う誇大妄想・・・。
 とはいうもののタイトルは「点損」かつ「二点位置流」による内容だから推して、いいえ推さなくてもどうでも良い内容ばかりである。しかしなあ、廃番にしてしまった責は大きい。チョメチョメなんては枝葉末梢であったが昆虫の様な天真爛漫・白昼堂々さが欠けていて隠すより現れてしまったそっちを話題にするなんて教育的配慮を欠くので抹消したい。まあ、当事者個人の問題ではない視聴者の損害、というのが小生の立場。それにしてもそれにしてもの欠番お蔵入りであった。

 「ばかばかばか」と言わんばかり、イワンの馬鹿もお椀の汁もよゐこ悪い子よゐ爺クソ爺おしなべて楽しみにしていた輩は多かったはずで、その罪はしない引き回し貼り付け極悶に値するがその渦中でもあろうが昆虫の生態に学んだ事を活かし生き抜くしかないのである。今頃は日比谷公園の植え込みの中、越冬蛹でいるのだろうか・・・。

 然るにだが然るに既に昆虫躍動の季節は終焉しておるから当「昆虫すこいぜ!」当座は鳴かず飛ばずで右へ倣えだ。「覆水盆に返らず」と言うか「後悔先に立たず」と言うべきかかの御大、大きな罪作りをしたものよのう。まあ傾奇者なら傾奇者らしく始末をつける。そこに二股一流、いいえ二天一流の極意あり。

**小雪やこんこ大雪こんこ

2022-11-24 | 温故痴新
      冬の夜はまだ宵ながら寝床行き浮かぶつれづれ夢か真か
       夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ    古今集・清原深養父

      里山の畑蹴散らし去る猪の跡見る時ぞ今日も腹立つ
       奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき       古今集・よみ人知らず

      暮るれば温き布団へ冬の夜は目覚めて惑う小用足しかな
       暮るるかとみれば明けぬる夏の夜をあかずとや鳴く山ほととぎす 古今集・壬生忠岑

      見る人もなき里山のもみじ雨すべて洗われ後は裸木
       見る人もなき山里の桜花ほかの散りなむ後ぞ咲かまし      古今集・伊勢

      孫のため秋の野に出でて紅葉得るこの萎えし身にいばら爪立つ
       君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ    古今集・光孝天皇

      世の中に絶えて戦のなかりせば民の心はのどけからまし
       世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし     古今集・在原業平

濃花・赤茎のフジバカマ!

2022-11-23 | 小父のお隣さん
 「まだ採種するには早いなあ…」と眺めていた庭のフジバカマ。混み入ってきたし半分は間引いて来春早々にフイールドに移植しなくては、と眺めていたらひときわ鮮やかな茎色が目に飛び込んできた。花色も他の株より濃い目である。茎を地面まで辿ればそれ1本だけで株立ちでは無かったのだ。

 ある意味、変異株なのかどうか不明だけれど。こんなフジバカマは「お初!」である。これは大事に守り育てて増やしてみたい誘惑が出て来る。というより欲目の何物でもないのだが主観的には「貴重!」なのであって、まだフイールドで飛翔しているキチョウより貴重なのだった。
 種子は周囲と受粉しているだろうから濃色になると言えないものの株そのものは初夏の頃に差し芽で増やせば同じ遺伝子の苗が出来るはずで、このフジバカマだけでアサギマダラの誘蝶具合を確かめたい。

 と言うのも山間の温泉駐車場に白花だけれど横花壇の普通花よりアサギマダラが群がっていたというS先生の情報も活かして採種にも出かけたいし、既に来季の備えは着手しない訳にはいかなくなった。しかしなあ、わが身自身の浅黄斑が心配で「迷子になったらどうしよう⁉」の木久扇師匠症候群も進行するだけの年齢でもあって高齢者にとって時間は貴重だ!。
 老い先短いから…なんて真実現実口実なんて口には出さないもののクワバラクワバラクワバラリエ、違うか⁉・・・。ここで思い出したのは確か斑入りのフジバカマ1株があったはずなのだが何処に行ったか?。フイールドのフジバカマ園にでも紛れたのかどうか。まあ、斑入りよりもアサギマダラの「入り」が大切。

