MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『マッドマックス 怒りのデスロード』

2015-06-30 00:31:34 | goo映画レビュー

原題:『Mad Max: Fury Road』
監督:ジョージ・ミラー
脚本:ジョージ・ミラー/ブレンダン・マッカーシー/ニコ・ラサウリス
撮影:ジョン・シール
出演:トム・ハーディ/シャーリーズ・セロン/ニコラス・ホルト/ヒュー・キース・バーン
2015年/オーストラリア・アメリカ

 女性たちをメインに据えた「アメリカン・ニューシネマ」について

 作品の規模の大きさの割にはストーリーは至ってシンプルで、「シタデル(Citadel)」と呼ばれる砂漠の中にぽつんと佇む要塞から行って帰ってくるだけの行程の中でイモータン・ジョーが支配する「男の世界」からフュリオサが彼の5人の妻たちと共に脱出して「緑の地(Green Place)」を目指すものの、そのような「楽園」はもう存在しないことを知らされ、要塞に戻るだけである。
 その2人の間に割り込むのが、かつて自分の妻子を守れなかったことに悔いを残していた主人公のマックスなのである。それほど大きくはない泥濘にタイヤをもっていかれたり、イモータン・ジョーの呆気ない死や、マックスからフュリオサへの安易な輸血などにも大作の割には「シンプルさ」を感じる。要するに本作は挫折する運命を背負う女性たちを主人公とした「アメリカン・ニューシネマ」なのだと思う。そのフュリオサを演じたシャーリーズ・セロンは決して悪くはないのだが、前作『マッドマックス/サンダードーム』(1985年)においてヒロインのアウンティ・エンティティを演じたティナ・ターナーの強烈なキャラを知っているものとしては物足りず、ずっと砂漠を観続けているとさすがにイモータン・ジョーには襲われないものの睡魔に襲われる可能性は否定できない。


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『極道大戦争』

2015-06-29 00:21:09 | goo映画レビュー

原題:『極道大戦争』
監督:三池崇史
脚本:山口義高
撮影:神田創
出演:市原隼人/リリー・フランキー/成海璃子/でんでん/優希美青/高島礼子
2015年/日本

「本物」のヤクザを目指して

 「純粋」なヤクザ映画というものが存在するのかどうかはともかく、かつては『山口組三代目』(山下耕作監督 1973年)のような実録ヤクザ映画が撮られ、安藤昇のような「本物」が主演を張っていた時代があった。ところが暴力団排除条例などで本物どころか「密接交際者」たちも映画界から姿を消すと、いかにもヤクザ風に見える「ばった者」たちが本物の代わりをし、映画のみならず「東映Vシネマ」というヴィデオのジャンルまで席巻するようになったのである。
 しかし当然のことながらヤクザ風に見えることと実質ヤクザであることには雲泥の差があり、本作の「ヤクザヴァンパイア」という設定は老若男女、更には人間であるかどうか問わずいかに「本物」のヤクザに近づけるかという「演技力コンテスト」になり、却って全くヤクザ風に見えない「KAERUくん」の方が人々の恐怖心を煽るという皮肉な状況が生まれるのである。
 子供のヤクザヴァンパイアに襲われた車のナンバープレートが「49-89」で「四苦八苦」と読める。『Zアイランド』(品川ヒロシ監督 2015年)とネタが被らなくてよかったね。


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『娘の季節』

2015-06-28 00:34:26 | goo映画レビュー

原題:『娘の季節』
監督:樋口弘美
脚本:馬場当
撮影:萩原憲治
出演:和泉雅子/杉良太郎/芦川いづみ/日色ともゑ/川地民夫/中尾彬/北林谷栄
1968年/日本

 バスのワンマン化の「火種」について

 本作を観て誰もが抱く違和感は、主人公のバスの車掌を務める津村みどりの上司で寮長の堀込康子が左腕を失っているという設定であろう。康子は勤務中に危険なステップ乗車をしていて対向車のトラックとの接触で「片端」になったのである。

 しかし康子は努力の末、右手だけでマッチを器用に操りバスの運転手である古橋次郎の煙草に火をつけるのだが(写真左)、健常者であるみどりは古橋の煙草に火をつけようとしないのである(写真右)。時代はバスがワンマンになるかならないかの過渡期である。康子とみどりの振る舞いの違いは明らかにバスの「ワン」マン化の暗示であろう。しかし古橋に対するみどりの熱意によって康子が身を引いて退職することでひとまずバスの車掌の首はつながるのである。


