MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『HUMAN LOST 人間失格』

2019-12-31 23:55:42 | goo映画レビュー

原題:『HUMAN LOST 人間失格』
監督:木崎文智
脚本:冲方丁
出演:宮野真守/花澤香菜/櫻井孝宏/福山潤/沢城みゆき/千菅春香
2019年/日本

人間として失格することの意義について

 太宰治の『人間失格』を原案に冲方丁が大胆にSFアニメーション作品に仕立て上げたもので、意外と難解であるが、時代設定が昭和111年ということで西暦にすると2036年で昭和天皇は135歳で存命となる。遺伝子操作(Genetic manipulation)、再生医療(Regeneration)、医療用ナノマシン(Medical nano-machine)、万能特効薬(Panacea)の四つの医療革命(通称GRMP)により平均限界寿命は120歳になっており、日本は無病長寿大国になっているのである。
 このような世界において人間の死とは「ヒューマン・ロスト」と呼ばれ、異形の怪物「ロスト体」になり、彼らは他の健康な人間を巻き込もうとするためにパトロール隊が見まわっているのである。
 主人公の大庭葉蔵は絵を描きながら「アウトサイド」で毎日を辛うじて生きているのだが、友人の竹一に誘われ「インサイド」への突入を試みるものの、阻止されたのみならず、ロスト体になった竹一を殺してしまい、それにも関わらず葉蔵はロスト体から人間に戻れる「アプリカント」だったことが分かる。
 そもそも「インサイド」の「S.H.E.L.L.」と呼ばれる管理ネットワークの創設者である堀木正雄は死を忘れた人間社会は間違いであることに気がつき、ネットワークを壊そうとしているのであるが、一方で、柊美子は人間の可能性を突き詰めた理想の社会を求めている。2人の間に挟まれた葉蔵は自分を殺してロスト体になっては元の人間に戻ることを繰り返すことで社会の均衡を保とうと決心するのであるが、この「人間失格」を現実の問題としてどのように捉えればいいのか難しいところではある。


(大庭葉蔵が描いた柊美子)


(葉蔵が目撃した地獄の馬は映画『ブレードランナー』のユニコーンを想起させる。)


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『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』

2019-12-30 00:58:24 | goo映画レビュー

原題:『How to Train Your Dragon : The Hidden World』
監督:ディーン・デュボア
脚本:ディーン・デュボア
出演:ジェイ・バルチェル/アメリカ・フェレーラ/ケイト・ブランシェット/F・マーリー・エイブラハム
2019年/アメリカ

サブキャラでは終わらない「相方」について

 1作目の『ヒックとドラゴン』(ディーン・デュボア/クリス・サンダース共同監督 2010年)はバイキング一族の族長の息子のヒックが一人前のバイキングになるまでの成長物語だったが、3作目となる本作は「ドラゴン」の方のトゥースが本来の姿である最強のドラゴン「ナイト・フューリー」として一人前になる様子が描かれている。
 トゥースが将来カップルとして結ばれることになるライト・フューリーと無言で一緒に飛行するだけの描写があるのだが、説明過多になりがちのアニメーションにおいて思い切った演出だと思う。


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『WASABI』

2019-12-29 00:58:17 | goo映画レビュー

原題:『WASABI』
監督:ジェラール・クラヴジック
脚本:リュック・ベッソン
撮影:ジェラール・ステラン
出演:ジャン・レノ/広末涼子/ミシェル・ミューラー/キャロル・ブーケ/平田晴彦
2001年/フランス・日本

日本語吹き替え版では再現できないギャグについて

 当時、広末涼子がフランス映画のヒロインに抜擢されたことで話題になった作品だったが、全体的に日本の描写が怪しかったためなのか日本ではそれほどヒットしなかったように記憶している。
 しかし日本語吹き替え版で観るとおかしな感じでも、オリジナルの字幕版で観るならば、フランス語を流暢に話す20歳になる直前の日本の女の子が主演のコメディ映画としてデフォルメも許容範囲内でそれほど違和感は感じない。
 例えば、主人公でフランスの警察官のユベール・フィオレンティーニが実の娘のユミの「穴(trou)」というフランス語の発音を訂正するシーンがある。フランス語特有のアール(R)の発音を理解させようと「虎(tigre)」と「狼(loup)」を組み合わせて説明し、最終的にユミに狼のような遠吠えをさせるギャグになるのであるが、日本語吹き替え版ではぎこちなくてここがギャグであることが伝わり難いのである。だから本作は字幕版で観ることをお勧めする。
 因みに本作に問題があるとするならば、ユベールが亡くなったユミの母親のカルテを見たがるシーンで、もちろんカルテは日本語で書かれているため理解できるはずはないのである。


