治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

三流国家

2014-04-22 09:01:00 | 日記
韓国の人たちの嘆き。

自分で親韓派だと認識していない私だが
この嘆きを「それみたことか」と見下す気にはもちろんなれない。
むしろ「他山の石」と受け止めなければいけないと思っている。
このまま労働倫理の崩壊が進めば
日本もいつ、こうなるかもしれない。
教育現場に労働倫理の薄い人が多いとすると、次世代が直接触れる大人がそれなのだから、余計だ。
もっとも私は、別に教師の影響を受けない子どもではあったのだが。
ただ学校にいる子どもたちにはなんらかの方法で知ってほしい。
世の中には教師一般より多忙で、エネルギッシュで、
労働に被害者意識をもたず、自分の仕事の有意義なことに感謝し
仕事を楽しんでいる大人も多いということを。
それは公務員だけではない。
未開の奥地までレアメタル獲得に行っている商社マンだって私たちの生活を支えているのだ。
そのうち、どのような大人になるのも自分で選んでいいのだ。

私は「担任を持っている間は妊娠するな」みたいな前時代的な主張には与しない。
教師が聖職だとも思っていない。私生活を犠牲にしろとも思わない。
ただ「私生活が大事」なあまり
そして不況の中で「ブラック企業」が取りざたされ
その反動で「滅私奉公バッシング」みたいなのが広く受け入れられているのを見ると
もうこの国はそういう国になってしまったんだろうなあ、と思うし
もうこういう小説ははやらないんだろうなあ、と思うし
そこで隣国でああいう事件が起きると、「公より私」を大事と滅私奉公バッシングする人たちは、あの船長を責められるのだろうかと不思議に思う。
ところが責めるんだよね。そこが不思議。

滅私奉公を誰にでも強制しようとは思わない。
私も別に滅私奉公ではない。
ただ発言や行動を選ぶとき「世の中には必要な発言や行動だけど他の誰もやらないから」という理由で選ぶことはある。
そのおかげで非難されることもあるが
社会人である以上、自分が非難されようと言うべきことは言う。やるべきことはやる。
こういう手順を省略する人を、私は「死んだふり」と呼んでいる。
我が身かわいさに自分の職務を果たさない人たちだ。

そして死んだふりと私がけなすギョーカイにも、もちろん有為の人材はいて
その人たちがフルタイムの仕事があるにもかかわらず、土日もどっかで講演したり支援活動しているのを、皆さんご存じだと思う。
そしてそれを享受していると思う。
日曜日に岩永先生の講演に行って知見をリフレッシュして満足して帰ってくるというツイートを見かけたりする。
その日曜日、岩永先生はご家族と離れて過ごしたのです。

だからね
誰かが部分的にでも「滅私奉公」しないと世の中は進んでいかない。
それを一括して、私生活より公的な仕事を優先させることをブラック扱いし
個人の権利の美名のもとに滅私奉公バッシングに走る風潮を見ていた私は
それが今の日本なのだろうなあ、と切ない気持ちで思っていた私は
みんなが屈託なく韓国の船長を責めるのにびっくりした。

いや、このまんまの風潮だと
日本こそ三流国家になるんだろうなあ、と思っていたから。
次世代を育成する場所に、滅私奉公を嫌う風潮がある以上。

=====

写真は仕事を受けときながら土日に働きたくないと文句言っている人のスクショ。

私はかつて、自分が原稿依頼して、喜んで受けてもらったのにその人がブログで
「原稿原稿原稿」と愚痴っていたのを見て
「ああ、つまんない人に発注しちゃったな」と反省して縁を切ったことがあります。

仕事受けときながら、なんでネットで仕事多いとか文句言うのかわからなかったから。
書きたくないなら、依頼受けなきゃいいし
依頼受けたなら、文句言わず書けばいいと思います。

そもそも完璧な休みがほしければ、時給いくらで時間を売る単純作業につけばいいですよ。
知識を基盤にする仕事は、仕事時間以外のリソースも使うのは自分のためだと思うのだけれど。犠牲でもなんでもなく。

というわけで、皆さんの生活が回っているのは
たぶんどっかで滅私奉公スペクトラムの働きをしている人たちのおかげなので

自分が滅私奉公しなくても
そういうのがライフスタイルとして選べないなと思っても

せめて滅私奉公バッシングだけはやめてください。

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
滅私奉公 (LiLiCo)
2014-04-23 23:58:18
浅見さん、こんばんは。