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今井雅之の癌治療

2015-06-27 00:03:52 | Weblog

梅沢富美男、大腸検診で「ポリープ」発見 今井さん忠告で「救われた」

 2015年6月25日付毎日新聞「くらしナビ」欄の高野聡・MMJ編集長の「ニュースな医学」の

「『がん体験談』に学ぶ」というコラムを少し引用してみたい。「俳優の今井雅之さんが5月末、

大腸がんのため54歳の若さで亡くなった。4月に舞台降板を発表して間もなくの訃報だっただけに、

衝撃は大きかった。会見を伝えるテレビで見た今井さんのほおはこけ、元気な頃の野性的な風貌の

面影はなかった。『夜中に痛みと戦うのはつらい』『モルヒネで殺してくれと言いました。安楽死

ですね』。苦しい闘病生活を語る言葉に一点の誇張もないだろう。実体験に基づく率直な告白だから

こそ、視聴者の感情も揺さぶられたと思う。しかし私は『がんの痛みは緩和できないという誤解を

また広めてしまう』と感じた。一取材者の立場の私がそう感じるのだから、がん緩和ケアに携わる

医師が同様の危惧を覚えたのは当然だ。永寿総合病院の廣橋猛がん診療支援・緩和ケアセンター

長はその一人だ。廣橋さんは『夜中にがんの痛みで眠れないのは、痛みの緩和が図られていない

状態。必要な鎮痛薬が使われていないのでは』と今井さんが受けた治療に疑問を呈する。医療用

麻薬でがんの痛みを和らげることができるはずなのに、眠れないほどの痛みが容認されていたと

すれば問題だという。またモルヒネについても『命を縮める薬ではなく、適切に使って苦痛を

和らげる薬』と説明し、報道が苦痛に耐えた男気を強調するばかりで、『適切な緩和ケアを

受けられていなかったのでは』という視点に欠けていたことを嘆く。」

 つまり今井雅之は最初は「腸の風邪」と誤診され、最期も適切な緩和ケアを受けられなかった

ことになる。売れている芸能人であり幅広い人脈もありながら最初から最後まで優秀ではなくても

まともな医者に診療してもらうことができなかったということが不思議でならないのである。


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『寄生獣』

2015-06-26 00:08:55 | goo映画レビュー

原題:『寄生獣』『寄生獣 完結編』
監督:山崎貴
脚本:山崎貴/古沢良太
撮影:阿藤正一
出演:染谷将太/阿部サダヲ/深津絵里/橋本愛/大森南朋/余貴美子/國村隼/浅野忠信
2014年・2015年/日本

最後の方で演出が息切れしている作品について

 さすがに古沢良太を脚本に参加させただけのことはあるが、『完結編』のクライマックスにおいて主人公の泉新一と後藤との対決で、新一が放射性物質を含んだ金属棒を打ち込んだ後に、後藤を焼却炉に投げ込むのであるが、それは田宮良子が産んだ赤ん坊を新一が抱きかかえる様子と対になっている。だから人間の赤ん坊は抱いても同じようなサイズになった後藤は捨ててしまうことに新一が逡巡しないことに違和感を持つ。
 その後、浦上にビルから突き落とされた村野里美を新一が助けようとするのであるが、里美を助けたのは明らかにミギーだと分かる演出で、その後浦上がどうなったのか映されることもなく、それまでテンポよくストーリーが流れていたのにラストの方になって演出が息切れしているように見えるのである。


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『ソロモンの偽証』

2015-06-25 00:23:08 | goo映画レビュー

原題:『ソロモンの偽証 前篇・事件』『ソロモンの偽証 後篇・裁判』
監督:成島出
脚本:真辺克彦
撮影:藤澤順一
出演:藤野涼子/板垣瑞生/佐々木蔵之介/夏川結衣/永作博美/黒木華/小日向文世/尾野真千子
2015年/日本

 クライマックスで傑作になり損ねた作品について

 『ソロモンの偽証 前篇・事件』を観終わった時点までは傑作だと思った。正確に言うならば『ソロモンの偽証 後篇・裁判』のクライマックスまでは傑作だと思って観ていた。主人公を演じた藤野涼子は「第二の黒木華」のような、神原和彦を演じた板垣瑞生は「第二の高良健吾」のような貫禄を持った演技をしていた(もちろん黒木華も高良健吾もまだまだ若手ではあるが)。しかし神原和彦が証人として召喚されたあたりから違和感が湧いてきた。何故ならば神原ほどの知性を備えた人物が裁判のルールを知らないはずはなく、無駄だと分かっていながら自分を罰するように求めるようなキャラではないからである。
 俳優陣の奮闘もあってその点を除けば傑作と見なしても間違いないと思うが、なにぶんにも肝心のクライマックスが弱いところが難点だと思う。しかしこれだけの力作が「前篇は最終の興行収入が7億円前後あたり。後篇は順調にいけば、8億円近くまで数字を伸ばす可能性もある。前後篇で約15億円である。ただもちろん、これでも黒字にならない」(「シネマの週末」大高宏雄 毎日新聞夕刊 2015.4.17)ということだから厳しい。


