MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ジェミニマン』

2019-11-30 00:52:02 | goo映画レビュー

原題:『Gemini Man』
監督:アン・リー
脚本:デイヴィッド・ベニオフ/ビリー・レイ/ダーレン・レムケ
撮影:ディオン・ビーブ
出演:ウィル・スミス/メアリー・エリザベス・ウィンステッド/クライヴ・オーウェン/ベネディクト・ウォン
2019年/アメリカ

娯楽作品で問われる「実存」について

 例えば、主人公のヘンリー・ブローガンが乗っている車が画面の右から左に走る時に、それに合わせるように画面の手前にいる人が漁の網を投げるシーンや、敵に追われているヘンリーがバイクで疾駆する際に、多くの鳩が集っている広場を走らせることで鳩を飛び立たせるシーンなど、さすが監督がアン・リーだけのことはあると納得させられる。
 しかし本作がそれほど楽しめない原因は、極秘特殊部隊「ジェミニ(GEMINI)」の指揮官であるクレイ・ヴァリスの発言にあるように思う。クライマックスでヴァリスはヘンリーに「自分たちと同じ能力を持ち痛みを感じないクローンを戦争に投入することは、自分たちのみならず、それぞれの家族にも国家にとっても良いことだ」と言うのである。この発言を完全に否定できるだけの強力な倫理を今の私たちは持っているだろうかと考えると微妙で、ハッピーエンドで終わっても観賞後に残るこの難問(アポリア)を私たちは上手く処理できないのである。


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『ターミネーター : ニュー・フェイト』

2019-11-29 23:00:11 | goo映画レビュー

原題:『Terminator: Dark Fate』
監督:ティム・ミラー
脚本:デヴィッド・S・ゴイヤー/ジャスティン・ローズ/ビリー・レイ
撮影:ケン・セング
出演:リンダ・ハミルトン/アーノルド・シュワルツェネッガー/マッケンジー・デイヴィス/ガブリエル・ルナ
2019年/アメリカ

運命の形容の仕方について

 『ターミネーター2』(ジェームズ・キャメロン監督 1991年)の正統な続編として気になる点として、物語の規模の大きさの割には実質の登場人物は5人しかおらず、元々インディーズ色が強い作品だったということと、前作においてT-800がジョン・コナーに「アスタラビスタ」とスペイン語で別れを告げたことを踏襲するように、本作においてさらに「メキシコ色」が強くなっているのだが、これは28年の間に南米系の移民が増えたことの反映だと思うし、中心人物もカール(T-800)よりもサラ・コナーに置かれている理由もその間の女性の社会的地位向上が反映しているからであろう。
 結局、未来を変えようとしても違う未来が来るだけで人間の性根は変わらないのだから、これは邦題の「ニュー・フェイト(新しい運命)」というよりも原題の「ダーク・フェイト(暗い運命)」の方が相応しいと思う。クライマックスにおいてダニー(ダニエラ)・ラモスがグレースからパワーソースを取り出してガブリエル(Rev-9)に突き刺すシーンを見て、かつてのテレビアニメ『海のトリトン』のクライマックスシーンにおいてトリトンが敵に刺したオリハルコンの輝きを想起させたのだが偶然だろうか? しかしトリトンのようなアイロニーを本作に見いだすことは難しい。

トリトン最終回 ラストシーン


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『永遠の門 ゴッホの見た未来 』

2019-11-28 00:39:26 | goo映画レビュー

原題:『At Eternity's Gate』
監督:ジュリアン・シュナーベル
脚本:ジュリアン・シュナーベル/ジャン=クロード・カリエール
撮影:ブノワ・ドゥローム
出演:ウィレム・デフォー/ルパート・フレンド/マッツ・ミケルセン/オスカー・アイザック
2018年/アメリカ・イギリス・フランス