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『真実』(2019年)

2019-12-28 00:56:12 | goo映画レビュー

原題:『真実』 仏題:『La vérité
監督:是枝裕和
脚本:是枝裕和
撮影:エリック・ゴーティエ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ/ジュリエット・ビノシュ/イーサン・ホーク/リュディヴィーヌ・サニエ
2019年/日本・フランス

「C・D」という微妙な頭文字について

 フランスのベテランの映画スターであるファビエンヌ・ダジュヴィルが自伝本『真実』を出版することをお祝いにアメリカに住んでいる脚本家で娘のリュミールが夫でテレビドラマで端役の仕事をしているハンク・クーパーと7歳の娘のシャルロットを連れてやって来る。
 実は『真実』という自伝本に関してリュミールには不満があり、それは忙しいファビエンヌに代わって自分を育ててくれた今は亡きサラに関することが全く書かれていなかったことで、同じく自分のことが書かれていなかったマネージャーのジャックは自ら暇を貰うことになる。
 ファビエンヌが現在携わっている仕事はSF映画『母の記憶に』でファビエンヌの母親役のマノン・ルノワールという女優が若いまま自分の目の前に現れることに戸惑ってしまう。ファビエンヌは9歳の頃に母親を亡くしており、自分の娘にどのように接していいのか分からなかったのである。
 ラストでリュミールが学校の学芸会で披露した「オズの魔法使い」でライオンを演じた時に、実はファビエンヌは密かに学校に観に来ていたという話を信じていいのかどうかは微妙で、結局、本作は大女優のファビエンヌと脚本家のリュミールの嘘の付き方の「腕比べ」の様相を呈するのだが、真実と言えるものが本作の中にあるとするならば、感情が乱れる瞬間にしかないのではないだろうか?
 しかし「偉大な女優は姓と名前の頭文字がどちらも同じ」という話題で「B・B」のブリジット・バルド―の名前が上がった時のファビエンヌの反応はカトリーヌ・ドヌーヴの本心であることは真実だと思うが、「C・C」でも「D・D」でもない「C・D」という微妙な自身の頭文字が癪に障ったのかもしれない。


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現象学と「タモリ学」

2019-12-27 21:22:56 | Weblog

 タモリに関しては『タモリ論』(樋口毅宏著 2013年)や『タモリ伝』(片田直久著 2014年)など出版されているが、『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(戸部田誠著 2014年)が最もタモリの本質をついていると思われる理由は、まとまった著書が無いタモリが様々なメディアで放った言葉をできるだけ拾い上げているからだと思う。
 タモリは言葉に関して以下のように語っている。

「もしかしたらね、小さい頃はいろんなものがそういうふうに見えてたんだと思うんです。それが、だんだんそう見えなくなってくるのは、やっぱり言葉がいけないんじゃないか」「言葉が全ての存在の中に入りこんできて、それをダメにしている」「オレの中では言葉がものすごく邪魔している。一種言葉に対するうらみみたいなものが、なんとなくずーっとありました」(p.94)

 言葉よりも「事象そのもの」を重視するという立場は現象学と呼ばれるもので、フッサールが提唱したものである。例えば、人間は生まれた時から存在する世界内で生きるしかないのであるが、その世界は既に意味付けられており、その中で与えられたものが真理かどうかは怪しく、それを確かめるために既成の定式を無視し、自身の世界内存在を超越して自分の経験を通して改めて自分自身で判断しようと試みる振る舞いである。それを「超越論的主観性」というのは実際には「超越」できないから「超越論」なのである。

 雑誌の対談で「昔は40代半ばくらいでお笑いの方というのは、(別の道へ)舵を切る」ものだったというナイティナインの岡村隆史に対し、「そういう人は本来マジメな人間にもかかわらず、お笑いでアホなことをするというギャップに年を追うごとに耐え切れなくなるからこそ方向転換をする」とタモリは応じた(p.84)。
 つまり人はとかく意味を求めてしまいがちで、それにつれてつまらなくなっていき、言葉が全ての元凶であるというのは納得できる。