          

春の準備に…4

2022-11-22 | 今日は真面目に
 「周年日当たり良好・南向き・北風無し」では分譲地や戸建ての広告みたいになるものの、あながち間違いでも無いのだが明確に街外にある。その位置環境から早春真っ先に小花畑が展開するスポットだけれど斜面上部から侵出して来るネザサとの折り合いを付けなければならない場所でもあるのだった。
 以前に侵出してきたネザサを後退させたのは何時だったか記憶に無いがそろそろ手を入れないと小花畑が危なくなるし何よりも斜面の植生が損なわれかねない。

 そんな事で半分残っていたネザサとの境界を明確にしたのだが二日がかりの作業になった。見た目にはネザサの根元から刈り取るだけにしか見えないけれどネザサの上部を覆ってしまったクズやスイカズラを引きはがすのは力仕事だ。これだけで汗が噴き出る作業になる。
 その上、発芽以来除伐されずにいた野イバラの茎や枝は一坪以上も展開しているから除くのに思わぬ痛みの攻撃に遭う。少年期、好きだった「のばら」という唱歌だったか讃美歌だったかを想いだせば清楚そのものに感じるけれど野イバラの茂みと化した様相は危険の巣窟でもある。根元は握りこぶしほどもあり枝別れしてネザサの上に伸びクズやスイカズラと三つ巴なのであった。

 全体を眺めて枝を分割し引き出すのだが若い枝の棘が鋭く動かすたびに揺れ容赦なく衣服に喰いついてくるのだった。「絡めとられる」そのもので哀れ収容所で鉄条網に絡まれ動きが取れない囚人に近い。入浴時にヒリヒリする身体を点検すれば発疹チフスみたいに発赤いているのが腕と足にあまたある。頭部はヘルメットに防護面を装着したから被害は無いのだが上部から降り注ぐ枯葉の破片のせいで鼻の穴まで黒くなる有様だった。
 この日で一通り区分けは済んだのだが集積と言う片付けが終わっていない。落ち葉や刈り草のように集積して腐食させるまでは年数が必要なので林床に敷く訳にもいかず邪魔にならない片隅に寄せるしかない。とは言え集積さえしておけば「ありがたや・ありがたや!」と使う店子も出て来るだろう。

 斜面の手の届く範囲までネザサを刈り取って日当たりが良くなった斜面なのだが写真で比較すると作業前に青々としていた植生は作業の影響で敷き伏せられてしまった。とは言え早春の植生ではなく降霜する頃には枯れる植生だから「少々早め」の退場ともいえる。
 これで後始末が済めば「春を待つ」だけになる。ちなみにネザサが生え日照が滞った範囲には植生が無い裸地である。これが来春に草本で覆われるはずも無いが「生えぬなら待って見るだけホトトギス」なのである。
 
 この通りに今秋、群落として目立った瑞々しい草本が目についた。S先生から「○○ミズキ」と教えられ「本来食されるミズキではないが食べられるはずです」とも聞いたのだが既に着花状態だし迷っているうちに今回の作業で敷き伏さってしまった。既に草紅葉にならんとする時期なのにみどり鮮やかに瑞々しい姿が消えた結果、一挙に晩秋初冬の風景になった。

      

雨の日の手慰み

2022-11-21 | 今日は真面目に
 雨の日曜日、庭の片付けも出来ず工作も粉塵が出るから室内は無理で、読書も徹夜しても読めそうな本が手元にあるけれど日中の読書では夜が長くなる。録画した洋画を見ただけで後は手持無沙汰になった。お茶うけ用のビスコッテイを焼く手もあるものの「イナゴのビスコッテイ」はまだ残っているしミシンの上で埃を被ったままのオーバーオールの補修をする事にした。
 スマホに変えてからは胸ポケットにスマホが入らずサイドポケットと尻ポケットを外して胸当て部にスマホと財布用のポケットを新調したものの膝の補修が気に入らず放置されたままだった。その上、夏場にデニムのオーバーオールでは更に暑苦しくなる。