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『呪怨 -ザ・ファイナル-』

2015-06-24 22:49:29 | goo映画レビュー

原題:『呪怨 -ザ・ファイナル-』
監督:落合正幸
脚本:落合正幸/一瀬隆重
撮影:岡田博文
出演:平愛梨/桐山漣/おのののか/柳ゆり菜/松浦雅/最所美咲/袴田吉彦/佐々木希
2015年/日本

 実験さえ試みぬまま失敗してしまったホラー映画について

 よくよく考えてみればホラー映画も「アイドル映画」として実験が試みられるものであり、清水崇や黒沢清や中田秀夫などが独特の映像を生み出したのである。そして「ザ・ファイナル」と題された本作は本シリーズの集大成であり、観客は「呪怨」という長い物語にどのように決着を付けるのか期待して観に来ているはずである。例えば、前作『呪怨 終わりの始まり』において学校の教師だった生野結衣が不登校の佐伯俊雄の家を訪れ、深く関わろうとしたことで命を落とすというストーリーの流れは納得できるのだが、本作において伯父の子供である俊雄を預かった玲央の家が呪われるのはともかく、玲央の友人のまどかや碧のように佐伯伽椰子と俊雄の怨念が薄い脈絡の人物にまで過剰に伝染し死に至らしめるのは納得しづらく、「輪廻」という「お約束」に物語が回収されてしまい驚きが全くないのである。『貞子VS伽椰子』のようにキャラを戦わせ始めたら物語を重視するようになるため「実験」は終わったも同然である。『劇場霊』(中田秀夫監督 2015年)に期待しよう。でもそれはもはや監督の演出よりも主演の島崎遥香の演技になのだが。


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『ザ・スパイダースのゴーゴー・向う見ず作戦/ザ・スパイダースの大進撃』

2015-06-23 23:13:03 | goo映画レビュー

原題:『ザ・スパイダースのゴーゴー・向う見ず作戦』
監督:斎藤武市
脚本:倉本聰/才賀明
撮影:山崎善弘
出演:井上順/堺正章/田辺昭知/井上孝之/大野克夫/かまやつ・ひろし/加藤充/松原智恵子
1967年/日本

原題:『ザ・スパイダースの大進撃』
監督:中平康
脚本:倉本聰/伊奈洸
撮影:北泉成
出演:井上順/堺正章/田辺昭知/井上孝之/大野克夫/かまやつ・ひろし/加藤充/真理アンヌ
1968年/日本

「アイドル映画」の「前衛性」について

 ザ・スパイダースの全盛期に撮られた2作品である。確実にヒットが見込める「アイドル映画」は普段ではできないような「実験作」にもなり得る。例えば、『ザ・スパイダースのゴーゴー・向う見ず作戦』においては「あらゆる障害を越えて自分の所へ直進してくる人」が好きだとテレビで宣言したチノの言葉をまともに受け止めたザ・スパイダースのメンバー7人が横浜から東京まで文字通り一直線に行進を始めてしまう。結果的にそれは社会に対する若者の反抗という物語として時代にフィットするのである。
 『ザ・スパイダースのゴーゴー・向う見ず作戦』が物語の設定において前衛性を見せるのだとするならば、『ザ・スパイダースの大進撃』においては物語よりも撮影テクニックに重点が置かれているように思う。中平康監督らしくそれはフランスのヌーヴェルヴァーグのような作風で(最もオープニングのタイトルバックはメンバーのシルエットを使った『ゴーゴー・向う見ず作戦』の方にセンスを感じるのだが)、楽屋における衣装替えのコマ落としや、意図的に出演者がバスの中で動きを止めたり、アイリスを用いて大島つむぎを着ながら鹿児島弁でコンサートを開く想像シーンや、あるいは自動車同士の衝突による火災の後に山の噴火をアニメーションで表現したり、国会議事堂の頂上で歌うなど、要するに男女の絡みのシーンを入れれば後は好きなように撮影できた「日活ロマンポルノ」のようにザ・スパイダースやヴィレッジ・シンガーズの曲を流しておけば「アイドル映画」は好きなように撮れたのだと思う。
 2作品において「前衛性」が上手く機能しているかどうかは微妙ではある。個人的にはクレージーキャッツの作品の方が上手くいっているように思うが、面白くないのは監督よりも2作品で脚本を務めた倉本聰だったのではないだろうか。だから演出家よりも脚本家の方が重視されるテレビに移ることで倉本が才能を開花させた理由が分かるのである。


