八幡鉄町教会

聖書のお話(説教)

「ダビデ王とウリヤの妻」 2013年10月6日の礼拝

2013年12月03日 | 2013年度~
サムエル記下 12章1~10節

  主はナタンをダビデのもとに遣わされた。ナタンは来て、次のように語った。
  「二人の男がある町にいた。
  一人は豊かで、一人は貧しかった。
  豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。
  貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに
    何一つ持っていなかった。
  彼はその小羊を養い
    小羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて
  彼の皿から食べ、彼の椀から飲み
  彼のふところで眠り、彼にとっては娘のようだった。
  ある日、豊かな男に一人の客があった。
  彼は訪れて来た旅人をもてなすのに
  自分の羊や牛を惜しみ
  貧しい男の小羊を取り上げて
  自分の客に振る舞った。」
  ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。小羊の償いに四倍の価を払うべきだ。そんな無慈悲なことをしたのだから。」ナタンはダビデに向かって言った。「その男はあなただ。イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたに油を注いでイスラエルの王としたのはわたしである。わたしがあなたをサウルの手から救い出し、あなたの主君であった者の家をあなたに与え、その妻たちをあなたのふところに置き、イスラエルとユダの家をあなたに与えたのだ。不足なら、何であれ加えたであろう。なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。あなたがわたしを侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからだ。』


マタイによる福音書 1章2~11節

  アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。
  ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。



  ダビデは、ユダヤ人たちから最も尊敬され、親しまれている王ですが、実はユダヤ人最初の王ではありません。
  神は、サウルという人物を最初の王としましたが、後に、王にふさわしくなかったため、まだ少年にすぎないダビデに油を注ぎました。しかし、ダビデは、すぐに王になったわけではなく、実際に王となるまでに、長い年月がかかりました。
  サウル王は、ダビデを何度も殺そうとしました。ダビデは王のもとを去り、あちらこちらへと放浪します。その間、次第にダビデのもとにならず者たちが集まり、彼らの頭領となっていきました。
ある時、ダビデを追跡していたサウル王を、逆に殺すチャンスが訪れました。ダビデの家来は、サウルを殺すように唆しましたが、神が油を注いだ人を殺してはならないと言って、家来をいさめました。ダビデは、自分の有利不利にかかわらず、常に神の御心に適う行動をしようと心がけていたのです。このようなところも、多くのユダヤ人が彼を慕う理由があるようです。
  サウルがペリシテ人との戦いによって死んだ後、ヘブロンでユダ部族の王となりました。さらに数年後、サウルの子どもが死んだ後、北の諸部族の長老たちがダビデのもとに来て、自分たちの王となってほしいとの願いを受け、北の諸部族の王ともなり、ここに統一王国が誕生しました。
  そののち、北の諸部族と南のユダ族の中間に位置していたエルサレムの攻略に成功し、ここに移り住みました。どの部族にも属さないダビデ個人の町となったため、エルサレムはダビデの町と呼ばれるようになりました。その後、神の箱をエルサレムに運び入れたことにより、エルサレムは政治的にも宗教的にも中心的な町となりました。
  ダビデは、エルサレムに神殿を建てようとしましたが、神は、預言者ナタンを通して、それを断念させ、逆にダビデの子孫を代々に渡って王とすると約束されました。これはダビデ契約と呼ばれ、後に、ダビデの子孫から新しい王が現れるとの伝説が起こりました。これにより、イスラエルの歴史を通して、いつの時代でもこの王の出現が待望されました。
  マタイ福音書の系図の冒頭にある「ダビデの子」という言葉、またその系図の中で、ダビデに対してだけ「王」の称号がつけられているのも、このことに関連しています。すなわち、長い歴史を通して待ち望んでいた新しい王は、イエス・キリストであると告げているのです。
  さて、そのダビデですが、とても信仰的であり、また優れた資質を持っていましたが、失敗がなかったわけではありません。彼も他の人々と同じく罪を犯しましたが、その一つがマタイ福音書の系図に出てくる「ウリヤの妻によって」という言葉に示されています。
  ウリヤというのは、ダビデに仕えていた忠実な家来です。彼は激戦の地で戦っていましたが、その間、ダビデはウリヤの妻バト・シェバと姦淫をし、身ごもらせてしまいます。そこで、ダビデは、ウリヤを戦地から呼び戻し、戦況を報告させました。戦地での苦労をねぎらい、家で休むように命じましたが、ウリヤは家に帰らず、王宮にとどまり、仲間の兵士たちと一緒に夜を明かしました。ダビデが理由を尋ねると、戦友が激戦の地で戦っているのに、自分だけが妻のもとに帰るわけには行かないと答えました。そこで、ダビデは、ウリヤを戦地の指揮官ヨアブに宛てた手紙を持たせ、激戦の地へ送り帰しました。その手紙には、ウリヤを最も激しい戦いの場へ送り、戦死させるようにとの命令が書かれてあったのです。ウリヤは戦死し、バト・シェバは王宮に迎えられました。その時の子は生まれた後に死にましたが、その後、ダビデとバト・シェバの間に生まれたのがソロモンです。
  今日の礼拝の聖句サムエル記下12章1~11節は、ウリヤを戦死させ、その妻バト・シェバを王宮に迎えたことに対する預言者ナタンの言葉です。
  ダビデは、大きな罪を犯してしまいました。しかし、彼は預言者ナタンの言葉を聞いて素直に悔い改めるのです。このことは、特に注目すべきでしょう。
  私たちは、誰もが罪を犯します。誰もが失敗をします。罪を犯してはならないと言われながら罪を犯してしまうのが、私たち罪人であります。その後、私たちはどうするのか、特にその罪を指摘されたときにどういう行動をとるかということが、人生の分かれ目となります。
  ダビデは、ナタンの言葉を受けいれて、悔い改めます。ダビデがナタンの言葉を受けいれて悔い改めることは当たり前のことのように思うかも知れませんけれども、実はそうではありません。ソロモンの時代になりますと、預言者や祭司は、政治組織の一員、すなわち、家来のひとりにすぎなくなります。そうなりますと、ソロモンは預言者や祭司の言葉を、必ずしも忠実に受けいれる必要はないということになります。
  ダビデの時は、まだ政治的組織がしっかりしていなかったということがあるのかも知れませんけれども、誰の言葉であっても、それが神の言葉であると受けとめた時には、その言葉を素直に真剣に受けいれたのです。時には、敵がダビデをあざけった時、家来がそれを止めようとするのを遮り、「あれは、神があの人々を通して、私を叱りつけたのだ。決して、あの人々を手にかけてはならない。」と言って、静めました。
  「良薬口に苦し、忠言耳に逆らう」と、昔から言われますけれども、なかなか他人の言葉を素直に受けとめることは難しいものです。
  真の支配者は、自分の主義主張を他人に押しつけ、他人の良い意見を退けるのではない。たとえ、相手の身分や立場がどうであれ、神の御言葉として語られているならば、それを真剣に受けとめることこそが、神からこの地上を託されている支配者の務めである。そういう風に受けとめたのがダビデでした。
  マタイ福音書は、「王」という言葉を他の福音書よりも多く使っております。また、マタイ福音書2章では、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」という言葉があります。自分の地位を守るために人を殺し続ける人間が真の王なのか、否、すべての人を救うために自分の命を注ぎだしたイエス・キリストこそが真の王、そして私たちの王であると、この福音書を読む人々に訴えているのです。