詩編33編4~11節(日本聖書協会「新共同訳」)
主の御言葉は正しく
御業はすべて真実。
主は恵みの業と裁きを愛し
地は主の慈しみに満ちている。
御言葉によって天は造られ
主の口の息吹によって天の万象は造られた。
主は大海の水をせき止め
深淵の水を倉に納められた。
全地は主を畏れ
世界に住むものは皆、主におののく。
主が仰せになると、そのように成り
主が命じられると、そのように立つ。
主は国々の計らいを砕き
諸国の民の企てを挫かれる。
主の企てはとこしえに立ち
御心の計らいは代々に続く。
使徒言行録13章26~39節(日本聖書協会「新共同訳」)
兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られました。エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めず、また、安息日ごとに読まれる預言者の言葉を理解せず、イエスを罪に定めることによって、その言葉を実現させたのです。そして、死に当たる理由は何も見いだせなかったのに、イエスを死刑にするようにとピラトに求めました。こうして、イエスについて書かれていることがすべて実現した後、人々はイエスを木から降ろし、墓に葬りました。しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです。このイエスは、御自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人々に、幾日にもわたって姿を現されました。その人たちは、今、民に対してイエスの証人となっています。わたしたちも、先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音を告げ知らせています。つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。それは詩編の第二編にも、
『あなたはわたしの子、
わたしは今日あなたを産んだ』
と書いてあるとおりです。また、イエスを死者の中から復活させ、もはや朽ち果てることがないようになさったことについては、
『わたしは、ダビデに約束した
聖なる、確かな祝福をあなたたちに与える』
と言っておられます。ですから、ほかの個所にも、
『あなたは、あなたの聖なる者を
朽ち果てるままにしてはおかれない』
と言われています。ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた後、眠りについて、祖先の列に加えられ、朽ち果てました。しかし、神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかったのです。だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。
パウロとバルナバがシリアのアンティオキアの教会からキプロス島を経て、ピシディア(今のトルコ南部)のアンティオキアにやってきました。安息日にユダヤ人の会堂に入り、福音を宣べ伝えました。使徒言行録の前半でペトロの説教がいくつか記されており、後半ではパウロの説教がいくつか記されています。
13章16節以下は、使徒言行録に記されているパウロの最初の説教です。内容はペトロの説教と似ています。主イエスの十字架の死と復活、そして罪の赦しが語られました。特徴的なのは、主イエスの出来事を語る前に、旧約聖書の話を簡潔に語っていることです。モーセとイスラエルの四十年にわたる荒野での生活、ダビデの物語、そして旧約聖書ではありませんが、洗礼者ヨハネについてです。これらのことを語ったのは、神が旧約の時代からすべての人を救うための計画を進めていたことを明らかにするためでした。その計画は、イエス・キリストによって成就しました。だから、パウロは主イエスの十字架と復活の出来事を丁寧に話したのです。
主イエスの十字架と復活についても、旧約聖書の言葉を三つ引用して説明しています。主イエスの十字架と復活による救いが旧約聖書の時代からの神の計画であり、そのことをあらかじめ告げられていたと強調しているのです。
もう一つ重要なことがあります。13章31節で、主イエスは復活の後、弟子たちに幾日にもわたって姿を現され、その弟子たちは民に対してイエスの証人となって証している、と語っていることです。
「イエスの証人」という言葉は、使徒言行録の前半において何度も出た重要なキーワードです。1章8節は特に大切な言葉です。「聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」です。その重要性は主イエスが語られたということもありますが、「神の救いの歴史はこれからも続いていく」という主イエスの宣言でもあるからです。
使徒言行録は、この主イエスの言葉通りに福音が宣べ伝えられていることを、使徒たちや教会の働きを通して語っています。それと共に、神の歴史は今も動いており、福音を伝えられた人々は、神の救いの歴史の中に生きていると告げているのです。
ピシディアのアンティオキアの人々に語ったパウロは、「あなたがたも神の救いの歴史の中に生きている」と告げ、神の計画である以上、あなたがたがイエス・キリストによって救われることは確実なことだと告げているのです。さらに、この神の救いを拒むことのないようにと警告します。13章46節で「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている」と言っています。もともと神の救いはまずユダヤ人に与えられるはずでした。しかし、それを拒み、主イエスを十字架につけたのです。神の救いという恵みを、自分の手で地に投げ捨てたのです。このようなことを再び起こしてはならない、神の救いという恵みを拒んではならない、と警告するのです。
私たちも今目の前に差し出されている神の救いという恵みをしっかりと受け止め、神の救いの歴史に生きていることを自覚しましょう。
