さてさて、前回のエントリ「登校し続ける気持ちの育み方」に空音さんからコメントいただきました。
ちゃんと最初から本当のことを教えてあげたほうがいい。
「言えばわかる。言わなければわからない」人たちだから。
そして一度間違って覚えたことは、なかなか忘れないから大変。
これは私が一緒に仕事をするようになったり、成人になったASDの人に聞き取りをしたりして得た結論です。
でもなかなか、定型発達の心優しい人にはこれが難しいみたい。
教えてあげると、結構喜ばれるんですけど。
一歩踏み出してみないとわかんないんだけどね。
案外空音さんや賢ママさんのような、ご自分もスペクトラムのお母さんのほうが上手なんですよね、これ。
あともう一個、空音さんは大事なことを言ってらしたと思います。
=====
大人になったらこんなに良いことがあるよ、アレソレが出来るよっていう話も、してるんですよ。
これも一緒にしないと、未来が描けないと思うからです。
=====
そう。
ここ、大事ですよね。
でもしばしば、これと逆のことが起きていると思うんです。支援業界って。
私の手元に今、「いとしご増刊 かがやき 2010 NO.6」っていう冊子があります。
発行元は社団法人 日本自閉症協会。
本当に色々な立場の方(修行系と呼んでいいような方々も含めてね)が寄稿していらっしゃるので
この冊子自体は中立的、というか、色々な意見をそのまま反映しようというコンセプトなのだと思います。
この中にあった記事
「本人の声に耳を傾けて! 誇りを持って生きることができる社会に
――親の立場から」
に、こういう一節がありました。
「変わらなければならないのは彼らではなく、”社会”の方だ。つまり、私たちが何より力を入れなければならないのは、療育機関を増やすことや、支援者を養成することよりも”社会を変えること(溜めを増やすこと)”なのだ。もちろん、幼少期から支援を受けることが有効であることは、自身の体験からもじゅうぶん理解している。障害の特性を知ることで、彼らの認知の特性にあった情報提供を行ったり、感覚の過敏などの日常的な苦痛を取り除いたり、彼らのQOLを上げ、円満な親子関係をはぐくめるメリットは高い。しかし、そこで培った自己肯定感をエネルギーにできたとしても、彼らがいずれ参加していかなければならない今の社会は、あまりにも荒んでおり、過酷すぎる。
誤解を恐れずに言えば、愛する息子には、「こんな社会に迎合するための社会性ならば、身につける必要がない」と伝えたい」(前掲書 P41~P42)
ん~。こういう意見に同調する方がどれくらいいらっしゃるのかわかりません。
案外多いかもしれないね。
こういう考えで社会への働きかけをするのなら、それを邪魔する意図は私にはないですけど
ただ遠回りだと思うし
私はどうしても今の日本社会が、それほど過酷には思えないですから
ゆるいよね、日本社会は基本的に。
今が過酷というならば
これからもっと過酷になっていくと思いますよ、むしろ。世界が平準化していくと、先進国は相対的に貧しくなります。
今持っているものさえ、失うかどうかの瀬戸際じゃないのかな。むしろ。今はゆるいですよ、まだ。
まあ社会に対する見方はそれぞれだなあという感じですが、ここで話題にしたいのはそこではなく
こういう風に「社会って怖いのよ」って教えられる人と
空音さんのお子さんみたいに「大人になったらこんないいことがあるよ」って教えられる人では
社会に飛び出すときの気持ちが違うだろうな、ということです。
私は大人って楽しいと思うから、大地君たちにもそう伝えているなあ。
お酒飲めるし、先生の言うこと聞かないでいいし(違)
ニキさんはこの本の中で
「なまはげ」っていう言葉を使っています。
学校は「社会は怖いところ」って教えたけど
それはなまはげみたいな脅かし用社会で
実際に社会に出てみたら、少なくとも学校で脅かされたよりは、ゆるかった、と。