 しかしそのタモリがつまらなくなったという意見には納得できる点もある。例えば、昔は自分の好き嫌いをはっきり述べており、大嫌いな小田和正と「テレフォンショッキング」で対面した時にはとてもスリリングだった(p.69)。ところが8月30日に放送された「ミュージックステーション」でタモリは初めて矢沢永吉と対面したのであるが、何故か矢沢に質問するのはタモリではなくゲストだけで、当の2人は当たり障りのない会話だけで終わってしまったのである。
 タモリの唯一と思われる想定外は、自分自身が「メジャー」、つまり権威になってしまったということではないだろうか。アングラの帝王と呼ばれていた時代には自分の好き勝手なことを言えたのだろうが、「メジャー」になってしまうと自分が嫌いと言ったことで相手の仕事に影響を及ぼすことになるから「好き」は言えても「嫌い」が言えなくなり、そうなるとはっきりものが言えなくなったタモリに多少なりとも不満が生じるのは仕方がないと思う。


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最近の「うかれぽんち」について

2019-12-26 00:57:25 | Weblog

 フリーアナウンサーの八木亜希子が線維筋痛症と診断され、当面の間、休養することを所属事務所が発表した日は「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー2019」の生放送前日で、今年は吉本興業所属のタレントが闇営業や税金未納問題など不祥事を次々と起こし、さんまは自分の周囲で問題が起こることは自分の責任ではないのに生放送前の楽屋で何故か誰も寄ってこなかったと嘆いていた。確かに、事務所所属のタレントの不祥事に関して責任はないと思うが、八木亜希子の病気に関しては微妙で、線維筋痛症は原因が分かっておらず、ストレスが主な原因ではないかと言われており、八木は最近になって発症し、生放送前日に休養を発表し、放送日が近づくにつれて体調を悪化させていることは間違いがないのだから明らかにさんまが(30年分の?)ストレスの原因ではないかと疑われても仕方がない。
 しかし「病気」としてより深刻なのはバカリズムではないだろうか。元「でんぱ組.inc」のアイドルだった夢眠ねむとクリスマスイブ婚してしまったのであるが、このようにアイドルとクリスマスを選んで結婚するような浮かれて浮ついている好い年した芸人を腐すのが芸人バカリズムの芸の真骨頂だったはずで、バカリズムが精神を病んでいないことを望んでいる。
 
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/sponichi-spngoo-20191225-0046

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/sponichi-spngoo-20191225-0172


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『テッド・バンディ』

2019-12-25 00:56:16 | goo映画レビュー

原題:『Extremely Wicked, Shockingly Evil and Vile』
監督:ジョー・バーリンジャー
脚本:マイケル・ワーウィー
撮影:ブランドン・トロスト
出演:ザック・エフロン/リリー・コリンズ/カヤ・スコデラリオ/ジョン・マルコヴィッチ
2019年/アメリカ

明らかにならない「究極の邪悪さ」について

 実在したアメリカのシリアル・キラーであるテッド・バンディを主人公とした作品である。事件が発覚してから裁判を経て刑が執行されるまでが描かれた本作は、ラストで当時のニュース映像が流されることで、その正確性は保証されてはいるものの、それは同棲までしていたエリザベス・ケンドール(リズ)の視点から描かれたもので、具体的な事件を目撃しているわけではない。テッド・バンディを演じたザック・エフロンの熱演は認めるが、観客が知りたいことはどのような人生を送ればテッド・バンディのような殺人鬼が生まれるのか、あるいは何故エリザベス・ケンドールや実際にテッドと正式に結婚したキャロル・アン・ブーンは殺されずに済んだのかということで、だから日本以外の国では本作は配信スル―になったのだと思う。
 ここではザ・ボックス・トップスの「あの娘のレター」を和訳しておきたい。「俺」の話し相手はチケットカウンターの男性である。

「The Letter」 The Box Tops 日本語訳

飛行機のチケットを俺にくれよ
急行列車に乗っている暇はないんだ
孤独な日々は終わりを迎え
俺は家に帰るんだ
彼女が俺に手紙を書いてくれたんだから

幾らかかろうがどうだっていいんだ
また彼女のもとに帰らなければならないのだから
孤独な日々は終わりを迎え
俺は家に帰るんだ
彼女が俺に手紙を書いてくれたんだから

彼女は俺に手紙をくれたんだ
俺がいないともう生きていけないってさ
おい、聞いているのか?
分かっているのか?
とにかく
俺はまた彼女のもとに帰らなければならないんだよ

