トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

迷いの森にようこそ

2024-06-21 | お倉入り

 本ブログのタイトルもそろそろ変更せねばと思う今日この頃である。既に「迷いの時期」は通り過ぎて「耄碌の時期」に入っているだろう。「林住記」だって「臨終期」にした方が適切かも知れないのだがそれはそれ、人生、しぶとさも必要である。「心頭滅却すれば火もまた涼し」なんて達観出来る小生でも無いのだが我が人生、三十代から冬の頭頂は涼しく夏の頭頂は熱かったのだったが出世街道は遂に登頂ならずだヤレヤレ。まあ、だからこそしぶといよりも往生際が悪いに近い。その上、老齢になるほど記憶は遡っていく感覚があるのだが下記の詩を見る限りでも古今東西、そういう感覚は珍しくもないのだと言う事を感じた。

 小生の古い記憶は「姉に負ぶわれて遊びの輪の中に居た」事であるが年齢は不明だ。明確なのは妹の出産時で、これは寝屋で分娩の頃と産湯を使わせているのを弟と見ていた記憶で5歳時である。少年期では2学年だけ同級だった転校生Fちゃんの記憶で、どうして今頃になって現れるのか理由が不明なのだが懐かしい。

    花を看て老いを嘆じ年少を憶い

    酒に対し家を思い老翁を愁う  宋・蘇軾(東坡)「安国寺に春を尋ぬ」

 

 さて、日の本に「兵満つ」状況は無いと言えるだろうが災害溢れる現状では復旧の兵が必須だろう。今回の能登半島の大災害にしても戦乱とは異なるものの、ある意味総力戦でもあると思っているのだが行政の動きは鈍く感じられてならない。端的に言うなれば「リスクが低い」と言う予断は科学では無かったといえるものの、それらをベースにした構想準備ではある意味、致し方なかったのかもしれない。東日本大震災の折にはアキレス腱断絶さえ無ければ支援に行けたのだったが今回は気持ちがあっても身体が伴わぬ。時の経過を感じない訳にはいかない今日この頃であるし、ブログの耄碌さも進むのであろう。それでも豪雪地帯で育った小生としては春の兆しは喜びの最たるものの暖地である当地では春の喜びはぬるま湯に浸っている感覚に近い。

    天下 兵満つと雖も

    春光 日びに濃やかなり  唐・杜甫「春を傷む」


温水田の泥浚い

2024-06-12 | 水辺環境の保全

 温水田の沈泥部は既に一回泥浚いを実施していたのだが残りの泥浚いに合わせて軽く浚い水深を合わせておく。今回は棚田部との畔に泥を上げた格好なのだが、ここも御多分に漏れず畔が高くなってきた。高い部分を削り取り平らかにすれば移動も作業も楽になるけれど体力気力に余裕がない。しかし、それを埋め合わせる良案が浮かんだ。温水田の水深を上げるのである。これで冬期環境が大幅に安定するはずで、我ながら良案に思えて来たのだが。現行の堰の高さを上げるだけでは耐久性に問題が出るはずで二段構えの堰にするのがベストなのだろう。まあ、これは材を集めつつボチボチと行えばよい。

 水際から長柄のジョレンで届く範囲をL字形に泥浚いして残りは後日だ。泥浚いが大幅に遅れているので梅雨の盛期までに一通りは浚っておかねば・・・少々焦り気味だけれど1月は極度の腰痛で全休、このところは肩の疼痛で鍼に回数券で通う手太楽ではそうそう馬力は出ない。せいぜい0.1馬力程度かも・・・。ゼイゼイは全開であるけれどまあ、人生は苦痛と苦落で出来ている。写真中央部に倒れ伏している植物はイヌビエだかセイバンモロコシみたいな植物なのだが砂泥や有機物が拡散しないで陸地近くに溜まるように制御するための植生堤防にしたもの。引き抜いてそのまま一列に並べただけだが十分に役目を果たしてくれる。宿根してくれるので来期からは必要量を残すだけで済むし水面下は棲み処に、茎葉は羽化台にと使える。

     


ホトトギスのお里帰り

2024-06-11 | 蝶の食草園

 フイールドではホトトギス、サンコウチョウ、モリアオガエルの鳴き声が喧しい。フイールドで作業を開始した当時、サンコウチョウもホトトギスも鳴き声など聴けなかったのだが今では至近で当たり前のようにさえずっておる。これも樹木が育って林相が好みになってきたためとホトトギスに関しては托卵させる相手、恐らくウグイスと同程度まで数を増やしているリュウキュウサンショウクイの定着繁殖に由るのではないかと妄想している。

