山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

新潟、山梨、長野、群馬、栃木、埼玉県などの埋もれた城跡を探索しております。カテゴリ「城郭一覧」で簡単にアクセス。
 

浅利城②

2017-12-06 12:06:59 | 山城ー野州
浅利城①の記事はカテゴリの山城ー野州を見てもらえれば最初に載っています。

本丸へ

東曲輪から東尾根を登ってゆくと

東尾根第一腰曲輪、第二腰曲輪

東尾根をさらに登り

第三腰曲輪・第四腰曲輪

本丸城壁が見えてきました。

浅利城縄張り図「余湖くんのお城のページ」より

二の郭

帯曲輪、二の郭から周囲を囲んでいます。

これを登れば本丸ですが次回とします。

城主
浅利城は宝徳3年(1451)に、佐野氏家臣であった神馬(かんま)忠光によって築かれた城であるという。もっとも、このような高所の城であるから、あくまでも緊急時用の籠城場所といったものであったろう。
「余湖くんのお城のページ」より引用


浅利城跡は閑馬町に残る山城です。当城は宝徳3年(1451)、佐野氏の一族の神馬七郎忠光が築き、天文15年(1546)に廃城になったと伝えられます。山頂本丸周辺には削平地や堀切に加え、石垣なども認められます。331mの山頂からは閑馬一帯ばかりでなく、唐沢山城跡や佐野方面も見渡せます。また、ここから少し西側の尾根の頂からは、須花方面も眼下に望めます。

須花城跡は下彦間町に残る標高約200mの山城で、別名小坂城ともいいます。築城は佐野国綱と伝えられます。本丸周辺には土塁を巡らせた削平地と堀切が認められます。皆様ご存じのように、須花周辺は、佐野宗綱が天正13年(1585)、足利長尾方に討たれた地としても知られています。また、本城の東側には、正光寺城跡も残されています。

浅利城跡、須花城跡(正光寺城跡含む)、更に、これまでに紹介してきた白岩城跡(白岩町)やアド山城跡(仙波町)は、唐沢山城跡からほぼ等距離に位置し、石垣を伴う城跡が多く認められます。この他、蓬山城跡(作原町)や要谷山城跡(飛駒町)でも石垣が認められます。こうした城跡は、唐沢山城の出城として整備された可能性も考えられます 佐野市ホームページより

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。