よく考えたら、学校出て学校に勤めた先生たちが
「社会は怖いのよ」って教えるって、それ変ですけど。
そう。学校って(それでおそらく一部の保護者も)
なまはげを作っちゃうと思うんですけど
自閉っ子たちは真に受けますからね。あまり脅かさないでほしいですね。
まあともかく
「自己責任」っていい言葉ですよね、私は好き。
だって責任があるっていうことは権利もあるわけだし。
でも時々異様にこの言葉を嫌う・怖がる人たちがいて
そういう人たちにとってはきっと社会って過酷なところで
それを教えられて真に受けて引きこもっている・不登校している人いそう
って思います。
自分が動けばね
助けてくれる人、親切な人、いっぱいいますよ。
邪魔する人もいるけどね
そういう人たちは、やっつければいいだけの話だし。
ちゃんと最初から本当のことを教えてあげたほうがいい。
「言えばわかる。言わなければわからない」人たちだから。
そして一度間違って覚えたことは、なかなか忘れないから大変。
これは私が一緒に仕事をするようになったり、成人になったASDの人に聞き取りをしたりして得た結論です。
でもなかなか、定型発達の心優しい人にはこれが難しいみたい。
教えてあげると、結構喜ばれるんですけど。
一歩踏み出してみないとわかんないんだけどね。
案外空音さんや賢ママさんのような、ご自分もスペクトラムのお母さんのほうが上手なんですよね、これ。
あともう一個、空音さんは大事なことを言ってらしたと思います。
=====
大人になったらこんなに良いことがあるよ、アレソレが出来るよっていう話も、してるんですよ。
これも一緒にしないと、未来が描けないと思うからです。
=====
そう。
ここ、大事ですよね。
でもしばしば、これと逆のことが起きていると思うんです。支援業界って。
私の手元に今、「いとしご増刊 かがやき 2010 NO.6」っていう冊子があります。
発行元は社団法人 日本自閉症協会。
本当に色々な立場の方(修行系と呼んでいいような方々も含めてね)が寄稿していらっしゃるので
この冊子自体は中立的、というか、色々な意見をそのまま反映しようというコンセプトなのだと思います。
この中にあった記事
「本人の声に耳を傾けて! 誇りを持って生きることができる社会に
――親の立場から」
に、こういう一節がありました。
「変わらなければならないのは彼らではなく、”社会”の方だ。つまり、私たちが何より力を入れなければならないのは、療育機関を増やすことや、支援者を養成することよりも”社会を変えること(溜めを増やすこと)”なのだ。もちろん、幼少期から支援を受けることが有効であることは、自身の体験からもじゅうぶん理解している。障害の特性を知ることで、彼らの認知の特性にあった情報提供を行ったり、感覚の過敏などの日常的な苦痛を取り除いたり、彼らのQOLを上げ、円満な親子関係をはぐくめるメリットは高い。しかし、そこで培った自己肯定感をエネルギーにできたとしても、彼らがいずれ参加していかなければならない今の社会は、あまりにも荒んでおり、過酷すぎる。
誤解を恐れずに言えば、愛する息子には、「こんな社会に迎合するための社会性ならば、身につける必要がない」と伝えたい」(前掲書 P41~P42)
ん~。こういう意見に同調する方がどれくらいいらっしゃるのかわかりません。
案外多いかもしれないね。
こういう考えで社会への働きかけをするのなら、それを邪魔する意図は私にはないですけど
ただ遠回りだと思うし
私はどうしても今の日本社会が、それほど過酷には思えないですから
ゆるいよね、日本社会は基本的に。
今が過酷というならば
これからもっと過酷になっていくと思いますよ、むしろ。世界が平準化していくと、先進国は相対的に貧しくなります。
今持っているものさえ、失うかどうかの瀬戸際じゃないのかな。むしろ。今はゆるいですよ、まだ。
まあ社会に対する見方はそれぞれだなあという感じですが、ここで話題にしたいのはそこではなく
