治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

なぜ「つらいんです、わかってください」タイプの啓発に効果がないのか

2015-12-13 08:07:18 | 日記
発達障害がマスメディアで取り上げられるということがSNSなんかを駆け回ると、
これで理解が広がるのではないか、とすがるような人々の多さにびっくりします。でも実際にメディアに触れてみて、これで「当事者に都合のいいように」理解が広がるだろうなと思うものはあまりない。また内輪受けして終わりだな、ていうのがせいぜい。

南雲さんが言うように、啓発をもう一回考え直した方がいいよね。

そもそも「理解してほしい」と願うとき、「理解する」という動詞の主語は誰なの?
そこがはっきりしない。

今なされている啓発の多くが発達障害の知識を広めているとすれば、それは
再現ドラマや当事者のスタジオ参加でその半生を目にし、「自分もつらかったのはこれかも」と気づく人たちがたくさん出てきて、理解ガー地獄と支援ガー地獄に陥っていくだけ、の効果しかないような気がしますよ。そして成人支援は実際にはお粗末なことも知らされず、予備軍がどんどん入ってきて、その分社会からドロップアウトしていく。いいことなんにもないですね、今の啓発には。

つまり今の啓発のかたちだと
・自分もそうだったかもしれない人を増やす
・自分もつらかった人々が代弁されたような錯覚を持つ

だけであり
「代弁されたような錯覚を持った」人々が「理解が広がった」と誤解しているだけ、っていう感じです。

番組を見ている人にしてみれば

・やっぱり発達障害者やっかいだわ。つきあいたくないわ。
・甘えじゃないの?

という気分を引き起こしたり、ごく少数が

・そうか、配慮してあげよう

と思って

・次の日には忘れる
・実際に職場に発達障害者が来るとうんざりする
・実際に身近な当事者に「理解ガー」をやられると「甘えじゃないの?」と思う

のが現実なんじゃないでしょうか。

実際に「発達障害に理解を」と望むときそこにあるのは

・手助けをして
・受け入れて

なんだけど

そうやって当事者サイドが望んでいる「理解」は今よくある「つらいんです、わかってください」では広がっていかないですね。

じゃあどういう啓発なら広がるのか?

これは難しいです。

なぜならどこに感動するか、人はそれぞれだから。

サバン的な話が好きな人もいるだろうし(私は好きじゃない)

人間ドラマが好きな人もいるだろうし(これは南雲さんの講演なんかがそのニーズを満たしている)

サバイバル的な物語が好きな人もいるだろう。私もこれは割と好き。

でも私が一番好きなのは、生きざまとして「自分の手札で勝負している」その姿かな。
それが一番よく出てくるのは「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」だな。

考えてみてほしいの。

みんな、あらゆる能力を持っているわけじゃないでしょ人間だから。
もっと○○だったらいいな、と思いながら自分の手札で勝負している。

だから

自分の手札で勝負する話はわりと障害の有無にかかわらず共感できるんだけど

「つらいんです、わかってください」で寄ってくる人は「つらくてわかってほしい人」だけであり

そういう人って別に社会での発言力とか物事を変えていく力がないよね。
要するに今の啓発に反応する人は

・手助けをして
・受け入れて

という当事者ニーズを満たせない
つまり社会的に力のない人にしか受けないの。

その辺、もっと考えていったほうがいいよね。

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