山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

新潟、山梨、長野、群馬、栃木、埼玉県などの埋もれた城跡を探索しております。カテゴリ「城郭一覧」で簡単にアクセス。
 

前山古城④

2017-03-31 12:11:24 | 山城ー信州
前山北城から通路を経て前山古城へ

前山北城から前山古城への通路

古城の本丸北側下の曲輪2

縄張り図は「山城探訪 佐久市編」宮坂氏著

曲輪2は作図よりも大きく感じます。

南東腰曲輪

南東第二腰曲輪

南東第三腰曲輪

南東第四腰曲輪

南東第五腰曲輪

戻って来て、腰曲輪4を見ています。
次回 前山古城本丸へ

伴野氏滅亡
こうして伴野氏は前山城主として武田氏に仕えたが、天正元年、武田信玄が病死し、そのあとを継いだ勝頼は天正三年、三河国長篠で織田・徳川連合軍と戦って壊滅的敗北を喫した。以後、武田氏の勢力は急速に衰退していき、ついに天正十年、織田軍の甲斐侵攻によって滅亡した。その結果、織田信長に接収された武田氏領は信長の部将がそれぞれ分け与えられ、佐久郡・小県郡は滝川一益が与えられた。ところが、同年六月、織田信長は明智光秀の謀叛によって京都本能寺で殺害されたため、甲斐・信濃の織田諸将は領地を捨てて上方へ去った。以後、甲斐・信濃は後北条・徳川・上杉の草刈り場となってしまった。
 後北条氏は氏直に七万の大軍を率いらせて上州に軍を進め、家康はかくまっていた依田信蕃に命じて甲斐の旧知の武士たちを味方に付けさせ甲斐へ送り込んだ。信蕃のもとには三千の甲斐武士が集まり、信州小諸へ入った。一方の後北条氏は碓氷峠を越えて信濃に入り依田信蕃と対決せんとしたが、信蕃は蓼科山の山中に入って要害を構え、後北条軍は小諸を押えて大道寺政繁を城主とした。真田氏、望月氏、阿江木氏らは後北条方に従い、岩村田城主の大井氏、相木・岩尾らの大井一族、そして前山城主の伴野氏らもこれにならった。
 これは、同じ武田氏遺臣である依田信蕃が徳川家康に属して佐久統一をすすめているのに対し、もともと大井氏の家臣であった依田氏の下風に立つのを快しとしなかったためであったという。そのような伴野信守に対して依田信蕃は前山城攻略の軍を進め、信守は父子君臣ともに城を死守して抗戦に努めたが力尽きて自害した。このとき、信守の嫡子貞長は城外に出て戦っていたが、城中火に包まれたのをみて残る兵を集めて敵軍に突入して戦死した。ここに小笠原伴野氏は滅亡した。貞長の弟信行は、武州八王子に逃れたがその終わりは不明である。 武家家伝より
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昭恵夫人の暴走は(安倍首相の計算では)

2017-03-31 11:46:05 | 日記
官邸内に専用の執務室が設けられ秘書役たちが着任したのは2013年6月のことだ。もちろん、総理夫人の「専用秘書室」のようなものが設置されるのは過去に例がないであろう。
なぜ、公務にあたるべき国家公務員を、安倍首相自ら「私人」と主張する昭恵夫人の秘書のような任務にあたらせるのか。そのこと自体が異常であるのはさておき、安倍首相には個人的な思想信条を満足させるため、総理の立場ではできないことを夫人にさせようという狙いがあったのではないだろうか。
ひょっとしたら、2014年4月25日に昭恵夫人が塚本幼稚園で講演したのも、2012年9月に安倍首相が果たせなかった約束を代わりに実行させるという意味合いがあったのかもしれない。
初めて同幼稚園を訪れた昭恵夫人が、園児に教育勅語を暗唱させる愛国教育に接し、いたく感激しただろうことは、その後の行動が証明している。
最初の訪問と同じ年の12月6日と翌2015年9月5日、昭恵夫人は二年間で三度にもわたる講演を、塚本幼稚園で行なった。とりわけ15年9月の講演は重要で、この日に昭恵夫人は新設が予定される小学校の名誉校長に就任した。
この森友学園に対する尋常ならざる思い入れを、単に、昭恵夫人だけの「暴走」と片づけるわけにはいくまい。
昭恵夫人には、この学園の実践している教育を全国に広めたい、幼稚園だけで途切れず、小学校でもこのような教育ができれば素晴らしい、それは夫も共鳴してくれるはずだ、という強い思いがあっただろう。
国会の証人喚問で籠池理事長が明らかにした内閣総理大臣夫人付、谷査恵子氏からのFAX文書は、昭恵夫人が小学校の名誉校長に就任して間もない2015年11月15日のものである。つまり森友学園と昭恵夫人が蜜月関係の頂点にあった頃といえる。
森友学園が「内閣総理大臣夫人付、谷査恵子」宛の封書で依頼した内容は概ね、次のような内容だった。
定期借地契約が10年間なのを50年契約にしてほしい
月227万円の賃料は高すぎるので、半額程度にしてもらいたい
コンクリート片や鉛などの汚染土を除去するために立て替えた工事費を平成27年度予算で返してくれるよう言ったが、28年度に遅れるというのはなにごとか
これに対して谷氏はFAX文書で「財務省本省に問い合わせ、国有財産審理室長から回答を得ました」としたうえで、定期借地の期間延長は難しいと回答した。
しかし、「撤去に要した費用は、第6条に基づいて買受の際に考慮される」と、いずれ森友学園が土地を買い取るさいに、地下埋設物撤去費用に相当する金額を値引きすることが示唆されている。
また、汚染土除去費用については「一般には工事終了時に清算払いが基本であるが…平成27年度の予算での措置ができなかったため、平成28年度での予算措置を行う方向で調整中」と書いていた。
本来なら、実際に森友学園が業者に支払った費用を、「清算払い」するのがルールだが、予算がつきしだい国から学園に支払うという特別扱いのお知らせをしたわけである。役所が「調整中」という言葉を使うのは、ほぼOKの場合だ。実際、2015年末までかかった工事の費用として翌2016年4月に、1億3,176万円が国から振り込まれた。
官邸が「ゼロ回答」と主張するFAX文書が示す「大きな問題」

