治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

情状酌量なくてよかったね。

2012-10-30 08:16:04 | 日記
さて、熊本の幼女殺害事件
求刑通り、無期懲役の判決が出ました。

ご遺族としては、これでも物足りないかもしれませんが
一人殺害で無期懲役は、まあよくある話。

逆に言うと障害者割引はなかったんですね。
ASDだからという情状酌量はなかった。

そしてまた逆に言うと、例の大阪の事件ですが
世話をしてくれた姉を逆恨みして殺したという重大な事件に
最初の求刑が十六年って、軽いような気がします。

つまりあの大阪の事件は「不当にも求刑を上回る判決」なのではなく
「求刑に障害者割引があったけれども判決ではそれが正された」判決だと私は思っています。

いずれにせよ、ASDの人が障害を理由に情状酌量されないのは、いいことだと思います。
情状酌量されるようになったら
ひどい差別のある社会が待っているでしょう。

十月、各地を回っていてある種「意外」でそしてありがたかったのは
意外なほど「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」が受け入れられたことです。



もちろん「自閉症の人たちは法が守れます」ということを必ず前提に話しましたけど
これと「30歳からの社会人デビュー」を同時発売した意図を説明すると
納得していただけることが多かったですね。



講演会での売れ行きも思っていたよりずっとよかったのですが
書店で購入、一気に読んで「その通りだ」と思ったという読者の方からの感想メールもありました。

P90がとくに印象に残った、と。
ここに書いてある自閉症の人の心理
どうしてもわからない、と。

そうなのですよね。
あれはわからないです。

そしてこういう社会への恐怖感と恨みの混ざった感情の解きほぐし方も
やはりニキさんとちゅん平さんでは違うと思うのです。

ちゅん平さんは、自閉症に特化した支援を受けました。
それで「本当のこと」を教えてもらって解きほぐしていった。

ニキさんは考えてみれば
福祉的な支援って正式には受けたことないような気がします。
むしろ社会観察から、自分で法則を見つけていって
それで社会を怖がらなくなった感じ。

まあとにかく

ASDを理由に情状酌量されるような社会がきてはいけない、と私は思っています。

最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (歌い屋)
2012-11-01 11:57:02
自閉症は社会のルールを守れるというくくりはあまりよくないと思います。
定型発達者でも社会のルールを破る人もいますから、定型、自閉症等人を分けなくていいと考えます。人それぞれで考えていくべきです。
判決の際に自閉症が考慮されるべきかはケースバイケースだと思います。自閉症が原因の事件もあるだろうし自閉症が関係ない事件もあると思います。
守れますというとき (浅見淳子)
2012-11-01 17:46:05
歌い屋さん、ようこそ。
私たちが「自閉症の人は法が守れます」というとき、それはもちろん「自閉症の人全員が守れる」という意味ではありません。定型発達者も同じです。
この記事の背景には、他ならぬ自閉症者の味方のはずである人たちが、「自閉症だから罪を犯しても仕方がないんだ」と主張しているという事実があります。それは支援者であることもあるし、熊本の事件の場合には弁護側がそのような主張をしています。
私は自閉症とそうでない人の、取り調べ方法や再発防止策は異なるべきだと思う立場です。けれども量刑は同じにすべきだと思っています。
それが私の立場だとご理解ください。
また気が向いたらご遠慮なくコメントしてください。
Unknown (Unknown)
2012-11-02 13:53:06
先日アスペルガー等発達障害の勉強をしてる弁護士の勉強会がテレビで放映されてました。
発達障害だから罪人にはならないというのは賛成です。
が事件に対して刑量を含め取り調べ方等に障害に対して配慮されるべき事案ならされるべきだと思います。
また社会の受け皿がないからと刑量を増やすのは遺憾に思ってます。
質問してきた方に答えます。 (浅見淳子)
2012-11-02 22:19:35
えーと、この米した方。
=====
コメントが反映されないのは不快な思いをされたからですか?
アスペなので申し訳ありません。
ご指摘いただけると幸いです。

=====



はい。そのとおりの理由プラスαで公開しませんでした。
そして私は親切だからはっきり理由を書いておきます。
というかこの米主への感想は昨日からついったーでつぶやいています。
関連したついーとを順番にはりつけますね。それが一番わかりやすいかも。

11月1日ついーとより:

ブログに名乗らない人からワケワカのコメ。浅見さんのやるべきことは犯罪について語ることではなく啓発のはず、だって。犯罪について語ることが啓発なんですが何か?

そもそも、浅見さんのやるべきこと、っていうのは私が決めることであって、どこかの名乗らない知らない人に決定権はない。そういう分をすぎたことを平気で言うような状態を私は「自他の区別がつかない状態」として問題視し、本にも書いた。

自閉症に関する啓発、っていうのは社会にフェアであるべき。いいところだけを伝える啓発は信頼を得られない。フェアでない啓発のツケを払うのは障害当事者。現実に美辞麗句に踊らされ発達障害者を受け入れた教育や就労の現場から、発達障害者の追い出しが始まってる。

発達障害者だから取らない、という学校は、これまでの啓発啓発の数年間より増える傾向にあると思いますよ。差別ではなく、他の学生を守るために。これも発達障害が知られるようになった結果です。

だから、ちゅん平のような、大地君のような例もあると見せていくのは大事なの。

11月2日ついーとより:

自閉症の犯罪について語ることは私にとって啓発活動です。それと、自分をわきまえてないのはこのコメした人だと思います。

法曹の人しか法について語っちゃいけないというとき誤解はどこから?そういう社会では、ギョーカイもどこにも抗議とかできないわねん。

啓発活動を、この見知らぬ人に強制される覚えもないよ。いやになったらやめるよ。私の人生なんだから。典型的な、自他の区別つかない例。こういう大人に育ててはいけませんよ皆さん。


受け皿がないという指摘 (浅見淳子)
2012-11-02 22:31:14
受け皿がないと指摘され、それが不当だという抗議をした団体のどこかが「口だけ支援」にとどまらず、実際に受け皿になることを願っています。
一方できちんと修行していない触法発達障害者の態度に、受け皿である人たちがうんざりし、引き受けたがらない実態も見ています。
だからそういう実態があるtことをきちんと読者に知らせ、そういう事態を防ぐための手立てを早いうちから取る方向に促すことが、自分の啓発活動の一部だと思って仕事をしています。