治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

横綱白鵬、天皇陛下よりお言葉を賜る

2010-08-15 10:06:58 | 日記

「この国の横綱として、賜杯は戴きたかった」
名古屋場所千秋楽、相撲協会のストリーミングを見ていた人たちだけが生で聞けた白鵬の神発言です。
ついったー相撲部のTLは、涙涙の嵐でした。

三場所連続全勝優勝。
この快挙を成し遂げながら、賜杯を抱くことができなかった横綱。。
横綱審議委員会の鶴田会長も賜杯の返上について「するべきではなかった」と発言されたようですが
私もこれには激しく同意します。

総理大臣杯、返上すればいいでしょう。
NHK杯、いりません。
でも賜杯だけは別。
天皇陛下のほうから召し上げると仰せられるのならともかく
賜杯というのは大御心で下されるものであり
民から返上すべき筋合いのものではないはずです。

悪人も善人もその中間の人たちも
等しく日本国民であることにかわりありません。
悪いことをすれば、罰を受けたり、会社を解雇されたりします。
でも国民であることは剥奪されない。
国家というのはそれだけの懐の深さをもつものだと思うのですが
最近の世論はなんか余裕がありません。

モンゴルから来た25歳のこの青年が、なぜこういう深いことに気づいていたのか不思議でした。
「日本の横綱」という言い方ではなく「この国の横綱」という言い方も、実に考え抜かれています。
もちろんそれだけの器があっての横綱。
白鵬は、祖国にいても、どんな職業についても、必ずや立派な仕事をした人でしょう。
でも日本に来てくれて
大相撲の世界に入ってきてくれて
この困難な時を覚悟をもって支えてくれて
本当に感謝したいと思います。

ただ一つ、白鵬が有利だったなと思うのは
日本の学校教育を受けていないこと。
虚心坦懐にこの国を見られたこと。だから
国家というものの本質をつかみやすかったかもしれないと思います。

先生たちも悪気はないのだと思いますが
私の目から見るとしばしば、学校教育で植えつけられる日本の姿は国家観をゆがめるほうに作用します。
国家というものは、なんでも言うことを聞いてくれると甘えていい存在でもなければ
そのふがいなさをただただ恥ずべきものでもありません。
私たちの存在の本質に深くかかわり、そして私たちが形づくっていくものであります。
教育現場はアプリオリに反日的だと感じることがよくあります。
セルフ・エスティームの大切さはよく説かれるけれども
自分の国家に対する敬意(いいところも悪いところも含めてその存在を大事にすること)は学校では教えられません。

この知らず知らずの反日教育は
ASDの人にはとくに打撃が大きいこともあるようですよ。
ずっと前に読者の方が、行き過ぎた反日教育がいかにつらかったか訴えたいので
「よかったら使ってください」と送ってきてくださったURLを、終戦記念日の今日、やっとご紹介。

こういう例もあるのだと知っておいてください。

http://ebifuraihan.blog40.fc2.com/blog-entry-81.html


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