素晴らしいコメントを数々いただいていながら、お返事できていませでしたので、何回かにわけてお返事します。
まずは373さんのコメントから。
エリートコースを歩む
の記事にいただきました。
もう1つのエリートコース (373)
2018-01-19 07:16:24
会社に適応できない人の中に、高偏差値、高学歴で入社してきた人が意外と少なくないのはご存じでしょうか。
その理由の1つは「テストで高い点数を取る」という与えられた作業を機械的に続けてきただけだからです。記憶に優位な脳神経特性を持っていればそれほど努力もいらない作業です。
ところが会社では同じ作業をただ繰り返すだけということはありえません。単純労働と言われる仕事も熟達具合によって効率化されるからです。
ですから、早い時期からの「リスクも考えての主体的な選択」が不可欠となります。リスクを理解するためには失敗やそれに伴う苦痛も同様に不可欠となります。失敗させないように、苦しませないようにすること自体が大きな間違いとなります。
そんな人材はどこでも仕事ができます。さらにどんどんステップアップし続けることが期待されます。
記憶に優れた脳神経特性だけで機械的に高学歴を積むというエリートコースを歩んできた人もまた、社会・会社には適応できなくなるリスクを背負うことになるわけですが、こちらは一生涯に渡る支援はないので実はより悲惨な末路とも言えるかもしれません。
二次障害?専門職なのにその用語を普段使うことはありませんが(笑)、立ちはだかる障害やそれに伴う苦痛がない生活こそが、将来の1人の社会人としての自立した生活の足かせになるのは間違いありません。
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先日の栗本さんの講座で愛甲さんが「二次障害を起こさないと未来はない、とまでいえる」とおっしゃいました。373さんもそこにいらっしゃったし、臨床の現場でそれを痛感していらっしゃるのでしょうね。
話は私がまだギョーカイと仲良かったころに遡ります。
なぜ今は決裂しているのに当時は仲良かったかというと、理由は二つあります。
・私がまだ「自立支援とは自立を支援することである」と純粋に信じていて「自立支援とは自立支援事業が当事者を一生涯めんどりとして囲うことである」と知らなかった。
・専門家たちが気持ち悪いほど「ニキさん萌え」だったので付属物として尊重された。
ニキさんはたしかに愛らしい人です。お会いになった方たちはこの「愛らしい」という表現に納得なさると思います。でも当時なぜニキさんがそんなに専門家たちに好かれるか、その理由の一つとしてこんなことを言う人がいました。
二次障害がないから。
これは私の実感とほど遠いものでした。っていうかよく考えたら、ニキさんをバカにしているかもしれませんね。私の目から見るとニキさんはちゃんと二次障害を起こし、そして折り合いをつけてきた人でした。二次障害があったからこそ翻訳家という仕事にたどりついたのです。
この「ギョーカイと私の二次障害観の違い」はごく最近になってわかりました。ギョーカイが二次障害を必死になって避けるのは、ようするにめんどりになったときにめんどくさくないようにです。ニキさんの二次障害はたしかに彼女の周囲に迷惑をかける類いのものではありませんでした。いや、ごく近い周囲にはかけたかもしれないけど、少なくとも私のところまでは届かなかったのでギョーカイにはもっと届かなかったでしょう。
つまりギョーカイはとことん内面に興味がないのです。
だから犬の曲芸に走るのでしょう。
ニキさんの内面にはちゃんと葛藤があり、言語力がある人だけにそれは複雑なもので、そして言語力があるがゆえに内面で消化できた。二次障害はきちんとあったと思います。でも行動面で「自分たちに」ふりかからなかったらギョーカイにとっては「二次障害がない優等生」なのです。
ギョーカイが二次障害をあれほど恐れるのは、めんどりとして扱いにくくなるからです。
そのためにギョーカイが行うこと。
主体性を奪うこと。
それを私は今後「去勢」と表現することにしました。
当事者には「頑張らなくていいんだよ」と言い
少し頑張っているお母さんがいると「頑張りすぎのお母さん」とかふざけたことを言い
その結果には一切責任を持たず
ギョーカイは当事者保護者を去勢しますね。
主体性を持って生きていきたい人は、ギョーカイの去勢に気をつけてください。
主体性こそ、発達障害が治るキーワードですから。