MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』

2016-02-29 00:05:06 | goo映画レビュー

原題:『The Velvet Underground and Nico: A Symphony of Sound』
監督:アンディ・ウォーホル
撮影:ポール・モリシ―/バーバラ・ルービン
出演:ニコ/ルー・リード/ジョン・ケイル/スターリング・モリソン/モーリン・タッカー
1966年/アメリカ

どこまで計算されているのか分からないドキュメンタリー作品について

 まるでワクワクしながら初めてCGの技術を使うように、ズームインとズームアウト、あるいはフェードインとフェードアウトを繰り返す以外はバンドのリハーサルの映像が流れるだけの本作は、後に「シスター・レイ(Sister Ray)」と呼ばれるようになった曲の元ネタのように聞こえなくもないが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドが好きな者でなければ64分も観ていられないと思う。因みにバンドの中にいる子供はニコとアラン・ドロンの間に生まれた、当時4歳くらいのアリ・ブーローニュ(Ari Boulogne)であろう。
 セッションは近隣からの苦情でファクトリーを訪れた3人の警察官によって止まってしまうのだが、ケイルとリードが持っていたタブロイド紙に書かれていた「PARADOX(パラドックス)」とは一体何だったのであろうか。

The Velvet Underground, Nico - Sunday Morning

The Velvet Underground - After Hours


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文部科学大臣の言葉使いについて

2016-02-28 19:50:39 | Weblog

馳氏、岐阜大を改めて批判 「国立大として恥ずかしい」

 今日の毎日新聞の「日曜くらぶ」の「松尾貴史のちょっと違和感」では、卒業式や入学式で

国歌斉唱しない方針を示した岐阜大学の森脇久隆学長に対し、馳浩文部科学相が「日本人として、

特に国立大学としてちょっと恥ずかしい」と批判したことを取り上げている。「そもそもその

(運営)交付金は国民から集めた税金であって、大臣や時の政府のポケットマネーではない。

贔屓の旦那衆のような口を叩く文部科学大臣の方がよっぽど恥知らずだ。」というのはもっともな

話なのではあるが、個人的に感じた違和感は馳浩が使っている「恥ずかしい」という言葉の方で、

「恥ずかしい」を辞書で引いてみると、「自分の至らなさ・みっともなさを感じてきまりが悪い。」

「相手が立派に思えて、自分は劣っていることを感じて気おくれする。」「こちらが恥ずかしく

なるほど相手がすぐれている。」「何となくてれくさい。」とあるのだが、「日本人として、

特に国立大学としてちょっと恥ずかしい」とはどの意味に当てはまるだろうか。「恥ずかしい」

とはそのように感じる当事者の気持ちの問題であり、他人がその当事者になり代わって感じられる

ものではないはずなのである。だからここでは「恥ずかしい」ではなく、松尾貴史が正確に

使用しているように「恥知らずだ」が正解なのであるが、「恥知らず」だと言葉が強すぎると

思い批判をかわすために「恥ずかしい」を使ったのであろうが、却って訳が分からなくなっている。


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『ザ・ヤクザ』

2016-02-27 00:04:41 | goo映画レビュー

原題:『The Yakuza』
監督:シドニー・ポラック
脚本:ポール・シュレイダー/ロバート・タウン
撮影:岡崎宏三/デューク・キャラハン
出演:ロバート・ミッチャム/高倉健/ブライアン・キース/岡田英次/岸恵子
1974年/アメリカ

ヤクザではない2人が何故か小指を詰める「悲喜劇」 について

 「学ぶ」ことがそのまま「身に着く」訳ではないということがよく分かる作品として本作は格好の素材となるだろう。作品の冒頭で「”ヤクザ”は八・九・三の数字に由来する。足して20。賭博では負けの数字だ。無頼の徒が自ら卑下してこう称した。」というヤクザの歴史が語られ、主人公のハリー・キルマーと共に日本を訪れたダスティーが公衆浴場で「日本とアメリカでは剣の使い方が違う。アメリカ人は押すようにして切るが日本人は引くようにして切る、持つところをへそに向けて。アメリカののこぎりは押す時に切れるが、日本ののこぎりは引く時に切れる。」と細かく説明しているにも関わらず、クライマックスにおいて高倉健が演じる田中健は刀を引くようにして斬ることはなく、まるでサーベルを扱うように刺して相手を殺しているからである。
 日本のエレベーターの壁にカレンダーが貼ってあることにも違和感を感じるが、何故ありえない場所にわざわざカレンダーを貼ったのかと考えることも大切なようにも思う。それはおそらく日本人の時間に対する、アメリカ人にとっては「異常」な几帳面さを感じた上での演出だったのではないだろうか。