安倍官邸や自民党は、このFAX文書を「ゼロ回答だから問題はない」と言うが、そうではない。官邸に詰めている昭恵夫人の秘書役からの問合せだからこそ、国有財産審理室長、田村嘉啓氏はこれほどまでに丁寧な回答をしたのであり、買い取り時の値引きや工事費用の早期支払いまで示唆したのである。
まぐまぐニュースより


今は、昭恵夫人が悪者籠池理事長に騙され利用されたなどの報道が一部でされており、また「内閣総理大臣夫人付」なる谷査恵子氏が勝手に財務省と連絡を取ったなどとして、安倍の関与を無理やり否定している。事の真相は安倍が夫人を通して、籠池にあらゆる便宜を図らせた。「国家の有事には国民は命を捧げなさい」という「教育勅語」を礼賛する学校を全国に広げる突破口にしたかった。これゆえに安倍は夫人を使ったのである。昭恵夫人も谷氏も安倍の野望に利用された悲劇の人である。
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前山古城③

2017-03-30 21:36:28 | 山城ー信州
前山北城(宮坂氏の描く前山古城と便宜的に分けています。)の二の丸から本丸へ


前山北城三の丸の南西奥の土塁を越えて

土塁を反対方向から見ています。

前山北城二の丸

前山北城二の丸と本丸とを隔てる空堀

前山北城本丸

本丸の南西奥にはやはり土塁

前山北城の本丸から南側を走る段曲輪は、前山古城の北東へ通じています。このことから、前山北城と古城は一つの山城であると私は見ています。

武田氏麾下に属す
永正六年(1509)、将軍足利義尹(義稙)は関東管領上杉顕定に命じて、伴野六郎と大井太郎の争いを和解させている。その翌年、顕定は越後国長森原で長尾為景・高梨政盛らと戦って討死した。顕定の調停によって和解した伴野六郎は貞慶、大井太郎は行満とするものもあるが、確証はない。ちなみに、このころの前山城主は伴野貞祥で、大井城主は玄慶のあとを継いだ忠孝か貞隆であったと想定される。伴野氏と大井氏の争いはその後も続き、この両者の対立を利用して武田氏が佐久郡を制圧することになるのである。
   大永元年(1521)、貞祥は祖父光利三十三回忌・父光信七周忌の追善のため、前山に貞祥寺を開基した。大永七年、「甲斐の武田信虎が伴野氏に頼まれて信州に出立したが、信州方が一つになって、伴野氏は行方不明になった」ことが『妙法寺記』などから知られる。この伴野氏は貞慶ともいわれるが、前山城主は貞祥であった。
 この事件は、大井貞隆を中心とする信州の諸将が伴野方に反撃したとき、武田信虎は伴野氏を支援するかたちで、佐久郡侵攻を目論んだものであろう。天文九年(1540)、武田信虎は板垣信形を大将として佐久郡へ侵攻を開始した。伴野氏は武田軍の侵攻に協力して前山城に武田氏を迎え入れたようだ。そして、武田氏は前山城を根拠地として佐久郡を制圧していったのである。おそらく、伴野氏と武田氏とは永年にわたって親睦関係を築き、それを背景として武田氏は佐久郡に侵攻してきた。そして、このころから伴野氏は武田氏に属するようになったと思われる。天文十八年六月、「伴野左衛門方始て出仕」したことが『高白斎記』にみえ、この伴野左衛門は貞祥の嫡男信守の弟にあたる人物と思われる信豊であろうとされている。
 戦国時代における伴野氏に関していえば、諸記録にさまざまな伴野氏が登場している。ひとつは、光利に敗れて討死した野沢系の伴野氏、そして、それを受け継いだと思われる野沢城主伴野氏、それに大沢城主の伴野氏が加わって三家の伴野氏が存在していたようだ。このように、室町から戦国期における伴野氏の動向・系譜関係は不明な点が多く、その歴史は不明瞭といわざるをえない。 武家家伝より