 さて、今日のホトトギスは植物なので鳴き声は無い。この苗は春先の頃、林道上に堆積した土砂の片付け作業中に堆積土の中から芽生えた株を拾ってポットに移し肥培した苗なので名実と共に里帰りである。ホトトギスも食草の一画を占めている植物なのだが通路周囲は坊主刈りされ続けてきたために大株が無いのだ。林道上の薄い土砂に芽生えても大きくなれず踏み潰され食草としての役割は果たせない。

 そこで苗を取り肥培して戻すことを続けていたのだが「雑草=坊主刈り」の範疇で処理されるので植生はなかなか育たなかったのが現実だ。里山保全や生物の多様性なんてコピー口上を言っているだけでは到達できるはずも無く、ウクライナやガザの空爆地に同じく生物的廃墟を生み出しているようなものである。かくして孤爺が植え続けてきた幾多の植物は刈り取られ抜き取られして現在に至るのだが「生物生産緑地」の立て看板を出してからはいくらかは破壊の手出しが減っている。だからと言って理解されている訳では無いのは承知で「いつでも風前の灯火」「刈り払い一発、生物的廃墟」はすぐそこにあるのだ。

 さて、今回のポット苗は林道を流れ下る砂泥を窪地に誘導して土壌の嵩上げを図り、ようやく定植できる高さまでに至ったから野草の中に点在させ植え付けて来た。良ーく見たところでホトトギスの株なんて野草の一部でしか無いから選択的刈り払いの自覚を持ち、植生育成の作業として認識しない刈り払い機作業者が目を付ければまた元の木阿弥だが、そういう連中の生命より野草の生命の方が長いはずで、それに期待するしかない。


ムラサキカタバミが席巻!

2024-06-10 | 小父のお隣さん

 鼠の額程度の我が庭が今期はムラサキカタバミとウマノスズクサが突出して増えてしまった。外来種でないカタバミはムラサキシジミの食草になるので除草はしないままにしておいたのだけれどムラサキカタバミはその体格も大きく繁殖力も旺盛の様で瞬く間にコロニー状に金時草とミニトマトを植えた周辺を覆っている。ムラサキシジミは飛翔しているのだが産卵対称の草本になるのかどうか小生は知らないのだが、食草とならなければ抜き取りしようかどうかと花を愛でながら妄想中なのである。図鑑を開くと鑑賞用に導入されたとあって、なるほどまとまれば綺麗に見える。

 写真では見つけにくいけれどウマノスズクサも繁茂中で今期は三頭のお菊虫を輩出した。写真は別ページでアップしたがウマノスズクサは地下茎で増える事を知らず奇妙な花姿を鑑賞したくて1本植えたのが、それが今では何十本になるかどうか数えたくも無い。しかしながら昨年度からジャコウアゲハの飛来が極端に減り、今では抜きとらないのであっちこっちで開花してくれる手太楽、これは少々迷惑気味でもある。食草として消費されていた時期はほぼ繁茂出来ずシーズン中に数回は地際まで食い尽くされていたのだ。今では久しき昔のように外壁にXmasの装飾みたいな越冬幼虫満艦飾が欲しい。


泥水池1の泥浚い

2024-06-09 | 水辺環境の保全

 水域の泥浚いも積み上がった泥土で作業し難くなった。その上、草本の活発な繁茂もあって時期を失しての泥浚いは泥上げ場所にも難渋する。泥水池1も御多分に漏れず水際のフジバカマやミソハギが邪魔になって泥上げがスムーズに行えない。それでも泥浚い出来る部分の泥を上げておく事が環境の保全になるので植生を避け避け泥上げした。

 池の全周は不可能なので半分は水域内に丸太の囲いを置いてその中に泥土を貯める。水が抜けてスコップで掘り取れる状態になってから搬出する事にした。この池はこの方法もとらないと泥浚いが難しくなってきたのである。一輪車まではスコップに土を盛って法面を上がらなければならなくなって、これはこれでスリップ多発の作業になるのだが致し方なし。我が身は痛し肩あり、膝腰痛くなる作業だ。まあ、涼しくなってからの作業にする。

