さて、九州場所が終わり
「自閉症者の迷惑行為に被害を受けた」方々とのアポイントをどんどん入れています。
「自閉症者は社会の迷惑」(仮題)という新刊を作るためです。
というのはウソで、
自閉症の人の保護者や当事者に自助の集まりが必要なように
被害者にも集うことが必要なんじゃないかな
お互いの話を聞くことが必要なんじゃないかな、と思うからです。
そしてね
ギョーカイの「健常者が合わせるしかない」というアドバイスが
被害者たちを深く、深く傷つけているんです。
セカンドレイプみたいなもんね。
だからこそ
法的手段を執りたいという人には、アドバイスできることもあるかもしれないしね。
ああ、でも私の場合と同じで
いざ司法が絡んでみると
司法はギョーカイの言い訳にあきれることもあるみたいだけどね。
私が本に書いたように
司法の論理と福祉の論理はまったく別物のようですよ。
それにしても、アスペルガーの人々は
本当に方々で迷惑をかけてるんですね。
同僚にするとやっかい。仕事をまかせられない。
先日聞いたある講演では
「大学のアスペルガー受け入れにバックラッシュが起こるだろう」という話が出ました。
つまり、「いいよいいよ配慮するよ受け入れるよ」と受け入れた大学が今
あまりのトラブルの多さ(とくに他の学生への他害的行為)に驚いてしまい
これからは受け入れるにしても、慎重に、数を絞るだろうということ。
そして、これは現実のことみたいです。
アスペルガーの学生による他の学生への理由のわからないストーカーとか
本当に天災に遭うみたいなもので当局も頭を抱える。
(念のため、夫の勤務先の出来事ではありませんよ。取材中に得た情報です)
こんな実績を先輩アスペルガーのひとたちが作っていては
これから進学する子たちへの風当たりがきつくなっちゃいますよね。
後輩の進む道を狭めてるよ、迷惑アスペ君たち。
同僚でも同級生でもやっかいなアスペルガー。
家族にすると地獄です。
本当に笑ってしまえるほどあきれる自分勝手なエピソードの数々。
でも大笑いはその先にありました。
なんと「アスペルガーの成人男子」を診察拒否するメンタルクリニックまであるそうです。
子どもの発達障害は診る。
成人女性も診る。
でも成人男性は診ない。怖いから。
そういうメンタルクリニックまであるそうです。
きっと過去に怖い思いをしたのね。
そういう経験があると
医療でさえつきあいを拒むのね。
あのねえ、皆さん。
とくにギョーカイの先生たち。
自分たちがもてあましているような人を、どうやって社会に売り込むの?
そういう人を雇えと企業に迫って、雇わないと「社会の理解ガー」とかのたまう。
自分たちが怖がってるもの社会に送り出すなんて爆弾投げつけるような行為だと自覚してほしいですね。
まずは当事者を無害な存在にしてください。社会に無理難題を求めるばかりじゃなくて。
ルサンチマンさえ捨てれば、それができる人たちでしょ。
なのに支援者がルサンチマンを共有しているというこの現実。
そして、配偶者で苦労したという人は、たいていお子さんに診断がついているので
「この子が犯罪者になるのではないか」という心配を抱えているわけですが
「その心配はないですよ。今からやれば」って私はお話ししています。
きちんと修行を積んで社会に寄り添う生き方を選んだたくさんの人がいる、と。
コツはギョーカイの大本営発表を真に受けないこと、と言いました。
支援者の常識は社会の非常識だから
「あなたは努力しなくていいのです。社会が合わせるべきなのです」
これを真に受けたら最後です。
「そうそうそう。発達障害の専門じゃない支援のときにはうまくいってたのに、メジャー系支援に切り替えたら、とたんに坂道を転げ落ちるように・・・」
そうでしょうそうでしょう。
それはあってもおかしくない。
いずれにせよ、現実的に
アスペルガーの先輩方が方々で悪評を振りまいてくれているので
これを打破するためには、厚生労働省の言うように
「障害だから治らない」という先入観は捨てた方がサバイバルできるんじゃないでしょうかね。
それと、うまくいっている例をもっと社会に見せていかないとね。
ただし、これはどこかでもしゃべったけど(複数箇所かもしれない)
ギョーカイはいい話を出したがりませんわね。
「とりわけ傷つきやすい人」への配慮のために。
この「とりわけ傷つきやすい人への配慮に基づく言論統制」って
社会との共存の邪魔になっていると私は思いますので
・自閉症者には迷惑行為が多い
・犯罪につながる人もいる
・きちんと社会適応をしている人もいる
・そのためには本人を真綿でくるむような支援ではなく、本人に努力の主体だと気づいてもらう支援が必要
っていうことは言っていこうとおもいます。
「とりわけ傷つきやすい人」は卑屈にならない努力をしてみてくださいませ。
そのほうがいいよ。
だって社会は、どうせつきあうのなら「つきあいやすい自閉症の人」とつきあう。
