山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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鼠喰城⑤

2015-08-31 19:51:00 | 山城ー上州
詰め丸から北尾根を進みます。

詰め丸を北尾根から見上げています。

北尾根をさらに歩いてゆきます。

一つの峰を越えると

前回掲示の縄張り図にある曲輪8、ここも二段構造となっています。

曲輪8の奥が曲輪9

曲輪8の東下には曲輪が付いています。

戻り道で峰を見ています。

はるか先に詰め丸が見えています。

サイト『里の風』より引用
南北朝時代には足利尊氏によって、上杉憲房が上野守護に任じられた。憲房の子が憲顕でありいわゆる山内(鎌倉)上杉氏の祖となった。山内上杉は扇谷上杉、侘間上杉、犬懸上杉とは元々兄弟であるが後に相戦う事になる。
憲房が京都で戦死した後、憲顕は新田義貞が国司を勤めていた上野国に入り高崎南部の八幡の庄を与えられた。
この頃は南北朝の争乱が顕著であり、双方の勝敗もめまぐるしく入れ替わった。上杉憲顕は越後の守護も兼務となり上野支配は安定した。しかし尊氏は弟直義と対立し、直義方についた憲顕は武蔵野の合戦で敗北して越後に逃れた。
10年後、待望論が湧き起こり憲顕は再び上野に戻り関東管領に就任した。小柏實親の子重親は平太夫とあり、宮内少輔、従五位下とある。
鎌倉管領足利左馬頭基氏に属し、基氏の執政を勤めていた副将軍上杉民部大輔憲顕は鎌倉山内に住んだ。上杉憲顕に従い、小柏重親も近くに居を定め勤番していたが延文五年(1360年)に没した。
重親の子重家は小柏庄司を名乗り、上杉に仕え幾つもの手柄を立て頭角を現した。
重家の項には、歴代日野庄小柏村に住んだとあるので、本拠は小柏村に置いたまま鎌倉に勤番していたようだ。
小柏重家は第八代の関東管領上杉安房守憲方(右京亮)に従い、鎌倉に勤番していて数々の武功を挙げた。貞治6年十一月(1367年)には上日野小柏村に宝塔を建立している。応永年中に没して同所の嶽ノ本に葬られ、その墳墓は今もあると系図の添え書きにある。
嶽ノ本とは小柏屋敷跡の、西南の隅にある墓地のことであろう。この墓地には小柏氏歴代の石碑・供養塔などの石造物群があり、今も静かに木漏れ日のあたる木立の中に眠り続けている。
小柏屋敷に最後に住んでいた「逸」の墓碑もここにある。群馬懸多野郡誌によれば、この宝塔は九輪の塔であるとしている。
 重家は小柏館の下を流れる鮎川を渡った所、西御荷鉾山に鼠喰城を築造している。山崎一著になる「上野国古城塁跡の研究」などを見ると、尾根筋を利用した山城であったと思われるが、高低差を持ちかなりの規模を有しているようだ。
標高700mから950mに亘って四つの土塁・砦・本丸などに分れている。    
 「多野郡誌」に次のようにある。
 鼠喰城址 大字上日野村字御荷鉾山内にあり東西弐拾五間(45mか)南北四十
五間(81mか)ばかり、二段にして平坦なり貞治六年未年小柏荘司重家ここに築き住いすと上野鑑に見えたり。

鼠喰城(ねずはみじょう)はなんとも奇妙な名前・命名ではある。芋や食物でもない城がなぜ鼠喰みなのか。卑下・謙遜したとしても、築城した本人の名づけたものではなさそうである。
一説には鼠喰城に敵勢が押し寄せた時に、敵軍の野営陣地に白鼠が大挙して現われ弓の弦や刀の柄の糸を齧って切ってしまったという。
この為、さしもの大軍も戦闘能力を低下させてしまい散々に打ち負かされたという。(ふじおかふるさと伝説)
御荷鉾山の北面、標高九百mの所にあり、城(じょう)と呼ばれて南北六百mほどある。
南端は山頂に程近い。貞治六年(1367)小柏庄司重家が築いたものという。(群馬県古城塁址の研究下巻参照 多野藤岡地方誌・各説編)
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鼠喰城④