 写真右上から垂れ下がっているヤナギの枝にモリアオガエルの卵塊が見えるが、これとは別に水域内のミソハギの中ほど水面から30cmほどのところにも産卵していた。右側の法面の下部、カサスゲにも卵塊が三つほど確認出来ていて「周囲に適当な樹木を配置しているにも関わらず何で・・・」てなもんや三度笠の疑問が絶えない。横着な習性種が増えたのかはたまた異常気象の結果なのか、これで孤爺は今夜も眠れないで自宅の水域に度々作業に訪れるだろうて。まあ、日本男子人生の倣いとは言え辛抱辛抱身砲だい。


孫には衣装、孤爺に意匠・・・

2024-06-08 | 何よりの楽しみ

 自分の事ながらため息三度、てなもんや三度笠散々奮闘中である。と言うよりも持って生まれた性、待てない性格ゆえ執着地獄のルーティーンに入ってしまった。古来より「夜討ち朝駆け」とか「寝食を忘れる」とかと言う表現があるがまさしくそのるつぼに落ち込んでしまったのだ。もう、どうにも止まらない世界で「もういいや!満足」の境地になるまでは終わりが見えない業の世界だ。

 サイズ140と150の甚平を作りたくて目的に適う一冊を購入したのだが甚平とは別に掲載されている洋服を作ってみたくて参考にしながらサイズダウンのリフォームから逃れられなくなった。手始めに一着を試したのが運の尽き、ビビビッと妄想が降臨して来る。下部からのビビビは中身が出るとまずいので控えるようにしているが開放された一発はホント爽快な事であるから、いつかは執着地獄から解放される喜びを期待して食事もそこそこに夜鍋、朝掛けとソーイングにはげむ孤爺なのである。まあ、若き身頃より禿む我が身でもあったので違和感は無い。

 サイズダウンに用いるシャツなどは箪笥の肥やしを探すと次々と出て来るが少年少女期に合う色合いやデザインはやはり少ないのだったが、取り出してみれば10着は出来そうなのだ。その中でもサイズダウンが楽そうな仕立ての洋服を選んでみたのだが襟のリフォームは難しいので襟はそのまま使える衣服に限定される。今回の蒼いシャツは140サイズの女児用なのだが、当初は長袖で袖口には別布を使ってみたけれど、夏場の衣服では少々暑苦しくも思え出来上がってから再度半袖に再加工した。女児用としては地味なのでボタンはカラフルな万国旗デザインの物に交換したのだが着用する当人の好みもあるしさーてどうなるやら、である。

 袖、身頃を切り離す ➡  サイズダウンし袖に別布 ➡  


お菊虫ようやく発生した

2024-06-07 | 小父のお隣さん

 昨季の自宅でのジャコウアゲハの発生は零だった。どうして激減したのかは謎なのだが食草の多かった至近の土手が洪水対策で嵩上げされ舗装された事と全く関係が無い訳でも無いだろう。それがようやく今期初産卵し、幼虫も三頭だけ発生していたのは確認していたのだが見失っていた。ところがたまたま「蛹化しているのではないか⁉」と思い立って気合を入れ探したら見つかったのだあ。

    

 体験的に「人工物で蛹化する」傾向があるので外壁や家の基礎部から点検したが数年来の外殻ばかりで生体は皆無。そこでフェンスを丹念に探したら二頭を確認した。もう一頭いたはずなのでグリーンカーテンに絡ましたウマノスズクサの上の方に目を凝らしたらネットを吊り下げている黒いロープで蛹化している。タフカメラでは苦手な撮影環境で案の定、ピントが甘くなった。フェンスの二頭はそれでも綺麗にとれたかな。そうだとしてもこういうタイプの蛹はしっかりと描写出来れば出来たほど気味悪く思われるかも知れない。

 グリーンカーテン用に吊り下げたネットに絡ましたウマノスズクサについた一頭は案の定、蔓の途中を喰い切って上部を枯らしてしまった後に姿を消している。「立つ鳥跡を濁さず」とは無縁の「後は野となれ山となれ」の怪しからん一頭だったのだが目立つ吊り下げロープで蛹化しているとは見上げた野郎だ!。お蔭でボケ写真になったではないかい。

     

 


ササユリ開花していた

2024-06-06 | 小父のお隣さん

 カサスゲ抜去が人差し指の切り傷でやむなく二日の中止だ。皮膚を出血する程に傷つけて、そのまま泥水に晒している訳にはいかない。何よりも破傷風が恐ろしいから自宅で我慢我慢の二日間だった。とは言え自宅でも水仕事はあるが洗剤に晒しても細菌に晒す訳では無いので絆創膏が「濡れたら取り換える」のをこまめにやれば良い。小生の場合、いつの頃より傷を外気に晒していると治りが悪く、あまつさえ治癒した後も色素沈着して見苦しくなるので、どうしても軟膏を塗付し絆創膏で外気と遮断しておくひと手間が必要になる。