 お洒落なら膝が抜けたオーバーオールも良かろうが作業用では危険なだけで、捨てるにはまだもったいなく裏当てし横着にジグザグ縫いで誤魔化していたのである。よくよく考えてみれば裏からの当て布は仮縫いみたいな状態であって、一番ストレスの掛かる部位を安易な補修で済ませばおっつけお返しが来る羽目になろう。
 だから「どうせ暇つぶし!」と雨の日曜日、外側からも作業衣の切れ布を当てるつもりで床に広げてみたものの裏表の二枚当てではそれでなくとも重いデニム生地のオーバーオールを更にボッタイ感じにしてしまいかねない。そこで現状のまま直線縫いを片側22本上下に入れ縫い付けて補強を図ったのだ。

 サイドの縫い目を切り開き平面にして縫うのではないので押さえ広げつつ縫い列を変えるたびに回して縫う事四苦八苦、それでも辛抱の甲斐あって無難に縫い終わった。
 考えて見なくてもこの歳になって、なっていなくともだがこんなリフォームをする日本男爺はそうはいないだろうとの自覚はあるのだ。手芸店に寄ればまず男性客は見たことが無いし、レジで会員証を出すお爺もいないだろうし、これは出自が南魚沼の雅な百姓であるのと深くかかわっていて小学生高学年ともなれば家庭科の授業で習った運針を活かしお下がりの靴下の破れは自分で繕ってもいたのであった。
 
しかしながら6人の兄弟と言えどもこんなことをするのは小生くらいなので、この偏向はテレビで特集していた「人類の中性化」の走りかもしれないわい。こういう記述をすると「性差別・蔑視・恥知らず」なんてお叱りが出る浮世ではあるが永田町は何によらずたくましい神経をしておるのばっかしで端切れを詰め込んだ段ボール箱に見えて来る。

        

            破れ布ポイ捨て出来ぬ箱もみじ

蜂雀撮った!

2022-11-20 | 小父のお隣さん
 「ホウジャク」と記すのが正しいのだろうがカタカナ表記では意味が不明だ。S先生が「蜂雀、ハチドリに同じ」と教えてくれたからようやく意味が分かったのである。スズメガの仲間は見かける事は普通と言っても良いけれど静止してはくれないので撮影は無理だった。が今回、期せずして撮影できたのはクモの巣に口吻を接着してしまったからである。

 遠目には空中でバタバタとホバリングしているかのように感じたけれど時折、はばたきを止めるのが見えたが落下しない。寄ってみるとクモの巣に、という訳なのだ。主のコガネグモはどう言う訳か絡めとる動きも見せずに静止したままである。
 初めてみるホウジャクの口吻は結構長くて体長ほどもあったのだ。この種名はホシホウジャクだったかどうか、新しい記憶ほどすぐ消える現実ではメモしておかないと再生できにくい。それでも図鑑と対照すれば翅の根元が黄色なので「そうだろう」と見当をつけただけで、いつも通りあやふやな結果だ。とは言え「スズメガの口吻が長い」ことまで不確かになる訳でも無し。初見なので少しは興奮した。
 それにしてもだが口吻の先端部を蜘蛛の糸に接着させてしまった原因は何だろう。考えると眠れない。小用に起きれば更に眠れない。老いたベルテルもそうだったのだろうか・・・。



      

春の準備に 3

2022-11-20 | 今日は真面目に
 晩秋、冬季も日当たり良好なこの一帯だけは日向ぼっこのためではなく「早春の小花畑」が出現する事もあり楽しみにネザサのシュートやらヒサカキの実生などを切り取ってきた。草本類が花咲く斜面の上部はネザサがクズやスイカズラの重みに耐えかね下端はドーム状に覆いかぶさってくる。これが日陰を作るし下がり過ぎるとうっとおしいからと過去にも刈り払い機で刈り払ったりはしていたのだが今回は丁寧に中厚鎌で根元から引き切っての作業である。