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『レプリカント』

2016-02-26 00:54:52 | goo映画レビュー

原題:『Replicant』
監督:リンゴ・ラム
脚本:ローレンス・デヴィッド・リギンス/レス・ウェルドン
撮影:マイク・サウソン
出演:ジャン=クロード・ヴァン・ダム/マイケル・ルーカー/キャサリン・デント
2001年/アメリカ

ギャグだけは炸裂するアクション作品について

 本国アメリカでは完全にヴィデオスル―されてしまった本作は、確かに「レプリカント」を扱ったサイエンスフィクションとして真面目に観るならば、制作費の少なさのためなのか誕生シーンなどがチープに見えるのだが、例えば、最初に事件が起こり中心的役割を果たし縦横無尽の活躍を見せていた主人公のジェイク・ライリーが既に一週間前に刑事を辞職していたり、レプリカントを自宅に連れていったジェイクがレプリカントに、自分たちの居場所が突き止められるような発信機が体に付いていないかどうか調べるために服を脱がしているところを母親に見つかって同性愛を疑われたり、娼婦街へ迷い込んだレプリカント(=ジャン=クロード・ヴァン・ダム)がたまたま声をかけられた娼婦に連れていかれ行為を試みるも「童貞」だったことに驚かれ、クライマックスもレプリカントとその本人であるエドワード・ギャロットとの戦いはお互い心が読めるため同じアクションを演じてしまうなど、ギャグ映画としては相当に優れている。おそらく香港の映画監督であるリンゴ・ラムはシリアス作品よりもコメディー作品において才能を発揮するように思われるのだが、いかんせんギャグの量が少なくて残念ながらコメディー作品としても成り立っていない。


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『ピノキオ』

2016-02-25 20:50:41 | goo映画レビュー

原題:『Pinocchio』
監督:ベン・シャープスティーン/ハミルトン・ラスク
脚本:テッド・シアーズ/オットー・イングランダー/ウェッブ・スミス/ウィリアム・コトレル
    ジョゼフ・サボ/アードマン・ペナー/オーレリアス・バタグリア
撮影:ボブ・ブロートン
出演:ディッキー・ジョーンズ/クリフ・エドワーズ/クリスチャン・ラブ/イヴリン・ヴェナブル
1940年/アメリカ

良心を備えていては却って不都合な主人公について

 7名の脚本家が名を連ねた本作は、原作に含まれていた社会風刺などの毒を抜いた結果、いかにもディズニーのアニメーションらしく仕上がっている。最も驚くことはピノキオには良心(conscience)が無く、代わりにコオロギのジミニー・クリケットが良心役を担っていることで、だからピノキオはキツネのJ・ワシントン・ファウルフェローとネコのギデオンのコンビに、最初はスターになれるからと、次には病気療養が必要だということで誘拐されてしまうのである。
 しかしそもそもピノキオには良心が無いのだから、誘惑(temptation)に逆らえるはずもない訳で、本物の子供でさえ「プレジャー・アイランド」でロバにされている中、良心が無いにも関わらず最後に本物の人間になれただけでも大したものなのである。唯一、原作にある皮肉が感じられたところは、ストロンボリ一座でスターになったピノキオに対して、スターには良心は必要ないだろうと一旦はピノキオに付いていくことを諦めたジミニーの言動である。


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『序の舞』

2016-02-24 00:33:51 | goo映画レビュー

原題:『序の舞』
監督:中島貞夫
脚本:松田寛夫
撮影:森田富士郎
出演:名取裕子/岡田茉莉子/水沢アキ/小林綾子/三田村邦彦/風間杜夫/佐藤慶
1984年/日本

女性の地位向上を描く女流画家が主人公の作品について

 主人公の島村津也は実在した女性の画家である上村松園をモデルとしているが、彼女の半生が描かれているわけではない。
 安政五年、貧しい農家の娘だった勢以は、9歳で京都の葉茶屋ちきりやに里子に出されたのであるが、勢以は自分を里子に出した親に恨みを抱いており、養父母も婿養子も亡くした勢以に対して実母の麻が次女の津也を里子に出すように促したことに激怒し、「九つの年で島村にもらわれて本当の親が恋しくてなんぼ泣いた。実の親と暮すことが一番幸せ。ずっと母親を恨んで育った」と言い放つ。しかしその勢以でさえ津也が師匠の高木松溪の子供を妊娠した時には、「島村家代々のご先祖様に対して死んでお詫びするしかない」と言って、津也が産んだ「盛子(みつこ)」と名付けられた女児を里子に出してしまうのである。
 しかしその盛子が3歳で流行り病で亡くなったことを知った勢以は、再び高木の子を宿した津也に対して「家の中がぬくぬくしていたら外はみぞれでも雪でも十分幸せや」と言って、世間体を気にしないことを宣言する。女性の地位向上の過程が描かれているのである。