こういう風に「社会って怖いのよ」って教えられる人と
空音さんのお子さんみたいに「大人になったらこんないいことがあるよ」って教えられる人では
社会に飛び出すときの気持ちが違うだろうな、ということです。
私は大人って楽しいと思うから、大地君たちにもそう伝えているなあ。
お酒飲めるし、先生の言うこと聞かないでいいし(違)
ニキさんはこの本の中で
「なまはげ」っていう言葉を使っています。
学校は「社会は怖いところ」って教えたけど
それはなまはげみたいな脅かし用社会で
実際に社会に出てみたら、少なくとも学校で脅かされたよりは、ゆるかった、と。
よく考えたら、学校出て学校に勤めた先生たちが
「社会は怖いのよ」って教えるって、それ変ですけど。
そう。学校って(それでおそらく一部の保護者も)
なまはげを作っちゃうと思うんですけど
自閉っ子たちは真に受けますからね。あまり脅かさないでほしいですね。
まあともかく
「自己責任」っていい言葉ですよね、私は好き。
だって責任があるっていうことは権利もあるわけだし。
でも時々異様にこの言葉を嫌う・怖がる人たちがいて
そういう人たちにとってはきっと社会って過酷なところで
それを教えられて真に受けて引きこもっている・不登校している人いそう
って思います。
自分が動けばね
助けてくれる人、親切な人、いっぱいいますよ。
邪魔する人もいるけどね
そういう人たちは、やっつければいいだけの話だし。
まあ確かに学生時代とは違う苦労はありましたけど、楽しいことのほうがもっと多い。
うちの子どもたちには「オトナになったら楽しいことがたくさんある」と教えてきました。バイトして社会に出た長男、苦労はもちろんありますが、働く楽しさを味わい、稼いだお金で飲むお酒のおいしさを病気で禁酒中の私にえらそうに語ってくれます。
それを見る下の子もうらやましそうにしてまして、「早く働きたい!」と毎日言っています。働くにはもう少し訓練が必要だからね、と言って修行させてますが目の前に楽しいオトナがたくさんいるもんですから、喜んで修行しています。
私もオトナになって結婚して子ども産んで育てて、楽しいことが一杯ありました。オトナになりたくない、と言ってる人の気持ちがわかりません。
子どもには現実ってこういうものだよ、と包み隠さず話してあります。障害をカミングアウトすることの不利益・利益、障害があることは帰られないけど、修行次第で行き方はいろいろ選べると教えてあります。
目の前に「障害はあるけどお気楽に暮らしてる楽しいオトナ」がいるんですから、自閉っ子が「早くオトナになりたい、働きたい」と思うのも自然なことです。今日もがんばって学校で修行中です。上の子はバイトで新しい仕事を任されたとかでごきげんで出かけていきました。
お酒を呑んでる時に子どもに叱られるのはそれでかぁ。「子どもは呑んじゃダメ」とは言ったけど、「大人は呑んでもいい」って言ってませんでした。そりゃ言わなきゃ分からないですね。
これからは、楽しい話もします。
自己選択や自己決定するためには、常識を学ぶ必要があります。それに身の丈を知る必要があります。もしかしたら、学校はそういう所を学ぶところなのかもしれないですね。
社会もですが、大人になる自分を想像するのも難しいようなので、色んな人からの〇〇〇が大地を助けてくれています。いつか自分より大切な人が出来る事。誰かを守っていくこと。大人も失敗すること。クラスのみんなが色んな大人になり、色んな仕事をすること。みんなが同じ給料でみんな同じ人生を送ることは絶対にないこと。兄妹は一心同体ではないので、いつかは離れる時が来ること。
「衝撃な事実だった!」と言いますが戸惑うことはないようです。
突然の変化に対応するのが難しいのですから、早めに正しいことを教えていく必要があるように思います。
天気が悪い日も、気分が乗らない日も、見たいテレビがある日も、どんな日も体が健康な限り通い続けることに意味があると思います。
