今思うと私が
社会の理解ガー→治療
にスイッチした怒りの引き金は、辻井正次大先生が引いたかもしれない。
1 大人になったら治らない
2 治る気がなければ治らない
と言い切られて、支援者ってなんのためにいるの? と腹が立ちました。
だいたいさ、治る気がなければ・・・とか言うけど
「治らなくていいんです。社会が理解すれば」
って言いふらしているのは支援者なわけだから、そのウソを信じてしまっている当事者は巻き込まれているんだよね。
そして大先生の地元から、ニュースが流れてきましたよ。
対象を絞りに絞り、多額の費用を負担してくれる家庭のお子さんだけに絞り
成人当事者の入会は受け付けず(だって治らないんだし)
その結果今介護給付取りに走っているって?
地元でも笑いものになっているらしい。
知ってた。
ギョーカイ系支援を受けていると
高機能の子でも
早期介入したあげく縮小再生産の人生を送ることになる。
知ってた。六~七年前に気づいた。
だから冒頭のスクショの人は間違い。
私は「支援の限界に突き当たった」んじゃないの。
むしろ私がやった「理解して」はわりと通じた手ごたえを持っている。
感覚の問題、身体の問題、深読みの問題
花風社はそれなりに理解を広げたと思う。
でもギョーカイのやりたい「理解して」があまりに非常識だから、通じるわけないと思ったの。
それは三つ組みの障害を持つ支援者たちの脳内のお花畑だから。
ギョーカイ人の脳内にしか咲かないお花のお花畑なの。