2015-08-30 09:45:51 | 山城ー上州
本丸から詰め丸へ

本丸(私見による見解)は二段構造になっています。

本丸を北から見返しています。

本丸西下には大きな曲輪が付いています。

本丸は上から二段目の大きな曲輪をもつところです。6-2、6-3、6-4と番号が振られています。

本丸とする根拠はこの大きな空堀が北側にあることです。

空堀に立って本丸東側側面を見ています。

詰め丸(私見)に向かいます。この急斜面は雨上がりの日でもあったものの、滑落の恐れがあり十分に注意して登ってください。両手はもちろん物を持たないように。

急斜面を登りきると祠があり詰め丸です。(他のサイトではこれを本丸とされています。)

詰め丸を北から見ています。

北尾根から詰め丸を見返しています。

これで終りとする予定でしたが、鼠喰城の特徴からもう少し登ってみようと思い続けました。
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鼠喰城③

2015-08-29 21:02:17 | 山城ー上州
曲輪6まで紹介しましたが、ここから本丸までが40分くらいかかる山道が続きます。

北尾根を登ってゆきます。

東下に見逃してしまいそうな腰曲輪

尾根は細いものの緩やかな坂の尾根を歩きます。

右半分を残したような形状の尾根になって

やはり東下に曲輪が配されています。東側には低い土塁があり曲輪であることは間違いないと思われます。縄張り図と一致しないため5-1の曲輪とします。

尾根を東側斜面を歩く道となって、第二虎口が現れます。

第二虎口を越えるとまたなだらかな坂の尾根道と成ります。

尾根を延々と登ってゆきます。

鼠喰城がいかに大変な山城であるか実感してもらうため尾根道をカットしないで載せています。

綺麗な尾根道が続きます。

城跡ほっつき歩記の管理人さんは6-2の曲輪としていますが、他のサイトでも、この先急斜面の峰の上にある小曲輪を本丸としていますが、私はこれが本丸と思います。

次回 本丸から詰め丸へ(他のサイトの言う本丸)



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鼠喰城②

2015-08-28 20:22:40 | 山城ー上州
北尾根を登ってゆきます。


曲輪3から北尾根を進むと土橋が見えてきます。

土橋の上に芝生のような草に覆われた曲輪

鼠喰城は自然地形をうまく利用して堀切、空堀は使用していません。

瘤状の峰を越えると土橋

土橋の先に尾根の東下にある曲輪、鼠喰城はこのように手を入れて曲輪4としています。

尾根は急坂となってきて

尾根はどんどん高さを増してゆきます。比高400m近い山ですから覚悟がいります。

尾根に虎口に見えます。

虎口を登って曲輪6

縄張り図を見ながら写真を見てください。(縄張り図は藤岡市史資料編より)

次回 本丸へ
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鼠喰城(ねずはみ)

2015-08-27 19:24:00 | 山城ー上州
鼠喰城を私は(そくい)と読んでいましたが、「城跡ほっつき歩記」のサイトでねずはみと読んでいますので訂正します。

鼠喰城地図
群馬県藤岡市上日野への道、県道177号線でエースゴルフ倶楽部藤岡コースの駐車場へ行きます。狭い個所があり注意して運転の事。

駐車場の西側から迂回路があります。

ゴルフ場内に入り左折(常識ある運転を)

ゲートをくぐり、また左折(やや左より突出した山がめざす鼠喰城です。)

13ホールの右手を進むと

不動明王という鳥居があり、ここが登山道です。

碑には小柏八郎が住民の願望により開山したと書かれています。小柏氏はこのブログで氏族の追跡の中で平家伝説の氏族として取り上げていますが、その小柏氏が築いた山城と伝えられています。

登って10分くらいで、曲輪

縄張り図は藤岡市史資料編より、番号は「城跡ほっつき歩記」の管理人さんのよるものです。上の写真は2-1とする曲輪です。

2-1の曲輪から登ってきた尾根を見下ろしています。

南下には縄張り図のように平地があり、監視小屋でもあったのかもしれません。

また10分ほど登って

縄張り図で曲輪3です。ここに祠があったと思いますが現在はなくなっています。以前はここで下ってしまいましたが、本丸は40分から50分の先の山頂にあります。

次回も本丸めざし登ってゆきます。
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