 さて、作業途中だった第4泥水池のカサスゲ抜去を終え、次の予定池を見に行った折りにササユリの花に出会ったのである。既に花弁は汚れているから数日前には開花していたはずなのだが、今期は開化株確認はしていないので仕方がない。トンボ池通路脇に蕾を付けた1本があって楽しみにしていたのだが「自然観察会」と称して通り道脇を大幅に刈り払われてしまい跡形もなくなってしまった。野外活動する場合の一般的な姿勢は「雑草=坊主刈り」のワンパターンで、植生が環境の基盤を成している事など全く認識はしてはいないのでこの差は埋める事が出来ないのが悩みでもあり障害でもある。

     


シェルター水路の泥浚い

2024-06-06 | 水辺環境の保全

 このシェルター水路と呼んでいる水域は唯一、送水に頼らなくても湛水を維持できる絞り水と雨水で満たされた水域である。そのため断水しても干あがる可能性は低くフイールドの水生生物の絶滅防止機能を持つ大事な水域なのだ。水域造成初期のこの水路は、本当に幅30cm程度の上棚からの漏水を泥水池1に届ける集水機能を有していただけなのだが、たびたび掘削と拡幅を繰り返して現状の形になった。

 今回の泥浚いは別の見方をすれば「泥上げ」でもあり、長年の泥上げの結果、堤の高さが50cmほどになってきて作業性も悪くなり水域への出入りにも「ウントコショ、ドッコイショ!」となってしまった。せめて堤や畔の高さを半分ほどに減じたいのだが掘削と場外搬出量を考えると恐ろしくて手が出ない。まあ、この水域の作業も向こう10年は難しくなるだろうから「孤爺さんボチャン!ハイ上がり‼」の恐れはあるものの現状で行くしかあるまい。

 この日は水路の泥浚いだけの泥の積み上げなのだが隣りの第3泥水池の泥上げを行うと更にいっそう盛り上がる事になるが、その作業はこの日の泥土が乾燥しなくては歩けないからそれまでは先送りである。その間に他の区域の泥上げを済ませなければならないので「今日も泥上げ、明日も泥上げ、これじゃ年がら年中お洗濯お洗濯・・・」。

     


喰い散らかしはいけません!

2024-06-05 | 感じるままの回り道

 林道の真ん中に黒い物体があったのを通りすがりに目にとめたのだが停車して確認する幅は無いので通り過ぎ広くなった場所に停車させて徒歩で現場に戻ったら案の定、カラスの死骸だった。山域の活動に入って長いけれど野生動物の喰い散らかしされた残骸を見る機会は殆どないのだ。鳥類で食痕は羽毛だけでサギの捕食された現場では長い脚だけが残っていた程度でしかない。四つ足では沢のゴミ溜まりの下で尾骨の長い骨格だけになった一体を見ただけで、野生動物の死骸はホントに目に留まらないのである。

 今回のカラスの捕食体、太腿と内臓だけが綺麗に失われており大胸筋は食べられてなかった。そこで気になったのは「捕食者はだれか⁉」と言う事だけれど鳥なのか四つ足なのかどっちだろう。捕食者が鳥類ならば羽毛を抜くはずと理解しているしアライグマやキツネならば頭部も齧るだろうし、そこで思い出したのは野猫ではないかと言う推理である。捨てられて野猫となった個体数は確認できただけでも4個体ほど存在するので「猫かなあ…」が孤爺の暇つぶしに推理した顛末だ。 

                    獰猛なカラスも餌となりて消ゆ

     


ここで産卵しなくても・・・

2024-06-04 | 小父のお隣さん

 モリアオガエルの産卵期である。水域の樹上にはあちこち散らばって卵塊が散見されるのだが「散見」の言葉通り、水域を造成拡大してからは産卵区域が広がって季節のニュースで報じられるような卵塊満艦飾の樹は無くなったのが少々寂しい。とは言え広範囲にオタマジャクシが発生する事はリスクを軽減する事にもなるから喜ばしい事でもある。