そういう人を自分の場に受け入れる。
それが当たり前でしょ。自然淘汰ですよ。
健常者もやってることよ。切磋琢磨と競争。
それが社会を進歩させるのよ。
そして私と同じように「自閉症者による被害」を受けた人。
話したかったら情報ください。
私たちにも自助活動が必要です。
「自閉症者の迷惑行為に被害を受けた」方々とのアポイントをどんどん入れています。
「自閉症者は社会の迷惑」(仮題)という新刊を作るためです。
というのはウソで、
自閉症の人の保護者や当事者に自助の集まりが必要なように
被害者にも集うことが必要なんじゃないかな
お互いの話を聞くことが必要なんじゃないかな、と思うからです。
そしてね
ギョーカイの「健常者が合わせるしかない」というアドバイスが
被害者たちを深く、深く傷つけているんです。
セカンドレイプみたいなもんね。
だからこそ
法的手段を執りたいという人には、アドバイスできることもあるかもしれないしね。
ああ、でも私の場合と同じで
いざ司法が絡んでみると
司法はギョーカイの言い訳にあきれることもあるみたいだけどね。
私が本に書いたように
司法の論理と福祉の論理はまったく別物のようですよ。
それにしても、アスペルガーの人々は
本当に方々で迷惑をかけてるんですね。
同僚にするとやっかい。仕事をまかせられない。
先日聞いたある講演では
「大学のアスペルガー受け入れにバックラッシュが起こるだろう」という話が出ました。
つまり、「いいよいいよ配慮するよ受け入れるよ」と受け入れた大学が今
あまりのトラブルの多さ(とくに他の学生への他害的行為)に驚いてしまい
これからは受け入れるにしても、慎重に、数を絞るだろうということ。
そして、これは現実のことみたいです。
アスペルガーの学生による他の学生への理由のわからないストーカーとか
本当に天災に遭うみたいなもので当局も頭を抱える。
(念のため、夫の勤務先の出来事ではありませんよ。取材中に得た情報です)
こんな実績を先輩アスペルガーのひとたちが作っていては
これから進学する子たちへの風当たりがきつくなっちゃいますよね。
後輩の進む道を狭めてるよ、迷惑アスペ君たち。
同僚でも同級生でもやっかいなアスペルガー。
家族にすると地獄です。
本当に笑ってしまえるほどあきれる自分勝手なエピソードの数々。
でも大笑いはその先にありました。
なんと「アスペルガーの成人男子」を診察拒否するメンタルクリニックまであるそうです。
子どもの発達障害は診る。
成人女性も診る。
でも成人男性は診ない。怖いから。
そういうメンタルクリニックまであるそうです。
きっと過去に怖い思いをしたのね。
そういう経験があると
医療でさえつきあいを拒むのね。
あのねえ、皆さん。
とくにギョーカイの先生たち。
自分たちがもてあましているような人を、どうやって社会に売り込むの?
そういう人を雇えと企業に迫って、雇わないと「社会の理解ガー」とかのたまう。
自分たちが怖がってるもの社会に送り出すなんて爆弾投げつけるような行為だと自覚してほしいですね。
まずは当事者を無害な存在にしてください。社会に無理難題を求めるばかりじゃなくて。
ルサンチマンさえ捨てれば、それができる人たちでしょ。
なのに支援者がルサンチマンを共有しているというこの現実。
そして、配偶者で苦労したという人は、たいていお子さんに診断がついているので
「この子が犯罪者になるのではないか」という心配を抱えているわけですが
「その心配はないですよ。今からやれば」って私はお話ししています。
きちんと修行を積んで社会に寄り添う生き方を選んだたくさんの人がいる、と。
コツはギョーカイの大本営発表を真に受けないこと、と言いました。
支援者の常識は社会の非常識だから
「あなたは努力しなくていいのです。社会が合わせるべきなのです」
これを真に受けたら最後です。
「そうそうそう。発達障害の専門じゃない支援のときにはうまくいってたのに、メジャー系支援に切り替えたら、とたんに坂道を転げ落ちるように・・・」
そうでしょうそうでしょう。
それはあってもおかしくない。
いずれにせよ、現実的に
アスペルガーの先輩方が方々で悪評を振りまいてくれているので
これを打破するためには、厚生労働省の言うように
「障害だから治らない」という先入観は捨てた方がサバイバルできるんじゃないでしょうかね。
それと、うまくいっている例をもっと社会に見せていかないとね。
ただし、これはどこかでもしゃべったけど(複数箇所かもしれない)
ギョーカイはいい話を出したがりませんわね。
「とりわけ傷つきやすい人」への配慮のために。
この「とりわけ傷つきやすい人への配慮に基づく言論統制」って
社会との共存の邪魔になっていると私は思いますので
・自閉症者には迷惑行為が多い
・犯罪につながる人もいる
・きちんと社会適応をしている人もいる
・そのためには本人を真綿でくるむような支援ではなく、本人に努力の主体だと気づいてもらう支援が必要