ゴッホの作品に追いつかない「演出」について

 ウィレム・デフォーによるゴッホ、あるいはオスカー・アイザックによるゴーギャンの「再現性」は驚くべき精確性で、その点に関しては文句の言いようがないが、演出はどうかと言えばなかなか素直に理解させてくれない感じがある。
 例えば、作品の冒頭でゴッホは歩いている途中で出会った羊飼いの女性にモデルを頼むのだが、後半で再び同じシーンがある。その違いは最初のシーンは普通の色彩で撮られているのだが、後半はゴッホが目を患ったためなのか全体が黄色がかっているのである。しかし何故同じシーンが使い回されているのか意図がよく分からなかったし、他のシーン(病院内での運動場)ではゴッホ目線でなくても画面が黄色がかったりするのでますます分からない。
 あるいはゴッホと牧師の、あるいはゴッホとフェリックス・レイ医師の比較的長い対話のシーンがあるのだが、それはそれぞれの顔のアップのショットが切り替わるだけで単調な画面が続いてしまい、さらにゴッホが自分の足を見ながら歩いているその足元の映像が長く続いたり、ゴッホが自身の耳を切るシーンは描かれておらず、とにかく映像の地味さは隠しようがない(ゴッホとゴーギャンの絵に対するスタイルの違いを言い争うシーンは興味深いが)。
 しかし本作が他の実写の「ゴッホ映画」と大きく異なるのは、ゴッホの死因を当時16歳だったルネ・スクレタンと彼の兄のガストンによる拳銃の発砲として描いたことであろう。これは『ファン・ゴッホの生涯』(スティーヴン・ネイフ/グレゴリー・ホワイト・スミス共著 松田和也訳 国書刊行会 2016.10.30. (下)のp.396-415 オリジナルは2011年刊)で詳しく検証されているが、例えば、最近でも『ゴッホとゴーギャン』(木村泰司著 ちくま新書 2019.10.10)では「ゴッホが本当に自殺を図ったのか、それとも『耳きり事件』がゴーギャンに対する一種のアピールのように映らなくもないように、自分をピストルで撃つことでテオに何かを訴えたかったのかどうかは今となってはわからない。」(p.137)とあるようにいまだに見解が分かれているようである。


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『草間彌生∞INFINITY 』

2019-11-27 19:20:45 | goo映画レビュー

原題:『Kusama: Infinity』
監督:ヘザー・レンズ
脚本:ヘザー・レンズ
撮影:板谷秀彰/ケン・コブランド/ハート・ペリー
出演:草間彌生/飯沼瑛/武藤美紀/キャロリー・シュニーマン/ヤマムラ・ミドリ/フランク・ステラ
2018年/アメリカ

時代を反映する「日本のゴッホ」について

 草間彌生は幼少時代から過酷な人生を強いられていた。婿養子だった父親の浮気調査として母親から父親の尾行を命じられ、見たくないものを散々見せられたであろう草間が男性不信になることは当然であろうし、それが統合失調症の発症の元になったといってもおかしくはないと思う。
 今では水玉模様が草間のメインモチーフとして有名であるが、若い頃は「ソフト・スカルプチャー」と呼ばれる男根状のオブジェもよく制作していた。しかしそれはもちろん男根が好きというのではなく、勃起した男根を「ソフト」の素材で制作することで強さと優しさを合わせ持った「理想の男性像」を象徴させたはずである。
 1957年に渡米し、1960年代後半はニューヨークにおいてボディ・ペインティングや裸で街中を走り回る「ハプニング」と呼ばれるパフォーマンスを先導したものの、日本においてはその過激な行動だけが報道され、反戦というメッセージまで伝えられなかったことから草間の地元の長野県松本市では「地元の恥」という汚名を着せられ自殺未遂もあったらしいのだが、これは当時だからということではなく、今の日本でも同様なことが起こったばかりである。
 さらにリチャード・ニクソン(Richard Nixon)がアメリカの大統領に就任した1969年あたりからアメリカ社会が保守的になり、草間は居場所を失ったこともあって1973年に日本に帰国したというのも、今の日本の世相とそっくりである。
 そんな草間が画家として再評価されたのは日本ではなく1993年のイタリアのヴェネツィア・ビエンナーレにおいてであり、この「逆輸入」により日本でも評価されるようになったのも相変わらずといったところである。
 モダンアートとしての草間の凄さは、例えば、地元の松本市の小学生が美術館を訪れると必ず草間の作品に集まるそうで、とかく難解な現代美術作品において余計な説明を必要としないのが草間の作品の特徴で、現役作家として最も売れている理由が分かる。


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友好を阻害する日本の表現の不自由について

2019-11-26 00:25:08 | 美術


(2019年11月21日付毎日新聞朝刊)

