ガンバレ、ニッポン

なんか、不安定なニッポンですね。

被災地派遣「大丈夫」と繰り返した自衛隊員のストレスとは

2021-03-12 14:32:48 | 災害
年間60人から80人が自殺しています。

同じ人間です。

困ったときに頼りにして、戦争反対と自衛隊を非難する

日本の左たち、、、

狂った日本人たち。。

映画「FUKUSIMA 50」を観るべき。

菅直人総理のふがいなさ。。日本国民なら誰もが怒ると思う。



ソースから

総力を挙げて東日本大震災に対応した自衛隊にとって、派遣隊員のメンタルヘルス対策は当時、喫緊の課題だった。その取り組みを知ろうと、宮城県に派遣された自衛隊福岡病院(福岡県春日市)の看護官、甲斐美希1尉(50)に電話と書面でインタビューした。取材前、遺体の捜索や収容が原因となるストレス対策が中心だろうと考えていたが、その予想は外れた。甲斐さんに「大丈夫です」と繰り返した隊員たちは一体、どんなストレスを抱えていたのか。  菅直人首相(当時)から10万人態勢構築の指示を受けた。実際の派遣規模は最大時約10万7000人に達し、1万9286人を救助したほか、生活支援や復旧活動、東京電力福島第1原発での放水もした。遺体は9505人分を収容した。大規模災害派遣は11年8月末で終了し、原発事故への対応は年末まで続いた。  過酷な任務が続く隊員の精神的ケアのため、陸上自衛隊は医師や臨床心理士らの「巡回指導チーム」を現地に派遣した。甲斐さんは、このチームとは別にできた陸自西部方面隊のメンタルヘルスチームの一員として、11年3月19日から23日間、宮城県で活動した。  甲斐さんは当時、専門教育を受けて隊員のメンタルケア全般を担う「心理幹部」として働いていた。師団や方面隊ごとに配置される希少な人材だ。10年春から第4師団(福岡県)で、惨事ストレスの教育や隊員へのカウンセリングをしてきた。甲斐さんが巡回指導チームに入らなかったのは、普段から接している隊員たちをしっかりと見守ってほしいという上層部の方針だったとみられる。甲斐さんも「顔と名前が一致する関係での支援は、相手にも安心感を与える」ととらえる。  初めて被災地に入り、沿岸部で目にした光景が忘れられない。川沿いの道を下っていき、景色が開けた瞬間だった。「何もなかった。大きな建物や打ち上げられた船がぽつんぽつんとあった。現実感が持てなかった」。自分にできることがあるのか。自分の存在を「ちっぽけ」に感じた。不安な気持ちを抱えて部隊の活動場所に行くと、甲斐さんを見かけた隊員から「心理幹部、来たんだ。何かあったら相談するわ」と声を掛けられ、不安が和らいだ。  記者はこれまで震災関連の書籍を読み、行方不明者や遺体の捜索活動でのショックから隊員が夢でうなされるなどのエピソードに触れてきた。甲斐さんも遺体に関連したストレスを予想していた。だが、「遺体関連で急性ストレス反応を訴えて、私に相談した人はいなかった」と意外な答えが返ってきた。背景として、大きく二つの要因を挙げた。  一つ目はストレスへの過剰適応。「心身の不調を自覚するゆとりさえない状態だったと思う。使命感の強さもある」。隊員たちに「睡眠や食事は取れていますか?」と尋ねても、「大丈夫です」との返答がほとんど。「過剰適応は決して好ましい状態ではない。メンタルダウンしないよう、情報を取っていかないといけない」と思ったそうだ。ただ、心理幹部とはいえ女性に対し、男性隊員が悩みや弱音を明かしにくい面がある。甲斐さんは隊員に体調を聞き取りつつ、「仲間で少し気になる人、心配な人はいませんか?」と尋ねるなどアンテナを張ろうと心掛けた。「日ごろの関係が強みになった」とも振り返る。  二つ目は「任務解除ミーティング」だ。1日の活動の終わりに、経験や感じたことを少人数で話しながら、悩みを共有するストレス対処法だ。甲斐さんはミーティング前の作戦会議に参加し、「無理に話をさせない」「話した内容を否定も非難もしない」などと実践時の注意点の徹底を図った。「どれだけミーティングができているのか不安はあった。手探りながらも、できていた面があったと思う」と受け止める。  では、隊員のどんなストレスや悩みと向き合ったのか。遺体そのものではなく、津波に流されたランドセルやおもちゃを見た隊員が自分の子供の姿と重ね合わせて、胸が苦しくなると訴えた。「ストレスはその隊員の背景が大きく影響すると思う」。遺体については「誰も見つけてあげられなかった」と自分を責める姿があった。現実ではないのだが、がれきを重機でよけていた隊員は「がれきの中にまだ生存者がいて、重機を動かすことでその人の命を奪っているのではないか」と心配しながら作業をしたそうだ。  記者が「純朴さ」を感じたのは、後方支援に当たる隊員のエピソードだ。甲斐さんは「被災地に来て自分は(車の)整備をしているだけ。被災者の役に立っているとは思えない。何をしに来たのだろう」と相談された。後方支援は、被災者と直接関わる機会はない。このため、後方支援と前線の活動を可能な範囲で交代させることや、「後方の業務があってこそ前線で活動できる」と士気を高めるような声掛けを上官に依頼した。その後、整備した車両が現場で活動しているのを見たこの隊員は、笑顔が見られるようになったという。  同種の悩みは、被災地に派遣されずに駐屯地に残り、派遣隊員たちの業務を肩代わりした隊員たちも抱えていたそうだ。このため、甲斐さんは被災地から隊員たちが地元に戻る直前、留守を守る隊員たちの悩みを知ってもらい、注意を促した。一方の駐屯地では派遣されなかった隊員たちに、帰ってくる派遣隊員のストレスや悩みを臨床心理士が説明した。甲斐さんは「隊員同士や、送り出した家族と隊員の関係もギスギスしないよう全体でのケアを心掛けた。教育していた私自身が家族とぶつかったこともあるので難しいが、お互いのことを知って思いやらないと」と強調した。

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