っていうことは言っていこうとおもいます。
「とりわけ傷つきやすい人」は卑屈にならない努力をしてみてくださいませ。
そのほうがいいよ。
だって社会は、どうせつきあうのなら「つきあいやすい自閉症の人」とつきあう。
そういう人を自分の場に受け入れる。
それが当たり前でしょ。自然淘汰ですよ。
健常者もやってることよ。切磋琢磨と競争。
それが社会を進歩させるのよ。
そして私と同じように「自閉症者による被害」を受けた人。
話したかったら情報ください。
私たちにも自助活動が必要です。
私の周りには自閉症の人も、自閉症者を抱えた人もいませんが、たまに職場の病院に、アスペルガーの人が患者としてくる事がある程度です。ちなみに、発達障害専門の病院ではありません。
漫画やドラマで自閉症の人を扱い、啓発が盛んだった時には発達障害は治らないとされていて、健常者が障害者に合わせないといけないという風潮があったように思います。
『光とともに』のドラマみていて、なんだかずいぶん光くんの都合の良いように進んで行くドラマだと不快に思ってしまった過去があります。
これからもブログを楽しみにしています。
私はドラマより本のほうが入りやすい人間なので「光とともに」ももっぱら本で読んでいて、ドラマはあまり覚えていません。見ていたことは見ていたのですが。
でもあのとき、自閉症の関係者から「光君に都合のいいドラマ」という声が聞かれたことはなかったと思うので、やはり自閉症原理主義の人とそうじゃない人は感じ方が違うのでしょうね。貴重なご意見ありがとうございます。
またお越し下さいませ。
当事者グループに参加したりSNSで当事者コミュニティーに参加したことがあります。
ご指摘の通り、男性の参加者はどちらでも問題を起こす人がいます。
ストーカーの話も聞いたことがあるし、自分ワールドの講義を延々としてきたり…。
困るのは、こういう人たちは注意してもアスペルガーを免罪符(中には自称)にして開き直ってしまうことがかなりあるんです。
当事者グループに参加して感じたことは、自閉症の人ではなくて、アスペルガーや自称アスペルガーの人だけがかなり嫌だったということです。
迷惑の性差に関しては分かりませんが、男性が未婚率が非常に高いのに対して、女性は定型発達の配偶者がいることがかなりありました。
成人男性のアスペルガーの診察を拒否する病院があるとのことですが、自分がアスペルガーだと思い込んで、診断を半ば強要してくる人がいるらしいです。
偉人でそうだった人がいることから勝手にブランドイメージを持って、自己診断を強引に当てはめて病院に来て診断を仰ぐんだそうです。
そんな状態だから、違うといってもすんなり受け入れるはずないですよね…。
男女差は、興味ないわ。まあ女性が結婚して母になったら、それはそれで迷惑なモンペとかになる人いるかもですね。
そして、未診断でも自称でも当事者グループには参加できます。
いいところもいっぱいあるんでしょうけど。
コンビニでコピー機を使おうとして原稿を載せて蓋を閉じようとしたら、後から来てマルチコピー機の操作パネルを操作し出した。注意して止めさせたが、操作部分の直後で操作の一部始終を除いていた。気持ち悪いので止めさせたが、相当乱暴な口調で自己主張し一歩も引かない状態だった。
散々怒鳴って店長を呼びコンビニを出て行かせたが、あれはおそらく障害だろうと思う。言ってることやってることが異常過ぎた。本人に罪悪感は全くない様子で、今後その論理で犯罪も犯し一切反省しないだろう。
一番酷かった例が、自分の母親に毒を持った少女で、中学生か高校生だった。根っからの犯罪者にも成り得るのがアスペルガー障害だ。自傷ではなくて他傷するとんでもない奴等だと正しく認識すべきだね。
中学生ということですから、ルサンチマンを募らせて他人にちょっかい出すというよりは、未教育なのでしょうね。彼らもきちんと、社会的に浮かない振る舞いは覚えられます。ただそれは教える方が身をていさないといけない場面もあります。その手順を省くために「社会が我慢しろ」という方向に障害者支援を持って行く支援者が多いのは事実なんです。一般社会もその被害を受けますが、教えられるべきことを教えられなかったご本人も被害者です。でもだからといって、一般社会がそれに我慢する必要はありません。きちんとダメ出しするのが一般社会の役目ですから。だって税金投じて障害者支援をやっているわけですから、社会に益する方法に持っていかなくてどうするんでしょうか。
私が自分が被害にあった事件について、加害者に一切反省は求めませんでした。反省を求めることは、自閉症者を相手にした場合非現実的だと思ったからです。再犯がなければいいわけで、それは相手が自閉症者の場合、必ずしも反省を必要としません。反省も謝罪も求めない。ただ前科をつけてくれ。検察にはそう言いました。それが自閉症者を相手にしたまっとうなやり方だと思ったからです。よかったら本を読んでみてください。