大地も「不登校予備軍だな」と思っていました。学校に行かなくても良い理由を作ってしまえば、行かない子になってしまいます。まずはとにかく休まずに通うことを目標にしました。
あとは学校が楽しいと思えば、行きたくなるのが子供です。そこに役割があれば責任を果たすために通うでしょう。さらに友達や仲間が増え、大地の学校生活は楽しくて仕方がないようです。
学校も社会も楽しいところです。でも、楽しいだけではない所。それに先生や友達は敵ではないけれど、常に味方になって同じ考えであることはありえません。家では勿論、学校でも栗林先生が繰り返し繰り返し教えてくださいました。
今は親もとを離れ専門学校生になり無遅刻無欠席で通学しています。
今になって本人が言うには「やっぱ学校はちゃんと行っとったほうがええで、専門学校で今までを取り戻すのは、ぶちしんどいで」(広島弁)と言います。
「活かそう発達障害脳」で長沼先生が出力、フィードバックについて言われていましたが、その機会が圧倒的に減ってしまったということだと思います。
一時期は浮かび上がるための浮き輪も借りたりしました。
成人も間近、スロースターターではありますがあのとき見ていた世界が全てではないことがわかり、今は色々なことを模索できるようになったことに親として喜びを感じています。
私事、失礼いたしました。
そうそう。栗林先生の言う○○○の中には、大人としての生活を楽しんでいる大人の存在っていうのが絶対あると思います。そういう姿を見ないと、大人になるのが楽しみじゃないですからね。
賢ママさんのおうちはその点、病を得たり障害があったりしても生き生きと暮らしているお母様をすぐそばで見ているのですからお子さんたちは幸せですね。
またお越しくださいませ!
そうかあ、オニイちゃんもすでにハイパーりちぎな人生が始まっていますね。
こういうエピソードかわいいな、と思うんだけどハイパーりちぎさは誤学習のもとでもあるんですよね。それでエントリ書こうと思います。
いずれにせよお酒っていうものはおいしくて、子どもは呑んじゃいけないけど、大人になると呑めるんだよ、って報酬系育てるかも?!
私は若者に「大人は仕事のあとの一杯のビールのために働くんだよ」って教えたことがあります。まあ、一杯じゃないんですけど。
またお越しくださいませ!
さすが大地君もハイパーりちぎですね。そういう発想しますか。
それと大地君が不登校予備軍だったって理解できますよ。あれだけ過敏性の強いお子さんですからね。行かなくていいなら学校行きたくないよね。
それが今のように自立登校を休まずやってのけるというのは、本人の頑張りもさることながら、周囲が上手に環境作りをしてきたからであって、それを知ってか知らずか匿名で勝手なこと言う名大の吉川みたいなのは大嫌いですね、私は。ああいう医者は子どもの報酬系を育てる気がないんでしょうかね。
大地君はパパとママの子どもでよかったって言っている。そして出会えた先生が栗林先生や本山先生でよかったって言っている。大地君のラッキーなところは、○○○がきちんと与えられ当ているところですね。
またお越しくださいませ。
「学校はちゃんと行っといたほうがええ」って本当にその通りですね。夢をかなえるためには少なくとも一度は他人の釜の飯を食べる必要があり、そのためには決められた時間に決められた場所に行く訓練がいります。これだけでも学校というのは存在意義があります。なのに保護者や医療者が自らそれを手放してどうするんだろう。
こういう私の懸念に、長沼先生はまた「出力依存性原理」という脳みそ発達方面からの説明をしてくださいました。心強いです。
世界が広がると、学校の狭さも見えてくるし、そうなるとどうしてあんなことで悩んでいたんだろうとおかしくなることもあるでしょう。
とにかく外に出なければ何も始まりませんよね。
息子さんの将来が明るいものでありますように。
またお越しくださいませ。