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『祇園囃子』

2016-02-23 00:58:25 | goo映画レビュー

原題:『祇園囃子』
監督:溝口健二
脚本:依田義賢
撮影:宮川一夫
出演:木暮実千代/若尾文子/進藤英太郎/河津清三郎/菅井一郎/田中春男/浪花千栄子
1953年/日本

祇園で飛び交う言葉にフランス語が混じる理由について

 メインストーリーとは直接関係の無い話をしてみたいと思う。
 祇園で売れっ子の芸妓である美代春のもとに栄子という少女が舞妓志願に訪れ、一年間の舞妓修行を経た栄子は美代栄として見世出しするのであるが、その晩から飲み過ぎて酔いつぶれて帰宅する。その様子を見て「やっぱり、あんたアプレや」という美代春に対して、美代栄は「姉ちゃんはアヴァンゲールや」と言い返し、「何え、それ?」と訊ねた美代春に美代栄は「古いっていうこと」と返すシーンがある。
 若い人は特にここの2人の会話がよく理解できないかもしれないのだが、「アプレ」とは「アプレゲール(après-guerre)」というフランス語の略で、第二次世界大戦後という意味で、「アヴァンゲール(avant-guerre)」というフランス語は逆に戦前を意味するから「古い」という意味に転じているのである。
 依田義賢の脚本であるから、実際にこのような会話があったのだと思われるのだが、疑問に思うことは何故英語ではなくフランス語が使われるようになったかということである。答えは持ち合わせていないのだけれど。


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『狼の王子』

2016-02-22 23:44:18 | goo映画レビュー

原題:『狼の王子』
監督:舛田利雄
脚本:田村孟/森川英太郎
撮影:間宮義雄
出演:高橋英樹/浅丘ルリ子/石山健二郎/加藤嘉/川地民夫/鈴木瑞穂/垂水悟郎
1963年/日本

不明瞭な「愚連隊」と「暴力団」の違いについて

 主人公の日下武二は北九州で戦争で親を亡くした戦災孤児だった。実の幼い息子を亡くしていた日下組の日下万蔵に拾われて育てられるが、万蔵は武二の目の前でライバルの加納組の刺客に刺殺されてしまう。しかし裁判で加納組の非を咎められることがなかったために武二は裁判所内で犯人と加納武松組長を射殺する。
 自身は刑務所に入るものの、これで日下組は安泰だと思っていた武二に対して面会に来た文五郎は石炭の不景気により日下組が請け負っていた若松港の荷役に仕事が無くなったことと、それとは裏腹に二代目の組長の下で加納組はさらに勢力を拡大しているという現実を知らされる。文五郎の言い分によるならば金になることなら何でもする盗人やごろつきが集っている愚連隊のような加納組に対して、仕事師の集団である日下組では太刀打ちできないということである。
 ところが出所後、加納組に命を狙われていたために上京していた武二の下に文五郎がやって来て、
万蔵の追善供養を盛大にするために戻ってくるように乞われたのだが、武二は「男伊達や正義や勇気でまかり通ったこの稼業の時代はとっくに過ぎた」という理由で断る。実際に、東京で武二は島原組のボディーガードをしているのであるが、学生運動などが活気づく中、争い事は避けて生きていた。しかし文五郎は武二の言葉に納得できず、武二が本当のヤクザかただのバカ野郎か確かめたいと言い出すのである。
 個人的にはここの文五郎の理屈が解せない。文五郎は「愚連隊」なダメだが「暴力団」は良いのだと言っており、私にはその違いが分からないのであるが、結局、賭博場に殴り込みに行った文五郎が無残に殺され、武二が所属していた島原組も寝返ったため、武二が裁判所で見せたように加納組の事務所に一人で乗り込んで二代目組長と他の親分を射殺するという同じ過ちを繰り返してしまわざるを得ないというラストシーンが胸を打つ。
 菊池葉子を演じた浅丘ルリ子が女の子たちに混じって縄跳びをするシーンが素晴らしい。何気ない小さな楽しいことに幸せを見いだすのであるが、女の子の一人が「おばさん、飛んでもいいわよ」というセリフが気になる。当時23歳の浅丘ルリ子はどう見ても「お姉さん」だからである。今ならぶん殴られていてもおかしくない。