 日本・オーストリアの友好150周年を記念して、ウィーンの美術館「ミュージアム・クオーター」で9月下旬から開かれている美術展「ジャパン・アンリミテッド」について、日本の外務省が先月末、記念事業としての公認を取り消した。会田誠の「国際会議で演説をする日本の総理大臣と名乗る男のビデオ」やブブ・ド・ラ・マドレーヌと嶋田美子の「1945」が日本の首相や昭和天皇などを題材にしたためにツイッターなどで「反日」だと批判されて外務省が怯んだようである。
 キュレーターのマルチェロ・ファラベゴリによれば、今回の美術展では両国が友好150周年で関係が深まっている時期であることを考え、日本では通常、表現しにくいテーマを扱った作品を集めようと考えたらしい。
 ある意味、キュレーターの想像を超えた表現の不自由さを現代日本に見いだされてしまった感がある。オーストリア政府が75%出資するミュージアム・クオーターは、日本の対応を受けて「表現の自由は守らなければならない。我々は美術家のアイデアを表現する場を提供する義務がある」との声明を出し、墺日協会のディータード・レオポルド会長も「日本の決定は表現の自由を侵害している。我々がこの決定によって起こりうる問題を克服できることを願っている」とするコメントを発表した。
 実際に作品を観ていないために、記事を読んだ範囲内でのコメントしかできないが、会田誠の作品は日本の総理大臣と名乗る男が勝手に国際会議で演説している様子を面白おかしく表現しているだけだし、ブブ・ド・ラ・マドレーヌと嶋田美子の共同作品は昭和天皇とマッカーサーの写真の昭和天皇の立ち位置に女性がいるだけであり、「反日」でさえないのである。
 もはや4、5人くらいで騒げば官僚をコントロールすることができるチョロさで、今回の騒動で表現の自由に関して日本の恥を世界に晒してしまった感しかない。今後、表現を不自由にしたまま日本政府はどのようにして外国から信用を得られるようにするのだろうか?


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ハプスブルク家の女帝たち

2019-11-25 00:56:28 | 美術

 現在、東京上野の国立西洋美術館では『ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史』が催されているのだが、結局、一番印象に残ったのは女帝と言われていたマリア・テレジア(Maria Theresia)を初めとする、絵画よりも絵画に描かれている人物の方だった。マリア・テレジア(上のイメージの一番左)は後継者を確保するために16人も子供を産んでいるのであるが、この執念が凄い。


『フランス王妃マリー・アントワネットの肖像』マリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン
(『Archduchess Marie Antoinette of Austria, Queen of France』
Marie Louise Elisabeth Vigee-Lebrun)1778

 そのマリア・テレジアが1775年、38歳の時に産んだのがマリー・アントワネットなのだが、調べてみるとマリー・アントワネットが処刑されたのは1793年、37歳の時で、てっきり「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったことで民衆から顰蹙を買って処刑されたのだとばかり思っていたのだが、そのような事実は記録にないようである。

 もう一人気になる人物がマルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ(Margarita Teresa de España)で、マルガリータは1651年生まれ、1673年に亡くなっているから、マリア・テレジアの世代とは一世紀違う。
 これだけ言われてもマルガリータのことはよく分からないが、マルガリータはディエゴ・ベラスケス(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez)の『ラス・メニーナス(Las Meninas)』で有名なのである。レオポルド1世との見合い用にベラスケスは3枚描いており、上のイメージは8歳の時のマルガリータである(『青いドレスの王女マルガリータ・テレサ(Infant Margarita Teresa in a Blue Dress)』1659年)。
 しかしマルガリータ・テレサはマリア・テレジアのように出産が上手くいかず、娘を一人残して21歳で亡くなっている。


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景徳鎮窯×有田窯=ウィーン窯

2019-11-24 00:56:35 | 美術

 現在、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでは「リヒテンシュタイン侯爵家の至宝展」が催されているのだが、見どころは絵画よりも磁器の方ではないだろうか。
 中国の景徳鎮窯と日本の有田窯の影響でドイツ・マイセン窯、オランダ・デルフト窯に並んで有名なウィーン窯(1718年のデュ・パキエ時代から、オーストリア帝立時代、1864年までのゾルゲンタール時代を経て、後の1923年に設立された磁器工房アウガルテン)が発展していった様子が分かる。
 例えば、ベルナルド・ベロット (Bernardo Bellotto)やロッソ・フィオレンティーノ(Rosso Fiorentino)の原画がエナメルの上絵で描かれているウィーン窯の皿は贅沢なものである。


