治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

そこに社会があるから(もりしーマジックのご報告)

2014-12-08 09:30:20 | 日記
さて、12月6日の当日、受付をしてくださったのはもちろんちゅん平だけではなく、
ゆうの風、連絡協の皆様にもご尽力いただきました。
当日本もたくさん売れて、夜は19時まで計算してくださっていたそうです。本当にありがとうございます。お礼の言葉では尽くせないのですが、私ができるご恩返しと言えばやはり、全国のいかがわしい(ほめてます)優れた支援者を横浜に連れてくることかな、と思います。

というわけで我々が懇親会をしていた間も親の会の皆様にはご苦労をおかけしていたわけですが
愛甲さんも懇親会をスキップして都内に向かわれました。
神田橋先生のお勉強会です。土曜日は大規模、日曜日は小規模に神田橋先生を囲んでお勉強したそうです。

神田橋先生はその場でもりしーさんをほめていたそうです。「ドヤ顔」という言葉を多用されていたようです。そして「伸ばそう! コミュニケーション力」をご出席の研究者の方々に勧めてくださったそうです。ありがたいことです。

さて、というわけで前置きが長くなりましたがもりしーマジックのご報告です。
昨日の画伯ブログに臨場感のあるイラストを画伯は描いてくれていますが(ノーギャラ)、すごく雰囲気伝わります。
とにかくお子さんたちが楽しそうでした。

でもそれだけじゃないのです。
もりしーさんは見事に、お子さんと過ごす時間の中に「社会」を凝縮して盛り込んでいるのです。
社会ってどういう場所?
やりとりする相手がいるでしょ。
相手と楽しく過ごすには、守らなきゃいけないルールがあるでしょ。
そのルールを守るのは自分でしょ。
今できないことをできるようになるため、工夫と努力がいるでしょ。
どうやったら目標を達せられるのか、自分で考えないといけないでしょ。
そして達成したあとのドヤ顔。

コミュニケーション、自問自答、試行錯誤、そして達成感。
それが数分のやりとりに全部詰め込まれているのです。
そしてもりしーさんの盛り込む社会は現実的な社会です。
相手の恣意性に翻弄されることもある。でもそれを乗り越えることだってできる。練習できるんです。
ちゅん平が言っていた「身に降りかかってきたことは、たとえ自分のせいじゃなくても、自分で乗り越えなきゃいけない」
それが数分のうちに学べるのです。

いやあ、これなら月に一、二回で子どもは変わっていくわ、と思いました。
本当に身体で覚えるのはとても話が早い。

最後のご挨拶で私は言ったんですけど

療育って地道なものですよね。
毎日毎日やらなければいけないもの。
だって生活ってそうじゃないですか。
朝ご飯を食べてお皿洗って昼ご飯を作って・・・
みたいな繰り返しですよね。
毎日毎日洗濯物は発生するし。
療育っていったって子育てには違いないので
そういうえんえんと続く営みであることを否定はしません。

でもね
本物の療育は「一発で」変わります。
おそらく犬の曲芸方面にも、そういう名人はいるのでしょう。
それは誰もができるわけじゃない。
誰もができるなんていう幻想は大本営発表でしょう。

もりしーさんのところは、利用者が多すぎて今は一人頭の回数を制限しているけど
数十分のセッションで子どもが変わるのがわかります。
それは本物だから。

神田橋先生のところは言うに及ばず
栗本さんのところだって、一生に一回行くだけで違う。
身体アプローチは、それだけ話が早いから
だから治っていくんだろうな、と思いました。
芋づるの端っこをつかむのが、早いんです。

剣玉教えることとかは、多くの人にできると思います。
でもその子の身体に剣玉をこなすだけの条件がまだそろっていないとき

とっさに剣玉を使って
・コミュニケーション力
・シングルフォーカス撲滅

を成し遂げ、最後に自己肯定感を味わわせるその手法には本当に今更ですが舌を巻きました。

自己肯定感は修行に乗り出すためにも必要なもので
これを養うために「褒めろ、褒めろ」という指導をギョーカイは皆さんにすると思います。
支援者の褒めろ攻撃にうんざりしている保護者の方も多そうです。

「空褒めはあかん」
ともりしーさんは言います。

実際、つまらないことを褒めても、自己肯定感など育ちません。
そのあたりのギョーカイスタンダードに対する違和感が
私に「伸ばそう! コミュニケション力」の出版を決意させたのだと思います。
本当にできたときは、褒めればいいのです。
そうやって褒められてしたドヤ顔が、生きる力につながっていきますから。

今回はラポールシアターを使ったので、階段席で、階段もおおいに利用して盛り上がりました。
遊びに参加したあとのお子さんたちが、みんな落ち着いたのに驚きました。これもまた、身体を使ったことの効果であるのでしょう。

シャイだから参加できなかった、という方もいました。
でもおうちでならやってみたい。
それもまた、一つの参加なのだと思います。
社会とは饗宴ですから。
できるかたちでその場にいればいいのです。

懇親会の席で、保護者の方がもりしーさんに
1月のワクワクセラピーのあと、卓球を家庭に採り入れてきょうだい仲がよくなったという話をしていました。

卓球は当日もやりましたが
「俺ルールで動く子が多い」ともりしーさんは言っていました。
「何も教えてもらってなくてかわいそうやわ」と。

俺ルールで動くとはどういうことかというと
ラケットを持ったとたん、ばーんと自分の気持ちいい風に打ってしまったりすることです。
あほな支援者はここでラケットにボールが当たったことだけでほめる。
それが「空褒め」です。
ここで褒めては社会性は育ちません。

卓球の目的は相手とラリーを続けること。
相手の気配を読んで返さないといけません。
「空気を読む力」はこういう基礎から養われます。

セッションでもりしーさんは、最初俺ルールで動いていたお子さんに
打つべき場所をシールで示し
そこに打つように指導して、それがみるみる上手になっていきました。
こうやって自分の身体の動きと玉が落ちる場所がリンクすることがわかると
「自分のやったことで結果が変わるんだ」とわかります。
何かあっても人のせいにしなくなります。
それが生きる力につながります。

卓球を採り入れたご家庭でも、最初はラリーが続かず
続くようになっても、しばらく続くとどちらかがじれてスマッシュを打ってしまうような感じだったそうです。

それが「百回ラリーを続けよう」とか目標を共有できるようになったとき
家族の仲がよくなっていったそうです。

もりしーさんのセッションにいかに社会が顕在しているか
当日もっともっと説明したかったのですけど
あまりの盛り上がりに、説明する時間があまりなくて
今ここでくどくどと書いてみました。

最後に私も一本歯下駄でMCしながら剣玉するという一発芸をしてみました。
剣玉はしばらくやっていなかったのでクラッシュレッスンしていったのですよ。
一本歯下駄は相変わらず、洗濯物干すときに履いています。最近はこれで腰を割る練習をしています。その練習に冬はいい時期だと栗本さんに習ったので頑張っていますよ。

お昼休みも、遊具を全部自由に使っていただきました。
運営側でも、一本歯下駄を買ってみるという方もいました。背筋が伸びて気持ちいいんですよね。
リボンや卓球セット。
都市部でもできる遊びはいくらでもあります。
皆様に遊びを通じた社会性作りの「てっとりばやさ」が伝わっているといいなと思います。

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