飛行機のチケットを俺にくれよ
急行列車に乗っている暇はないんだ
孤独な日々は終わりを迎え
俺は家に帰るんだ
彼女が俺に手紙を書いてくれたんだから

彼女は俺に手紙をくれたんだ
俺がいないともう生きていけないってさ
おい、聞いているのか?
分かっているのか?
とにかく
俺はまた彼女のもとに帰らなければならないんだよ

飛行機のチケットを俺にくれよ
急行列車に乗っている暇はないんだ
孤独な日々は終わりを迎え
俺は家に帰るんだ
彼女が俺に手紙を書いてくれたんだから
彼女が俺に手紙を書いてくれたんだから

The Box Tops - The Letter (Audio)


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『月に囚われた男』

2019-12-24 00:45:49 | goo映画レビュー

原題:『Moon』
監督:ダンカン・ジョーンズ
脚本:ダンカン・ジョーンズ/ネイサン・パーカー
撮影:ゲイリー・ショウ
出演:サム・ロックウェル/ロビン・チョーク/ケヴィン・スペイシー/ドミニク・マケリゴット
2009年/イギリス・アメリカ

製作費を削り過ぎた作品について

 確かに低予算で製作された作品としてクオリティーは高いと思うが、見終わった後に「だから何なんだ?」という疑問は残る。
 例えば、長距離通信が可能になり、主人公のサム・ベルが自宅とコンタクトを取ると、妻のテスは既に亡くなっており、対応した娘のイヴは15歳になっており、さらにイヴが「お父さん」と呼んだ時点でサムは通信を切ってしまう。サムは自分もクローンであると悟ったのであるが、もう一人のサムも録画されたものを見るものの、イヴが父親を呼ぶところまでは見ていない。つまりもう一人のサムは地球に戻ることで娘と感動的な再会ができると期待しているはずなのである。
 ところが本作はサムを乗せたロケットが地球に向かったシーンを映したままサムが勤めていたルナ産業を訴えたというナレーションで終わらせてしまっており、予算を気にしすぎるあまり盛り上がるはずのラストシーンを撮り損なっているのである。


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『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』

2019-12-23 00:26:08 | goo映画レビュー

原題:『Star Wars : The Rise Of Skywalker
監督:J・J・エイブラムス
脚本:J・J・エイブラムス/クリス・テリオ
撮影:ダン・ミンデル
出演:キャリー・フィッシャー/マーク・ハミル/アダム・ドライバー/デイジー・リドリー/ジョン・ボイエガ
2019年/アメリカ

「期待通り」の作品について

 決して期待外れではなく、かと言って期待を越えたものでもなく、まさに期待通りにあっという間に142分の上映時間が過ぎてしまった。
 だからもはやレビューとして書くことなど無いのではあるが、ラストシーンは原作を書いたジョージ・ルーカスのデビュー作『THX1138』(1971年)のラストシーンのオマージュだと思う。


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瓢箪から駒としてのアイドルグループについて

2019-12-22 00:12:58 | 邦楽

 TBSのバラエティー番組『水曜日のダウンタウン』の企画「MONSTER IDOL(モンスターアイドル)」で生まれたアイドルグループ「豆柴の大群」のデビュー曲「りスタート」を聴いてみて、4人のオリジナル曲以外に2つの仮歌ヴァージョンが収録されていたのであるが、「BiSH」のアイナ・ジ・エンドの歌唱よりも「りスタート」を作詞作曲した安田大サーカスのクロちゃん本人のヴァージョンの方が良かったように思う。オリジナルはアイナ・ジ・エンドの歌唱をなぞったような感じだった。
 クロちゃんのビジュアルを思い出しながら聴くために気持ち悪く感じるのかもしれないし、もちろんサポートスタッフによって曲は改善されているのだろうが、コール&レスポンスまでこなすクロちゃんの歌には本物のアイドルオタクの魂を感じる。歌詞の中の「唾かけて」「唾つけて」というワードに違和感も無くはないが、ここには対象となる好き嫌いのアンビバレンスがあると思う。
 今年リリースされたアイドル曲の中でも秀逸な出来だと思うが、上のジャケットを購入した理由は、たんにクロちゃんを生理的に受け付けないだけで、引き続きプロデュースをして欲しいとは思うが、バラエティー番組の性格上、罰ゲームは免れないのか?

豆柴の大群「りスタート」MUSIC VIDEO


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