MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

ひと月のズレが意味すること

2018-07-31 18:32:30 | Weblog

 毎日新聞7月12日付の「メディアへの風景」というコラムで武田徹の「震災小説の類似表現問題 文学的価値を議論せよ」、毎日新聞7月18日付夕刊の「ニッポンの発言」というコラムで中森明夫の「『美しい顔』と芥川賞」、毎日新聞7月31日付の「記者の目」というコラムで大原一城の「芥川賞候補作の類似表現問題 普遍性を獲得したか」と、とりあえず北条裕子の小説『美しい顔』を巡る問題の議論は出尽くしたように見える。
 個人的な感想を述べるのならば、今回の「引用」は「無断コピペ」だったと思う。

 上の告知は『群像』8月号のp.372に掲載されたものである。問題なのは何故7月号ではなく、8月号に掲載されることになったのかという点である。『美しい顔』が掲載されたのは『群像』6月号である。新人が入賞した自分の小説が掲載されている文芸誌を一度も見ないということは考えられないし、見たならば参考文献が載っていないことに気がつくはずで、すぐに担当編集者に指摘すれば翌月の7月号に掲載されるはずなのである。つまり当初は黙っておくつもりだったのが、騒がれたために白状して8月号に掲載されるという恥をさらしてしまったと考えるのが自然であろう。


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伝説のアイドルと化す和田まあや

2018-07-30 17:06:10 | Weblog

乃木坂46 『和田まあや -Digest-』

 乃木坂46の和田まあやの実績といえば『乃木坂って、どこ?』の初代「頭NO王」、『乃木坂工事中』の「乃木坂46内輪ウケものまね大賞」第1回、第2回連覇、そして『乃木坂46のガクたび!』の「目指せダンス部日本一」で埼玉県の山村国際高校ダンス部に加わってダンス演技を披露するという企画において、当初選抜されていた衛藤美彩が体調を崩した代わりに大会前々日に敢えて代役を引き受けたことで、ステージに上がるギリギリまで練習したものの、やはり演技途中でダンスが止まってしまい、和田がいたBチームは負けてしまい、「振りが入っていなかったり、気持が一瞬どっか行って、荒っぽさがBチームには見えた」という審査員の牧野アンナのBチームに対して指摘していたことは明らかに和田に対するものだっただろうが、和田は言い訳することなくメチームのンバーたちに謝罪していたのである。
 このままでは和田まあやは乃木坂46ファンのみに知られる伝説のアイドルと化してしまうだろう。それが本人にとって良い事なのかどうか。


(『NOGIBINGO!6』第2回 乃木坂プンプン選手権チャンピオンの和田まあや)


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赤いズボンを巡るアングルとマネ

2018-07-29 05:03:42 | 美術

 現在、国立新美術館では「ルーブル美術館展 肖像芸術 - 人は人をどう表現してきたのか」という企画展が催されている。かなり期待して観に行ったのだが、意外と古代の彫像が多く、近代以降の絵画が少なかった。
 気になった作品としてジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(Dominique Ingres)の『フランス王太子、オルレアン公フェルディナン=フィリップ・ド・ブルボン=オルレアンの肖像(Portrait du duc d’Orléans)』(1842年)がある。

 このオルレアン公のズボンを見た時に、エドゥアール・マネ(Édouard Manet)の『笛を吹く少年(Le Joueur de fifre)』(1866年)を思い出した。

 『笛を吹く少年』の背景に関してはディエゴ・ベラスケス(Diego Velázquez)の『道化師パブロ・デ・ヴァリャドリード(Pablo de Valladolid)』(1632年 - 1637年)の影響が指摘されている。

 しかし『笛を吹く少年』と『オルレアンの肖像』の類似性に関しては今のところ何の言及もされていないのだが、マネがアングルの作品を知らないはずはなく、『笛を吹く少年』の少年のズボンの描写の特異さは指摘されているのだから関連していると思うのだが、根拠が見つからなかった。


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エッシャー的世界の始まり

2018-07-28 05:35:09 | 美術

 現在、上野の森美術館で催されている「ミラクル エッシャー展」を観て思うことは、エッシャーの作品は彼が40歳あたりから描き始めた後期の「トロンプ・ルイユ」と呼ばれるだまし絵ばかり有名なのだが、意外と初期の風景画も素晴らしく、代表作の誉れ高い「カストロヴァルヴァ、アブルッツィ地方(Castrovalva, Abruzzi)」(1930年)も観ることができる。