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『X-ミッション』

2016-02-21 22:39:21 | goo映画レビュー

原題:『Point Break』
監督:エリクソン・コア
脚本:カート・ウィマー
撮影:エリクソン・コア
出演:ルーク・ブレイシー/エドガー・ラミレス/テリーサ・パーマー/デルロイ・リンド
2015年/アメリカ・中国

 いくら体を張っても見つからない「自分」について

 主人公のジョニー・ユタはかつて友人のジェフと共にオートバイの曲芸運転を動画にアップして生業としていたのだが、その最中にジェフを事故で失ったことから、廃業して7年後にはFBI捜査官を目指している。
 同じ頃、アクロバティックな離れ業でパラシュートを用いて高層ビルから宝石を奪って飛び降りたり、空を飛んでいる現金輸送機から現金を引きずり出し、一緒に飛び出してそのまま姿を消してしまう犯罪集団が現れ、ジョニーは次に現れるであろうフランスのサーフィン大会に潜入してそのチームに属しているボーディと知り合い、身分を隠して仲間に加わる。
 しかし彼らの本当の目的は犯罪ではなく、「オノ・オザキ8」と称される自然と一体になる八つの試練にチャレンジしていたのである。実は、ボーディはオザキの弟子で、ザトウクジラを捕えようとしている捕鯨船にボートで応戦していた時に事故に遭遇し、ボーディは救出されたのだがオザキは亡くなったのである。「名字・名字」という辺から「誰やねん」という話になり、その「ニューエイジ思想」が鼻に付いてくる。要するに「自分探し」であり、実際に、ジョニーは仕事を通してホールやチャップマンなどFBI捜査官たちに認められ、ボーディは死を覚悟して荒波に挑むのである。
 彼らのストイックさがストーリーを面白くしているのかどうかは微妙だが、本作が売りとしているスタントシーンも観客の高い期待に応えられているようには感じない。


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『愛の記念に』

2016-02-20 00:33:01 | goo映画レビュー

原題:『A Nos Amours』
監督:モーリス・ピアラ
脚本:モーリス・ピアラ/アルレット・ラングマン
撮影:ジャック・ロワズルー
出演:サンドリーヌ・ボネール/ドミニク・ベネアール/シリル・コラール/エヴリーヌ・ケール
1983年/フランス

敢えて壊すことで生まれる「真実の愛」について

 主人公の15歳のシュザンヌが林間学校で披露しようとしている芝居はアルフレッド・ド・ミュッセ(Alfred de Musset)の『戯れに恋はすまじ(On ne badine pas avec l'amour)』(1834年)という「レーゼドラマ(Lesedrama)」、つまり上演が目的ではなく読まれることを前提として書かれた戯曲である。
 そこで語られる「恋人の気を引くために別の男性と付き合う」というセリフが本作のモチーフであろう。シュザンヌが気になっていた同級生のリュックはシュザンヌを抱こうとしなかったために、彼女は偶然知り合ったアメリカ人の青年と一夜を過ごし、次々とボーイフレンドを変えていくのであるが、シュザンヌは頭は良く、ボリス・ヴィアン(Boris Vian)の『心臓抜き(L'Arrache-cœur)』(1953年)を愛読している。そのうちに毛皮加工職人である父親のロジェが家出をし、家族の「大黒柱」を失った母親のベティと兄のロベールとシュザンヌの関係が一気に悪化する。
 ようやくシュザンヌがジャン・ピエールと婚約し、ロベールが友人で評論家のジャックの妹のマリー・フランスと結婚して家族が落ち着きを見せようとした時に、突然ロジェが自宅を売り払おうと現れ再びかつてのようないがみ合いが始まるのであるが、ラストは何故かロベールの友人のミシェルと共にサンディエゴへ旅行しようとするシュザンヌを空港までロジェが見送っているのである。
 ここで思い出すことはロジェにマルセル・パニョル(Marcel Pagnol)になれなかったと皮肉を言われたジャックが批判したパブロ・ピカソ(Pablo Picasso)でも、シュザンヌが好きだと告白するピエール・ボナール(Pierre Bonnard)でもなく、ロベールが好きだと言った「瞬時(Moment)」である。敢えて壊すことで生まれる愛の「真実」に私たちは耐えられるのだろうか?


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