 シュートの様な細い稈はまとめて小指ほどの径になれば1本づつ刈り取り引き出す。上部は蔓性植物で編まれたような状態だから容易には引き抜けない。ガサガサユサユサし続ければ細かい枯葉の破片が落ちてきて目も開けられず退散しつつを繰り返しながら半分ほどの刈り取り手入れを終えた。小春日和とは言え肌着に長袖作業シャツだけで汗が出て来る作業になった。
 結局は必要な長さをすべて刈り取れず、刈り取りいったん集積してある物の片付けもせずにこの日は終了。それでも手入れの跡を眺めると日当たりが良くなった部分が増したのが分かる。これで一挙に草本類進出とはならない裸地だけれど、おっつけ低草類で覆われ昆虫の好む斜面が出来上がるだろう。まあ、これで植物生産緑地が微量なるとも拡大したのだ。

 この尾根突端部南向き斜面はネザサ密集地だけれど上端面のネザサの藪を刈り払った以後も残してある。草本類に切り替えるのは簡単なのだがネザサの藪もウグイスや外来種だけれど最近とみに数を増やしウグイスと営巣場所が競合するソウシチョウだったかガビチョウも巣作りするようだし、その関係は別にしてもそのための環境として残してあるネザサの藪である。
 とは言え、勢力範囲が拡大しないように境界隣接部でのせめぎあいの維持管理は必須で、里山保全と一言で言われるが場面や局面で各々の手数が必要な事はなかなか理解されない事でもある。ほとんどが「自然とそうなっている」感覚での受け止めなのだ。

       

実生樹の有効活用!

2022-11-19 | 今日は真面目に
 今期6月、イシガケチョウの初記録が成った。他の飛来昆虫類の初記録としては「ホソミイトトンボ」と「コシボソヤンマ」が初記録で「11月のミルンヤンマ」も初記録なのだ。これも「環境パッチワーク」と「植生モザイク」の視点からの「生物生産緑地」という里山保全の方法論が活きて来たと考えたい。

 それはともかくイシガケチョウの初観測が成った事から産卵定住に欲が出て幼虫の食樹となるイヌビワは点在しているので総量としては不足は無いと考えられるけれどS先生曰く「日当たりの良い場所で産卵し易い」とアドバイスがあって「それでは晩秋に目当ての幼樹に印をつけて来春移植する」算段だったのだ。ところが早春の花畑の準備で南向き斜面の手入をしようと全体を眺めていたらイヌビワの幼樹があるではないか。数えると斜面に生えてはいるが5本ほどある。これだけあれば不足も無いし育てても邪魔にはならない場所で観察にも良好だ。とてなもんや三度笠により支柱建てに半日を使ったのである。

 東奥の真竹を長尺のまま運び出し現場で長さを合わせ切断し一端を鉈で尖らして杭とする。3本一組で囲いとして保護したが、本来は1本が容易でも厳重に囲わないと刈り払われる恐れがある場所なのだ。毎期、刈り払いの季節に入る頃「この範囲は刈り払わないで」と伝えるにもかかわらず刈り払いが続くのは難多留痴亜・惨多留痴亜なのである。里山保全の基盤は「植生にある」のが理解できず「生物的廃墟」を作り出し「雑草排除さっぱりした!」では話にならない。もう腐宇朕と同じ感覚である。

 今回、支柱を添えたからと言ってイシガケチョウが産卵に訪れる訳でも無いけれどまあ、「待つは海路の日和りあり」で準備さえ怠らねば機会はあるだろう。しかしながら雌伏十年、ジャンボ宝くじを年三回買い続けても三千円2回の当たりだった過去を感慨見るにスカの可能性もまた大なのである。「きたー!」の無い人生・・・。だが必ず万人に「きたー!」となるのが阿弥陀様の来迎とは…その上、北枕とは人は平等の元に生まれている。