まあ別に自閉症の診断が下りてなくてもね、勝手な思い込みをする人はいて
ネットがあると、憶測が飛び交うわけで。(たとえば昨日の話題だと、私が反TEACCHだとかね。)
で、その憶測が当たっていなくて、他人の名誉を毀損していた場合は
法的リスクを背負うわけです。
いったん法廷に立てば「浅見は嘘をついている。口ではああ言っているけど本当は反TEACCHである」証拠を自力で用意しないといけないわけです。
昨日も書いたように
私は高砂医師(仮名)には個人的な遺恨がある。でも「反TEACCH」じゃないです。
反ABAじゃないです。っていうかABAってまったく知りません。TEACCHよりさらに知りません。
キレーションは薦めていません。生理的に怖いです。ただキレーションを選ぶ人がいたら、それを止める権利は私にはありません。
食餌療法に関しては、興味深く見守っています。脳と身体はつながりがあるんだから。
たいして勉強はしていませんが、私でも手に入る英語の情報くらいはたまーに目を通す。
発達障害ってまだまだわかっていないことが多いと思っています。
私には
「どうにかして状態をよくしたい」という親御さんの心情は一人の人間として理解できます。
だから版元として、役に立つ情報があれば伝えたいと思うし、そのためのリサーチっぽいこともする。
でも最終的にどの療法を選ぶかの権利は各家庭にあると思っています。
私は個人企業のオーナー社長として、自分でリスクを取って投資案件、すなわち出版ラインを決める立場にあります。
自分の信じるものにしか投資する気になれないのは当たり前。
だから自分たちの思い通りの本を出さないからって攻撃してくる人間に真正面から答える意欲も義務もありません。
誤読されるのも発信する仕事である以上、想定の範囲内。いちいち言い訳しません。そんなの時間の無駄。
私は出版人だから、問いかけにはこれから出版するもので答えます。
ABAの本だってTEACCHの本だって、よそからいくらでも出ているでしょう。私が出さなくたって。
それを読んで役に立ててればいい。うちが出さなくたって。
逆にうちの本を読んで元気を出してくれる人だっているんです。
「こういうこと考えているのかも、うちの子も」って参考にしてくれる人もいるんです。
資本主義・民主主義の国なのだから、意見が違って、商品にもバラエティがあるのは当然。それが豊かさなんです。
だから嫌いな版元から何が出ようと、無視すればいいだけのこと。
そしてたぶん私が版元として興味あるのは、個々の技法じゃないんです。
「異文化としての自閉症」との共存なんです。
共存に近づこうとする営みを何人かの読者の間に生み出せる本が、私にとってのソリューションです。
今日ここで私は「反TEACCHじゃないよ」「反ABAじゃないよ」「キレーション薦めてないよ」って宣言しましたけど
それにもかかわらず「浅見は反TEACCHだ。反ABAだ。キレーション薦めてる」と言ってまわるとすれば
そしてその他一面識もない私に確認をとらず、嘘っぱちを言いふらすなら
法廷で証拠として耐えうるものを用意してから言ってね。
エープリルフールに宣言してたから嘘だ、って言ったって、たぶん裁判官には通じないよ。
以上。警告終わり。
続きは下記で。