 エッシャーは風景画のみならず人物画も上手く、さらに版画に関するテクニックも研究し尽したようで、要するにエッシャーは描くことが無くなってしまい高度な幾何学的絵画に向かった面もあったのではないだろうか。
 当時の版画家としては珍しいのかどうか分からないのだが、エッシャーは日本の浮世絵の影響を全く受けていないようである。


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「Kyoto」 Tara Alesia 和訳

2018-07-27 00:53:43 | 洋楽歌詞和訳

Kyoto - Tara Alesia (Official Music Video by Nicholas Domaguing)

 4月22日(再放送7月22日)のNHKBSプレミアムの「笑う洋楽園 京都 演習編」で

タラ・アレシアの「京都」という曲が流れていたので和訳しておく。

「Kyoto」 Tara Alesia 日本語訳

私はあなたと一緒に世界を旅行したい
あなたと言葉を交わすことができれば最高だと思う
あなたと共に最高の時も最低の時も過ごせる
私たちにはそれだけの価値があると思わないの?

だってこんな愛と戦争の時代に
自信を持つことはとても大変だけれど
私はこれ以上のことはありえないと思うし
あなたが待ち焦がれているものをあげたいと思うの

「いらっしゃいませ」
桜の木の下で踊りましょうよ
私はお寺であなたと手をつなぎ
京都に行くの

あなたを急かせるつもりはないけれど
私たちには見るものがたくさんある
だから荷物は家に残しておきましょう
私たちが行く場所にそれは必要ないのだから
この旅にはあなたと私だけで十分なのよ

私たちはオレンジ色の鳥居を
通りでは芸者を見ることができる
私の侍になって
私の心を守ってくれるならば
あなたに必要なものは私だけになるのよ
私と一緒に行くと言ってくれるだけでいいの

「いらっしゃいませ」
桜の木の下で踊りましょうよ
私はお寺であなたと手をつなぎ
京都に行くの

「いらっしゃいませ」
桜の木の下で踊りましょうよ
私はお寺であなたと手をつなぎ
京都に行くの

 昔の宇多田ヒカルのような曲調だと思う。


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黒澤明とミヒャエル・ハネケ

2018-07-26 00:42:39 | goo映画レビュー

原題:『A.K.』
監督:クリス・マルケル
撮影:フランシス・イヴ・マレスコ
出演:黒澤明/蓮實重彦
1985年/フランス

原題:『Michael H. Profession: Director』
監督:イブ・モンマユール
出演:ミヒャエル・ハネケ/イザベル・ユペール/ジュリエット・ビノシュ/エマニュエル・リバ
2013年/オーストリア・フランス

 2人の映画監督のドキュメンタリー映画であるが、奇しくもフランス人の監督によって撮られている2つのドキュメンタリーにおいて、黒澤明のものは1985年の『乱』制作時のもので、ミヒャエル・ハネケのものは2009年制作の『白いリボン』から2012年制作の『愛、アムール』までを網羅しており、対称性を見せる。
 しかし実際に映画を撮っている時には2人ともとても厳しいというのが出演者たちの感想である。ハネケの言葉で気になったことは映画制作において何よりも偶然を尊重するということなのだが、黒澤はどうだったのだろうか? そこが作風の違いとして表れているのかどうか、残念ながらハネケの作品をあれこれ批評できるほど観ていない。


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『あいつは、いつも寝てる。』

2018-07-25 23:54:16 | goo映画レビュー

原題:『あいつは、いつも寝てる。』
監督:樽井隆広
脚本:樽井隆広
撮影:三澤駿人/ネイ・マンローエルビス
出演:岡田菜見/魚住昇矢/小縄優羅/水俣俊博/田中和弘
2017年/日本
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2018

「マスク」の行方について

 物語の始まりは「共謀罪」が成立した2017年6月15日の翌日である。主人公で女子高生の花田真喜子はクラスメイトでいつも寝ている乾という男子が気になり、後を付けると乾が人気のない工場で電磁パルス発生装置を作っていた。同じ高機能マスクをつけて暫く観察していた後に、真喜子は一人で帰途につき、マスクをつけていることを忘れて歩いていることに気がついたのだが、通りすがりの人たちに見られてしまう。
 家に帰ると帰りが遅いと父親に叱られるのであるが、マスクをどのように処分していいのか分からず、適当にゴミ箱に捨ててしまう。
 翌日、少し遅れて教室に着くと、乾は寝ることなく授業を聞いていたのだが、暫く真喜子が映された後に、カメラがパンするとやはり乾は寝ていたのである。
 ところで電磁パルス発生装置を作っている乾に共謀罪が適用されるなら、授業中に寝ている乾を起こしていた、あるいは乾と同じマスクをしていた真喜子にも、あるいはマスクを所持していた真喜子の父親にも適用されるのだろうか。内容のシリアスさとタイトルの軽さのアンバランスも素晴らしい短編の見本のような作品である。