ここで言う前山城は古城から北1.2kmにある山城の事です。近くには前山寺があります





伴野氏の菩提寺・貞祥寺

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森友学園の本質的問題

2017-03-30 21:12:18 | 日記
森友学園の問題は100万円寄付した。とか9億円の国有地を1億円に値引きした。首相夫人が名誉校長であることから担当官僚が忖度をした。経営的問題ある籠池の申請する学校を認可適当とした大阪府知事などなど疑惑は解明されなければなりませんが、「教育勅語」を美化し、日本の子供たちに、その精神を学ばせていこうとする極右思想の籠池を「素晴らしい教育者」であると賛美していた安倍は同根の輩である。

国有地の払い下げや学校設立認可の過程でなんらかの便宜供与があれば、当然それは大きな問題ですが、僕は「それ以前の問題」として、こうした極右的な思想を持つ学校法人と安倍首相や一部の政治家が親しい関係にあるのなら、それは深刻な問題である気がします。ところが、一部の週刊誌などを除いて、野党や新聞などの大手メディアはこの問題にはあまり重点を置いていないように見えますね。
─今、ヨーロッパでも極右政党が台頭したり、人種差別的な勢力が支持を広げたりといった流れがありますが、先日行なわれたオランダの総選挙では、移民排斥を訴える極右の自由党は結果的に政権を取れませんでした。いわゆる先進国のリーダーがこうした「極右思想」と近い関係にあるという例は、今のところはないですよね。
 海外のメディアが森友学園に注目したのは、昨年、ロイター通信が塚本幼稚園で行なわれている「戦前回帰的な教育」の実態を紹介したことがきっかけでした。森友学園の問題は同じく昨年、海外の各メディアでも報道された「日本会議と安倍政権の関係」と同じ文脈で注目されているのだと思います。
つまり、もうひとつの側面を「日本の首相と極右思想の政治団体、その思想が色濃く反映された学校法人のつながり」という文脈で捉(とら)えると、今、日本で広がりつつある「戦前回帰」への流れと安倍政権がリンクしてくる。
ちなみに日本会議は、籠池氏はメンバーではないと言っているようですが、塚本幼稚園や籠池氏の語る教育方針は多くの部分で日本会議の教育に関する主張と重なっているし、大きな方向性という意味では、第一次安倍政権が打ち出した「教育改革」の方針とも重なる部分が少なくありません。
このように与党の党首が極右思想と近い関係にあり、その強い影響を受けた学校法人と近い関係にあったのだとすれば、その点はもっと議論されるべきでしょう。まだ何もわからない幼い子供たちに「安倍首相がんばれ!」と叫ばせたり、中国や韓国に対する差別的なイメージを押し付けたりする教育をしている幼稚園や学校があれば、普通は問題視されるはずで、一国の首相や政治家がそれを応援するなんて、普通に考えればあり得ないことです。
そうした人たちと政治の中枢が「近い場所」にいるということの意味を、この機会にもっと多くの人たちが考えたほうがいいと思います。 週プレNEWS ジャスティン・マッカリ
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前山古城②

2017-03-29 20:23:10 | 山城ー信州
宮坂氏が描く前山古城の近くの北尾根に200mに渡る遺構があり調査していただきたいと一昨年、佐久市文化財課に手紙を出してお願いしてきたのですが、その後調査されたか先日、確認しにお尋ねしたところ、結果は地元の畑を持たれている方も、熱心な方でやはり調査をお願いしていたとのことで、文化財課として調査され遺構が確認できましたとの返事でした。近日、縄張り図が作成されましたら、送ってくださるそうです。

宮坂氏の前山古城の縄張り図、私が見つけた前山北城(正式名称ではありません。)は林道が北に向かって伸びていますが、860という等位線から北尾根に遺構があります。よく見ましたところ、林道によって尾根を断ち切っており、実際は尾根は繋がっていたようです。4の長い段曲輪は、林道に沿って繋がりその先にも東北の斜面には三段に段曲輪が構築されていますので、前山古城は北尾根を含む、もっと大きな規模の山城と言えます。公式には佐久文化財課が近く発表されると思います。
便宜上、宮坂氏の描く前山古城とあらたに発見した前山北城と分けて報告します。この峰を登ると
前山北城三の丸(仮に)

三の丸の南西奥に土塁があります。

土塁から少し手前中央に櫓台?

三の丸北東を見返しています。

三の丸東下に腰曲輪

土塁の先に前山北城二の丸とを隔てる堀切

この堀切から東側斜面には段曲輪が数段確認できます。

この段曲輪は南に伸びて、前山古城の北東の段曲輪と繋がっています。

次回 前山北城の二の丸・本丸へ




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