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『アイ・アム・サム』

2015-06-22 00:34:16 | goo映画レビュー

原題:『I Am Sam』
監督:ジェシー・ネルソン
脚本:ジェシー・ネルソン/クリスティン・ジョンソン
撮影:エリオット・デイヴィス
出演:ショーン・ペン/ダコタ・ファニング/ミシェル・ファイファー/ダイアン・ウィースト
2001年/アメリカ

猿のように描かれる知的障害者について

 ADHDの少年を主人公とした『Mommy/マミー』(グザヴィエ・ドラン監督 2014年)を観た後で、それまで知的障害者がどのように描かれていたのかが気になって本作を観たのではあるが、驚愕の描写が展開されていた。
 スターバックスで勤務している知的障害を持つ主人公のサム・ドーソンはホームレスのレベッカを自宅に泊めて身ごもらせたのであるが、レベッカは女児を産んで退院した途端に行方をくらまし、仕方がなく男手でだけで娘のルーシー・ダイアモンドを7歳になるまで育てる。その後サムの養育能力に問題があると判断されルーシーは施設に保護されてしまうのであるが、隣人で「引きこもり」のアニーの手を借りながらも7年も女児を無事に育てていたというサムの実績が全く無視されていることには納得がいかない。つまり養育能力の問題と勉学の問題は全く別物であり、勉学は学校に行って学べばいいはずなのに一緒くたにして論じてしまっているからである。
 あるいは「テーブル整理の係」からコーヒーを提供する係に「昇進」したサムが次々と絶え間ない注文でパニックになり失敗を繰り返すことになるのであるが、店長がサムを勤務から外さないということがあるだろうか。その後、裁判所で証言するために出廷するサムがコーヒーを被ったまま現れるのであるが、弁護を引き受けたリタ・ハリソン・ウィリアムズが出廷直前までサムをサポートしていないことにも疑問が残り、知的障害者が「猿回し」のように描かれていることがどうしても気になるのである。本作で感動する部分があるとするならば、20歳を過ぎた頃から美貌が微妙になってきているダコタ・ファニングの存在くらいである。


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『Mommy/マミー』

2015-06-21 00:23:41 | goo映画レビュー

原題:『Mommy』
監督:グザヴィエ・ドラン
脚本:グザヴィエ・ドラン
撮影:アンドレ・ターピン
出演:アンヌ・ドルヴァル/アントワン=オリヴィエ・ピロン/スザンヌ・クレマン
2014年/カナダ

正方形を押し広げる快感について

 正方形という特異な画面サイズは見慣れていないと見づらいのであるが、もちろん監督はそのようなことは織り込み済みで、ほぼ出演者の顔のアップで展開される主人公のシングルマザーのダイアン・デュプレとADHDを抱える息子のスティーヴの諍いは正方形内に詰め込まれて行なわれているが故に画面に緊張感をもたらす。
 だから隣の住むカイラのおかげで勉強がはかどり、自由を手に入れたように感じたスティーヴが自ら画面をビスタ・サイズにまで広げる時、それはスティーヴだけではなくて、観ている私たちにも快感をもたらすのであるが、その解放感はほんの束の間のものでしかない。
 閉塞感が続けば誰でも夢を見たがるもので、実際に、ダイアンがスティーヴとカイラと一緒にドライブに行った後に、スティーヴがジュリアード音楽院の合格通知を受け取り、卒業後にアメリカでスティーヴの結婚式に出席するビスタ・サイズの映像は全てダイアンの夢で、直後にダイアンが頼んだ職員たちによってスティーヴは施設に強制入院させられるのである。
 そうなるとラストでスティーヴが最後にとった行動はビスタ・サイズで描かれていないのだから、最初から無謀な行動にしか見えないのではあるが、オアシス(Oasis)の「Wonderwall」からルドヴィコ・エイナウディ(Ludovico Einaudi)の「Experience」まで選曲も申し分なく素晴らしい。アンナ・マニャーニ主演の『マンマ・ローマ』(ピエル・パオロ・パゾリーニ監督 1962年)の現代版といったところか。


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