治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

身体アプローチから言葉以前のアプローチへ  浅見淳子 その3

2017-03-25 10:14:07 | 日記
 本書で栗本さんは、発達障害児者の持つ動きの困難が「無意識の領域」にあることを指摘しています。目的を持った随意運動以前の無意識の動き。排泄や発汗や睡眠もここに含まれます。無意識の領域がうまく育っていないのは、ヒトとしての発達だけではなく、進化の過程で脊椎動物が獲得してきた「動きの発達」をやりそこねているから。これが発達のヌケです。ヌケならば埋めればいい。あとからでも埋める方法はある。それは負荷をかける方法ではない。むしろやっていて充実感がある動き。それを具体的に提言しています。

 さて、ここまで読んできて読者の皆様は、私が「治る」という言葉と「改善する」という言葉を混ぜて使っていることに気づくでしょう。私は以前、「治るとは言えませんが改善します」という専門家の言葉を素直に受け入れていました。今も、私が「治る」という言葉を使うと、「それって改善するっていうことですよね?」という疑問を投げかけてくる方もたくさんいらっしゃいます。けれども、私は「治る」と「改善する」を違う言葉として使っています。
 お子さんに障害がありますと宣告を受けたとき、「治らないのだろうか?」と一瞬でも思わなかった親御さんはどれくらいいらっしゃるのでしょうか。私が使う「治る」という言葉は、そのときの親御さんの脳裏に浮かんだ「治る」とかなり近いものがあると思います。
 そして、「治るとは言えませんが改善します」という専門家の言葉を、やすやすと受け入れることはやめました。

 なぜでしょう?
 脳は、そして神経は、命だからです。
 命である以上、「改善するけど治らない」はありえません。
 改善する以上、治ってしまう人はいる。私はそう考えています。
 たとえ治ってしまうことが、誰かにとって都合が悪かったとしても。
 
 発達障害の人たちの周囲にはどうやら、「改善するけど治らない」と都合のいい人たちがいるようです。
 だから、この決まり文句がまかり通っているようです。
 そしてとてもたくさんの人が「改善するけど治らない」ということを信じ込まされているようです。

「改善するけど治らない」と皆が信じることは、誰にとって都合がいいのでしょうね?
 少なくとも、発達障害を抱えたご本人たちではなさそうです。

 この問題はさらに追求していきたいのですが……紙面がつきましたので、ここまで。

 いずれまた、機会を改めて。

 ぜひ、「今日から何をすればいいのか」という具体的な提案に満ちた本書を存分にご活用くださいますように。
 

二〇一七年 三月                    浅見淳子

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2 コメント

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お久しぶりです ()
2017-03-26 15:16:59
お久しぶりです。過日は愛着の本のコメントにアドバイスと励ましの言葉をいただきありがとうございました。
「改善するけど治らない」
この言葉をずっと考えていてもわからないし納得がいかないです。
 リハビリ職を目指す私は精神科の実習に行きましたが、「発達あるから仕方ない」とか「知的障害だからね」という言葉を聞き、本来であれば治すはずの医療職の人が平気で言っていることがショックでした。
 他にも自傷行為の対処が上手くできてなく、そのことを友達に話すと「そんなの注射すればいいのに」といわれ二重にショックを受けました。薬は対処療法で、長く使えば効かなくなり副作用のリスクも考えられます。それでもほかに対策がないのか対策しようと考えないのか。
 仕方ないとか注射で済ませれば?を鵜呑みにせず、それはおかしい、必ず何とかなる方法はあると考えることが出来るのは、芋本や黄色本、愛着の本、人間脳など一連の花風社さんの本を読んだからこそです。実際に実習中も、終わった後も何度も読み返し、実際あてはまるケースがありました。
 「改善」と「治す」の違いを理解し、仕方ないと諦めたりその現状に慣れることなく、視野を広げて知識や技術を習得できるよう頑張ります。
新しい本を楽しみに待っています。
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改善と治る (浅見淳子)
2017-03-28 07:09:53
朔さん、ようこそ。
臨床の現場第一線で活躍している人にとっては、学校で習ったことは(基礎になっているけれど)時代遅れである、というのはよくあることだと思うので、今朔さんが見ている光景がそうなることを願っています。
改善と治るの違いは、一度きちんとかたちにしておこうと思います。
そのためには「改善するけど治らない」と言い張る人たちのメカニズムも分析しないといけないかもしれません。
そして「発達だから」「知的障害だから」で済ませることができないという強い気持ちをお持ちなのは臨床家ではなく家族なのかもしれません。
家族が変えていくしかないのかもしれませんね。
またお越しくださいませ。
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