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カルティエと「芸術」との微妙な関係について

2019-11-23 19:35:58 | 美術

 東京の六本木の国立新美術館で現在催されている「カルティエ、時の結晶」という展覧会を最初、フランスの写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)の作品展かと勘違いしていたのだが、実は「本物」のカルティエだった。
 ところで何故「カルティエ」に「名前」が無いのか勘案するならば、1847年にフランス人宝石細工師のルイ=フランソワ・カルティエ(Louis-François Cartier)が彼の師匠のアドルフ・ピカール(Adolphe Picard)から工房を受け継ぎ、その後、息子のアルフレッド・カルティエ(Alfred Cartier)、その3人の息子のルイ・ジョセフ・カルティエ(Louis Joseph Cartier)、ピエール・C・カルティエ(Pierre Camille Cartier)、ジャック・T・カルティエ(Jacques Théodule Cartier)、ジャックの息子のジャン=ジャック・カルティエ(Jean-Jacques Cartier)とルイの息子のクロード・カルティエ(Claude Cartier)と引き継がれ、ピエールが亡くなる1964年まで100年以上カルティエ一族が引き継げていたことでネームバリューを確固としたものにしたからだと思う。
 フランスの印象派の画家たちがアール・ヌーヴォー(Art Nouveau)やアール・デコ(Art Déco)に行かなかった理由は、カルティエ一族の存在が大きいと思うのだが、彼らがルネ・ラリック(René Lalique)のように宝飾デザイナーとして語られないのは、ジャンヌ・トゥーサン(Jeanne Toussaint)など複数の職人による「工房」であったということと、作家というよりもビジネスの側面に長けていたということなのか?
 しかし展覧会においても展示されているが、ルイ・カルティエが世界中から蒐集した書籍やオブジェなどの資料は驚くべき量で、この労力があってこその作品群だと分かる。


(「フラミンゴ」ブローチ (Flamingo brooch) 1940年)


(「オーキッド(蘭)」ブローチ (Orchid brooch) 1937年)

 美術館では観客全員に無料で音声ガイドを貸し出すのだから、その「財力」は推し量って知るべしところだが、ジュエリーなどの展示の限界は、やはり人が身に付けてこそ光るからであって、結果的にジュエリーは身に付ける人を輝かせる「付属物」でしかないからであろう。


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ゴッホのもう一つの「大喧嘩」

2019-11-22 00:56:38 | 美術

 フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)とポール・ゴーギャン(Paul Gauguin)の「大喧嘩」はかなり有名な話で、その直後にゴッホが自ら左耳を切断して、自画像としても残している。


(『耳を包帯でくるんだ自画像(Self-portrait with Bandaged Ear)』1889年)

 現在、上野の森美術館で催されている『ゴッホ展』でもう一つの「大喧嘩」を知った。それは弟のテオを介して知り合った画家のアントン・ファン・ラッパルト(Anthon van Rappard)との間に起こったものである。


(『ジャガイモを食べる人々(The Potato Eaters)』1885年)

 当時、渾身の力作と自負していた『ジャガイモを食べる人々』は、弟のテオにもそれほど評価されていなかったのだが、本作の石版画を送ったラッパルトからは容赦のない批判の手紙を受け取る。


(『ジャガイモを食べる人々(The Potato Eaters)』石版画 1885年4月)

「あんな作品は本気で描いたものじゃないという僕の意見には君も賛成だろう......どうして君は、一切を、あのように表面的に見るんだい?......背景にいる女のコケティッシュな小さい手は、全く真実と懸け離れているよ......また、右側にいる男はどうして、膝や腹や肺を持つことを許されないのか? そんなものは背中についているのか? またどうして彼の腕は一ヤードも短くなければいけないのか? どうして鼻が半分欠けていなければいけないのか? また、左手の女は、鼻の代りに、端に小さな立方体の付いた煙草のパイプの軸を付けていなければならないのか?」(『ファン・ゴッホの生涯 上』 スティーヴン・ネイフ/グレゴリー・ホワイト・スミス共著 松田和也訳 国書刊行会 p.469 2016.10.30)