主の御言葉は正しく
御業はすべて真実。
主は恵みの業と裁きを愛し
地は主の慈しみに満ちている。
御言葉によって天は造られ
主の口の息吹によって天の万象は造られた。
主は大海の水をせき止め
深淵の水を倉に納められた。
全地は主を畏れ
世界に住むものは皆、主におののく。
主が仰せになると、そのように成り
主が命じられると、そのように立つ。
主は国々の計らいを砕き
諸国の民の企てを挫かれる。
主の企てはとこしえに立ち
御心の計らいは代々に続く。
使徒言行録13章26~39節(日本聖書協会「新共同訳」)
兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られました。エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めず、また、安息日ごとに読まれる預言者の言葉を理解せず、イエスを罪に定めることによって、その言葉を実現させたのです。そして、死に当たる理由は何も見いだせなかったのに、イエスを死刑にするようにとピラトに求めました。こうして、イエスについて書かれていることがすべて実現した後、人々はイエスを木から降ろし、墓に葬りました。しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです。このイエスは、御自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人々に、幾日にもわたって姿を現されました。その人たちは、今、民に対してイエスの証人となっています。わたしたちも、先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音を告げ知らせています。つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。それは詩編の第二編にも、
『あなたはわたしの子、
わたしは今日あなたを産んだ』
と書いてあるとおりです。また、イエスを死者の中から復活させ、もはや朽ち果てることがないようになさったことについては、
『わたしは、ダビデに約束した
聖なる、確かな祝福をあなたたちに与える』
と言っておられます。ですから、ほかの個所にも、
『あなたは、あなたの聖なる者を
朽ち果てるままにしてはおかれない』
と言われています。ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた後、眠りについて、祖先の列に加えられ、朽ち果てました。しかし、神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかったのです。だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。
パウロとバルナバがシリアのアンティオキアの教会からキプロス島を経て、ピシディア(今のトルコ南部)のアンティオキアにやってきました。安息日にユダヤ人の会堂に入り、福音を宣べ伝えました。使徒言行録の前半でペトロの説教がいくつか記されており、後半ではパウロの説教がいくつか記されています。
13章16節以下は、使徒言行録に記されているパウロの最初の説教です。内容はペトロの説教と似ています。主イエスの十字架の死と復活、そして罪の赦しが語られました。特徴的なのは、主イエスの出来事を語る前に、旧約聖書の話を簡潔に語っていることです。モーセとイスラエルの四十年にわたる荒野での生活、ダビデの物語、そして旧約聖書ではありませんが、洗礼者ヨハネについてです。これらのことを語ったのは、神が旧約の時代からすべての人を救うための計画を進めていたことを明らかにするためでした。その計画は、イエス・キリストによって成就しました。だから、パウロは主イエスの十字架と復活の出来事を丁寧に話したのです。
主イエスの十字架と復活についても、旧約聖書の言葉を三つ引用して説明しています。主イエスの十字架と復活による救いが旧約聖書の時代からの神の計画であり、そのことをあらかじめ告げられていたと強調しているのです。
もう一つ重要なことがあります。13章31節で、主イエスは復活の後、弟子たちに幾日にもわたって姿を現され、その弟子たちは民に対してイエスの証人となって証している、と語っていることです。
「イエスの証人」という言葉は、使徒言行録の前半において何度も出た重要なキーワードです。1章8節は特に大切な言葉です。「聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」です。その重要性は主イエスが語られたということもありますが、「神の救いの歴史はこれからも続いていく」という主イエスの宣言でもあるからです。
使徒言行録は、この主イエスの言葉通りに福音が宣べ伝えられていることを、使徒たちや教会の働きを通して語っています。それと共に、神の歴史は今も動いており、福音を伝えられた人々は、神の救いの歴史の中に生きていると告げているのです。
ピシディアのアンティオキアの人々に語ったパウロは、「あなたがたも神の救いの歴史の中に生きている」と告げ、神の計画である以上、あなたがたがイエス・キリストによって救われることは確実なことだと告げているのです。さらに、この神の救いを拒むことのないようにと警告します。13章46節で「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている」と言っています。もともと神の救いはまずユダヤ人に与えられるはずでした。しかし、それを拒み、主イエスを十字架につけたのです。神の救いという恵みを、自分の手で地に投げ捨てたのです。このようなことを再び起こしてはならない、神の救いという恵みを拒んではならない、と警告するのです。
私たちも今目の前に差し出されている神の救いという恵みをしっかりと受け止め、神の救いの歴史に生きていることを自覚しましょう。