治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

愛着障害と修行(副題 喧嘩を売られないときには売りに行くライフハック)

2016-06-20 12:11:45 | 日記






「愛着障害は治りますか?」のセミナー参加者の中には、参加動機の一つに「自分には愛着障害があるのかどうか」っていうのがあったらしいんですけど
これが私にはすでに「怖がりだなあ」と映るんです。
でもまあ思い出してみると、赤本出したころも同じようなリアクションがありました。
自分は、あるいはうちの子は、ニキさんや藤家さんと違うけど自閉なのかどうかとか。
メールもきたし電話もきた。

どっちでもいいよね。

生きやすい方に歩み出す指針として愛着障害とか自閉症があるんであって。

どの時期に愛着障害を背負ったかの見分け方は神田橋先生の大変にいかがわしい(褒めてます)新刊を読めば書いてあるし。
でも覚悟してね。相当難しい本ですよ。私はあの本に関して、愛甲さんに読書会やってほしいと思っています。自分自身、一ページ読むのに10分くらいかかるんで。

まあセミナー当日、私は愛甲さんの話を聞いて、きっと発達障害と同じで愛着障害も多かれ少なかれ誰でも持っているんだろうなと思いました。だって完璧な家庭もなければ完璧な親も子もいないからね。そして中には愛着障害の性質を活かしている人もいる。これも発達障害と同じ。
苦しいほどの愛着障害は治した方が前向きに生きる邪魔にはならないけどね。これも発達障害と同じ。

みんなすごく自分に愛着障害があるかどうか心配していたようなので、私も無理に心配してみると
私自身の中に、「これって愛着障害だろうか?」とか思う要素があるとするならば、「褒められるのが嫌い」っていうことかな。
今回「愛情が薄いのは愛着障害か?」とか「家族を持ちたいor子どもを持ちたいという欲求が起きないのは愛着障害か?」というご質問がありましたが、私がずっと世の中の人々を見て思ってたのは「どうしてそんなにみんな他人に褒められたいかね」っていうことだな。
だからギョーカイ推奨の「褒めて育てる」に激しく違和感があったんだけどね。
いいことしたら褒める、っていうのを「情報提供」、つまり「それはいいことなのよという目印」ととらえるようになったらまあ納得に近づいたかな。でも完璧に納得はしていないね。褒められなくても人は生きていけるでしょ。違う?

私はどっちかというと、自分が尊敬もしていない人に褒められても「私を褒めるなんて顔じゃないわ~」みたいな感情がそれこそ反射的に湧いてくる。でも先日瀧澤久美子さんからブログを見て「人間脳を育てる」大人買いご注文いただいたときには

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内容の深い本ですね。
いつもながら、浅見さんのセンスの良さに敬服いたします。
表紙も素敵です。
本を読むのが楽しみです。
よろしくお願いいたします。

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この言葉がうれしかったなあ。
みんな親の愛親の愛というけど、やっぱり大人になって社会人活動していると、本に関しては親に褒められるより支援現場の大ベテランに褒められる方がうれしいでしょ。それが社会人というものだと思いますよ。いつまでも親の愛を求めているのは、たぶん切り分け不足。満たされていないから起きることかもしれないけど。本を瀧澤さんに褒められるのは素直にうれしいですよ。

そして昨日、もりしーさんからお電話が。

「メールに書くより感激を速く伝えたかった」と。
「すごい本ができた。この人はホンモノや」と。

もちろんもりしーさんに本を褒められるのも大変にうれしいわけです。その道の第一人者で、結果を出している人だからね。もりしーさんが新刊を評価してくれるのはうれしい。

要するに私の「褒められるのが嫌い」っていうのは
「どうでもいい(とこっちがみなしている人)に褒められると違和感」ということで
こっちが評価している人たちに仕事を評価されるのは、とてもうれしいわけですね。
逆に吉川徹とかが絶賛してたらやじゃん。早く「原始反射トンデモ」とか言えよ、と思ってるけど言わないねえ。「触らぬ神に祟りなし」かしら。まあアマゾンで販売始まったら(22日です。しばらくは在庫安定しないでしょう)またアンチ軍団が手ぐすねひいて星一個のレビューつけるだろうから、花風社クラスタ灰谷クラスタの皆さんは迎撃をよろしくお願いいたします!

もちろん読者の方は、お金出して買ってくださったわけだから、評価してくださるとうれしい、っていうよりほっとしますよ。

だから、大人になって社会人活動を頑張れば
親に愛されなかったことも癒されるだろうなと思います。
そのためには修行が必要。
親の言いなりにならないだけの経済力も必要(生保・障害者年金・配偶者の稼ぎも含めてもいいと思う。自分で稼いだ方が「望ましい」とは思うけど)。

ほらここで、愛着障害と修行がつながった。
愛着障害からフリーになるためにも、「自分でご飯を食べていけるようになる」ための修行は必要ね。