 その後のゴッホの作品を見ている私たちから見るならば、ゴッホにしては寧ろ「普通」の作品のように見えるのだが、ラッパルトが属していたであろう「ハーグ派」は「バルビゾン派」の流れを汲むもので、全体的にフォーカスが甘く、『ジャガイモを食べる人々』のように顔の表情を細かく描写することがなかったために不評を買ったように思う。


(『煉瓦工場の労働者たち(Arbeiders op de steenbakkerij Ruimzicht)』1885年)


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ハーグ派時代のゴッホについて

2019-11-21 00:57:58 | 美術

 現在、上野の森美術館において「ゴッホ展」が催されている。ゴッホが27歳で画家になった頃から晩年までの作品が網羅されている。
 それにしてもオランダの「ハーグ派」は知名度が低いのだが、それも肯るかなと思う理由はテーマも画面の暗すぎるからである。しかしゴッホはヨゼフ・イスラエルス(Jozef Israëls)など一部の画家は高く評価していたようである。

「この冬は昔の絵のなかで気づいた制作手法についてもっとさまざまなことを追跡するつもりだ。僕にとって必要なことをたくさん見てきた。しかし、何はともあれ - いわゆる『一気に描く』 -、ほら、これだよ。昔のオランダの画家たちがみごとにやってのけていたのは。この、わずかな筆さばきで『一気に描く(アンルヴェ)』」ということに今の人は耳を貸そうとしないが、しかし、その結果のなんとすばらしいこと。そして、これこそ多くのフランスの画家たちが、そしてまたイスラエルスがそれをもののみごとにこなしている。(......)
 僕は事がだらだら長びいたり、道をそれたりするのは好まない。それに、あれは致命的問題ではないかね、あの無理やりどこも一様に仕上げるやり方(彼らが仕上げと称するもの)は。明るさと褐色の代わりにあの退屈な、どこも同じ灰色の光 - 色は色調(トーン)の代わりに固有色 - これは嘆かわしいことではないか、ともかく実際そういうことではないかね。
 要するに、こうしたことは誤りだと僕は思う。というのも僕は例えばイスラエルスを実にりっぱだと思うし、また、新しい画家たちのなかにも、昔の画家たちのなかにも感服できる人は数多くいるからだ。(1885年10月 テオ宛ての手紙)」『ファン・ゴッホの手紙』(みすず書房 二見史郎編訳/圀府寺司訳 p.206 2001.11.22)

 (『Alone in the World』 Jozef Israëls 1881 )

 その後、パリに出てきたゴッホが友人に宛てて書いた手紙を引用してみる。

「アムステルダムでは、ぼくは印象派がどういうものであるのかさえ知らなかった。いまでは目の当たり見てきたし、そのクラブの一員ではないにせよ、僕は何人かの印象派の絵、ドガの裸婦、クロード・モネの風景などとてもすばらしいと思った。
 さて、僕自身がやっている仕事について言えば、モデル代に事欠く状態、さもなければ、人物画に専念していたところです。でも、油絵で一連の色彩の習作をやった。もっぱら花の絵で、赤いヒナゲシ、青いヤグルマギクとワスレナグサ、白いピンクのバラ、黄色のキクなど - 青とオレンジ、赤と緑、黄と紫の対照を求め、さらに混和された、中間色の色調を求めて、どぎつい対極の色彩を調和させるようにした。灰色の調和ではなく、強烈な色彩の効果を出そうと努めています。(1886年8月ー10月 H.M.リヴェンズ宛て)」(同書 p.223) 

 「ハーグ派」の視点を持ったゴッホが実物の「印象派」の作品を見て度肝を抜かれた感じが伝わってくる手紙だと思うのだが、実はゴッホは1875年5月から美術商としてグーピル商会のパリ本店で勤務しておりモンマルトルで暮らしている。1875年5月31日付のテオ宛ての手紙にはカミーユ・コロー(Camille Corot)やジュール・ブルトン(Jules Breton)などの名前は上るが印象派の画家の名前はまだ出てこない。(同書 p.5)


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