確かに、最近のことで言えば、辛坊さんのヨット海難救助は自衛隊の「命をかけた滅私奉公」ですし(勿論、超過勤務しまくり)、前の東北震災の時、地震直後から東北に向かった職種の人達(医療関係、警察、消防、その他)が大勢いますし、原発の状況もわからないまま「任務」ということで家族にも所在を明かせないまま救出活動を行った自衛官などの「滅私奉公」の働きは大きいと思います。また、自分も被災したり家族を見つけ出せない状態で「滅私奉公」を務め上げた人達もいますよね。そして、職務を放棄することが出来ない役場の人達など、避難しないで、その地で頑張り続けている人もたくさんいます。
そういう人々の「おかげ」で、日本の社会は成り立っているのだと思います。
「陰で黙々と支えている人達の存在」、それは今の時代には古臭くて「滅私奉公」として嫌われるのかもしれません。時間や会社に縛られずに、自分の好きなときに好きなことだけしてマイペースに生きられる、田舎で自治体の補助金貰いながらロハスな生活、というのが流行りかもしれません。でも、そういう人達をも支えている「税金」は、滅私奉公の人達が払ったお金ですけどね。
時々、日本の働き方の問題点をあげつらうのに、外国の「のんびりした良さ気に見える点」を比較であげているのを見ますが。実際には、能力のある人には仕事が次々に来ますから、ランチをろくに取る暇もなくハードワークしてますよね。逆に、誰にでも出来る仕事しか出来ない人達は、仕事の取り合いになるので、仕事が無くて「自分の時間をタップリ楽しんでる」ように見えます。日本のポッポやみたいな「きっちりした仕事」をする人と、「どうせ1ドルの稼ぎにしかならないんだから適当にやっちゃえー」的なところで働いている人とでは、仕事に対する姿勢が違いますね。もっと言えば、「自分の国、日本を良くしよう」と思って働く人と、「どうせ自分の国は三流国家」と思って適当にする人とでは、根本的に違うとも思いますが。

教員の事は、入学式に出たとか、そういう話でしょうか。物議を醸すほどのネタでもないと思ってましたが、ただ、確かに教員は、一般社会の中では非常識な使えない人が多いと感じます。まさしく「俺ルール」が通ると勘違いしている成人当事者、を見ているような気がします。人間に厚みがない薄っぺらい、でも「先生」と持ち上げていて貰わなければアイデンテティが保てない・・そんな使えない感。

ところで、Twitterを覗いてきました。
韓国の船や小保方さんの事で賑やかなようですが、どうやら、攻撃するターゲットが出来ると、セッセと憂さ晴らしネタに使っているみたいですね。インターネットの画面に向かって黙々と不満を打ち込んでいる姿を想像すると、暇なんだなぁと思いました。


一つ前のブログ「暴力アスペ」、そういう言葉の概念は、2003年から問題視されていたんですね。
医者の間では「問題視」されてた?のに、どうして、教育現場では「様子を見ましょう」「社会の理解がー死んだふり支援」最盛だったのか不思議です。


講座、いつも大盛況ですね!!
私も、いつか、行ってみたいです。
やるべきことをやる (浅見淳子)
2014-04-24 07:17:19
LiLiCoさん、ようこそ。
昨日のエントリで瀧澤久美子さんという方のお話も出しましたが、とにかく日本は自分のやるべきことをやる、という人々の地道な努力で回ってきたと思います。
私は基本的に教師という人種には期待していないので、彼らが職務放棄しようとああやはりそうですかとしか思わないのですが、その後の「私生活を犠牲にしろというのか!」という擁護論の方が気持ち悪かったですね。そのあと韓国の事故が起きてみな屈託なく船長を責めたのでなおさらそう思いました。
「暴力アスペ」については、2003年の時点でカテゴライズもされ治療法も仮説が出ていたのに、こういう情報が末端まで伝わらないのが青いお札のせいなんです。これも「死んだふり」の一種なんですよ。とにかく耳障りの少しでも悪いことを言われるときーきー騒ぐ人たちに配慮して、専門家が研究成果を出さないんですよね。私が脇の甘さをほめてますと言ったのはそういうところです。
またお越しくださいませ。
今さっき・・・ (栗林です\(◎o◎)/!)
2014-05-03 00:32:13
浅見さん、お久しぶりです。
やっと新しい職場でひと月経過。
予想通りに楽しんでいる自分がいます。
この記事の浅見さんの感覚と同様のことについて、今さっき妻と話し合っていたところでした。
仕事だから努力しているという感覚ではなく、人として、世の中の必要性として、すべきことがあると思うのです。
それが滅私奉公という表現なのかどうか、私には判断できませんが、周囲の人々がやっていようとやってなかろうと、やっていないなら尚更、必要なことは必要なんですから、やるべきでしょう。
自分にできることなら、自分がやればいい。
単純にそれだけだと思うのです。
そうです。単純なことです。
そして必要なことに頑張っている人のことを、頑張らないと決めた人に、ああだのこうだの言われたくありません。
比較されたくないなら、ケチつけられたくないなら、お前もやれよ!と思うことが多いです。
腹が据わってないなあと思いながら、そういう人たちも私の支援対象なのかもしれないと思うのです。
大きなお世話です。私のしてること。

それにしても、日本の家庭というものに、養育の力は残っているのかと、ただただ思うこのごろです。
我が家の夫婦の会話では (浅見淳子)
2014-05-03 10:17:31
栗林先生、ようこそ。
新しいご職場はどうでしょうか。
我が家の夫婦の会話では、栗林先生の異動をきいたとき「ひえええ、きつそう」とか「道もバカじゃないんだね。適材適所だね」とか「それでもきっと栗林先生はやりとげちゃうんだろうな」っていう感じだったのですが、まんまとそうなっていらっしゃるようですね。

「そういう人たちも私の支援対象」

本当に官がつらいのはここですね。死んだふりギョーカイを責め続けてきた私ですが、猿烏賊騒動のあとは、自己防衛に走って結果的に死んだふりになってしまうギョーカイの気持ちもわかるようになりました。いや、わかるだけで、別にけなすのはやめないけどさ。

だってやっぱり、生まれた時代の中で、与えられた環境の中で、何をなすべきかって考えるべきですよね。

またお越しくださいませ。