 「しかし何だなあ…」と思わざるを得ない場所に産卵していたのを今日、発見した。水域の手入をしていれば樹上だけでなく草叢の中の卵塊などごく普通に遭遇するので「モリアオガエルは樹上に産卵する」なんて表現は正しくない事は分かっていても「産卵した樹上が正しかったか…」と思わざるを得ないケースもあるのだった。今日、新たに見出した卵塊はまさしくそれに該当する場所で、それも「ポツンと一卵塊」では無く「まとまって三卵塊」もあったのだった。

 エノキ林の林床に設置したタカネトンボ産卵用の大型バッドの真上にその卵塊はあったのだが水面面積畳1枚分にも満たないバッドの上、二階屋の庇程度の高さに産んであった。まるで小さなプールに高飛び込みさせたいような環境なのである。他に水域や樹木が無いで無し、よりによってこんな場所を選ぶなんてボヤキたくなる孤爺なのであった。重力に逆らわなければ水面に落ちてくれる範囲である事は小生も確認してきたのだが何よりも食料不足が心配なのである。

 水槽の中には落ち葉の堆積が進んでいるから食べ物には困らないと思いつつ水質悪化が心配の種になってきた。基本的には手を加えない方針なのでほぼ放置するけれどひとつだけ確かな事はモリアオガエルのオタマジャクシの確認が可能な事だろうか。そのオタマジャクシなのだが直ぐに連想してしまう女優と言うかタレントと言うべきか小生にとっては初めて関心を持った人物をドラマで楽しんでいる。顔が出るたびに「オタマ顔、かわゆい!」と年甲斐も無くアゲアゲしてしまう。一般的には「オタマジャクシの顔を連想する」なんて言われたら侮辱も甚だしいと言える事ぐらい耄碌していても理解はしているがオタマジャクシの顔に見えてしまうほど可愛いのだからしょうが無いのだ・・・。ホント、孤爺である事よ!。

  


孤爺さんが夜鍋をしてパジャマのサイズダウン 

2024-06-03 | 何よりの楽しみ

 お土産品の使わないままのシルクのパジャマ、一旦はリサイクルに出すつもりだったのを雨の日の手慰みでダウンサイズしてみようと着手したのだが元より手引き書がある訳も無し。甚平作りの参考に一冊購入した中から子供用のズボンやシャツの型紙を横流しである。使った型紙は同じセットの衣服ではないのであるもののパジャマならサイズさえ合えばデザインなどは不問だろう。

 しかし薄手のシルク生地は難題だった。皺を伸ばすにしても高温プレスは出来ないし生地は薄くてタラタラするし待ち針はスルスル抜けるし孤爺としては文句タラタラ独り言ブツブツでは認知症の進行に輪をかける事態に近い。それでも上着は前身頃と後ろ身頃を繋げたままで裁断縫製まで行きつけたのだが甚平でも難渋したパンツに魔物が潜んでいた。まあ、古来より「パンツに魔物が潜んでいる」とは古今東西周知されている事実であって羞恥することは無いのだった。ちなみにだが小生にはとうの昔から魔物は棲んでいない。赤い球が出て終わった・・・。

 さて先般、甚平のパンツ型取りと縫製で散々苦労して縫ってほどいては熟達したのに役に立たなかった。冷静に分析すれば「近記憶能力の劣化」に間違いは無いのだろうが夕食までには片付く予定だったのに結局はパンツの修正で夜鍋になってしまったのは悔しい。もう意地でも「終えてやる!」で「君!憤怒の川を渡れ!」でもある。パンツの左右を縫い合わせる段になって同じ側だったのに気が付いたのだ。これでは縫い合わせられない。元よりリフォームなので新たな生地も部材の余裕はない。一旦は縫い目をほどいてパーツにして型紙を当てて須田紋太君に参加してもらい助力嘆願したところで結果は変わらず。解決策として片側の側面に別布だけれど挟みこみ幅を増やす事にして無事解決である。

 ポケットも前開きも無いパンツなので前後の区別が判り難いのだが、左脚部分に別布の帯が入った事で左右差は明確になったまあ、怪我の功名であって良しとしたい。で、新茶を頂きながらホトトギスのさえずりを聴いていると客観的かつ正常域に少しばかり戻り「何で俺は終日ミシンを踏んでいるのかトホホホ・・・」どう考えても判らない人生の難問だった。小生には難問ばかりで幸せは無いのだろうか。これでアドレナリン噴出、今夜も眠れないで小用も噴出、3回は起きるぞ!。かくして孤爺様はサイズダウンに成功!、でもってスタミナダウンに突入‼。人生は汗と涙で出来ておる。バッパァとカッカァ、邂逅の暁には「いい子いい子、よしよし」してくださーい。