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『口と拳』

2018-07-24 00:03:18 | goo映画レビュー

原題:『口と拳』
監督:溝口道勇
脚本:溝口道勇/塩川孝良
撮影:倉本光佑
出演:高木千花/塩川フレディ/いいぐちみほ/深沢謙司/さとし/道廣オリヴィエ一真
2017年/日本
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2018

口も拳も活躍し損なった作品について

 ピンサロで働く茜と「殴られ屋」として日銭を稼ぐ緑川光夫がたまたま出会いバイクに乗って都会を逃げ出していく物語である。「口」を使って働く茜と「拳」で殴られる光夫の物語がタイトルとなっているのだが、口も拳もそれほどストーリーに深く関わってこない。例えば、茜と光夫が「殴り料」として千円札を投げつけ合いながら殴り合うシーンなど面白いと思ったが、スラップスティックと言えるまで昇華していないし、ラストもホテルから一人で出て来る茜が、待っている警察を無視して行ってしまうシーンも演出に工夫が無くて笑えず、短編としては49分というやや長い本作はただ重たい空気が流れるだけである。


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『あの群青の向こうへ』

2018-07-23 00:09:49 | goo映画レビュー

原題:『あの群青の向こうへ』
監督:廣賢一郎
脚本:廣賢一郎
撮影:廣賢一郎
出演:芋生悠/中山優輝/瀬戸かほ/斎藤友香莉/合アレン/ひと:みちゃん
2018年/日本
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2018

「ブルーメール」が不発した結果について

 未来の自分から来る「ブルーメール」という設定からてっきりSF作品かと思って観ていたら「ブルーメール」がストーリーに影響することはほぼ無く、普通のロードムービーだった。
 それならば青春ロードムービーとして面白いのかとなるとこれもまた微妙である。例えば、作品冒頭の主人公のカガリ・ハヤトの元彼女で、青空をバックに映るサヤカのショットや、逃避行先で一緒の部屋で奥で横になるユキと手前で横になるカガリが一緒の画面に映るショットなど才気を感じるカメラワークもあるのだが、監督自身が撮っているためなのか画面に斑を感じるのである。
 さらに逃避行中に喉が渇いたというユキにカガリが「母乳が出ないのか?」と問い返すのであるが、これは明らかにセクハラで笑えるギャグではない。どうも個人的にはカガリの言動に共感できないことが多かった。


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『あの木が邪魔で / 隣の影』

2018-07-22 00:23:29 | goo映画レビュー

原題:『Under The Tree』
監督:ハーフシュテイン・グンナル・シーグルズソン
脚本:ハーフシュテイン・グンナル・シーグルズソン/フルダル・ブレイズフィヨルズ
撮影:モニカ・レンチェフスカ
出演:ステインソウル・フロアル・ステインソウルソン/エッダ・ビヨルグヴィンズドッテル
2017年/アイスランド・デンマーク・ポーランド・ドイツ
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2018 監督賞

妻たちのストレスに翻弄される夫たちについて

 主人公のアトリは妻のアグネスと5歳の幼い娘のアウサと一緒に暮らしていたのだが、ある朝、アトリが前のガールフレンドと性交している自撮りヴィデオをパソコンで見ていた現場を目撃し、アトリが浮気をしていると誤解したことで2人の関係は一気に悪化してしまう。
 家を追い出されたアトリは実家に身を寄せるのであるが、母親のインガと父親のボールドヴィンは隣の家に住むコンラッドと再婚した若い妻との間で大きな樹を巡る問題を抱えている。しかしそもそも問題なのはインガは長男のウッギの自殺を未然に防げなかったことを後悔しており、コンラッドは若い妻との不妊治療でストレスを抱えていたのである。さらにアグネスでさえアトリの無気力な生活態度に不満を持っており、要するに妻のストレスが男たちを狂気に導くのであり、樹や猫は単なるきっかけに過ぎないのである。
 因みにキム・ガーダシアンとはアメリカのモデルである。


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