     


今日の薄幸惣菜「焼き鮭フレーク合わせ」

2024-06-02 | 何よりの楽しみ

 糀とヨーグルトチーズの熟成品はマイブームとなって合わせる食材を多々変えつつ食べてきたのだが結果としては「塩味の具材がより旨くなる」のは間違いないと確信した。そこで混ぜ合わせる食材としてサバ缶のフレークがある事を思い出し店頭を探したのだが見つけられず鮭のほぐしなどはあったけれど価格が高い。仕方が無いので自ら用意した。

 塩サケの切り身を焼き、ほぐしながら小骨は取り除いて混入する。今までだと大きな容器に作り込んだけれど消費期間が長くなり傷みやすくなる季節でもあるし、何よりも味に飽きが来るようになって容器は小さくし作り置きの種類を増やしたのだ。しかし、この薄幸惣菜の王道はやはり「キムチ」に軍配が上がる。今回は別容器にキムチ入りも用意したのだが、まずはキムチの水分を一晩掛けて抜いてから合した。糀菌の働きで保存している間に水分量が増える傾向にあるから最初の水分は可能な限り除くのが旨さの秘訣だった。

 さて、今回の「鮭フレーク合わせ」は「イナゴ合わせ」に続き動物性たんぱく質の入ったエッ!品になり、ご飯のお供に、そのまま口中にでも構わん美味しい味が出たのだが塩鮭が甘塩だったから少々塩味不足気味に感じたのだが、これを塩分の多い塩鮭に変更すれば「美味しくなる」のは分かっていても塩分摂取量が増えるのは避けたい。しかしなんだろう、濃厚な旨味としか感じない基は相乗効果としか思えないのである。


今日のトンボ「キイトトンボ出た!」

2024-06-01 | 小父のお隣さん

 泥浚いの後、何気に立ち寄ったトンボ池でキイトトンボの初見となった。幸せも不幸せも邂逅も別れも何時も思わぬ時に出会うのが人生であろう。自宅で記録を見れば早い時は5月の中頃、遅ければ6月の中頃と初見の時期は1カ月も異なるのだった。早い遅いの条件を推理した事も妄想した事も無いけれどまあ、相手次第のフイールドの生物暦ではある。

 キイトトンボもイトトンボと名付けられているから細いには細いのだけれど、ツイツイと飛翔する様子が何とも面白い。一定速度で飛翔するようにはとても見えないのだが、勘ぐれば草叢の中が好適地のように見えるのでスーと飛ぶような訳にはいかないのは理解できる。飛行コースは障害物が林立、いいえ草立しているのだからけだし当然と思っているのかもしれない。

     


漏水孔潰し

2024-06-01 | 水辺環境の保全

 沈泥と出水時の分水放流路を兼ねた泥水池への配水管の下は土嚢を積み上げて堤を作り泥土を盛り上げ盛り上げしてようやく平坦地に出来た部分なのだが基礎が土嚢の積み上げで出来ている結果、どうしても土嚢の隙間にカニやイモリが住み着き漏水の遠因になってしまう。今を去る事二昔も前の一帯は背丈ほどもあるV字侵食溝が何本も走っており、これを土嚢で堰き止め土を運んで水域造成した過去がある。で、その結果は土嚢部分からの漏水が止まない様になってしまった。一旦は大きく掘り返し基盤から再構築すれば漏水撲滅にはなるものの、既にそんな体力も気力も無く手当てに駆けずり回っているだけで青息吐息なのであって桃色吐息は初夏の桃でも食べなければ期待薄である。

 さてさてこの日も前日に100mmほどの降雨があったから何をさておいても水見回りをした。案の定、拳骨が入るほどの漏水孔が二カ所現れている。ご丁寧にもモグラ様がトンネルを近くに作っており、「ハハン!、モグラ様も漏水孔の支援者」と理解できたのだった。まあ、理解は進んでも漏水孔は広がる一方で何んの助けにもならず、粛々と漏水孔を追い掘りしてその後を胴突きで突き固めるしかない。

       

 今回も所定の手当てを行ったのだが肝心の胴突きの腐食が進み、あまり効果が無くなってきた。突き面が平らなら鎮圧効果も上がるのだが角が腐食してドーム状になった形状では突き固められる面積は減る一方なのだ。それでも「無いよりはまし」なので使ったけれど、おっつけ新調をせねばならないだろう。